3.私の研修
「お茶はもう完璧ですわね」
「恐縮です」
先輩侍女の言葉に、私は慣れない敬語で応える。
侍女の新人研修を始めて一週間。私はお茶汲みの指導担当の侍女からようやくの合格を貰った。
侍女を始めてまず最初に難儀したのが、敬語を使い続けることだった。
私は相手に声を届けるために、思考の表層を汲み取って音に変換して周囲に伝える魔法を使っている。
要約すると思ったことをそのまま相手に伝える魔法だ。敬語を使うには、まず思考の表層を敬語に変えなければならない。
しかしこれが厄介だ。まず、私の思考はこの国で使われている言葉で組まれていない。
では何かというと、日本語だ。ジャパニーズ。
この世界に転生して三十年弱。それだけ生きてきてなぜこの世界の言語で頭の中を埋めていないのかというと、侍女になる前の職業が関わっている。
冒険者である。魔物を倒し未知に挑むのがその仕事内容だが、私は偉い人から仕事の依頼を受けることがしばしばあった。その仕事上で、ちょっと他人には言えない国家機密だとか世界の秘密だとかを知る機会があった。
そして私は魔女の後継者である。自分では使えない様々な魔法の知識があった。その魔法の中に、とても厄介な魔法があることを私は知っていた。
読心。
相手の心の扉をこじ開けて、記憶を読み取ってしまう外法が魔法使いの秘術として存在していた。
ちょっと危ない他人の秘密を知ってしまったあの日の私は、半ば忘れかけていた日本語を自分だけの公用語にすることに決めた。
その日から私の第一言語はジャパニーズである。しかしそうなると思考を音に変える魔法を使ったとき、周囲に響くのは日本語だ。この世界の誰も知らない言葉で話しても意味がない。
なので、私は音の魔法を使うときは、思考を必要な分だけこちらの国の言語に訳す。
ただ思考は思考。前世の頃に使えていた声帯と違って、なかなか融通が利かない。言語の訳はすでに慣れたものだが、今まであまり使うことのなかった敬語を使うのがなかなかに難しい。
しかしアラサーにもなって敬語もまともに使えないというのは、自分のことながら情けないものだ。
敬語の次に難儀なのが礼儀作法。
貴族の作法を身につけていないわけではない。例のサマッカ館の護衛のように、前の仕事でも作法を身につける機会はいっぱいあった。
しかし、二十年の間『庭師』として世界各国を巡っているうちに、各国の作法を覚えすぎてしまったのだ。
礼をとって、あれ、これこの国のやり方でいいんだっけ? という具合だ。グローバルすぎるのも考え物である。
そんな不出来な私を先輩侍女達は幼い子供を見る優しい目で見守り、熱心に指導してくれた。
さすが花嫁修業の場、王城の侍女である。
奉公に上がった世間知らずな箱入り娘を、立派な一人前の貴人に改造する出荷工場だ。見た目十歳の幼女を指導するなど日常的なことなのだろう。
まあその幼女の中身は、三十路を間近に控えたおばさんだが。さらにいうと前世は大往生した日本のおっさんだが。
閑話休題。
私は侍女の業務として、侍女長からお茶汲みの仕事を任命された。
お茶汲みである。正確にはお茶のような植物の葉を発酵・乾燥させたものに湯をかけて、味と香りと色を染み出させた温かい飲み物である。お茶の葉はこちらの言葉で発音すると『カーターツー』であるがお茶としておく。
貴族出身でない新米侍女にお茶汲みを任せるのは、はたして良いものなのか。人の口に入るものである。毒とか危険である。
そんなことを仕事を言い渡されたときに侍女長に言ってみたのだが、返ってきた言葉は。
「キリンさんほど信用のおける人物はそうそういません。それに、茶や茶菓子に毒が混ざっていた場合、キリンさんに解毒魔法を施してもらえます」
え、解毒魔法って何それ私知らない。
毒なんて自然界に星の数ほど存在していて、それぞれ人体に作用する箇所が違うのだ。解毒魔法なんて万能な代物、それこそ前世のおとぎ話の不思議な魔法ですよ。
そんな言葉を返してみたら、侍女長は残念そうな顔をしながらもお茶淹れを学ぶようにと指導の侍女を一人つけてくれた。
その侍女は顔見知りのククルではなかったが、ククルの友人であるようだった。
