41.外出侍女
城下町クーレンバレンカル、その大通りを二頭立ての大きな馬車が進む。
8月4日の午前。今日はパレスナ嬢を連れて、ティニク商会へ訪ねる予定の日である。馬車の中には、パレスナ嬢のほか、フランカさん、ビアンカ、護衛のビビ、もう一人の護衛フヤ、そして私の六人が乗っている。
御者をするのは王城の馬車管理官だ。二頭のメッポーを巧みに操っている。
平日のため大通りは混み合っておらず、馬車はスムーズに進む。やがて、馬車はティニク商会へと無事到着した。
大通り沿いの一等地に、ティニク商会の本店はある。
思えば大きくなったもんだ、などと考えつつ馬車を降りる。
「来たわね!」
ビビにエスコートされて馬車を降りたパレスナ嬢が言う。
「久しぶりに来たけれど、前より大きくなっていない?」
その感想は正しい。一等地だというのに、隣の土地を買収して店舗拡張とかしでかしてるのだ、ゼリンのやつは。商才があるようで羨ましいかぎりである。
「ま、いいわ。行きましょう」
女六人連れだって店舗の中へ入っていく。その間、馬車は店の従業員に誘導されて、駐車スペース行きだ。
店舗の中は、清潔で整頓された小綺麗なものだった。
棚には種類ごとに区分けされた商品が並び、天井からはどの商品が置いてあるかの案内板が吊されている。
そして、平日昼間だというのに客が多数、店内に詰めかけ、思い思いの商品を眺めている。
それをパレスナ嬢は店舗入口から満足そうに眺めると、ビアンカの方へと振り向く。
「さ、カード見てきていいわよ。フランカも付いていってあげて」
「わあ!」
「ですが……」
パレスナ嬢の言葉に、ビアンカは笑顔になったが、フランカさんが渋る。
「大丈夫、キリンもいるし護衛だっているわ。休みだと思ってビアンカを見てあげなさいな」
「……了解しました。では、失礼します」
「お嬢様ありがとうございます!」
そう言ってフランカさんとビアンカは、カードコーナーへと向かっていく。私はすれ違いざまに、フランカさんに「初めてカードを買いますって店員に言うと良いですよ」と助言をしておく。初心者向けのスターターパックを紹介してくれるからな。
さて、残った私達も店員を見つけて、ゼリンに取り次いでもらわないとな。
私は店舗を見渡して店員を探す。
「何かお探しですか?」
「おうっ!?」
不意に横から声がかかる。声のした方向へ振り向いてみると、そこには店員の制服を着た十二歳ほどの幼い少女がいた。
「って、カーリンじゃないか」
「はい、いらっしゃいませ。どうしたんですか? 侍女の制服なんか着て」
カーリン。王城勤めの下女だ。
私はそんなカーリンに向けて、彼女の疑問に答えた。
「今日は侍女として主人に付いてきたんだ。それよりもカーリンこそ、その格好はなんだい?」
「今日は下女の仕事はお休みですから、実家のお手伝いです」
それはまあ、なんとも偉いことだ。手に職を持って王城で働いて、さらには実家の手伝いもするなどと。以前、王都の店のことを詳しく知らないと言っていたから、それを気にして手伝うようになったのかな。
私が感心している間にも、カーリンは言葉を続ける。
「後宮の担当になったというのは本当だったんですねー。本日はお買い物ですか? ご希望の品があればご案内しますよ」
「いや、実はゼリンと面会する約束があるんだ。取り次いでもらえないか」
「父さんとですか。解りました。取り次いでまいりますので、お呼びするまで商品でもごらんになってお待ちくださいな」
そう言ってカーリンはすっとその場から消えた。相変わらず忍者のような存在感のなさである。
店員への言付けも終えたので、私はパレスナ嬢へと振り返る。
「店員に取り次いでもらいましたので、それまで適当に商品でも眺めていましょうか」
「解ったわ。それにしてもキリン、さすが店員と仲がいいのね」
あれほど仲がいいのはゼリン以外ではゼリンの息子かカーリンくらいなものだけれどね。
「じゃ、画材でも見て回りましょうか」
そうパレスナ嬢が行き先を希望したので、私達四人はぞろぞろと画材コーナーへと向かう。
地上四階建てのティニク商会だが、画材はここ一階に売っている。
一階には他にも玩具コーナー、カードコーナー、書籍コーナーがあり、書籍コーナーでは最近漫画を強く売り出している。
その漫画売り場の隣に、画材コーナーはあった。漫画を一般人にも描かせようとしているのだろうか。
画材コーナーにさしかかると、先客としてドレスを着た貴族の女性とそのお付き達が商品を眺めていた。
画材を見て回る貴族令嬢か。パレスナ嬢みたいに絵画をたしなむ変わり者か?
