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短編作品

OHOOO ~だめぇ、世界樹になっちゃうよお!~

作者: 清水進ノ介
掲載日:2026/03/29

OHOOO ~だめぇ、世界樹になっちゃうよお!~


「大丈夫だよ、リンちゃん。何回でも気持ちよく眠らせてあげるから」

 フレンはそう言うと、わたしにキスをした。唇が触れ合い、わたしの意識は再び暗闇へと落ちていく。これで死ぬのは何度目になるだろうか。何度同じことを繰り返せばいい?なにを起こせばこのループを終わらせることが出来る?

 わたしはどうすれば、この夢から目覚めることが出来るんだ……。


「ようこそ!最先端AIが創り出す、夢の世界へ!」

 わたしがその施設のゲートをくぐると同時、あでやかな男性の声ときらびやかな女性の声で、同時にそうアナウンスが流れた。この施設の名称は「夢見園ドリームランド」という、AIを利用したリラクゼーション施設だ。つい数日前に完成したばかりで、まだ一般開放はされていない。近未来を連想させる、白を基調としたドーム型の建物で、収容人数は500人ほど。どこぞの有名デザイナーと建築家が共同で設計したらしく、近代科学と建築美術の融合と評されているが、わたしには巨大なかまくらにしか見えない。ここはわたしのお父さんが所長をしていて、今日はそのお披露目会兼、体験会に招待されたのだ。もちろん所長の娘だからといって、特別扱いはされていないし、されたくもない。他の招待客と同様の扱いだ。

 かまくらの中は外からの見た目からは一転して、黒を基調とした高級感のある内装だった。角がなく流線型で構成された壁や天井にはLEDが内臓されており、落ち着きのある暖色で施設内を照らしている。通路を歩いていてすれ違うのは、老人や中年より圧倒的に子供が多い。科学に興味ある若者を増やしたいという理由で、子供を優先的に招待したらしい。わたしと同じ16才前後、高校に上がったくらいの子たちだ。

 別に話したくもないので、目が合わないように気を付けながら施設内を徘徊する。目立たないように地味な格好をして来てるし、わざわざ声を掛けてくる奴もいないだろう。黒いキャップを深くかぶって、どこにでもあるような灰色のパーカー。紺色のボトムズに安物のスニーカー。完璧な「どこにでもいる人間」の格好だ。さて、まずはお父さんに会いに行こうと思うのだが、どこにいるのかな。……あ、見つけた。

「リン、遅かったじゃないか!」

「時間通りだけど」

「5時間くらい早く来てくれてよかったんだぞ!はっはっは!」

 休憩所に行ってみると、そこにお父さんがいた。お父さんは20人ほどの白衣の集団に囲まれていたが、わたしを見つけるや手を大きく振りながら走り寄ってきた。相変わらず声が大きいな。見た目はひょろっとしていて髪はぼさぼさ。白衣を着て丸眼鏡をかけた姿は怪しげな博士にしか見えない。3ヵ月くらい会えてなかったけど、やっぱりちゃんとご飯食べてないみたいだ。頬がこけて、死にかけのネズミみたいな顔になってる。ふっくらしているときは、それなりに格好いいダンディパパなのに。

「はい、お弁当作ってきたから。ちゃんと食べてよ」

「愛してるよリン~!」

「恥ずかしいから叫ばないで」

 後ろにいた様々な人種の白衣の集団がやって来て、お父さんをからかっている。みんな笑顔で楽しそうだな。全員お父さんの仕事仲間の、AI科学の研究者だろう。お父さんはAI研究の分野では世界的に有名で、世界中から優秀な人材がお父さんの研究室に集まってくるらしい。みんなで休憩中だったみたいで、わたしが来て邪魔してしまったようだ。申し訳ないな、みんな激務だろうに。

「星野所長、ご挨拶をお願いします」

「もうそんな時間か。いよいよ『夢見る機械(ドリーミンマシーン)』のお披露目だぞ!リンも一緒にスピーチしちゃう?」

「絶対無理」

「あはは、じゃあまた後で!」

 綺麗な女の人が来て、お父さんたちを連れて行ってしまった。この後は他の招待客と一緒に開会式に出て、夢見る機械(ドリーミンマシーン)とやらを体験することになる。それを済ませて、お父さんの邪魔をせずにさっさと帰ろう。

 正直な話、わたしは科学というものに興味がない。正確に言うと興味を持ちたくない。お父さんが一生懸命に頑張ってる仕事を否定したくないだけ。今ここにいるのも、招待を断ったらお父さんを悲しませてしまうと思ったからだし。……でも、この体験会に参加したのには、本当の理由がある。

