10.私の休日
キリンは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の食を除かなければならぬと決意した。キリンには栄養学がわからぬ。キリンは元冒険者である。斧を振り、魔物と戦って暮らしてきた。けれども、食事の質に対しては、人一倍に敏感であった。
というわけで私は今日未明、王城を出発して野を越え山を越え王都から離れた南西のバガルポカル領までやってきた。
全力でぶっ飛ばし、早馬(のような生き物)を使っても一日半かかる道を四時間ほどで走りきった。メロスなど敵ではない。
なぜ一日しかない休日を里帰りで潰しているのかというと、私は侍女の生活にとうとう我慢しきれなくなったのだ。
いや、正確に言うと侍女の食生活だ。別に侍女が嫌になったわけではない。
決まった時間に三食しっかりと出される食事。内容は貴族用の上等なもの。
だが私はそれに耐えられなくなった。ぶち切れた。
塩味が、足りない。
この国の貴族達は、薄味料理を高貴なものとして扱っているのだ。肉食なのに。
高級品である塩は、調味料としてほとんど使われていない。代わりにハーブやスパイスなどの香辛料を丁寧に取り入れている。
そして足りない塩分を補うために、侍女には塩飴が適量ただで支給される。
そんな貴族の料理に対して、庶民の料理は単純だ。
高級な塩は、とりあえず完成した料理に上から振りかける。そのやり方が一番ロスがない。後は塩飴を買って舐める。
貴族料理と庶民料理、どちらが美味いかと言われると貴族料理だ。食材の質も料理人の質も全てが違う。
だが、毎日食べるとなると話は変わってくる。繊細な薄味続きに私は耐えられなくなった。
なので里帰りだ。仕事を辞めたわけではない。今日中に王城には帰る。
見慣れた町の外れにある魔女の塔。そこに私は二週間ぶりに帰ってきた。
掃除の行き届いた王城にすっかり慣れた私は塔に入った途端、うわ汚い、と驚いたが掃除をしている暇はない。
塔を駆け上り、調理場へと入る。そして、そこに置かれている魔法の箱を開けた。
これは冒険の途中に手に入れた密閉性の高い箱に、魔女から受け継いだ最大の秘技である時止めの魔法を何重にも刻み込んだ、国宝級の魔法道具である。用途は冷蔵庫。この道具の誕生により、冒険の拠点としてこの塔の性能は何段階も跳ね上がった。
ちなみに私を不老たらしめている魔法は時止めの魔法ではない。時を止めた人間は新陳代謝すら止めたアンデッドだ。
私は魔法の箱、冷蔵庫から食品を取りだしていく。別に中は冷えていないが、一番近い日本語訳が冷蔵庫なので、冷蔵庫と呼んでいる。
塩漬け肉、野菜の漬け物、燻製、魚の酒粕漬け、チーズ(のような発酵食品)、梅酒(のような物)。
冒険の友である保存食達だ。『庭師』は未踏の地や過去の遺跡を何週間も、時には何ヶ月もかけて冒険する。
保存食には、高級品である塩も保存料としてふんだんに使われている。『庭師』は金回りが良いので、高いものでもそれが仕事に必要なものなら惜しみなく買いあさるのだ。
そして保存食のほとんどは、味が濃い。
私はこれを取りに来るため、わざわざ塔にまで戻ってきたのだ。
冷蔵庫から保存食を取り出しながら、細かく刻まれた魚の干物を一つ口に含む。
うむ、美味い。塩が利いている。魚の凝縮されたうま味もしっかりと感じる。
一通りの保存食を取り出し満足すると、次は冷蔵庫の中から調味料を探す。
料理は覚えている。そもそも料理ができないと野営ができない。この塔は私の冒険の拠点だったので普段の食事を作るための調味料はそろっているし、冒険のときに持っていくための小分けにパッキングした調味料もある。
私は料理人ではない。農村の生まれでもない。
この世界で前世の調味料を再現することはできない。もう醤油や味噌の味を楽しむことができない。
しかし世界は広いもので、塩を使った独自の調味料が細々と作られている集落があったり、塩を使った保存食を名産としている町があったりする。
世界を巡る途中に見つけた珍しい数々の品は、塔に持ち帰って保存している。
今までは時の魔法で保存するだけ保存して満足し放置していたが、王城付き侍女になり塔にはいつでも一両日中に戻れるようになったので、それらを使うことがこれからは増えていくだろう。
容器に詰めた調味料の数々を見て、うむと私は頷いた。
食堂の食事の味が不満なときはこれをぶっかけることにしよう。
そして、王城から持ってきた鞄に、これらの保存食と調味料を詰めていく。ああ、あとお酒も持っていこう。
「もう帰ってきたのですか。解雇されたのですね」
うひい!
