ラストオーダーは午前二時〜冬の夜〜
あなたの、最強のおかずはなんですか?
※【ラストオーダーは午前二時】の続編です。
先週の日曜日、この街にも初雪が降った。
朝早く、部屋のカーテンを開けて外を見た時には、ふわりと漂う最後のひとひらを見たくらいだったけれど、冬が来たのだと実感した。
——香里さんにおつかいを頼まれたあの日、たまご食堂に戻るなり僕は彼女に告白をした。あんなに気合を入れて誰かに気持ちを伝えたのは一体いつぶりだろう。照れ隠しの「ただいま」くらいの声量で、目の前の彼女に好きだと言った。いや、叫んだと言っても間違いではないだろう。緊張で頭が真っ白になり、馬鹿みたいな告白にはなってしまったけれど、引かれなかったことが救いだった。それどころか、笑ってくれたおかげでどうにか最後まで自分の気持ちを伝えることができた——と、そこまでは良かったのだけれど、香里さんの返事はと言うと「考えさせて」だった。予想外だった。絶対的な自信があったわけではないけれど、少なからず僕に好意を抱いてくれていると思っていただけに、正直拍子抜けしてしまった。そして、連絡するからと言われれば、もはや待つことしかできない。せめて期限付きならまだしも、そういった類の言葉は何もなかった。
——悶々とした日々が続く中、ようやく香里さんから連絡があったのは三日後のことだった。体感にして一ヶ月。大げさではなくそれくらい長く感じた。返事をもらえるすべのメッセージが届き、仕事が終わってからたまご食堂に来てほしいとのことだった。思わず喜んでしまったけれど、返事の内容などどこにも書いておらず、自分の早とちりに苦笑いした。
一方通行の坂道をのぼり、カーブに差しかかった辺りで食堂を見上げると、見慣れた柔らかな明かりが見えて一気に緊張感が増す。
心臓が飛び出しそうなほどのこの感覚を、今までに味わったことがあっただろうか。
案の定、店の前で二の足を踏む。とは言えここまでは想定内だ。一旦香里さんに連絡を入れてから店に入ろうかと、それらしいことを考えながらスマホをいじっていると、突然引き戸が開いて香里さんが顔をのぞかせた。
「いらっしゃい」
いつもと変わらない様子の声に少しだけほっとした。
「おじゃまします」と言いながら引き戸をくぐる。三日前よりも他人行儀になってしまうのを自分でもどうしようもできないけれど、今だけは、変なふうに捉えないでほしい。
「今日も寒いね、ご飯食べた?」
あたりまえのようにカウンターの中へと入りながら香里さんが言った。
「いえ、まだです」
椅子を引き、いつもの場所に座った。
冷えた手をこすり合わせながら、次に香里さんが何を言うのかそればかりを気にして彼女の方を見つめるけれど、早速料理に取りかかると会話はそこで途切れた。
おおよそ一ヶ月ぶり、ほどの気持ちでここに座っているものだから、いつもの匂いにたまらなくなる。たかだか三日で懐かしいと思えるほど、この場所を遠くに感じていたのだろう。
玉子を割る音が聞こえ、すぐさま菜箸でリズミカルに混ぜている。それからじゅわっと音がして、それがまた耳に心地良い。そんなことを思っていると、ふわっとダシの香りが店内に広がり、大きく鼻から吸い込んだ。胃袋が遠慮なく刺激され、お腹が音を立てる。
しばらくしてカウンターから香里さんが出てきた。僕の前にお盆ごと料理を置き、「ゆっくり食べてね」そう言うと再びカウンターの中へと戻っていった。
聞きたいことはあるけれど、そのことはとりあえず一旦置いておいて、熱々のうちにいただこう。
相変わらず大きなだし巻き玉子が真ん中に陣取り、今が旬の鯖の塩焼きと白菜のおひたし、それから赤かぶの浅漬が良い差し色になって全体を明るくしてくれている。味噌汁には必ず厚揚げが入っていて、ほかの具材は日によって変わる。僕は、定番だけれどネギが一番好きだ。そのことを知ってくれているからなのか、今日の味噌汁にはネギがたくさん入っている。それだけで、顔がニヤけて仕方ない。
手を合わせ、香里さんに聞こえるように「いただきます」と言うと、にっこりと笑顔が返ってきた。
まずはもちろん、このだし巻き玉子からいただこう。
沁みる——口に入れた瞬間、色んな意味で今の僕にはこの味が沁みる。旨いとか、そんな単純な言葉で言い表したくないほど、ぐっとくるものがある。続いて味噌汁を一口。流れ込んできたネギに、無性にただいまと言いたくなった。
変わらない味、落ち着く香り——
考えたくはないけれど、もしかすると今日が、ここへ来る最後の日になるかもしれない。そう思うと、余計にこの一口を大切にしたくなる。
ひとつひとつを味わい、味噌汁を最後まで飲み干してからゆっくりと一息ついた。箸を揃えてお盆に置き、カウンターの奥にいる香里さんに向かって「ごちそうさま」と声をかける。水道から流れる水の音が止み、少しして香里さんがカウンターから出てこちら側に来た。
「ちょっと待ってて」