「モルスナお姉様? どうしたのこんなところで」
貴族の女性に向けてパレスナ嬢が、そう呼びかけた。
画材を眺めていた女性は、ぴくりと反応してこちらへと振り向く。
「あら、パレスナじゃないの。貴女も画材を買いにきたのね」
そうパレスナ嬢に親しげに話してくる女性。
モルスナお姉様。パレスナ嬢は彼女に向けて確かにそう言った。
パレスナ嬢と雑談をしているときに、一度聞いたことのある名だ。
確か、パレスナ嬢の父であるエカット公爵の妹。つまりパレスナ嬢の叔母だ。歳は若く、十七歳とパレスナ嬢の一個上である。
そして王妃候補者の一人でもある。紫陽花の宮の主だ。
そんなモルスナ嬢は、パレスナ嬢に似た長い金髪の毛先をくるくると巻いた巻き髪にしている。何故かその髪型から、前世の工具であるドリルが連想された。
「私は店主に用があるの。モルスナお姉様は画材を見ているようだけれど、お姉様って絵画を描くの? 初耳」
そうモルスナ嬢に語りかけるパレスナ嬢。だが、モルスナ嬢は首を振って否定した。ドリルがぶるんぶるんと揺れる。
「いいえ、違うわ。私が描いているのはマンガよ」
「『マンガ』? 何かしらそれ?」
どうやらパレスナ嬢は漫画を知らないようだ。
そうだな、小説もほとんど読んだことがないのだから、その派生として売り出している漫画を知らなくてもおかしくないのか。
「マンガというのは……そうね。絵で読む小説みたいなものよ」
そうモルスナ嬢が説明するが。
「絵本みたいなのかしら?」
と、パレスナ嬢は理解出来ないようだった。
まあ、漫画って言葉で説明するのは難しいよな。
「違うわね。そうね……今度後宮でどんなものか教えてあげるわ」
と、モルスナ嬢はこの場での説明を放棄したようだった。
そして、モルスナ嬢は続けてパレスナ嬢へと話し続ける。
「しかし、後宮生活を満喫しているようで安心したわ。こうやって侍女と一緒に城下町に遊びに来るほどですもの」
「ええ、楽しんでいるわ」
にっこりと笑うパレスナ嬢。
私が後宮に来てから四日目だが、確かにパレスナ嬢は本当に楽しそうに日々を過ごしている。
仕える側としても主人が明るくて機嫌が良いのは、とても素晴らしいことだと言えた。
「兄さんに家を追い出されたと聞いたときは、あいつどうしてやろうかと思ったけど」
そうモルスナ嬢が言葉を漏らす。
ああ、そうだ。カヤ嬢が以前言っていた。
エカット公爵家の一人娘は今の公爵夫人にとって前妻の子で、きっと疎んだ夫人が後宮に押しつけたのだろうと。
だが、それをパレスナ嬢は否定した。
「追い出されてないわ。私は陛下のお嫁さんになりにきただけ」
その言葉に、モルスナ嬢はぱちくりと目をまたたかせた。
「あら、そうなの。貴女と兄さんの後妻との仲は?」
「あの人はそもそも、お母様の妹なの。だから私は疎まれてはいないわ。行かず後家だったあの人に、お父様が母様の面影を重ねたんじゃないかしら」
良かった。カヤ嬢が期待していたような、昼ドラのような裏事情は存在しなかった。
そんな思わぬエカット公爵家の内情に、モルスナ嬢はにやにやと笑みを浮かべる。
「あらあら、本当に? 結婚式には行かなかったけど、どうせなら顔を出して弄ってやればよかったわ!」
そう言って、からからと面白げにモルスナ嬢は笑った。
「モルスナお姉様が結婚式に来なくて、お父様は寂しそうにしていたのよ」
「いいのよ別にそんなの。歳が離れてるせいか妙に溺愛してくるけれど、あっちもいい歳なんだから、妹離れくらいしてほしいものだわ」
私の中でのエカット公爵像がどんどん歪んでいくぞ。前妻の妹に入れ込んで、そして娘と一歳違いの妹を溺愛するシスコン。
偉大なゼンドメル領の公爵がそんな人物だったとは……。
うむ、聞かなかったことにしておこう。
「で、楽しんでいるとのことだけど、後宮での生活はどうなの? 何やらよくないことが起きていると耳にしたけれど……」
と、モルスナ嬢が話題を変える。
やはり、嫌がらせの件は話が広まっているのか……。同じ後宮に住んでいるのだから、話も届くか。
そんな話題に対し、パレスナ嬢は笑顔で答える。
「大丈夫よ。すこぶる調子がいいわ。最近は王城から新しい侍女も入ったしね。キリン、挨拶して」
む、話を振られた。
パレスナ嬢の後ろで控えていた私は一歩前に出ると、侍女の礼を取った。
「初めまして。パレスナ様の侍女となりました、キリン・セト・ウィーワチッタと申します。キリンが名前です」
「まあ、ゼリンから話は聞いていたけれど、本当にあの庭師が侍女になっているのね。モルスナよ。よろしく」
む、ゼリンから?