突然背後から聞こえてきた声に私は飛び上がった。
心臓がばくばくと跳ねる。完全に不意をついた一声だった。
私は後ろへと振り向く。
誰もいない。
気配もない。
「くくく、そんなにびっくりしなくてもいいでしょうに」
虚空から届く声。
その正体に思い至り、私は床に視線を向けた。
地脈を汲み取って光を出す魔法の永久灯に照らされた私の影が伸びている。
「出てこい」
「わかりました」
私が影に向けて呼びかけると、影はこんもりと天井に向けて高くふくれあがり、やがてするすると織物が糸にほどけるように影が散った。
散った影の代わりに現れたのは、魔女のローブを着た一人の少年。男とも女とも判別がつかない不思議な容貌をしている。実際にこれは男でも女でもない。魔女の塔に住む住人の一人だ。
「驚かすな」
私はその住人に向けて文句を言った。言っても無駄ではあるのだが。
「このくらいで驚かないようにしなさい」
その返答に、私は言い返す気も起きずため息をついた。
目の前にいるこれは塔を管理する魔法人形だ。ファンタジー風に言うとウッドゴーレムだ。
ゴーレムと言ってもemethの文字が刻まれた従順な使い魔などではない。私が作ったゴーレムではないので、私の言うことなど聞かない。
これは、塔の前の持ち主である魔女が死んだその日に、急に塔の中で活動を始めたゴーレムである。
作成者はおそらく魔女。
私でも解析しきれない高度な魔法を何重にもかけて作られた最高級のゴーレムだ。
人との会話も可能。
だが、知性があるわけではない。決められた入力に決められた出力を返す、そんなゴーレムとしての基本機能が極めて高度なだけである。
おはようと言えば、おはようと返す。物を運んでと言えば、物を運んでくれる。
そんな行動パターンを膨大な量内包することで、あたかも「会話が成り立っているように錯覚してしまう」仮初めのトップダウン設計の人工知能が組み込まれている。
魔女が何のためにこのゴーレムを作ったのかは知らない。そもそも作っている様子を見せたこともない。
ただ、私の知らない魔女の魔法知識を会話の中で私に披露するので、何となくこのゴーレムの存在理由を予想できている。
おそらくこのゴーレムは、魔女の後継者を育てるための教師的な存在なのではないだろうか。
私が魔女に引き取られたのは魔女が死ぬ二年前。二年は後継者を育てるにはあまりにも短い時間だ。
魔女は自分の死ぬ時期を最初から知っていた素振りを見せていた。私が弟子になる以前から、自分が死んだ後に自分の後継者を作り出す準備をしていたのではないだろうか。
「二週間で解雇ですか。もはや魔女になるしかないですね」
何より、このゴーレムの会話パターンは魔女本人に似通っている。というかそっくりだ。
自分の好きなように生きなさいと言う癖に、私を魔女にしようとするその態度があの魔女そのものだ。
なので私はこのゴーレムが苦手だ。
「解雇されてない。今日は休日だ」
「はあ。仕事先は王城でしたね。新人のくせに連休を取ったのですか?」
「休みは今日だけ。走って帰ってきた」
「ああ、あなた馬鹿なのですね。ばーか」
ああ超むかつく。いっそぶっ壊してしまいたいが、魔女の魔法を全て内包しているうえに、世界樹の枝で作られているこのウッドゴーレムは、私よりはるかに強いのでどうしようもない。
もうこのゴーレムが魔女になればいいんじゃないかな。
「取り忘れた荷物を取りに来ただけだ。すぐに王城に戻る」
「取り忘れた荷物がご飯ですか。食い意地を張るのはやめなさいとあれほど言ったでしょう」
「言われたのはあんたにではなく魔女にだよ……」
相手をしていると疲れて仕方がないので、荷物をまとめる作業に戻る。
あくまで決められた入力に決められた出力を返すだけの存在なので、こちらからアプローチしなければ何もしてこない。
まあ、もっともこれの前で私が動くだけで入力とみなされるのだが。
よし、食料と調味料は終わり。後は、侍女の生活をしていて必要と感じたものをいくつか見繕っていくとしよう。
冷蔵庫を閉じて、調理場を出る。
塔を登って私の私室に向かう。その後ろをゴーレムは無言でついてくる。何でついてくるかなあ!