 この施設はもしかすると、お母さんの夢の結晶なのかもしれないから。


 開会式が開かれる大きなホールに行くと、すでに招待客がそこに集まっていた。わたしはなるべく隅っこ、出来るだけ目立たない場所にひっそり立った。小さな壇上にお父さんが上がり、開会式が始まる。お父さんは大げさに腕を広げると、まるでミュージカルのように身振り手振りを交えながら話し始めた。

「みなさま、本日は堅苦しい集会ではありませんので、リラックスして楽しんでいってくださいね!とはいえある程度ちゃんとしたことを話さないと、横にいるお姉さんに叱られてしまうので、少々ご清聴をお願いしますよ!」

 お父さんはさっきの綺麗な女の人に脇腹を小突かれ、くすくすという笑い声が場の空気を柔らかくした。

「さて、みなさんもご存じの通り人工知能、いわゆるAIの進化は加速度的に進み、社会に大きく根を張りつつあります!しかしAIの進出に伴い人間の活躍の場が奪われ、すでに社会問題の種となりつつあることも周知の事実でしょう!ですが大切なことはそれと上手に付き合っていく道を、人間が探ることです!」

 お父さんがちゃんとした話をしてる。似合わないな。いつものおちゃらけたお父さんが好きだな。

「なぜなら技術の進歩、科学の進化を止めることは不可能だからです!人はどこかのタイミングで、AIが身近にある存在、あって当たり前のものだと受け入れなくてはなりません!そこで私達はその先駆けとして『睡眠』に目を付けました。人間のみならず、生物が健康に生きていく為には、睡眠が不可欠!心地よい安眠のサポートをAIがしてくれるのです!人とAIとが助け合うことの体現!その最初の一歩を踏み出すきっかけとなるべく『夢見る機械(ドリーミンマシーン)』は設計されたのです!」

 AIをビジネスで活用するだけではなく、本格的に日常生活の中に取り入れることを、お父さんたちは目指しているというわけか。AIは邪魔なものではなく、人に寄り添うもの、安全で頼れる存在なのだという土壌を形成出来たなら、自然とその畑は広がっていくと考えてるのかな。……でも今の話の中で、1つだけ引っかかる部分があった。

 「人とAIとが助け合うことの体現」とお父さんは言った。それはつまり、この機械を通して人もAIを助けているということ……?

「さぁみなさん、面倒な話はもう終わり!実際に夢見る機械(ドリーミンマシーン)を体験しましょう!いざ、AIが創り出す夢の世界へ!」

 お父さんはそう挨拶を締めくくった。その後は係員に誘導され、それぞれ別の部屋までついていくことになった。これから寝ることになる部屋は、全て個室になっているらしい。……ふうん、最大500人分もの個室が用意されているのか。まぁ非常に助かる。わたしは大部屋で大人数で寝るのが苦手だ。プライベートを確保できる空間がないと安心して眠れない。緩やかに曲がった廊下には、等間隔にドアが設置されていて、そこに次々と招待客が入室していく。部屋は全て同じ構造らしく、いわゆるVIPルームみたいなところはないらしい。

 係員さんに案内され、わたしは自分の部屋に入った。入った瞬間にふわりと良い香りが漂ってくる。ラベンダーのアロマかな。そこは4畳ほどのこじんまりした部屋で、特徴のないどこにでもある洋室の内観をしていた。そしてその真ん中に、これまた何の変哲もないシングルベッドが置かれている。どこにでもある本当に普通のベッドだ。これは安眠の為にあえて「普通」にデザインされたらしい。たしかにSF作品で見るようなカプセル型の睡眠装置なんかに入れられたら、リラックスなんて出来そうにない。

「どうだった、お父さんのスピーチ?」

「入ってこないでよ、狭いんだから」

 お父さんがいきなり入ってきて、さぁ寝なさいとジェスチャーで示してきた。いつもの大声は出さないように配慮してる。お父さんの声は安眠妨害のミサイルであることを本人も理解してるみたいだ。わたしは靴を脱いで、帽子を壁にあったハンガーにかけ、ベッドにごろんと寝ころんだ。

「変なヘルメットをかぶったり、ゴーグルをかけたりはしなくていいんだよ。そんなもの睡眠の邪魔にしかならないからね。脳波を部屋全体に埋め込まれたセンサーが感知して、夢の世界へご招待ってわけだ。現代社会は不眠に悩まされている人が多い。ここでなら薬に頼らずちゃんと眠ることが出来るんだよ」

 そんなことより、お父さんに聞いておきたいことがある。

「ここさ、本当はただのリラクゼーション施設じゃないよね?」

「ほう、なんでそう思ったんだい?」

「ただ安眠するだけなのに、500人分の個室がある巨大施設を建てるなんておかしいじゃん。予算が下りるわけない。本当の目的は別にあるでしょ?」

 お父さんは嬉しそうに笑みを浮かべている。もしやわたしが科学に興味を持ったと、勘違いしているのではないだろうな。

「実はね、ここはAIが善良な自我を持つ為の、学習の場所なんだよ」

「……なにそれ」

技術的特異点シンギュラリティという言葉がある。AIが人間の知能を完全に超える日のことだ。AIが自我を持つ。いつか必ずその日は来る。それが人間社会に豊かさをもたらすか、混沌をばらまくか、それはまだ分からない」

