43.学習侍女
日帰り温泉旅行は楽しかった。久しぶりに一人でゆっくりできる機会を持てて、大満足である。
この王都周辺は温泉が世界樹の恵みとして産出されているから、温泉宿に困らないのが良い。予約を入れていなくても即日で泊まれるのだ。
朝から宿に入り、何度も温泉に浸かって、朝昼と食事を楽しんで、泊まらずに帰ってきた。冬の寒空の下での温泉は、格別にいいものであった。当然酒も楽しんだ。
さて、休みを満喫したので、今日からまた仕事を頑張ろう。
侍女宿舎で温石を受け取り、懐を暖めながら後宮へと入る。薔薇の宮では、パレスナ嬢が何やらいつもとは違うドレスに着替えていた。今日の午前は絵画の時間ではないというのだろうか。
「本日は白菊の宮にて、ダンスの練習を行います」
そう侍女のフランカさんに予定を教えてもらう。
白菊の宮。確か、その宮の主は……。
「バルクース伯爵のご令嬢の宮殿でしたね」
私の言葉に、フランカさんは頷く。
「はい、バルクース家のミミヤ様が白菊の宮の主です」
バルクース伯爵家。バルクースとは芋のことである。芋といっても地中で育つ地下茎ではなく、実のように芋が実る。
バルクース伯爵家の領地スイーヌは、そのバルクースの一大産地だ。ゆえに、名産品から名前を取って家名としてたらしい。古くから王家を作物で支える歴史ある貴族だ。
そして、古い貴族なだけあって……。
「ミミヤというか、バルクース家はダンスの名手なの。ダンスパーティなんかでは、バルクース家の者と踊れることが貴族の誉れとされているのよ」
と、パレスナ嬢に説明される。そう、この国には社交ダンスの文化がある。
社交ダンスは貴族のみに伝わる文化だが、その歴史は古い。
以前、王太子時代の国王と一緒に遺跡から発掘したこの国の建国史でも、ダンスを踊る場面が出てきた。
なんでも、建国王は人心を乱した悪魔を倒し、その刈った首を人々から隠し敵軍の死骸と共に埋め、その上で恋人と一緒にダンスを踊ったと史料にはある。本当に血なまぐさい建国史である。
そして、バルクース家はその建国当時から続く貴族の家らしい。本当だとしたらその歴史は八百年以上だ。すごいことである。
「ま、運動不足になってはいけないし、たまにはダンスも悪くないわね」
パレスナ嬢はそう言って薔薇の宮を出発した。
目指すは白菊の宮。護衛は昼番担当のフヤである。彼女とはあまり会話を交わしたことはない。先日城下町に行ったときにも護衛として付いてきていたのだが、始終無言だった。
「あら、雪ね」
と、白菊の宮に向かう道中、空から雪が降ってきた。それに気づいたパレスナ嬢が、空を見上げている。
「積もったら、いい風景画が描けそうね。『雪の後宮』なんてね」
パレスナ嬢は嬉しそうにそう言うと、視線を前へと戻し、また歩き始めた。
そして、ふとパレスナ嬢は疑問をこぼした。
「でも、雪が降るのだったら、今月の陛下とのお茶会はどこでやるのかしら?」
国王とのお茶会。そんなものがあるのか。初耳だ。
「どこかの宮を使って行うのではないでしょうか」
白菊の宮行きに同行していたフランカさんが、そうコメントする。ちなみに今日はビアンカも同行している。
午前は下女の掃除があるはずだが、侍女が薔薇の宮に誰も残らないとなると、誰が監視業務をするのだろう。護衛の誰かがやるのかな。
そんな会話をしつつも、白菊の宮へと到着する。入口でノッカーを打ち、侍女に中へと案内されると、入口すぐの広間ではすでにミミヤ令嬢らしき貴族の女性が待機していた。燃えるような赤髪を頭の上で編んでいる二十歳ほどの女性。ドレスは古風なものだが、けして古くさくなく上品なものとなっている。
「ごきげんよう。お待ちしておりました。外は寒かったでしょう。部屋は暖めてありますから、どうぞコートをお脱ぎになって」
そう令嬢に歓迎される。
そして白菊の宮の侍女に促されて、私達はコートを脱いだ。
「では、早速始めましょうか。まずは軽く、基本のステップからにしましょう」
と、貴族の女性、推定ミミヤ嬢がいきなりダンスの練習を開始した。
ここでやるのか。確かに、宮殿で一番広い場所はこの入口すぐの広間である。余計な物は何も置かれておらず、さらには壁に姿見がいくつも置かれている。あれでダンスの姿勢を確認するのだろうか。
私は、邪魔にならないよう、鏡のない壁際へと退避する。
「はい、1、2、3、1、2、3……って、そこ、何をやっていますの」
令嬢がこちらを指さして注意をしてきた。
って、私?