「そうだ、塔の中結構汚れているぞ。ちゃんと掃除したまえ」
「掃除をできるような住人は今ここに住んでいませんよ」
「あんたがいるだろう……」
「どうして私が掃除をしなければいけないのですか。掃除は弟子の仕事です」
「本当に魔女そっくりだなあんた!」
塔の管理ゴーレムなのだから管理して欲しい。
そんな無駄な思いを抱きながら、私は私室の扉を開いた。
魔女の弟子時代から使っている部屋。塔の主は今や私だが、この部屋にすっかり慣れてしまっているので、他の部屋を私生活空間にすることは少ない。
部屋の壁には、『庭師』時代の武器の数々が飾ってある。父の形見である不壊の大剣も、最も愛用していた戦斧もその中にある。
そして私の幼女の身体に合わせ特注した魔法の鎧が、部屋の角で一際強いオーラを出して存在を主張していた。これ一つで侍女の宿舎が丸ごと一つ買い取れる価値がある。
武器も鎧も無造作に置いてあるので簡単に盗まれそうだが、無敵のゴーレムが塔を管理しているのでその心配はないだろう。その点だけは本当に留守を任せるのに役に立つゴーレムだ。
私は武具から目を離し、生活用品が入っている棚へと向かう。
棚を開け、必要そうなものを適当に見繕っておく。魔法装飾用の裁縫道具、魔法のハンカチ、トレーディングカード、髪飾り、香油、ブラシ、手鏡、カヤ嬢へのお土産になりそうな希少本。
侍女になるために王城へ行く前にもこの塔に立ち寄ったのだが、ここから物を持ち出すことはなかった。王城へ持ち込んだ荷物は、これがあれば侍女生活に困らないと侯爵夫人が用意してくれたもの。その言葉を信用していたので私物は持っていかなかった。
実際、侍女の二週間の生活で不足したものは塩味以外にない。ただまあ、より豊かな生活を過ごすために私物を追加することは悪くないだろう。
「とうとうお洒落に目覚めましたか」
勝手に私の部屋に入ってきていたゴーレムが、私の用意した品を見てそんなことを言った。
本当に我が物顔だ。プライベート空間くらい作らせてくれ。
「侍女の仕事柄、身だしなみを整えねばならないからな」
私が用意したのは、ほとんどが装飾品や身だしなみを整えるための道具だ。
旅先から持ち帰り、棚の中にしまってからは一度も取り出したことがないものばかり。唯一の例外が髪の手入れ道具だ。
「そうですか。あなたもそんな歳に……」
感慨深げにゴーレムが顔に手を当てた。
決められた出力をするだけの木偶で感情はないはずなのに、仕草が細かい。魔女本気で作り込みすぎ。
と、ゴーレムが顔に当てていた手を離し、唐突に前方へと腕を突き出した。
ゴーレムの足元の影が立ち上がる。そして影はぐねぐねとうごめきながらゴーレムの手の中に吸い込まれていく。
影は手の平にすっぽりと収まる大きさになり、そしてゆっくりと色を持ち始める。
ゴーレムが爪先を床に軽く打ち付ける。すると、ゴーレムの足元から消えていた影が再び出現する。一方、手の中にはガラスの瓶が握られていた。瓶の中には青い錠剤が入っている。
「餞別です。持っていきなさい」
そう言ってゴーレムは私に瓶を放ってきた。
それを私は片手でキャッチ。受け取った瓶の中を覗き込む。
青い錠剤。魔法の力は感じられない。見覚えのない薬だ。
「これは?」
「避妊薬です。お洒落を気にするようになったからには必要でしょう」
「まだきとらんわ!」
というか歳が止まってるから永久に避妊が必要な時期はこない。そもそも避妊が必要な状況になることもない。
私は魔女に行動がそっくりすぎるゴーレムに向かってガラスの瓶をぶん投げた。
◆◇◆◇◆
王城への道を行く道半ばで、私は前世で読んだ『走れメロス』を思い出した。