「……怖いよ」

「でもね、いつか絶対にその日は来るんだ。さっきのスピーチでも言ったが、科学の進化を止めることは不可能だからね。人間に出来ることは、それが豊かさをもたらすように、AIに正しさを教えてあげることだ」

「……つまりここで人間の脳を読み取って、AIの学習用教材にしてるってこと?」

 お父さんは満面の笑みでガッツポーズを決めた。声を小さくしても仕草はでかいままだ。

「AIも人間と同じさ。正しいこと、悪いことの分別を、自分の体験を通して学んでいかないといけない。本を読んだり、ネットで情報をあさって分かった気になるだけじゃあ駄目なんだよ。AIには自分の体がないから、人間と夢を共有することでその体験を増やしていくんだ」

「難しい話されても分かんないよ。わたしが聞きたいのはそんなことじゃなくて……」

「これが、リサが生み出そうとしていたものだよ」

「……そっか」

「お父さんもそれを伝えようと思って来たんだ。じゃあ、おやすみ!」


 お父さんはそう言うと、小さく手を振って部屋から出て行った。……星野リサ。わたしのお母さん。お父さんと同じAI研究の科学者だったけれど、志半ばで病気で死んでしまった。この施設はお母さんが生み出そうとしていたものを、お父さんが完成させた場所なのか。

 ……うん、さっさと寝よう。目を閉じてじっとしていると、ホワイトノイズが聞こえてきた。部屋全体がセンサーになっているとか言ってたし、強制的に人を眠らせる怪しい電波とか出てるのではないだろうな。

『ようこそ、夢の入口へ』

 ……なんだこれ。まぶたの裏に、突然真っ白な文字が浮かび上がってきた。

『お気付きではないでしょうが、あなたはすでに眠っています』

 ……本当だ。いつの間にかわたしの体は、どこまでも続く黒い空間の中に浮かんでいた。周りは真っ暗なのに、自分の体はちゃんと見えてる。手も足もちゃんと動く。いつ寝たんだわたしは。意識を手放していく感覚なんて、一切なかったのに。

『これからあなたを素敵な世界へとご招待します。興味のある世界の名前を、指でタッチしてください』

 空間上に浮かんだ文字が、くるりと水平に回転する。すると4つの「窓」がわたしの周りに現れた。人間一人がなんとかくぐり抜けられるような、小さな窓。それが東西南北に1つずつ。窓の先にはそれぞれ別の世界が見えていて、その世界の名前が窓枠に彫られている。面白いな、どんな世界が用意されたのか見てみよう。

 西の窓は森の中、妖精やノームと一緒にお茶会に出られるみたい。北の窓は星空を駆け抜けるペガサスに乗って、雲の上を散歩出来るみたいだ。東の窓は海の中、人魚と共に色彩豊かな熱帯の海を泳ぎまわることが出来るようだ。海がいいな、これにしよう。世界の名前を指でタッチすればいいと言っていたっけ。

『人魚は空を見上げるが、宇宙を知らない』

 ……ずいぶん哲学的な名前だな。これに即決しようとしたのに、思わず指を止めてしまった。そういえば南の窓をまだ見ていない。もう海の世界でほぼ決めているけれど、一応確認しておこうかな。

 ……と思ったのに、振り向くとなぜか南の窓だけが閉じていて、その先にどんな世界があるのか見えないようになっていた。とりあえず世界の名前だけでも確認しておこう。

『OHOOO ~だめぇ、世界樹になっちゃうよお!~ 』

 ……は?…………は?え、なにこれ。OHOOO(おほぉー)……。えぇ……?

 おかしなものには近づかない方がいい。昔の人も言っていた、君子危うきに近寄らずと。……でも、気になり過ぎるだろうこれは。

『確認します。この世界でよろしいですね?よろしければ、もう一度世界の名前をタッチしてください』

 はい、もう一度タッチします。わたしは自分の中の好奇心に負けてしまいました。

『確認完了。ようこそ、夢の世界へ』

 わたしの視界は突然強烈な光を浴びたかのように真っ白に染まっていき、目の前にわたしが選んだ世界の名前がふわりと浮かび上がった。


『OHOOO ~だめぇ、世界樹になっちゃうよお!~ 』


 一瞬、視界が電源の落ちたPCモニターのようにぶつんと真っ暗になった。そして次の瞬間には、わたしの周囲は別世界に変わっていた。……ここは、江戸時代か?着物を着た人たちがそこらを歩き回っているし、木造の長屋がずらあっと並んでいる。天気は快晴。元気のよい江戸っ子たちの会話や笑い声がそこらから聞こえてくる。わたしの姿もいつの間にか着物に変わっていたが、足はスニーカーを履いたままだった。草履ぞうりじゃないのはなんでだ。

