40.溜息侍女
『というわけで、探査船は無事帰還したのじゃ。試掘した鉱石も汚染されておらんかったので、精錬して持ち帰ったのじゃ』
「それは良かった」
仕事の昼休憩中。私は侍女宿舎の自室で、『幹』の女帝と魔法の通信による会話をしていた。
魔王討伐戦が終わり『幹』から帰るとなったとき、私は女帝から『女帝ちゃんホットライン』なる手の平サイズの魔法道具を渡された。
なんでも、世界樹にいる限り、どこからでも女帝と会話ができる道具らしい。
今回が初使用となったが、通信ラグのようなものはない。やはり『幹』の技術力はすごいな。
『次の探査は、十日ほど大地の上で滞在させる予定じゃ。大地が荒廃していたから、種を持ち込んで緑化させんとな』
「アセトリードの様子はどうだい」
『大地の一面を緑で覆わせるのじゃと言って、はりきっておる。今はテラフォーミングの勉強中じゃな』
「それはまた……専門外だろうに」
『だが元勇者なだけあって優秀じゃぞ。ゴーレムの頭脳も高度な物を積んでおるしの』
人の体を捨ててゴーレムの頭脳を獲得かぁ。サイボーグとかの類になるのかなこれは。
SFだな、すごい。
自分がそうなりたいとは思わないが。
『あと、移動中は暇な時間が多いので、暇つぶしになるものが欲しいとか言っておったな』
オートメーション化が進みすぎて人間のすることが少ないとか、そういうのだろうか。
「そういうものなら、道具協会のリネが詳しいんじゃないか。今回会ったときも、うちの国の小説を褒めてたし」
『小説か。出版の仕組みは規制しておるが、その技術の恩恵を受けること自体は、確か規制しておらんかったな。なんじゃ、おぬしの国は小説が盛んなのか?』
「盛んというか、私が商人をそそのかして流行らせた感がある」
『わはは、さすがは高度文明の世界出身よの。文明文化促進に一切の躊躇がない』
「駄目だったら、道具協会が勝手に規制してくれるかなと……」
おっと、話が弾んでいるが、そろそろ昼休憩は終わりだ。後宮に向かわないと。
「では、そろそろ仕事に戻るので……」
『おお、そうか。次話すときもこの時間でいいのじゃったか?』
「ああ、仕事の昼休憩だからな」
『では、またの』
「ああ、お元気で」
そう挨拶を交わして通信を切る。数千年生きている相手に、お元気でも何もないだろうが。
そして私は部屋の中にある姿見で全身のチェックをすると、コートを羽織って部屋を出る。
同僚と挨拶を交わしながら侍女宿舎を出て、王宮へ。王宮の廊下を通って後宮へと入り、何事もなく薔薇の宮まで辿り付いた。
入口すぐの広間に用意されているハンガーラックにコートを掛けると、パレスナ嬢の私室へ向かう。
私室では、パレスナ嬢が私の到着を今か今かと待ち受けていたようだった。
「来たわね! 早速出かけるわよ!」
今日の午後の予定は、白詰草の宮への訪問。そこには、とある侯爵の妹が王妃候補者として滞在しているらしい。名はファミー。歳は十八とのこと。
訪問を知らせる先触れは、午前のうちに同僚侍女のフランカさんが行っている。そのうち私も、そういう仕事を任されるようになるだろうか。
パレスナ嬢の身支度を済ませ、私も先ほど脱いだコートを着込んで宮殿を後にする。
パレスナ嬢に同行する侍女は、私とフランカさんの二人だ。今回娘のビアンカは留守番。護衛は先日と同じくビビだ。
後宮を四人揃って歩き、一つの建物へと辿り着く。
三つ葉の葉が特徴的な草花が外壁に彫刻された、白い宮殿だ。白詰草の宮である。
まあ、私が白詰草と呼んでいるだけで、本当に地球と同じ白詰草なのかは判らないのだが……。