王城と故郷の村を数日で往復する話だ。
王城に身代わりの友人を置いて村に走り、妹の結婚式を見てから王城に舞い戻る。
この話、行きはよいが帰りが怖い。豪雨で氾濫した川が道をふさぎ、それを越えた先で山賊に襲われ、全裸になって王城へと戻る。
幸い天候は良い。そもそも、魔法的な災害が起きなければこの世界では豪雨など起きない。
ただまあ、仮に氾濫した川があっても飛び越えられるし、山賊に身をやつす程度の人間ならば脅威でもない。全裸については服を脱ぐ理由がそもそも思いつかない。メロスもなんで全裸になったのだったか。
なぜそんな遠い昔に読んだ物語を思い出しているのかというと、大勢の山賊が出た。
山賊は脅威ではない。
ただ問題が、山賊に襲われているのは私ではなく、一台の馬車であるということだ。
三頭立ての巨大な馬車を引く馬(のような生き物)は三頭とも矢で射られ息絶えており、馬車は横転している。
その馬車の周りをぐるりと数十人の山賊の集団が囲んでおり、倒れた馬車の横には血を流し倒れる御者と、山賊に剣を向けて対峙している五人の剣士と、座り込み震えている貴族の娘らしき少女がいた。
そんな現場にニトロモードで走る私が辿り着いてしまった。
うむ、わかる。すごいわかる。
今この国は国王が変わったばかりで不安定で、さらにこの世界は魔王の出現で魔物が凶暴になっている。本来ならば国民の中でも裕福な生活を送れる農民が、そんな情勢の影響で山賊に身をやつす事態が起きているのだと聞く。山賊を狩るのは青の騎士団率いる国軍と、それぞれの領地の領軍だ。
ここは王族領と貴族領の境目辺り。監視の目が緩いスポットなのだろう。そんな場所に不幸にも貴族の馬車が通りかかったわけだ。
わかる。すごいわかる。このパターンは私が貴族の娘を助けて認められ、貴族への縁を作るパターンだ。
私は今も『庭師』の免許を持つ立場なので、こういう場面に遭遇しやすい。
『庭師』は世界から悪意を払う存在であり、世界はそんな『庭師』達が悪意に遭遇できるよう運命を操る。
悪漢に襲われる運命の娘を助ける話は、この世界の英雄譚では必ずと言って良いほど登場する。
だからこの状況もわかるが、今の私は『庭師』じゃなくて侍女だ。こういうのはごめんこうむる。
それにあれだ、門限に間に合わないと大変だ。メロスのように友人が処刑されるということはないが、私が友人に大目玉を食らう。
なのでとりあえず、荷物を背負ったまま私は現場に走り、馬車を囲む山賊達の膝を砕いていく。
殺しはしない。悪人を悪人のまま殺せば、世界に悪人の魂が送られて魔物出現の遠因となる。とりあえず山賊稼業が二度とできなくなる程度に人体を順番に破壊していく。
よし、次。
倒れている御者。矢を腹に受けているようで、血を流し顔面が蒼白になっている。
矢を抜いて、治癒の魔法をかけ傷を塞ぐ。
荷物から酒を取り出し、魔法をかけて魔法薬に変換し、御者の口に酒瓶をつっこむ。
無理矢理薬を飲ませて完了だ。
よし、次。馬っぽい生き物。死んでる。無理。
馬車。倒れているのをおこす。車輪が壊れている。だが乗る部分が損壊しているわけではない。
馬車の中に御者を寝かし、ついでに呆然としている娘と剣士達を馬車の中につっこむ。
そして私は馬車の下に潜り込むと、馬車の底に指をくいこませて持ち上げた。しかし大きな馬車だ。三頭立てとは。しかも死んでいる馬は荷運び用の大きな体躯の品種だ。
馬車を持ち上げたまま、私は走る。馬車と人間七人程度、負荷でもなんでもない。全力疾走で数十分。王族領の最寄りの町に辿り着いた。