金髪の巻き毛が可愛いカヤ嬢。前職の冒険話をねだられつつも、お茶汲みの手順を学ぶこと一週間。
ようやく私は、人前でお茶を入れても恥ずかしくない、最低限のレベルに到達することができたわけだ。
あとは日々精進を怠らず、新人教育を受け続けいつの日か正式に業務を割り当てられるのを待つばかりである。
「じゃあ早速政務中の官僚の方にお茶を入れに行きましょうか」
あれ、ちょっと前職並に新人の現場投入が早くないでしょうか。
◆◇◆◇◆
王宮のある執務室の扉で、カヤ嬢が綺麗なその指で拳を緩く作り、ノックを二度行った。
二度のノックは使用人が部屋の主に伺いを立てるときに使われるもの。前世の地球では二回ノックはトイレで行うものだったが忘れてしまっていいだろう。
扉の向こうから「入れ」と返事が返ってくる。入ってます、じゃなくて良かった。いや、トイレは忘れよう。
「失礼します」
カヤ嬢はそう述べると、静かに扉を開いた。
先にカヤ嬢が入室し、扉を押さえる。そして私が遅れて茶器の乗ったワゴンを押しながら扉をくぐる。
そして、事前に説明されたとおり、室内の士官達に向かってカヤ嬢と共に礼を取った。そしてカヤ嬢が言う。
「お茶をお持ちしました」
「……ああ、もうそんな時刻か。休憩するとしようか」
部屋の中では、武官が三人応接用のソファーに座り、テーブルに書類を広げていた。
カヤ嬢の説明によると、ここは王都と周辺地域の巡回兵をまとめあげる千人長の執務室。騎士団のものや文官達が訪れることが多いらしく、茶器は多めに用意してある。
そしてお茶淹れ初仕事の私の前には、兵士隊の長であることを示す軍服を着た千人長を含めた、三人の武官がソファーに身を預けている。
いきなりハードルが高くなった、と思いながらテーブルの横にワゴンを運ぶ。
と、座る武官の一人の顔を見て私は心の中でうげ、と声をあげた。幸い私は魔法で言葉を飛ばさなければ声を発せないので、口から漏れたのは吐息だけだった。
武官の一人に、見覚えのある人物がいた。
かつて冒険者時代に王国の騎士と協力して飛竜退治をしたときに、騎士のまとめ役として顔を合わせたことのある人物だ。
役職は、青の騎士団の副団長。そのときから年代が経過しているので今は騎士団長にでもなっているのかもしれない。
私の正体に気づかれたらどんな反応をされるか。彼の人柄を考えると大笑いされるのは必至だ。
……いや、おとなしくしていれば大丈夫だろう。当時と髪型も違うし、侍女服だし、かぶるのが任意の侍女帽も被っている。
王城で働くと決めた以上、顔見知り相手に奉公するなどこれからいくらでも機会が回ってくるのだ。落ち着こう。
落ち着いた。習ったとおりに茶器に茶葉を入れ、湯を入れ、砂時計を置いて蒸らし、カップに茶をそそぐ。
そして三人分のお茶を順番にテーブルへと音を立てないように差し出し、「どうぞ」と告げる。
そんな様子を見ていた赤髪の千人長が、こちらを見てにっこりとほほえんだ。
「これはまた可愛らしいお嬢さんだ」
わっふー。注目された。
まあ確かに結婚適齢期前の貴族の子女が侍女になると言えど、見た目十歳の幼女が茶汲みをするのは珍しいのだろう。
「ええ、先日城に召し上げられたばかりの侍女ですの」
カヤ嬢がそう補足を入れてくれる。
私はとりあえず千人長に向かって侍女の礼を取った。
今の私は研修中の木っ端侍女なのでわざわざ名前を告げる必要はないだろう。
ツンツン頭の青の騎士がこちらをんんーっと注視しているが、何かを言われるまではスルーである。
そして、彼らの中でいち早く紅茶に口をつけたもう一人の紫髪の武官が、優雅とは言えない仕草で一口二口とお茶を飲み、口を離してカップをテーブルに置いた。
味はどうだっただろうか。不味いと言われたらショックで立ち直れなくなる……わけではないがちょっとくじけるかもしれない。
紫髪の武官が、口を開いた。
「で、西のやつらの動きだが」
って仕事の話を続けるんかい。千人長様がさっき休憩しようって言いましたよね。
千人長は苦笑しながら、ああ、と言葉を返した。
そして青の騎士がごくごくとお茶を飲み干してから、話に続く。熱くないんかい。
「共和国の影が国にだいぶ入り込んでいるな。うちの部下が伯爵領で見つけたが取り逃がした」