宮殿の前には薔薇の宮と違って門番は立っていない。王城の中と考えると普通はそうなるか。
フランカさんが宮殿の扉の前に立ち、ノッカーを鳴らす。
少し待っていると、扉が開いて中から侍女さんが一人出てきた。私達は侍女さんに宮殿への入場を促される。
宮殿の入口は、薔薇の宮と同じ構造だ。それもそうか。いくつも違う構造の宮殿なんて建てていられないよな。宮殿ごとの差別化は、外壁の花の彫刻で図っているのか。
入口すぐの広間に入り、コートを脱ぐ。コートはこの宮殿の侍女さんが受け取ってくれ、ハンガーラックに掛けてくれる。
見覚えのない侍女さんだ。この人も宮殿で住み込みをしているのだろう。
そして、侍女さんの先導で来客室のある方へと案内される。
来客室へと入ると、すでにそこには、この宮の主であろう綺麗なドレスを着た貴族の令嬢が待機していた。青髪をゆるふわウェーブにした髪型で、結わずに自然に流している。
そして他にも、先日会ったハルエーナ王女が、自分の侍女を一人従えて椅子に座りくつろいでいた。腕には猫を抱えている。
「お待ちしておりました。パレスナ様、ご機嫌いかがですか?」
令嬢は座っていた椅子から立ち上がると、か細い声でそう挨拶をする。
対するパレスナ嬢は優雅に礼を取ると、挨拶を返した。
「ごきげんよう、ファミー。おかげさまですこぶる元気よ。ハルエーナもごきげんよう」
「ん、先日ぶり」
猫から視線を上げ、ハルエーナも挨拶を交わした。
「ハルエーナも来ていたのね」
「ビアンカちゃんから、パレスナが本を全部読み終わったと聞いた。だから、ここに来るかなって」
そうハルエーナ王女が言うとともに、どこか弱々しい外見のファミー嬢が、目に力を入れたのが見えた。
「そうです、急にパレスナ様が本をお読みになるなんて、驚いてしまいました。本をお読みになりたいなら、わたくしに一言相談していただければよかったのに。お勧めしたい本はたくさんありましたの」
「あー、そうね」
早口でまくし立てるファミー嬢に、やや引き気味になるパレスナ嬢。というか他人の様子に引いたりする気質だったのか、パレスナ嬢は。完全にマイペースな人間というわけではないらしい。
ファミー嬢はなおも喋り続ける。彼女の前にある来客用テーブルには、本が何冊も積まれていた。
「こうして、ご紹介したい本を用意させていただきました。この『アバルト山に捧ぐ』は一枚の絵画を巡った群像劇で、実在する絵画の複製を作中で扱っています。『針のごとく』は彫刻家が主人公のお話でして、幼い頃に見た教会の壁画をおぼろげな記憶のまま彫刻で再現しようとする苦悩が描かれておりますの。こちらの『若草』は――」
「あー止まって、止まって。今日は本を紹介してもらいにきたわけじゃないの。『名探偵ホルムス』の感想を言いにね」
「ホルムス! 読んだのですねあの推理小説を。そう、推理小説です。わたくし、今まで様々な本を読み集めてまいりましたが、初めて読んだときは、こんなジャンルが存在したのかと驚いてしまいましたの。読者への挑戦! ああ、作者様との交流がこんな形で叶うとは、感無量ですわ」
これはあれかな。ファミー嬢はビブリオフィリアとかビブリオマニアとかってやつなのかな。本に熱狂している人だ。
そんなファミー嬢に向かって、パレスナ嬢はにっこりと笑う。
「『王都イブカル殺人事件』から『大河に消ゆ』まで読んだから、今日はファミーとホルムスで語り合おうと思ってね」
「まあまあまあ! 本当ですの! わたくし目一杯語りたいことがございますのよ!」
