99.吉報
「妊娠しました」
そんな衝撃の一言から朝の仕事は始まった。
「……おめでとうございます!」
「やりましたね!」
王妃付きの侍女達が口々に祝い、喜ぶ。私も突然のことで驚いたが、素直に祝いの言葉をかけた。
「おめでとうございます。二人目ですね」
「ありがとうございます」
「おめでとうフランカ。先を越されちゃったわねー」
そう、妊娠の報告をした人は、フランカさんである。
この場にいるメンバーで結婚をしているのは、パレスナ王妃とフランカさんの二人だけ。
テアノンのメーと交際しているメイヤは遠距離恋愛だし、最近、宮廷魔法師のフェンと婚約したというリーリーは本日休暇でいない。
なので、妊娠の報告がされるのであれば、フランカさんからなのは順当であった。
「妊娠二ヶ月らしいです」
そう言ってお腹を撫でるフランカさんは、長女のビアンカに続いて二人目の子供ということになる。
フランカさんは三十三歳と、初産とするとこの国の基準では年齢が少し高めだが、実際には二人目なので問題はないだろう。それに、彼女も王妃付きの侍女なだけあって立派な貴族だ。魔法が使える助産師が付くから、そう心配することもない。
ちなみにこの国で二ヶ月といえば計80日を指すので、妊娠二ヶ月は前世の日本で言う妊娠三ヶ月と同じくらいのニュアンスだ。
「妊娠しているって解っていたなら、馬車の旅なんて無茶をさせなかったのに」
パレスナ王妃がそう眉をひそめて言う。
先月は鉱物の国シンハイの併合式典を参加しに、何日もかけて旅をした。パレスナ王妃と私は衝撃吸収能力が高い国王専用車に乗って快適な旅を楽しんだが、他の侍女達は標準的な貴族用の馬車に乗っていた。揺れは大きかっただろう。
「問題なく育っているようなので、大丈夫ですよ」
そう言ってフランカさんは、にっこりとした笑みをパレスナ王妃に返した。
この世界における助産師の仕事はよく知らないのだが、魔法医療全般で言うとこの世界もなかなかレベルが高い。
高度な医療器具は道具協会によって規制されるが、師匠から弟子に伝わる伝統の魔法そのものは規制されない。だから、胎児の健康状態を探るなど朝飯前の仕事なのだろう。
「しかし、そうなると休みを与えないとね! いつから休みたいかしら? 期間は何年?」
パレスナ王妃はフランカさんに産休と育休を勧めるようだ。貴族と言えば、私の中では乳母を雇って育児から解放されるイメージがあったのだが、この国ではどうなのだろうか。
ククルの場合はどうだったかな。確か、乳母というか侍女が育児を手伝って、母乳は侯爵夫人が自分で与えていた記憶がある。割とつきっきりで夫人は子育てをしていたよな。
「早いですが、今月末にはお休みをいただいて、実家に戻ろうと思っています。それまでは引き継ぎですね。育児期間は、実家の者とも相談してから決めさせていただきます」
む、思ったよりも休みに入るのが早いな。まあ、貴族なので出産ギリギリまで無理をして働くということはしないのかもしれない。
「そう。ビアンカはどうするの?」
パレスナ王妃は、フランカさんの娘であるビアンカを見ながらそう尋ねた。ビアンカは先ほどから終始笑顔である。
「王都には夫がいますので、娘はこのまま王妃様の侍女を続けさせていただけたらと」
フランカさんの夫は、王城の植物園の総責任者をしている園丁である。彼はパレスナ王妃の実家である公爵家の分家の当主なので、コネでねじ込まれた人事だとフランカさんは以前笑って話していた。
「解ったわ。ビアンカは責任持って預かるわね」
「はい。皆様、宿舎では娘のことをよろしくお願いします」
フランカさんはパレスナ王妃から私達の方へと向き直り、そう頼んできた。
フランカさんとビアンカは、王城にある侍女の宿舎に住んでいる。だから、私達侍女に世話を頼んだのだろう。ビアンカはまだ十歳だからな。
ちなみに、フランカさんの夫は王都に持ち家があるのだが、フランカさんとビアンカは休みの日にしか戻っていないらしい。家が王都にある場合は侍女宿舎も別に使わなくていいのだが、その用途では使っていないようだ。王城に宿舎があって仕事場に近い場所に住めるなら、そっちの方が楽だよな。
そんな状況でも第二子が誕生するのだから、夫婦仲は良いのだろう。どうやら王城で仕事がある夫を置いて、実家に戻るみたいだけど。
「それと、仕事の引き継ぎですね」
そう言ってフランカさんは、なぜか私の方を向く。
「私は王妃付きの首席侍女ですので、休みの間、首席侍女の仕事を誰かに任せる必要があります」
えっ、まさか……。
「キリンさん。貴女が王妃付き侍女の中で一番の年長者ですので、首席侍女をお任せしたいと思います」
や、やっぱりか!