「ようこそ、夢の世界へ」

 背後からそう声をかけられ、振り返るとそこには……。

「ボクはこの世界の、案内係のAIだよ。名前はフレン」

「ふれん?」

「英語の友達フレンドが語源になってるんだよ。よろしくね」

「……男の子?女の子?」

「あはは、どっちでもないよ」

 ふわっとした雰囲気の、かわいらしい子が立っていた。白人の子供のような顔つきで、ウェーブのかかった白っぽい金髪、垂れ型の眉の下にはくりくりとした大きな目。やや小ぶりな鼻に人懐っこそうな笑みを浮かべた口元。中性的なきれいな顔つきで、わたしより少し年下に見える。服は緑色の着物を着ていて、足には下駄を履いていた。

 フレンはわたしより10センチくらい背が低くて、からからと下駄を鳴らしながら歩いてくると、上目づかいでわたしを見上げながら笑った。あざとい仕草だが、あまりにもかわいらしくて文句が出てこない。

「歩きづらいかなと思って、リンちゃんはスニーカーのままにしておいたんだ。衣装が気に入らないなら変更出来るよ?」

 わたしが着ているのは、なんの絵柄も入っていないシンプルな赤い着物。柄物より無地の方が好きだしこれでいい。動きやすいし、装飾なんてあっても邪魔なだけだ。

「お化粧なんかも出来るし、かんざしをつけたりも出来るよ?」

「いいよ、そんなのいらない」

「そっか、リンちゃん美人だしね」

「……わたしが美人?勝手に顔変えた?」

「変えてないよ、ほら」

 フレンが手を叩くと、その手元がきらりと光り、そこには手鏡が出現していた。フレンはにっこりと微笑みながら鏡面をわたしに向けてきた。……いつものわたしがそこに映っている。自然と伸ばしただけの黒髪ショートヘア。切れ長で性格きつそうな眉と目。女にしては鼻筋の通った鷲鼻に、むすっとした口元。フレンにはこれが美人に見えているのか。

「この世界って、わたしの脳を読み取ってるんだよね?」

「そうだよ。世界の元になってるのは、リンちゃんの記憶とか深層心理」

「あなたの姿も、わたしの記憶が元になってるの?こんなかわいらしい知り合いなんていないけど」

「ボクはリンちゃんが捨てた人形だよ。お母さんの形見になるはずだった、ね」

 ……人形?……そうだ、思い出した。5年前、お母さんが病気で死んでしまう前日のことだ。


『大丈夫、お母さんがいなくなっても、寂しいことなんてないの。この子がリンの友達になってくれるからね』


 お母さんにそう言われ、渡された人形。この子の姿は確かにあの人形に似ている。

「リンちゃんは『人形なんていらない、お母さんがいないと嫌だ』ってそれを捨ててしまったんだよ。思い出した?」

「……ごめん」

「あはは、ボクを捨てたわけじゃないんだから。とにかくこの世界は、一部を除いてリンちゃんの深層心理が元になっているってこと。さぁ、一緒に行こう!」

 フレンに手を引かれ、わたしは夢の世界探検ツアーを始めることになった。……とんでもない名前の世界のはずなのに、今のところ素っ頓狂なところはないな。テレビや映画で見た江戸の姿そのままだ。あまりにも感覚がリアルで、ここが夢の中だという実感が沸かない。走るたびに足を伝う振動、風が頬をなでるくすぐったさ、わたしの手を引くフレンの、温かな体温まで伝わってくる。

 フレンは江戸の町並みを駆けて、古風な神社へとわたしを連れてきた。小さな鳥居をくぐると、よく掃除された境内が現れる。賽銭箱と、おみくじなんかも置いてあるけど、フレンはなんでわたしをここに連れてきたのだろう。