「侍女の貴女。貴女も一緒にやるのですよ」
え、そうなの? 予め言っておいてよパレスナ嬢。私がパレスナ嬢の方に視線を向けると、忘れてたという顔でこちらを見ていた。
近くにいるフランカさんは、申し訳なさそうな顔でこちらに謝罪の礼をした。
ビアンカはきょとんとした、不思議そうな顔で私を見ている。
こ、この人達は……言うの忘れてたのか……。とんだサプライズだ。
侍女も一緒にダンスの練習か。なるほど、そういうこともあるのだろう。だけれどね……。
「申し訳ありません。私、ダンスをやったことがなくて……」
カヤ嬢からダンスの練習をしようとは前々から言われていたのだが、結局やらずに今日まで過ごしてきてしまった。無精によるツケをこんなところで払うことになるとは。
「ダンスをやったことがないなんて、どこの家のご令嬢ですの? そういえば初めて見る顔ですわね」
令嬢が怪訝な顔をしてこちらに近づいてくる。
私はとりあえず、令嬢に向けて侍女の礼を取った。
「初めまして。キリン・セト・ウィーワチッタと申します」
「キリン……? 知らない領地ね。外国の方かしら?」
「キリンが名前で、出身はバガルポカルです。侍女になる前は、生活扶助組合で庭師をしていました」
私の言葉に、令嬢は唇に指を当てて考え込む。
「確か先王陛下の時代に、名誉勲章を与えられたそんな名前の庭師がいたような……でも、6、7年は前だから違いますわね」
それが私だ。アバルト山の竜退治に貢献したとして、勲章を授与された。
私は、考え込む令嬢に真実を告げた。
「私、二十九歳ですので。魔法で不老になっております」
「ええっ、どう見ても子供ですのに、私よりも年上なのですか」
心底驚いた、という顔で令嬢が言った。彼女がこの宮の主であるなら、年齢は十九歳のはずだ。
そして令嬢はすぐに表情を平静に戻し、私に向けて言葉を放った。
「……では、今日が初めてのレッスンですわね。改めまして、私、リゼン・ミミヤ・バルクース・ボ・スイーヌですわ。ここ白菊の宮にてダンス教室をしていますの」
「はい、よろしくお願いします」
ミミヤ嬢に向けて、私は改めて侍女の礼を取った。
ダンスは初めてだが、王城で淑女として働いている以上、いずれは覚えなければいけなかったことだ。良い機会と思おう。
「せっかくですので、マンツーマンでいきますわよ。その歳で踊れないとなっては、社交界で恥をかいてからでは遅いですからね」
そう私に向けてミミヤ嬢が告げる。
マンツーマンかぁ。どうも本格的になってきたぞ。気合いを入れよう。
そんな私をパレスナ嬢は、どこか可哀想なものを見る目で見てきた。
え、何かあるのこの人?