「私も語る。読み直してきた」
パレスナ嬢の言葉に、ファミー嬢とハルエーナ王女が賛同する。
それに機嫌をよくしたパレスナ嬢は、さらに語り出した。
「まず、推理についてだけど、私は途中から自分で犯人を予想しようと頑張ってみたの。外れたけれど」
「それが読者への挑戦ですのよ。小説界において全く新しい試みですの!」
「魔法の存在がとてもややこしい」
「あー、それはあるわね。魔法って、どうしてもなんでもできるイメージがあるから」
「そこがポイントで、作中で魔法使いが出る場合、必ず使える魔法は開示されているのですわ。未知の魔法を後出しはしていないのです」
「詳細に説明するから、犯人が魔法使いと思ったら、違った。巧妙」
和気あいあいと『名探偵ホルムス』について語っていく三人。
途中で侍女さんが茶を淹れるも、その会話の勢いが衰えることはない。
他人の宮殿でお客様の従僕の立場としているので、私自身はただ立って待機しているしかなく、無言で時間を過ごした。猫を見て癒されながらだが。
まあ、パレスナ嬢が楽しそうでなりよりだ。
◆◇◆◇◆
「つまり、社会現象を起こすほど、『名探偵ホルムス』の挿絵は優れていますのよ。女性読者は長髪の美男子ホルムスに惹かれ、男性読者は若き未亡人のワトー夫人に惹かれる。そしてお互い同性の登場人物に憧れる。活字に慣れていない層も取り込んでいるのですわ」
「コバヤー少年も良い」
「挿絵、挿絵ね。……実は私、本の挿絵に挑戦してみたいと思っているの」
ホルムスの話が続くことしばらく。ふと、パレスナ嬢がホルムスに関係のない言葉を漏らした。
「挿絵ですの? 素晴らしいですわ!」
「うん」
ファミー嬢とハルエーナ王女は、話に問題なく乗ってくる。
その様子に、パレスナ嬢の声に喜色が混じる。
「『名探偵ホルムス』も挿絵が良い本ということで、侍女が紹介してくれたのだけれどね。それで、挿絵の参考になる本って他にもあるかしら?」
パレスナ嬢の言葉に、ファミー嬢は目をしばたたかせた。
「本のご紹介ですの!? まあまあ今日はなんて良い日なのでしょう! 優れた挿絵の本は何があったかしら? 『粉雪の庵』? 『アミリメー公爵』? ああ、どれにしましょう」
突然興奮するご令嬢。これで王妃候補者だというのだから驚きである。いったい何が選定基準なんだ……。
「そうだ、書庫に行って一緒に良いのを選びましょうか。わたくし、実家からそれなりの本を持ち込んでいますのよ」
「ええ、そうするわ」
「私もいく」
書庫かあ。薔薇の宮にはそんな部屋はなかったから、同じ構造であろうこの宮殿では、どこか適当な部屋を書庫にしているのかな。
令嬢達が椅子から立ち上がり、侍女の私もそれに続こうとする。
だが、ファミー嬢の侍女がそれに待ったをかけた。
「書庫は本棚が並んで狭いので、侍女の方はこちらでお待ちください」
ああ、なるほど。書庫にぞろぞろいくわけにもいかないか。
ファミー嬢とパレスナ嬢、ハルエーナ王女とそして護衛のビビが部屋を退室していく。
私とフランカさんは侍女さんに着席を促される。そして、侍女さんは茶を淹れてくれる。うーん、この心配りよ。
私達は侍女さんに礼を言い、茶を口にする。美味い。
そうしてのんびりとしていた、そのときだ。
「きゃあああ!」
!? 女性の悲鳴! もしやパレスナ嬢の身に何か?
私は椅子から立ち上がると、ダッシュで部屋を出る。
どこだ。魔法で魔力ソナーを発信。パレスナ嬢達のいる部屋を突き止める。
場所は、薔薇の宮でのアトリエの部屋!