言いながら、引戸を開けてのれんを店の中にしまい、大きくクローズと書かれたプレートを店の前にぶらさげた。その一連の動作を座ったまま目で追いかけていると、その足は僕の目の前で止まった。両手をお腹の前で組み、あきらかに落ち着かない様子なのが見て取れる。
「あの、この前のことなんだけど……」
その一言で、すっと背筋が伸びる。
「私、あんなふうに告白されたの初めて」
小さく笑うから、同じように笑ってみせる。
「蒼也くんのこと、自分のこと、店のこと。とにかくたくさん考えたの。私のことどう見えてるかは分からないけど、本当は不器用で、なんでも他人より遅いし、色々考えちゃうから時間もかかるし、だから、もしも蒼也くんとお付き合いするってなったら、もどかしい気持ちにさせてしまうことがたくさんありそうで、不安に思ったの」
「それは、前向きな返事だっていうふうに受け取ってもいいんですか?」
「それは、その……」
「昔の恋人にも、いつもそんなふうに説明してたんですか?」
そう聞くと、僕からすっと視線を逸らした。
「蒼也くんが初めて、かな——」
もうそれが答えなのではと思うけれど、香里さんの言葉で聞きたかった。
「僕は最初から、香里さんは言葉をちゃんと選んで話す人なんだなって思ってました。他人より遅いって言うけど、それはそれぞれが感じることで、ただの個性です。それに、僕にはそれが心地良いです。だから、あなたを好きになりました」
香里さんの顔が見る間に赤くなっていく。
「ありがと……本当に、私でいいの?」
「香里さんがいいんです」
落ち着かない彼女の手をそっとにぎる。そしてそのまま、自分の方へと引き寄せた。
「あの、僕のことどう思ってるのか、そろそろ教えてもらえませんか?」
そう聞くと、遠慮がちに僕の手をにぎり返してくれた。
「いつの間にか、蒼也くんのことばかり考えるようになってて、その、私も——好き」
頬が緩んで仕方ない。
彼女の選ぶ丁寧な言葉が、やっぱり僕は好きだ。
「それじゃあ改めて。僕の彼女になってくれますか?」
「はい」
その返事はずるいと思った。僕にしか分からない感覚かもしれないけれど、可愛いをぎゅっと集めたみたいな、そんな感じだ。
自分本位に彼女を体ごと引き寄せて思い切り抱きしめたい衝動を一旦理性で押しとどめ、きちんと言葉にする。
「——あの、抱きしめてもいいですか?」
自分を落ち着かせる意味でも、できるだけ丁寧に言う。すると、彼女の両手が僕の肩に触れ、そろそろと首の後ろに回された。
目が合うと照れくさそうに微笑むから、言葉にならない感情が溢れて仕方ない。
焦る気持ちを抑え、彼女を抱き寄せた。
ふわりと香る美味しい匂い。このまま君を食べてしまいたいと、真剣な顔で言ったら香里さんはどんな反応をするだろう。そんな恥ずかしいことを、今ならさらりと言えてしまいそうだけれど、さすがに自分の胸のうちにとどめておこう。
彼女に気付かれないよう、そっと息を吸い込む。すると、大きな音を立ててお腹が鳴った。
「ごめんなさい、私……」
僕から離れると、恥ずかしそうに両手で顔を隠している。
「別に謝ることじゃないですから」
指の間から気まずそうな顔を見せるから、思わず笑ってしまった。僕からすれば、ただただ可愛いだけだ。
「実は今日、朝から何も食べてないの」
驚いていると、香里さんが続けた。
「今日は絶対に蒼也くんに話そうって決めてて、そしたら緊張して何も喉を通らなくて」
「ようやく安心しましたか?」
「そうみたい」
照れくさそうに笑う彼女が愛おしい。
香里さんも、僕と同じくらい緊張していたのだと思うと、なんだかおかしくなった。
「ご飯食べてください。良かったら、僕の隣で」
小さく頷くと、カウンターの中へ入っていった。しばらくして、僕が食べたのと同じメニューをお盆に乗せ、「おじゃまします」と言いながら僕の隣に腰を下ろした。
「いい匂い」
僕が言うと、にっこりと笑い、手を合わせていただきますと言った。
箸の持ち方が綺麗で見惚れてしまう。吸い込まれていく味噌汁にすら嫉妬してしまうほど、今の僕は感情が昂ぶっているらしい。
食べづらいから見ないでと、言われたところで無理な話だ。今日に限っては、一番近くで見ていたいのだから。
湯気の立つ料理を食べられることの喜び、この幸せな香りがあたりまえにある日常を幸せだと思う反面、あたりまえにしたくないとも思ってしまう。それくらい香里さんのことが特別で、彼女の料理が大好きだからだ。
完
最後まで読んでいただきありがとうございます。
言葉を選んで会話をするって、ただ時間をかけて考えればいいというだけではないのが難しかったりするんですよね。
できるだけ、丁寧に生きていきたいものです。
そして私は、一生鯖の塩焼きが大好きです(笑
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