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サキ作品集

青年トルコの悲劇 ~二つの視点の物語~

作者: サキ(原著) 着地した鶏(翻訳)

 文化大臣は仕事の案件を抱え大宰相ヴェズィール・アザムのもとを訪れた。近頃『オスマン帝国選挙技術局』という新たな課が大臣の管轄に入ったというから、そのための訪問であろう。

 

 大臣と大宰相はしばらく他愛も無い話に花を咲かせていた。すぐさま要件を伝えないのが東洋式の礼儀なのである。ところがオリンピックの話が出そうになると、大臣は必死に話を逸らし始めるのだった。どうも『マラソン競争』という単語が出て来るのを必死に堪えていたらしい。遥か昔『マラソンの地』でペルシアはギリシアに大敗したと聞くが、おそらく大臣は大宰相閣下のお祖母ばあ様がペルシアの生まれだったことに気がついたのだろう。そんな大宰相の前で『マラソン』の話題を出してしまうのはどうにも気の利かぬことに思えたのだった。

 

 それからしばらくして大臣はようやく要件を話し始めたのだが、それは少し突飛な案件であった。

「閣下、何やら新しい憲法を拵えている真っ最中だそうですね。そこで、私からも要望があるのですが……ええ、これを機にご婦人方にも選挙権を与えては如何かな、と」

「女どもに選挙権、だって?」

 大宰相閣下は面食らってしまい、つい素っ頓狂な声を上げてしまった。

「オホン、いいかね大臣殿パシャ。君の言っているのは『超大改革』だ。あまりにも荒唐無稽すぎる。ああ、もちろん認められんさ。まったく馬鹿馬鹿しい。女なぞ大志も無ければ知性など欠片も持っていないのだぞ。一体どうして、そんな輩に選挙権をやらねばならんのだ?」

「ええ、勿論よく分かっております。これはあまりにも無茶苦茶なお話です。ですが、ご婦人方も努力はしているのですよ。西洋風の考え方を身につけようと真剣に取り組んでいるのです」

「なるほど、ならば私が思っている以上に女というのは真摯な生き物だと言うのだな。ハハ、これは傑作だ、笑いが止まらん。生涯、厳粛な人間であり続けようと心を砕いておったのだがね、もう耐えられん。良いかね、我が国には文字の書ける女など殆どおらんのだぞ。それどころか文字を読むことすらも出来ぬ始末だ。そんな輩が、どうすれば投票用紙に名前が書けるというのだね? どの投票箱に投げ込めば良いのか分かるのかね?」

「大丈夫ですよ、投票用紙にはX印ひとつあれば署名になりますから。そして彼女たちには候補者の名前を告げて、そのX印を誰に書き込めばいいのかを教えればいいのです」

「どういう意味だね」と、大宰相が口を挟むので大臣は次のように言い直した。

「三日月ですよ、つまり新月旗ですね。新月旗の候補者にX印をつけるように教えればいいのです」

 そしてまた、こう付け加える。

「新月旗を掲げる候補者なら『青年トルコ党』と何かしら繋がりがあるはずですからね。あの青年トルコ党なら旧体制の瓦解に一役買ってくれることでしょう」

「ほお、なるほどな」と大宰相は呟いた。

「つまり、こう云うわけだな。些細なことはどうあれ、大事を成すには酷く賤しいブt………おっと、失敬」

 不浄なる動物ブタの名前を言いそうになった大宰相はすぐさま口を閉ざし、そしてこう言い直した。

「……いやいや、大願を成就させるためには全く以て愚かなラクダにでもなりきらねばならぬ。そういうことか。わかった、憲法制定委員に指示を出しておこう。婦人にも参政権を与えよ、とな」

 

 × × ×

 

 ラクーミスタン地区の選挙はもう終盤に差し掛かっていた。

 始まって早々、なんと300……いや400もの票が青年トルコ党に投じられたのである。青年トルコ党の候補者は既にペンを構えて演説原稿に向かい、投票者への謝辞を書き連ねていた。もちろん欧州の選挙機関へ働きかけも忘れてはいないし、高価な自動車まで購入したそうである。党の支持者をその車で投票所まで送り届けるのはもちろんのこと、敵対候補者の面々もその巧みなハンドル捌きで墓場や病院へ送り届けてあげたらしい。お抱え運転手の機転もなかなかのものである。そして事故を免れた候補者たちはみな棄権してしまったらしい。はっきり言ってしまえば、青年トルコ党の勝利はほとんど決まったようなものだった。

 

 だが、それでも思いもかけない出来事というのは起こるものであった。

 

 青年トルコ党の政敵であったアリー氏が投票場に姿を現したのであった。それもこの運の良い男だけではない。彼の妻や愛人以外にも600人近い女性陣を引き連れての登場である。

 アリーは選挙ビラに熱心に目を通すような男ではないが、青年トルコ党が勝つというのが極めて恐ろしいことだというのは重々聞かされていたらしい。なにしろその青年トルコ党の候補者というのは大の西欧かぶれで『妻は一人のみ、愛人などもってのほか』などと言ってのけるような男だったのだ。かつて狂皇帝イブラヒムがハレムの女官を袋に詰めてボスポラス海峡に投げ込んだというが、アリーには青年トルコ党が新たな死体袋を作りたがっているように思えてならなかった。

 

 するとアリー氏の票数はみるみると膨れ上がり、とうとう勝ち名乗りを上げたのだった。青年トルコ党の候補者はそれを目の当たりにして、ただ力無く立ち尽くすだけであった。

「まるでクリスタベル・コロンブスだ! こんな結末、誰が予想できたと言うのだ!」

 何かと混同しつつも著名な開拓者を引き合いに出して、青年トルコ党の男は叫び声を上げたのだった。

 

「奇妙なことだ」

 一方、アリー氏は静かに思いを巡らした。

「近代的な無記名投票だのなんだとやかましく熱弁を奮っていた男が、もの言わぬ票を見落としてしまうとはな」

 

 そして、アリー氏は皆とともに家路へと向かう。このときアリーは口髭をもごもごさせながら詩を呟いた。あの異端詩人のように口煩い敗残者ペルシアに捧げる即興詩を。

 

 

 

  男は 一人

  謳い文句は 沢山たくさん

  鋭い言葉で 駆り立てる 姿は

  まるで カーブルのナイフ

  みんな 男の思惑通り

 

  嗚呼 なのに 男は負けた

  つまらぬ勝負で 俺に負けた

 

  俺は 何も持ってない

  けれども 沢山たくさん

  ――それは ワイフ


原著:「Reginald in Russia and Other Sketches」(1910) 所収「A Young Turkish Catastrophe, in Two Scenes」

原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)

翻訳者:着地した鶏

底本:「The Complete Saki」(1998, Penguin Classics)所収「The Saint and the Goblin」

初訳公開:2012年5月21日


【訳者のあとがき】

序盤の「マラソン」の話題はロンドンオリンピック(1908年)の「ドラントの悲劇」のことだと思われます。同じ年に青年トルコ革命が起きて、オスマン帝国憲法と下院が復活します。さすがに、女性参政権云々はサキの創作だとは思いますが。

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