「で、でもフランカさん。私、侍女になってまだ一年も経っていない新米侍女ですし……」
「王城の侍女は、ほとんどが数年で侍女を辞める新米侍女ばかりです。一年も二年もたいした違いはありません。侍女の経歴よりも、年齢の高さを頼りにしています」
「経験の長い国王付き侍女から、人を借りるとかは……?」
「王妃様を担当した経験のない者を首席侍女に置くわけにはまいりません。その点、キリンさんは後宮時代からの侍女ですので、首席侍女に相応しいと言えるでしょう」
「キリンさん、大昇進ですわよ! その話、ぜひ受けましょう!」
侍女のメイヤが横からそんなことを言ってくる。
「私もキリンさんなら任せられると思いますわ」
「首席侍女、憧れちゃいます! でもキリンさんなら納得です!」
「お母さんの代わりなら、キリンちゃんがいいですねー」
侍女仲間のサトトコ、マール、ビアンカもそう追従してきた。
うーん、本当に私で大丈夫か?
「不安ですか?」
そうフランカさんが私の心の内をずばりと言い当ててくる。
「不安……不安ですね。私は、まだ侍女の仕事のことを何も解っていないと言えるでしょう」
「大丈夫ですよ。私が解らせます」
真面目な顔になったフランカさんの眼光が私を射貫く。そんなイメージを幻視させる強い台詞だった。
「引き継ぎは三週間といったところでしょうか。徹底的に教育しますので、安心してくださいね」
「それはまた、安心ですねぇ……」
そうして私はしばらくの間、首席侍女の座を預かることとなった。
◆◇◆◇◆
その日の吉報は、それだけでは終わらなかった。
パレスナ王妃がアトリエで絵画作りを嗜んでいたところに、女官が駆け込んできてパレスナ王妃にとある情報を知らせてきた。
それは、思ってもいなかった内容であった。
『騎士レイの弟子達、アルイブキラに帰還す』
そんな知らせだ。
騎士レイとは、かつての王国最強の騎士であり、気功術の第一人者でもあった。
多数の弟子を持ち、王国の武術の水準を上げていたが、数年前に北の山に出現した飛竜との戦いの怪我が原因で亡くなった。
その後、弟子の騎士達はどういうわけかアルイブキラから姿を消していたのだが、女官が言うには彼らが一斉に帰還したというのだ。
筆を動かす手を止めて、パレスナ王妃が女官から話を詳しく聞き出す。
「レイ様の弟子の方々は、実は先王陛下の密命を帯びていたというのです。世界樹の『最前線』に送られ、功績を挙げるよう指示されていたのだとか」
「えっ、ナギーお父さんそんなことしていたの!?」
「はい、そのようです。私も今回初めて知ったのですが……」
『最前線』。それは、世界樹に作られた最も新しい葉の大陸のことで、とても不安定な場所だ。
魔物は大量に生まれるし、世界樹に飲み込まれていた怪しい遺跡も次々と生えてくる。さらには環境を無視して世界中の動植物も生まれ出でてくる、とても厳しい環境である。
私も庭師をやっていた頃、何度か仕事で送られたことがある。
そこに、騎士レイの弟子達が行っていたのだ。
「でも、なんで『最前線』で功績なんて挙げようとしたのかしら?」
パレスナ王妃のその疑問に、女官は答える。
「『最前線』で最も貢献をした者達には、『幹』から世界樹の枝が贈られるのだそうです。騎士レイの弟子の方々は、それを持ち帰っています」
「えっ、世界樹の枝!?」
私は記憶の中からそのワードに該当する存在を思い出す。おそらく、葉の大陸を支える、太い枝とは違う物であろう。
それはきっと……。
「惑星旅行の時に見た、あの枝かしら……」
私の脳裏に思い浮かんでいたのは、パレスナ王妃の言葉の通り、惑星旅行の時に女帝がアルコロジーの中心に植えて動力源としていた、三メートルほどの高さがある木だ。
そうか。あれを持ち帰ったのか……。かなりの魔法的価値があるぞ。
「私は惑星旅行に行っておりませんので、同一の物かは判りませんが、王城に運び込まれていた世界樹の枝は、若木のような見た目をしておりました」
「あー、確かにそれね! 何に使うのかしら?」
「そこまでは聞き及んでおりません……。話は以上です。明日の午前中に、謁見の間で帰還した騎士の方々との謁見がありますので、準備をお願いいたします」
そう言って、女官は下がっていった。
「はー、驚いたわね。世界樹の枝もそうだけれど、騎士レイのお弟子さん達が帰還しただなんて」
パレスナ王妃は、筆を置いたままそう言った。
そんな彼女の話題に、私も乗る。
「庭師時代に騎士レイ一派とは『最前線』で会っていますが、密命のことなどは一言も言っていませんでしたね」