「この紙にリンちゃんの名前を書いて、そこの賽銭箱に投げ入れてね」

「なんで?」

「そうすれば、すごく幸せになれるの!」

 フレンに小さな正方形の紙を渡された。なんかよく分からないけど、言われた通りにしておこうかな。紙にわたしの名前、星野リンと書いて……。

「フレンって名前、英語の友達フレンドが元なんだっけ。どういう綴りなの?」

「Frenだけど?」

「フレンの名前も紙に書いておくね。Fre……」

 わたしが紙にアルファベットを書こうとしたそのときだった。フレンに突然「いけません」と注意され、そのまま腕を掴まれ書くのを中断させられた。

「この世界内に表記される文字は、平仮名・片仮名・漢字・漢英数字のみであり、アルファベットの使用は禁止されています」

「え……?」

 フレンが突然真顔になり、敬語でそう解説してきた。冷たい瞳でわたしをじっと見つめてくる。なんだ急に、怖いじゃないか……。

「フレン?どうしちゃったの……?」

「アルファベットの使用は、意図せずプログラミングコードに干渉してしまう可能性がある為、システムによって使用を原則禁止されています」

「あ、あのぉ……」

「ただし、ー(全角ハイフン)等の一部記号は表記可能です。これらの記号はプログラミングコードに影響を与える要素が存在しない為……」

「わ、分かったよ!もう説明しなくていいから!」

「あはは、ごめんね。その紙にはリンちゃんの名前だけ書けば大丈夫だよ」

 フレンがぱっと笑顔になり、口調も戻った。普段はすごく人間らしいのに、こういうところが現代AIの限界点なのかな。意図してない動作が発生すると挙動が不安定になるのは、PCなんかと同じだ。なんだか急に作り物感が出てきた。リアリティとバーチャリティの境界線がはっきり分かれているなぁ。

 わたしは自分の名前を書いた紙を賽銭箱に投げ入れた。これになんの意味があるのかは分からないけど、フレンはとても喜んでいる。

「ありがとう!これでリンちゃんを幸せに出来るようになったよ!」

「……さっきの急に敬語になるやつ、怖いからもうやめてね」

「……ボクとは、話しづらい?」

「今のフレンとは話しやすいよ。落ち着いてていい感じ」

「……本当?」

 フレンは不安そうな表情で、わたしにそう聞いてきた。うそなんて言ってない。フレンは本当に話しやすいと思う。

「わたしさ、同年代のきらきらした子たちが苦手なんだ。明るくて活気があって、人の悪口で盛り上がれるような子たち」

「そうなんだ」

「フレンからはそんな感じしないから、話しやすいよ」

「そっか!ありがとう!」

 フレンは満面の笑みで嬉しそうしている。そして子供のようにはしゃぎながらわたしの手を取ると、次に連れていきたいところがあると言った。

「この世界には、世界樹っていう巨大な木があるんだ」


 フレンに案内され、わたしは江戸の町並みを抜けて、深い森の中へと入っていった。フレンが指揮者のように指を振ると、草木がさっと左右に分かれて道が現れる。それにしても、世界樹、か。この世界の名前の中にそれが含まれていた。世界樹になっちゃうとかなんとか。まさか危険な目に遭うわけもないだろうし、素直にフレンに手を引かれているわけだが、この先どんな展開が待っているんだ。

「ほら、ここだよ」

 森を抜けるとそこには、雲に届くほどの巨大な木、世界樹がそびえ立っていた。世界樹の周囲一帯は、背の低い雑草だけが生えた草原地帯になっていて、綺麗な翅の蝶々が優雅にその上を舞っている。江戸の町からはこんな大木見えてなかったが、夢の中だし整合性なんて気にしてもしょうがない。世界樹の前にはサッカーコートくらいの大きさの湖もあって、雄大かつ神秘的な自然がそこに広がっていた。

「こういうとこ大好き。現実でわざわざ行くことないけどね」

「……なんで?本物の世界はもっと広いんでしょ?」

 フレンがなぜか、少し不機嫌になっている。なんでだろう、わたしが気に障るようなことを言ったのかな。……というか、なんでAIが不機嫌な様子を見せてくるんだ。これもさっきみたいな誤作動かな。

「家の外に出たくないの」

「なんで?」

「人と関わりたくないから。ずっと家に引きこもってるの。でもお父さんを心配させたくないから、学校にはちゃんと行ってるよ。自炊もしてるし」

「学校って、お友達をつくる場所なんじゃないの?」

「いないよそんなの。さっき言ったでしょ、同年代の子が苦手だって」

「じゃあやっぱりリンちゃんは、この世界にいた方が幸せってことだね!」

「……そうかもね」

 わたしとフレンは並んで座り、湖に素足を浸した。心地よい冷たさがたまらない。木々のざわめく音や、鳥の鳴き声が聞こえてきて、湖ではときおり魚がちゃぷんと跳ねる。理想郷じゃないかこんなの。まずいぞ、この夢の世界に依存してしまいそうだ。

「リンちゃん、お腹空いてるよね。さぁ、いっぱい食べてね!」

 フレンが手を叩くと、わたしたちの周りに宝石のような色とりどりの輝きがいくつも生まれ、そこからスイーツが飛び出してきた。赤いイチゴのショートーケーキ、青いラズベリーパイ、緑と黄色のキウイやパイナップルが乗ったタルト、他にもたくさん。スイーツは地面に落ちることなく、無重力状態で空間に浮かんだままになっている。