私は廊下を駆け、パレスナ嬢のもとへと向かった。
彼女達のいる部屋の扉を開け、中へと踏み込む。
そこは、本棚と本に満ちた部屋だった。
そして、部屋の一画。空の本棚が倒れており、ビビが頭を押さえてうずくまっていた。その周囲で、令嬢達がビビを心配そうに見つめている。
「ご無事ですか!」
私は令嬢達に呼びかける。
すると、パレスナ嬢がこちらに振り向き、言う。
「本棚が倒れて、私を庇ってビビが頭を打ったの」
「治療します」
私は彼女達に近づいて、妖精魔法の準備をする。念のため、ビビに呼びかける。
「ビビさん、意識はありますか?」
「大丈夫です。空の本棚でしたし、たんこぶができた程度です」
「頭の中で出血していたら大変なので、魔法で治療しますね」
私は妖精言語を使い、妖精を呼び出す。
呼び出された妖精は、きらきらと光の粒子を撒き散らしながらビビの頭に近づくと、よしよしと頭を撫でた。
「おお、痛みが引いていきます……」
顔に元気を取り戻したビビが、ゆっくりと立ち上がる。それを追って妖精があせあせと上へと浮遊した。
「すごいわね、さすが魔人姫キリン!」
「えっ、この侍女様、キリン様なのですか? あの『騎士レイの生涯』に出てくる竜殺しの?」
「ええまあ、はい」
パレスナ嬢の言葉にファミー嬢は驚き、それに私は適当に相づちを打っておく。
それよりもだ。
「何故こんなことに」
倒れた本棚を見ながら言った私の疑問に、パレスナ嬢が答える。
「解らないわ。急に本棚が倒れてきたの」
「わ、わたくしは何もやっていませんわ……」
「別に疑っていないから安心しなさいな」
「は、はい……」
あせりを見せたファミー嬢だが、パレスナ嬢のフォローで落ち着きを見せた。
その様子をハルエーナ王女は無言で見守っている。猫は騒ぎに驚いたのか、部屋の隅で丸まっている。
「とりあえず、また何かあるといけませんから、部屋を出ましょうか」
妖精の治療が終わったビビが、そう令嬢達を促す。
その言葉に、令嬢達は素直に頷いた。
「あ……パレスナ様。この本あとでお渡ししますね」
そう言うファミー嬢の腕には、本が数冊抱えられていた。
騒ぎの間もずっと抱えていたのだろう。パレスナ嬢と一緒に選んだ本だろうか。
「ええ、感謝するわ。きっと良い挿絵を描いてみせるわ」
そう笑うパレスナ嬢。そして私達は書庫を後にすることになった。
あ、猫はちゃんとハルエーナ王女が回収したぞ。
◆◇◆◇◆
白詰草の宮から帰って、パレスナ嬢の私室。私達は留守番のビアンカも交えて歓談していた。
「今日は収穫ね。よさげな挿絵の参考を貸してもらえたわ。後は、明日の商会訪問が上手くいけば良いのだけれど」
ファミー嬢から借りてきた本をぱらぱらとめくりながら、パレスナ嬢が言う。
本棚の件を気にした様子は全く見せていない。
そこで、私はパレスナ嬢に聞いてみることにした。
「パレスナ様、本棚が倒れた件ですけれど……襲撃を受けて気にされてないのですか?」
私の疑問に、パレスナ嬢は目をぱちくりとさせた。
「ああ、それね。我慢してるわ」
「我慢、ですか?」
「そう、我慢。ここにいるのは王妃候補者達。陛下の歓心を得ているのは現状私だから、嫉妬されることもあるでしょうね」
でも、とパレスナ嬢は言葉を続けた。
「嫉妬は当然のこと。仕方のないことなの。つい嫌がらせもしてしまうかもしれないわ。それなら、私が我慢すればそれでいいのよ。今回はビビに被害がいって申し訳ないけれど、ホルムスみたいに犯人捜しなんてしても、誰も得はしないわ」
なるほど。懐の広いことだ。
事件は起きているが、名探偵なんていらない。そういうことだ。
彼女が我慢し騒ぎ立てなければ、何も起きていないのと同じ、ということ。国王まで嫌がらせの話は行ってしまっているが。
でも、そんな優しい尊敬すべき主人を持てて、侍女の私も鼻が高いよ……。
「あ、でも犯人はこの中にいる! とか一度言ってみたいわね。平和な事件でも起きないかしら」
最後のその言葉で全部台無しだよ!
私は、「つまみ食いの犯人捜しとか」と妄想を広げるパレスナ嬢の様子に、小さなため息を漏らすのであった。