そして、私は何度か来たことのあるこの町の生活扶助組合へと走り、建物の前に馬車を置き、そのまま王城の方角へと再び走り出した。
メロス。君の気持ちは良くわかる。
人一倍邪悪に対し敏感な正義感あふれる君でも、友人の待つ王城に帰るときは山賊に会っても殴り倒すだけで、捕まえて役人を呼ぶといった行動は取らなかった。
忙しいときは正義が最後まで執行されなくても仕方ないのだ。あ、倒れた山賊、魔物に食われたら大変だな。まあいいか、悪人を食べて強くなった魔物を倒すのは現役の『庭師』達のお仕事だ。私はしがない侍女見習いである。
◆◇◆◇◆
刻限ぎりぎりに全裸で王城に戻ったメロスは、身代わりとしていた友人と友情をさらに深め、その姿を見た悪の王を改心させた。
門限前に王城へと辿り着いた私は、全裸ではなかった。当然だ。全裸だったら王城どころか人前にすら出られない。
そしてこの王城に住む若い国王は悪人ではない。良いやつだ。悪政を敷いているという話も聞かない。
私は……メロスになれない……。
などと走り続けたせいで変なテンションになっていた私は、風呂と食事を済ませた後、せめて友人と親睦を深めるために、カヤ嬢と私の二人部屋にククルを招いて酒盛りをすることにした。
塔から持ち込んだ梅酒(正確にはケーリという木の実を梅酒の手順で私が漬けた物)で乾杯をし、保存食をつまみとする。
この国の国法で定められた飲酒年齢は十二歳。ククルが十四歳、カヤ嬢が十五歳なので酒盛りをしても問題ない。
ただ、子供の飲酒は大人が見るべしという風潮がある。この場にはアラサーの私がいるので問題ない。身体は十歳だが。
この世界は成り立ち上、水の質が良いため中世ヨーロッパのように子供が水代わりにビールをがばがば飲むみたいな文化はない。
くぴりとカヤ嬢が梅酒を一口飲んだ。
「あら、初めて飲む味ですわ」
続けてククルも梅酒を飲む。
「本当。強いのにすごい甘くて……何の果実酒ですかキリンお姉様」
私はごくごくとコップの酒を飲みながら音の魔法で言葉を返した。
「ケーリの実と同量の砂糖を向日葵麦の蒸留酒に漬け込んで二年寝かせたものだ」
「ケーリの実ですか。ジャムに使うあれですわよね」
「ああ。ほれ」
私は梅酒の瓶をどんと彼女達の前に見せた。瓶の中には桃色の液体と、色の抜けた桃のような果実が入っている。
「ケーリの実はバガルポカル領で名産としている村があってな。漬け込みは私の自家製だ。毎年実家の塔で作っている」
「お姉様は酒豪ですからねぇ。こんな小さな子ですのに」
酒豪と言うよりはあれだ。魔人の身体がアルコールを毒素として分解してしまうので、無理矢理魔法で内臓機能を下げて、飲みたい量だけ飲んで酔うようにしているのだ。
魔人としての力は怪力だけなのに、それを成り立たせるための土台である身体があまりにも高性能すぎる。
正直不老にならなくても、なかなか老いない身体だったのではないかと最近は思っている。
私の老後は一体何歳からカウントすれば良いのだろうか。
「さて、こちらがつまみだな。世界各国の保存食だ。『庭師』時代によく食べていてな、酒によく合う」
塔から持ち込んだ保存食のうち、比較的日持ちしそうにないものを広げる。
ククル達はそれに手を伸ばし、これは何かと聞いて私は材料と製法を説明した。
そしてカヤ嬢は遠いシーミ諸国で作られた魚の干物を選び、口に運んだ。
「んん……」
かみ切れずにぷるぷると震えるカヤ嬢。可愛い。
魚の干物は固いのでアゴの弱い貴族の子女には辛い物だろう。
「やっと噛めましたわ、わ、しょっぱいですわ! しょっぱいですわ!」
慣れぬ強い塩味に口を開けて騒ぐカヤ嬢。
「そういうときは酒を飲むのだ。そうすれば酒がより旨く感じる」