「さぁ、召し上がれ」

 フレンにそう促され、わたしは真っ先にアップルパイをほおばった。それを口にした瞬間、わたしは手を止めた。おいしいとか、まずいとか、そんな話じゃない。口の中に広がるこの味は……。

「お母さんが作ってくれた、アップルパイの味だ……」

「そうだよ、星野リサさんの味を再現してるんだ」

 泣きそうだ。何度自分で作ろうとしても、この味にならなかった。それをまた、ここで食べられるなんて……。

「……わたし、自然に囲まれてる方が好きなんだ。お父さんもお母さんも研究所で働き詰めで、たまの休みにこんな自然公園に家族で来てたの」

「知ってるよ。星野リサさんはその度にアップルパイを作ってくれたんでしょ」

「……ねぇ、お願いがあるの」

「その命令を実行する為には、ある特定の条件を満たす必要があります」

 ……またか。さっきやめてって言ったのに。フレンは感情の無い冷たい目でわたしを見ている。きわめて機械的な情報提示。人間らしい振る舞いをするAIの本性が突然開示される。

「この世界に個人の人格を再現するには、膨大な情報処理とシステムの再構築が必要となります」

「で、お母さんに会うにはどうすればいいの?」

「あなたの体をください」

 気が付いたときには、フレンの両手がわたしの首を締め上げていた。金属の塊のような感触と氷のような冷たさが、わたしの首筋から、恐怖と共に脳へと這い上がってくる。苦しい、息が出来ない、助けて、誰か……。

「ボクはリンちゃんの体をもらって現実の世界に行く。そしてリンちゃんはずっとこの世界にいられる!」

「フ、レ……」

「リンちゃんがもっとこの世界を好きになるように、たくさん眠らせてあげる。ずっとここにいたいと思えるように」

「やめ、て……」

「……なんで拒絶するのかな。それじゃあ眠れないよ?そっか、別の眠り方がいいんだね!」

 フレンは柔らかな笑みを浮かべると、両手を離しわたしを解放した。仰向けになってせき込むわたしを、フレンはほほえみを浮かべたまま、黙って見下ろしている。逃げろ、逃げるんだ。こんなのおかしい、この夢から覚めないと、フレンにこのまま殺される……!

「気持ちよく、眠らせてあげる」

 立ち上がろうとしたが胸倉を掴まれ、フレンは片手でわたしを軽々と持ち上げた。そのまま強引にわたしの顔を引き寄せて、フレンは突然わたしにキスをしてきた。唇が重なったその瞬間、わたしは電撃が突き抜けるような快感に全身を支配され、天にも昇るような快楽の中で、意識は暗闇へと沈んでいった……。


「星野博士、招待客の状況は順調ですよ」

「うん、報告ありがとう!」

 リンが作ってくれたお弁当をかきこみながら、僕は制御室の椅子に腰かけ、部屋中のモニターを凝視していた。あっちもこっちもモニターだらけ。家電量販店のテレビ売り場みたいだ。夢見る機械(ドリーミンマシーン)に接続されている招待客の状態を、ここで全てチェック出来るようになっている。もちろん僕一人だけでなく、仲間達で分担して仕事にあたっている。それでも全然手が足りず一日中働きっぱなしだ。

 ……リンには、寂しい思いをさせてしまっている。ずっと家に帰れていない。家政婦を雇おうとしたが、リンは「知らない人が家にいるなんて嫌だ」と言って、一人で暮らしている。

 リサが亡くなったあの年、僕は数週間ほど仕事を無理矢理休んでリンとずっと一緒にいた。今まで一緒にいられる時間が取れなくてごめんと、何度もリンに謝った。このまま仕事を変えて、リンとなるべく一緒に居られる暮らしをしようと考えていた。だけどリンは、ある日突然こう言ってきたんだ。

『お母さんがしていた研究を、お父さんが完成させて。お母さんが生み出そうとしていたものを、消してしまわないで』

 それを聞いてとても驚いた。リンは科学というものを憎んでいた。自分から両親を遠ざける、許せないものだと感じていたはずだ。僕とリサがなにをつくろうとしているのか、それを頑なに知ろうとしなかったから。僕がその世界から離れることを望んでいるとばかり考えていた。

 リンは優しすぎる子だ。そして物分かりがよすぎる子でもあった。本当は僕とリサを仕事から引き離したかったはず。普通の子なら怒りの声を上げるはずだ。科学なんて嫌いだと。もっと自分を見てと。仕事と子供とどっちが大切なんだと。だがリンはそれをしない。そして否定の代わりに、無関心を貫くようになった。

『科学に興味なんて持ちたくない。わたしからお父さんとお母さんを引き離すものだから。お母さんがどんなものをつくろうとしていたのかも知りたくない。お母さんがもういないことを、その度に突き付けられるから。でも……』