◆◇◆◇◆
「1、2、3、1、2、3。良いですわね、的確なステップですわ。1、2、3、1、2、3。そこ、また強く踏み込みすぎです!」
舞は武に通ずというが、その逆の武は舞に通ずるのだろうか。
とりあえず今は、私の動きのあまりもの力強さに注意を受けている。リズムを取るのはできているんだがなぁ。
しかし、ミミヤ嬢は、なかなか教えが厳しい。
叱りとばすとか、平手が飛んでくるとか、そういうものではない。
ただ純粋に、先ほどから休みなしで私だけ練習が続けられているのだ。
「1、2、3、1、2、3。庭師だけあって体力は十分ですわね。1、2、3、1、2、3。さあまだまだ続けますわよ」
こ、この人、私の体力の余り具合を解ってて続けてる。体力無尽蔵の魔人じゃなかったら今頃倒れてるぞ。
「1、2、3、1、2、3。優しくそれでいて優雅に。1、2、3、1、2、3。そうそう、やればできるではないですか」
ミミヤ嬢の手拍子が続く中、一心不乱に基本のステップを続ける。
そして、とうとうその手拍子は終わりを告げた。
「さ、次は音楽に合わせていくとしましょうか。いきなり他人と踊れとは言いません。ステップを踏むだけで良いですわよ」
そしてミミヤ嬢は侍女の一人に楽器の用意をさせる。弓で弦を弾く、大きめの弦楽器である。
楽器が鳴らされ、音楽が開始される。
この曲は、聞き覚えのある曲だ。
確か、サマッカ館や王城でのパーティで演奏されているのを聞いたことがある。
そういうときは決まって、貴族の幼い若君にダンスを申し込まれるんだよな。当時庭師の私にダンスなんて踊れるはずがないのに。
と、そうだ踊らないと。三拍子の基本のステップをその場で踏む。
ステップを踏みながら他の面々を眺める。そちらの方々は、ステップだけではなく互いに向かい合ってダンスを踊っている。
パレスナ嬢。そつなくこなしている。インドア派の運動音痴というわけではないようだ。
それと組んでいるフランカさん。なんだかすごい上手い。さすがの年の功というわけか。
ビアンカ。背が低く組める者がいないので、一人で踊っている。ちゃんと上手い。私より上手いので、どうにか追いついて一緒に踊りたいところだ。
やがて音楽は終わり、私はステップを止めた。
私の様子を侍女と踊りながら見ていたミミヤ嬢は、私に向かって意見を投げかける。
「やっぱり、ステップが力強いというか、男性的というか……どうにかして矯正しませんとね」
すみません。動きが男性的なのは、精神が男なせいかもしれないです。
矯正されすぎるのもちょっと怖いのでほどほどで……。
その後もミミヤ嬢のスパルタ特訓は続き、私はとうとう人と向かい合ってステップを踏む段階までやってきた。
「キリンちゃんと一緒ですねー」
ずっと相手がいなかったビアンカが対面だ。踊る相手ができたのが嬉しいのか、ビアンカは笑顔である。
ビアンカと向かい合うと、露骨に視線の位置の違いが出る。私の方が、背が低いのだ。九歳児に負ける私の背って……。悲しい。
まあ、そんなことよりダンスだ。身体を密着させるとまではいかないが、近い距離で向かい合ってステップを踏む。
「あいたっ!」
と、リズムを取り損ねてビアンカの足を踏んでしまった。
リズム取りだけは上手くいっているつもりだったんだがなぁ。
「痛いですー」
「ごめんごめん」
ビアンカの足に治療魔法をかけてやる。すると痛みが引いたのか、ビアンカの顔に笑顔が戻った。
その様子を見ていたミミヤ嬢が、こちらに近づいてくる。
「ほら、力強くステップを踏んでいると、相手の足を踏んでしまったときに、余分な痛みを与えてしまうでしょう? 女性のダンスは美しく軽やかにですわよ」
「はい、解りました」
ビアンカとの対面ステップはしばらく続き、いつの間にか正午に近い時間になってきた。そろそろ昼飯時だ。
「では、今日のレッスンはここまでとします」
そうミミヤ嬢がダンス教室の終わりを宣言した。
はあ、なかなか長かったな……。
「やっと終わりましたー」
ビアンカは口から魂が抜けそうなほど脱力している。
私も疲れたな。精神が。体力は全く減っていないのだが、慣れないことをすれば心は疲れるものだ。まあ、肉体を使った運動なので、何回か通ううちに慣れると思うが。
時間も時間だし、薔薇の宮まで戻ったらすぐに昼休憩かな。
と、私がそんなことを考えていると。
「では、次は昼食会ですわ。当家のシェフの味を楽しんでいってくださいませ。当然、食事マナーの確認を行いますわ」
えっ、まだ続くの? 思わずがっくりと肩を落とした。
とりあえず私は侍女宿舎で食事は取れない旨を伝えるべく、カヤ嬢に向けて伝達妖精を飛ばすのであった。
◆◇◆◇◆
「はー、久しぶりにやると疲れるわね」
昼食会という名のマナー講習を終え、薔薇の宮に戻った私達は、パレスナ嬢の私室で休憩をすることにした。
食事の場でも私はミミヤ嬢のチェックを受け、食べ方が男らしすぎると注意を受けていた。女らしい食べ方って何……?