影。王国を含めた周辺国での隠密のことだ。ジャパニーズ風に言うなら『忍者』だ。
「王都にも痕跡がある。王城まで忍び込まれているとは思いたくないが……」
難しい表情で千人長が唸る。『忍者』を捕らえるのは中々骨の折れる仕事だ。
彼らは闇に紛れる魔法を駆使し動き回り、さらに変装を得意とする。
と、冒険者時代の思考を巡らせたところでふと気づいた。侍女がこんな話を聞いて良いのか。
私は隣に控えるカヤ嬢の様子を窺うが、彼女は特に気にした様子もなく三人が茶を飲み終わるのを待ち佇んでいる。
今交わされている会話はつまり侍女に聞かれても問題ない程度の話なのだろう。
私も先輩を見習って心を落ち着けなければ。
大丈夫、前職の職業柄平常心を保つことには慣れている。
……と、心を静めたところで魔人としての私の感覚に何かが引っかかった。
これは……。
心をさらに深く静め、身体の奥底に渦巻いている魔力を引き出し私の周囲に飛ばす。
“引っかかった”。
「失礼します」
そう私は三人の武官に言葉を飛ばすと、ワゴンの上に乗せていた茶器を一式、目の前のテーブルの上に素早く移し替える。
横でカヤ嬢が私の突然の奇行にぎょっとするのが感じ取れる。
武官達もさすがに驚いて、「どうした」と言ってくるが、スルー。
ワゴンの上から全ての茶器を移し終えたことを確認すると、私は金属製のワゴンを片手で軽く“持ち上げた”。
「なっ!?」
驚きの声を誰かがあげるが、それもスルー。
そして私は、ワゴンを振り上げ、執務室の“壁”に向かって体を走らせた。
一瞬で目の前に迫った壁に、持ち上げたワゴンを思いっきり――ではないが加減してぶちかました。
轟音と共に、強固な王城の煉瓦造りの外壁が破壊され、石材を外に向かってぶちまけながら部屋に大きな穴を開けた。
――剛力魔人百八の秘技が一つ、要塞徹し!
持てる怪力の力を手に持つ武器の一点に集中し、被害を最小限に抑えながら壁をぶち抜く脳筋技だ。武器は壊れないように魔法で保護する。
百八もあるのは「私の秘技は百八あるぞ」と戦いの場でお茶目心を演出するためにいろいろ用意したちょっとした遊び心だ。「私の馬力は53万です」は没にした。さすがにそこまで怪力じゃない。
と、私がなぜこんな突拍子もない暴挙に走ったのかというと、執務室の部屋の外、王宮の外壁に明らかに『人の影』が感知できたからだ。
白昼堂々王宮の外壁にへばりついているなど、普通では想像も付かない。が、先ほど武官達が言っていたではないか。『忍者』が王都に忍び込んでいると。そして『忍者なら』その程度やってのける。
私は壁に空いた穴から、王宮の外へと身を投げ出す。
例の執務室は三階である。ぶちまけられた外壁の石材が宙に舞っている。そして、その中に石材の色と同じ迷彩服を着込んだ人間がきりもみ回転で空を飛んでいるのを見つけた。
私はその『推定忍者』に向かって身体を飛ばす。背中から吹き出た魔力の噴射が私をさらに加速させ、そして私の小さな腕が推定忍者の身体を捕らえた。
空を舞う私と推定忍者。高さは王宮の三階相当。
だがこの程度の高さは私にとって階段を二つ飛ばしで飛び降りた程度の瑣末なものだ。
私は推定忍者を肩に担ぎ上げ、しっかりとホールド。そして、飛び出した横方向の勢いと、自由落下の勢いを殺さぬまま、私は王城の庭に豪快に着地した。
肩の後ろから骨がきしむ鈍い音が鳴り響く。私は着地の衝撃を余すことなく、密着した身体を通して担ぎ上げた推定忍者に伝えたのだ。剛力魔人プロレスの脳筋バスターである。
そして私は着地した地面に、抱えた推定忍者を放り投げた。
推定忍者は男で、口から泡を吹いて気絶している。そしてその迷彩服の特徴から、武官達が話していた「西のやつら」である隣の大陸の共和国の隠密だということを察した。王宮の壁にへばりついて、影の魔法で室内の会話を盗聴していたのだろう。
私が着地した場所の遠くから、轟音を聞きつけた者達が慌ただしく走り回っているのを私の聴覚が感じ取った。
王城に見事な穴を開けてしまったが、この気絶する隠密を生け捕りにしたことを伝えれば、咎められることはないだろう。きっとない。ないといいな。
ともあれ、私の初めてのお茶汲み実地研修は、こうして思わぬ形で終結することになった。