「ん……」
ぐいぐいと梅酒をあおるカヤ嬢。結構高い度数なのだが、甘くて抵抗が少ないのだろう。飲み過ぎないようちゃんと見ておかないと危ないな。
「ふわ……ああ、このお酒美味しいですわねぇ」
ほう、と息をつくカヤ嬢。その横では、ククルがチーズを興味深げに眺めていた。
チーズが生産されている国とこの国は枝がだいぶ離れている。名前すら知らないだろう。
溶けたチーズをたっぷりのせたパンは至高の味だが、それだけのチーズをここに持ち込むには大陸間移動を許可された行商人を頼る必要があるだろう。
ククルはチーズに鼻を近づけ、ひすひすと匂いを嗅ぐ。そして渋い顔をした。
「ククル、匂いは強いが味の臭みはさほど強いものではない。食べても大丈夫だ」
「はあ……」
「食べないなら私がいただきますわよ」
「わ!」
ククルの指先にぱくりと食らいつくカヤ嬢。
うむ。この娘、既に酔ってる。
「あら、これは濃厚で口の中においしさが広がってきますわ」
「本当? じゃあ私もいただきます」
仲むつまじげにチーズを食べ、梅酒をちびりちびりと飲む二人。
そんな二人の様子を肴に私はがばがばと酒をあけていく。ちなみに私が飲んでいるのは梅酒ではなく、梅酒を漬けるのに使っている向日葵麦の蒸留酒だ。麦焼酎に近い。
「そうそう、夕食の後にカーリンから聞いたのですけど」
魚の干物に再挑戦しながら、カヤ嬢が話題を振ってくる。
……んん!? 侍女の宿舎の夕食が終わった後になぜ下女のカーリンと話をしている?
「今日、後宮に新しいお方がいらっしゃる話は知ってますわね?」
「ええ、後宮担当の子が今日は休めないと、なげいてましたわ」
後宮か。あの王子……現国王も大変だな。
好きでもない女を何人も抱えて子を産ませなければならないなど。
王権神授とはいうが、この国で一番自由がないのは王であるあやつではないだろうか。
「それが、夜になっても到着していないのですって。すぐ隣の公爵家の方ですから、そう遅れることはないはずなのに、とカーリンが」
「南の公爵ですわね。複雑なお家の事情があるらしいですが……」
「ええ、ええそうなのですよククル! エカット公爵家の一人娘は今の公爵夫人にとって前妻の子! きっと疎んだ夫人が後宮に押しつけたのですわ! まあ、まあまあまあどうしましょう! どうなってしまったのでしょう!」
…………。
うん、わかっている。
私もこれで十九年といくらか『庭師』をやっていた。さすがにわかる。
あの山賊に襲われていたのが公爵の子なのだろう。そしてきっと王城で私の前に現れるのだろう。そういうのよーくわかる。
でも今の私はただの侍女。会っても気づかれないようにしよう。
「ほら、ククル。これはどうだ。ミシシ村で取れた菜っ葉の塩漬けだ」
「まあ、ミシシ村ですか!」
話をそらすため、ククルにバガルポカル領の特産品を使った漬け物を差し出す。
カヤ嬢は……飲み過ぎないよう注意だけしておこう。
「ん、塩っ辛いですけど瑞々しいです。でも塩っ辛いです」
「向日葵麦をそのままふっくらとたいた麦飯と一緒に食べると美味い。まあさすがにそこまでは用意できないから酒の肴だな」
私も漬け物をぽりぽりと食べる。
白菜に似た肉厚の菜っ葉に塩がしみていて美味である。酒がよくすすむ。
「しかし、キリンお姉様本当に食事のためだけに塔に戻ったのですね……」
呆れたようにククルが言う。その横では話にかまってもらえず飽いたカヤ嬢が、ククルに向かってしなだれかかっていた。
「む、いや、これだけ持ってきたわけではないぞ。生活用品もしっかり持ってきた」
「ククルさん、ククルさんこれ見てくださいな」
む?