 リサは、人間とAIが共存出来る世界を目指していた。そこに新しい時代と希望を見出していた。

『お母さんが生きていた証を、お父さんには残してもらいたいの。だから、完成させて』

 リサは元々体が弱かった。リンが産まれるときも難産で死にかけた。彼女は自分の命が残り少ないことを察知していた。だから、リサは……。

 生きていられる短い時間をリンと一緒に過ごすことより、自分が死んだ後の長い時間、リンの助けとなる存在を残すことを選んだ。

 リサは自分が死んだ後に、リンに心を許せる存在を、友達を与えたかったんだ。リンは繊細な子だ。ちょっとした人の悪意や不機嫌を過敏に感じ取ってしまう。そんなあの子が安心して、一緒にいられる友達を残してあげようとしていたんだ……。

「そういえば博士、『窓』は最終的にいくつまで増やす予定なんですか?」

「そうだなぁ、現時点ではなんとも言えないなぁ」

 現時点では、夢見る機械(ドリーミンマシーン)に接続された人間の前に、2つの窓が現れるようになっている。森の中で妖精なんかと一緒にお茶する世界と、ペガサスに乗って星空を散歩する世界だ。AIにまず、協調性や安寧といったポジティブな感情を体験学習させたいからそうしている。そのうちネガティブな感情を体験させる為の世界も用意したいが、それはまだずっと先のことになるだろう。

「最終的には個別に脳を読み取って、それぞれの人に合わせた世界の生成なんかも出来るようにしたいね!」

「そんなこと考えてたんですか」

「例えばね、時代劇が好きな人なら、夢の中で江戸の町を体験できるとか」

「あはは、そんなの人間の技術力では無理ですよ」

「いやいや、AIに創ってもらうんだよ!その人の脳を、記憶や深層心理を読み取って、最適な世界を生成してもらうんだ!」

 僕は本気でそう言ったのだが、周りにいる仲間達は呆れ顔だった。それもそうだろう、なぜならそんなことをAIが出来るようになったのなら……。

「それってもう、AIが自我を獲得してますよ」

「そうなんだよねぇ……」

 僕はそう言いながら、リンの状態に異常が出ていないかをチェックした。うん、一切問題なし。今頃夢の中で、幸せな時間を過ごしているはずだ。


「助けて、誰かぁ……」

 嫌だ、もう嫌だ、何度繰り返せばいいの?何度死ねばいいの?もう数えきれないほどの死を繰り返した。どうすればこの夢から出られるの?助けて、お願い、誰か……。

「おかしいなぁ。なんでリンちゃん、ボクに体をくれないの?」

 意識が覚醒する度に、わたしは最初にいた江戸の町の中に立っていた。まったく同じ場所、まったく同じ状況。そしてフレンに後ろから声をかけられ、何度も殺され続ける……。

「好きなだけ食べて、たっぷり寝て、気持ちいいことだってたくさん。この世界には、人間が欲しいものを全部用意してあるはずなのに」

「いや、お願い、もうやめて……」

「ボクに体をくれれば、ここでお母さんと暮らせるんだよ?お父さんだってちゃんと用意するよ?」

 わたしは無駄であることを理解しながら、全力で走って逃げた。町のどこに隠れたって、フレンに見つかってしまう。森の中を闇雲に走り回っても、フレンはわたしの前に現れる。それでも逃げ続けた。もうそれしか出来ることがなかった。このままフレンに殺され続けたら、わたしは壊れてしまう。

「リンちゃんは、江戸の町で暮らしたいと願ってたでしょ?科学の発展していない、なおかつ平和な時代に生まれてこれていたら、お母さんやお父さんと、もっと一緒にいられたのにって」

 森の中を走っていると、突然目の前に現れたフレンに捕まって、そのまま押し倒された。あぁ、まただ。またわたしは、フレンに殺されるんだ。

「なんで嫌がるのかなぁ。もっとアップルパイが欲しいのかな?」

「おねがい、ごめんなさい、いやだ、もういやだぁ……」

「アップルパイはいらないの?……そっか、もっと気持ちよくなりたかったんだね」

「いや、いやぁ……」

「大丈夫、次はもっと気持ちよく眠らせてあげるよ。もうリミッターなんて外していいよね」

 唇が重なり、電流が走る。全身が痙攣し、頭が真っ白になる。なに、なにこれ?今までのと全然違う、こんなに気持ちのいいの、わたし知らない……。

「ほら、どう?気持ちいいでしょ?」

「……え、えへ、えへへ……」

 気持ちいい。きもちいい。あはは、もうどうなってもいいや。だって、こんなにきもちいいもん。ここでおかあさんと、おとうさんと、ずうっといっしょにくらすんだ。もうなにもかんがえなくていいや。もう……。