「モルスナ様はゼリンとお知り合いですか?」
「ええ、ゼリンの頼みでマンガを描いているの」
ああ、漫画を描いているって、アマチュアの趣味とかの話ではなく、もしかしてプロだったりするのか。
一流の画家であるパレスナ嬢といい、どうなっているんだエカット公爵家。
「左様ですか。失礼ですが、どのような作品を?」
何を描いているのか気になったので、そう私は尋ねてみた。
するとモルスナ嬢は誇らしげな顔をして答える。
「『令嬢恋物語』を描いているわ」
「ああ、宿舎の同室の侍女が愛読しているので知っています。確か作者名はゼンドメル・モルナ・エヒメルでしたね。私も読ませてもらっています」
モルスナ嬢のフルネームはキウィン・モルスナ・エカット・ボ・ゼンドメルのはずだから、あからさまなペンネームだ。
『令嬢恋物語』はいわゆる少女漫画で、貴族だけでなく平民の女性にも愛読者がいる人気の作品だ。まさか作者がこんなところにいたとは。
貴族令嬢が主人公の物語であるし、貴族の風習についてもリアルに描かれていた。なので、作者が実際に公爵家血縁のご令嬢であると言われれば、おおいに納得できるのである。
なので、そこのところを言ってみた。
「真に迫った貴族の描写も、モルスナ様が作者となれば納得いきます」
そんな私の言葉を受けて、モルスナ嬢は満面の笑みを浮かべた。
「あら、読者だったのね。嬉しいわ、読んでいてくれて」
「なになに、なんの話かしら?」
私とモルスナ嬢の会話に、興味深げにパレスナ嬢が割り込んできた。
そんなパレスナ嬢に、私は説明を入れてあげる。
「モルスナ様は、女性に人気の絵物語の作者なのです。漫画本はこの店舗にも売っていますよ」
「あら、『マンガ』ってやっぱり本なのね。絵本と違うっていうなら、どんなのか気になるわね」
「それなら、書籍コーナーでちょっと見てみる?」
先ほどは後宮で漫画を見せると言っていたモルスナ嬢が、そんな提案をした。
その提案に、パレスナ嬢はすぐさま乗った。
そしてモルスナ嬢のお付きと一緒にぞろぞろと移動しようとしたそのときだ。
「お嬢様ー買えましたー」
ビアンカが手にトレーディングカードゲームのスターターパックを持って、パレスナ嬢に駆け寄ってきた。
後ろからフランカさんも歩いて近づいてくる。
「あら、良かったわね。それ、私の絵は載ってるの?」
「判りませんー」
「そうなの。どうせなら私の絵が使われているカードを持ってほしいわね。遊んではみたの?」
「まだですー。遊戯席にいる人、どなたも熟練者っぽくて……」
そう言ってしょぼんと落ち込むビアンカ。
そんなビアンカに対し、私は助言を一つしてやる。
「スターターパックを持って店員さんに教えてくださいって言えば、初心者講習をしてもらえますよ」
「本当ですか!」
ビアンカの顔がぱあっと明るくなる。
「まだゼリンとの面会は済んでいませんから、その間に受けてくると良いですよ、講習」
「行ってみます!」
「フランカさんも、付いていってあげてください」
そう、ビアンカの後ろにいるフランカさんにも言っておく。
フランカさんはパレスナ嬢の隣にいるモルスナ嬢のことをちらりと見ると、侍女の礼をし、ビアンカを伴ってカードコーナーへと戻っていった。
「ビアンカも元気そうでなによりね」
モルスナ嬢はそう言って笑った。
フランカさんとビアンカの親子は公爵家の分家の出だというから、モルスナ嬢とも知り合いなのだろう。
そして、私達は改めて書籍コーナーへと向かう。