私は『最前線』で彼らに会ったことあるが、彼らは「己の力を試しに来た、ただの傭兵だ」と主張していた。
それは嘘で、実は先王の密命を帯びていたというのだ。
「あら、キリン、『最前線』に行ったことがあるの」
「遺跡の探索に駆り出されたことがあります」
「なにそれ。面白そうねー。詳しく詳しく」
遺跡とは古い建物のことではない。人が立ち入らなくなって世界樹に飲み込まれた建造物が、世界樹の中で複数混ざり合い、それが不意に地表に露出した未知の施設のことだ。
中には魔物と、それと少しばかりの財宝が存在する。世界樹がわざわざ用意した財宝ではなく、建物に元々残っていた金銭的価値ある物品だ。遺跡と呼ばれるだけあって、骨董的価値があることが多い。
パレスナ王妃は私の話を聞いて気分が乗ってきたのか、また筆を手に取って絵を描き始めた。
あれ、明日の午前中に謁見なのに、絵画の時間が続行で良いのか。
私はフランカさんの方を目で追うが、フランカさんはただその場でこくりと頷いてみせただけだ。
これは……私に任せるつもりかな。私はフランカさんに頷いて返し、パレスナ王妃に向けて言った。
「パレスナ様、謁見の準備がありますので、今日の絵画はここまでにしましょう」
「あーん、気分が乗ってきたところなのにー」
「はいはい、公務優先ですよ」
「仕方ないわねー。でも、遺跡の話はしてちょうだいね!」
「了解しました。では、遺跡の上下にスライドする重い扉を持ち上げようとしたら、力を入れすぎて床が抜け、下の階に落下したことなどを……」
「面白エピソード過ぎない!?」
そうしてなんとか私はパレスナ王妃の機嫌をなだめ、首席侍女候補として謁見の準備に取りかかるのであった。
ちなみに遺跡では落下したけど、魔人だから無傷だったよ。
◆◇◆◇◆
その日の仕事が終わって、キリンゼラーの使い魔と一緒に、王宮から侍女の宿舎に向かう途中のこと。ふと、中庭に見覚えのない物品が荷車に載っているのを見つけた。
それは、エメラルドグリーンの光を発する若木。世界樹の枝だ。まだ植え付けてはいないらしく、根の部分には布が被せられている。
世界樹の枝の置かれた荷車の周囲では騎士達が守りを固めており、さらには枝の前で先王が一心不乱に祈りを捧げている。
うわっ、関わらないでおこう。
私は早足で彼らの横を通る。と、その瞬間、先王は不意に顔を上げ、こそこそと逃げようとしていた私と目が合った。
うわー、早足だったからか足音が大きかったか。私、体重重いから意識していないと足音うるさいんだよな。
「キリン殿ではないか! 俺だ! バンナギータだ! これを見てくれ!」
「ああ、はい。先王陛下、ご機嫌うるわしゅう」
「うむ! 世界樹の枝だ! 世界樹都市エメルにあったあの枝が、とうとう我が国にもやってきたのだ!」
「そうなんですか。すごいですね」
「そうだ、すごいのだ! この枝だけで王都全ての魔法道具が稼働させられるどころか、我が国全体に豊穣の力を行き渡らせることができるというのである!」
先王、大興奮である。
この人、世界樹の狂信者だからなぁ。スイッチが入ったときは相手をしたくないのだが。
「世界樹の葉の大陸の上に世界樹の枝などを置いても、一見何も意味がないとは思わぬか? 実はそうではないのだ」
「知らなかったです。さすがですね」
「世界樹によって祝福された枝は、大地神話に語られる神獣としての力が凝縮されておってな……昔から吉徴の証と呼ばれておるのだ」
「センスありますね」
「そうであろうそうであろう。世界樹とこの国を繋ぐシンボルとなるであろう。植え付ける場所も昔から何箇所か考えておるのだが、これが一つに絞りきれず悩ましくてな……」
そうして、私は夕食の時間ギリギリまで先王の話に付き合わされることになった。キリンゼラーの使い魔は興味ないのかさっさと腕の中から抜け出して宿舎に帰っていたのは許すまじ。
おかげで、全く知らなかった世界樹の枝についての豆知識をたくさん覚えてしまった。
世界樹の枝があることで、神託がより多くの者に届くことになるとか、世界樹教の信者しか喜ばないぞ。いや、世界樹教はこの国の国教だけれども。
そして、なんとか解放されて侍女宿舎に戻り、夜寝静まった後のこと。
『キリンちゃーん、キリンちゃーん』
不意に、私の脳裏にそんな声が聞こえた。
『やっと言葉を交わせるね! これからよろしくね!』
神託である。
たった数時間前に立ったばかりのフラグ回収、おつかれさまです世界樹さん……。