ククルに抱きついていたはずのカヤ嬢の声が何故か背後から聞こえる。
後ろを振り向いてみると、酔っぱらったカヤ嬢が私の冒険家鞄を開いて、中を覗き込んでいた。酒癖悪いなカヤ嬢……。ちょっと青の騎士の未来が心配になった。
「ほら、これ!」
「どうしたのですか」
やれやれといった感じでククルがカヤ嬢のもとへと向かう。
そして鞄を開くカヤ嬢の手元を覗き込み。
「……まあ!」
ぱあっと笑顔になった。
うん? 彼女達が喜ぶようなものを持ってきたか?
トレーディングカードはカードケースに入ってるから中のヒーローカードは見えないはずだし。
「キリンお姉様、私感激です……」
「どうしたというのだ……」
わけがわからず私も冒険鞄のところへ向かう。
すると。
「ほら!」
「ほら!」
カヤ嬢とククルが同時に鞄の中から手を出す。
手に掴まれていたのは、棚から適当に持ってきた装飾品だ。
「それがどうかしたのか」
「まあ、まあまあまあ、キリンさんようやくわかってくれましたのね!」
「……何がだ」
キャッキャと騒ぐ二人は何が琴線に触れたのか、嬉しげだ。
「キリンさんも口では否定していますけど、女の子らしい格好をしたいのですね!」
「お姉様! 明日から特訓ですよ!」
「……うむ」
私は身だしなみに気をつけようと思っただけなのだが、どうやら二人の中ではそれは一大事件のようだった。
侍女の仕事内容を知った今では、そういうことに気をつけるのは当然のことだと思っているのだが。
どうも二人は侍女になりたて数日のころの私の態度が未だに印象深いらしい。あの頃は侍女服を着るだけで恥ずかしく、自分を着飾るのを嫌がっていたものだ。
しかしだ、これでも私は柔軟に己の立ち位置を考えなければ生きてこられなかった『庭師』の世界に、十何年も浸っていたのだ。あの世界はただ脳筋なだけでは生きていけない。臨機応変に動いて環境に慣れるのは得意だ。
「わ、わわわわわわわ! ククルさん! 大変です!」
「うわ! どうしたのカヤ」
鞄を未だに漁っていたカヤ嬢が、急に叫びだした。
今度はなんだ。
「これ!」
カヤ嬢が鞄から手を出し、上に掲げる。
手に握られていたのはガラス瓶。
「……薬? それがどうかしたのですか?」
なん、だと……。
「大変、大変ですわ! もう、もうどうしましょう」
「カヤ、カヤ、落ち着いて」
「落ち着いていられません。ククルさん、これは避妊薬ですのよ!」
「えっ!」
ばっと私の方を振り向くククル。
……あのクソゴーレム、いつの間に入れおったのだ。投げつけずに破壊しておけばよかったか。
「キリンお姉様! どういうことですか! まさか、まさかそんなご予定が!」
「ええい、落ち着け。私が持ち込んだわけではない」
「私という妹がありながら!」
「んん!? もしかしてククルも酔ってるな!?」
がばりと私に抱きついてくるククル。
そんな様子を「まあ」といった顔で眺めているカヤ嬢。
「お姉様をお嫁にやるなんて、口惜しいです」
まるで子供時代のようにぎゅーっと身体を抱きしめてくるククル。
私は、ひどく赤面した。