書籍コーナーには本棚が並び、いくつもの本がそこに陳列されている。
そして、本棚の手前には本がいくつか平積みされており、その表紙の題字とイラストを客に晒していた。この表紙絵を前面に見せる平積みの並べ方は、私が前世の知識で教えたものではなく、ゼリンが自分で考え出したものだ。奴の商才がまぶしい。
書籍コーナーのいたるところには、立ち読み厳禁と書かれた札が掲げられている。
紙が安価になり平民でも手を出せるものになったと言えども、それでも本はやや高めの娯楽だ。立ち読み目的の迷惑客が後を絶たなかったのだろう。
そんな書籍コーナーの一画、漫画売り場へと私達は辿り付いた。平積みの漫画本を眺めていた平民の女性が、貴族集団の登場にぎょっとした顔をするが、モルスナ嬢は気にもせずに平積みされた一冊の本を手に取った。
「これが私のマンガ、『令嬢恋物語』の最新巻よ」
漫画雑誌の類はまだ存在しないので、単行本が作品の初出となる。
ヒロインの令嬢とヒーローの貴族令息が一緒に描かれた、少女漫画の表紙をまじまじとパレスナ嬢が見つめる。
「独特の絵柄だけれど、モルスナお姉様ってこんな水彩画を描けたのね」
「表紙は良いから、中身を見なさい」
「え、でも立ち読み厳禁って……」
「確認するくらいは良いのよ」
モルスナ嬢に促されて、パレスナ嬢は表紙をめくった。
そして――
「ほあっ!? なにこれなにこれ!?」
お嬢様は異文化に出会った。
「えっ、あ、こうやって読むと……ふわあ、全部が挿絵で台詞が浮かんでて、なにこれすごいっ!」
興奮するパレスナ嬢。
それを見てモルスナ嬢は笑みを浮かべる。
「どう、気に入った? 買うかしら?」
「買うわ! 新基軸よ!」
読者獲得ね、と笑うモルスナ嬢。モルスナ嬢のお付きは、そんな主の様子を誇らしげにただじっと見守っていた。
そんな書籍コーナーで騒ぐ私達のもとに、気配が希薄な店員が近づいてくる。
カーリンだ。護衛達はその存在に気づいていない。
「お楽しみのところ申し訳ないですが、店主の準備が整いました」
突然かけられた声に、護衛達はぎょっとして身構える。大丈夫。ただの忍者店員だから。
「ああ、解った。パレスナ様! ゼリンと面会しますので、そこら辺で終わりにしてくださいませ!」
パレスナ嬢に近づいた私は、そう彼女に呼びかけた。
「ええっ、マンガはどうするの!?」
「面会が終わったら、『名探偵ホルムス』と一緒に買いましょう」
「ああ、そうね。そうだったわね。モルスナお姉様。申し訳ないけれど、これからゼリンと面会があるので、お先に失礼するわ」
「ゼリンと面会? 何か面白そうね。私も付いていっていいかしら」
モルスナ嬢の言葉に、パレスナ嬢がこちらをちらりと見てくる。
私はその視線を受けて、適当に答えた。
「まあ、相手はゼリンのやつですし構わないでしょう。な、カーリン」
「来客室は広いので問題ありませんよ」
そういうわけで、カーリンに案内され、私達は大勢で連れだって店の奥へと向かう。
本来は店員しか入れないバックヤードに入り込み、来客室へと通される。
すると、そこには――
「あーら、いらっしゃい。お待たせしちゃったかしら」
カーリンと同じエメラルドグリーン色の髪。頭脳労働者を表わすヒゲづらに、引き締まった細身の筋肉を持つ中年の男性。ティニク商会の商会長、ゼリンが私達を待ち受けていた。
「あら、モルナ先生もいらっしゃるのね。歓迎するわ」
モルスナ嬢に向けてウインクをするゼリン。
王都で一、二を争う豪商と名高い男は、オネエであった。