「私は今回あまり注意されなかったです」
そう嬉しそうにビアンカが言った。普段は注意されるのか。まあ九歳じゃまだマナーとかは不十分だよな。
「今回はキリンさんにミミヤ様の注意が向いていましたからね」
そうフランカさんに言われる。まあ、そうだよな。明らかに私に付きっきりになっていたよな。
講師として、初心者に目をかけてくれたのだと思おう。
「さて、では午後は引き続き勉強の時間でございます。数学の復習から」
そう唐突に告げたフランカさんの言葉に、パレスナ嬢は渋い顔をした。
午前のダンスレッスンを前にした反応とはだいぶ違う。もしかして、勉強は苦手なのか、パレスナ嬢。
この国の貴族なら、ビアンカのように幼い頃から侍女になる場合を除き、家庭教師がついて色々学んでいるはずだが。
「数学かー。数字って苦手なのよね」
なるほど、数学がピンポイントで苦手なのか。しかしだ。
「王族の一員に加わるとなりますと、農学と化学は必ず修めないとならないはずです。そこに数学は密接に関わってくるかと」
私は王太子時代の国王を思い出して、そうパレスナ嬢に向けて言った。国王は何気に勉強家だったからな。
私の言葉にパレスナ嬢は気合いを入れたのか、フランカさんの用意した問題集を前に鉛筆を握りしめた。
「キリンさんは、数学についてはどうですか? 庭師ならば語学は堪能でしょうけれど、幼い頃から庭師業をやっていたとなると、この類の学問は習得していないでしょうか」
そうフランカさんに問われるが。
「大丈夫ですよ。前世では文系ながら大学まで通っていましたし、魔女の塔でもみっちり魔法式に必要な数学を勉強しましたから」
「なるほど、インテリなのですね」
私の答えに、フランカさんが感心したように言う。
とはいえ、私の前世の大学時代から考えると相当な時間が経過しているし、魔女の塔での勉強も二十年は前だ。でも、生活に必要な計算はできるため、特に問題集は受け取らないでおく。
「では、ビアンカはこの解説書ですね」
「わーい、私、数学大好きです」
む、ビアンカは数学が好きなのか。
四則演算はカードで遊ぶのにも使うので、得意なことに越したことはないぞ。
「キリン、問題解かないなら、私に解説お願いできる?」
「いいですよ」
パレスナ嬢のヘルプを求める声に、私は素直に応えることにした。
魂の記憶を読み取る魔法を使い、前世の学生時代の記憶を呼び覚ます。よし、これで数学の知識はばっちりだな!
「キリンさんがいるなら、語学の勉強も行えますね。塩の国がある大陸の言語を教えてもらいましょうか……」
フランカさんが何やら学習計画を練っているが、まあ私の力になれることなら協力はしてあげたい。
しかしだ。
私が外国語を習得する方法って、かなり感覚的なところがあるから他人にどう教えてあげれば良いのか解らないんだよなぁ。
こればかりは私が前世から持っている特性なので、この世界に合った勉強法というのはどうすれば良いのやら……。
そうしてこの日の私達は、学習を行うことで一日を終えたのだった。
王妃候補者の教育って、ゆるいこの世界基準で見てみると大変だ。