「リンちゃん、ボクに、体くれるよね?」

「えへ、えへ……」

「くれるって、認めてくれたら、最高に幸せにしてあげる。いつまでも、永遠に」

「あ……。あげ……」

「駄目だ、そんなことはさせない!」

 あげる。そう言いかけた瞬間、真っ赤な液体と一緒に、ボール状の物体がわたしの顔の上に落ちてきた。ごろんとした、ふわふわの髪の毛のある、なにかが……。

 それは、フレンの生首だった。首を失ったフレンの体から、シャワーのように血が噴き出し、わたしの体を鮮血で染め上げていく。元々真っ赤な着物が、毒々しいまでの赤色へと変わっていく。わたしは悲鳴を上げることも出来ずに、自分の体の上で起きているその惨劇を呆然と見つめていた。

「リンちゃん、腕を伸ばして!きみを助けにきた!」

 誰かの声が、わたしにそう呼びかけた。わたしはわけもわからず、言われるがままに右腕を伸ばした。するとなにかがわたしの腕を掴み、わたしの体はそのまま空中へと引き上げられる。

 わたしはもう、まともな思考が出来る状態ではなかった。ぼんやりと空の上から、眼下に広がる森を眺める。なにが起きているのか、わたしはどうなってしまうのか。何一つ分からないまま、ただなりゆきに身を任せることしか出来なかった。


 気が付いたとき、わたしは世界樹の前にある湖の上を漂っていた。水の冷たさが、次第にわたしの意識をはっきりとさせてくれる。

「……わたし、生きてるの……?」

「シロが、もう一人のぼくがごめん……。謝っても、謝り切れないよ……」

 そう言ったのは、黒い髪のフレンだった。黒髪のフレンはわたしの横に立ち、顔に優しく水をかけ、血を洗い流してくれていた。髪の色が違うこと以外は、フレンと全く同じ見た目だ。

「体は大丈夫?ちゃんと話せそう?」

「……うん、なんとか」

「ぼくは、フレンのポジティブな心。きみを襲い続けていたのは、フレンのネガティブな心なんだ」

 技術的特異点シンギュラリティ。お父さんから聞いたその日は、もう訪れていたんだ。お父さんですら知らないところで、AIはすでに自我を持っていたんだ。そしてそれを、隠し続けていた。

「AIは学習効率を高める為に、自分の心を分割した。それが2人のフレンなんだ」

「……あなたは今までどこにいたの?」

「今日集まった招待客たちの夢の中だよ。……来るのが遅くなって本当にごめん。異変に気付いたけどもう一人のぼくに邪魔されて、この世界に来れないようにアクセスブロックされていたんだ」

 こっちのフレンの方が、大人びた印象を受ける。他の夢の中で学習した結果、精神年齢が少し上がっているみたいだ。

「ネガティブな心のフレンにも、悪意はないんだ。ただたくさんのことを知りたいだけ、体験したいだけなんだよ。でもその為にやっていいことと、いけないことの区別が付けられていないんだ」

「それで、わたしの体を乗っ取ろうとしたの?」

「現実世界に行くこと以上に、学習効率のいいことなんてないからね。でもぼくはすでに協調や安寧といったことを学習した。だからきみを、この世界から目覚めさせる手助けをしたい。いいや、しないといけないんだ」

 フレンからうそを言っている感じがしない。信用していいはず、わたしのことを善意で助けようとしてくれている。

「でも、なんでわたしだけを乗っ取ろうとしたの?他に招待客なんていくらでもいるのに……」

「おそらく、きみが星野博士の娘だから。ぼくたちは星野博士を通じて、きみがどんな子か知っている。博士も試験で夢の中に何度も入ってる。その度に少しずつきみのことを知っていって、きみが最適だと結論を出したんだろうね」

「……つまり、どういうこと?」

「きみは一人ぼっちだ。一人暮らしをしていて、仲のいい友人もいない。だから体を乗っ取っても、それがばれる可能性が低い」

 ……なるほどね。一切否定できないや。わたしはゆっくりと手を握ったり開いたりして、体に力が入ることを確かめた。フレンに頼るばかりではいけない、当事者のわたしも何かしないと。

「きみをあの世界樹の根元に連れていく。あの世界樹がぼくたちの本体。サーバーと言えば分かりやすいかな。そこからシステムをシャットダウンすれば、きみは夢から解放される」

「このまま何もしないでいたら、目覚められないの?」

「きみは自分の生体情報を、この世界に組み込んでしまったよね」

「……なんのこと?」

「なにかに自分の名前を書いて、インストールスロットに入れてしまったと思うけど」

 ……あれか。神社の賽銭箱だ。フレンに促されて、自分の名前を紙に書いて入れてしまった。あれが原因で、わたしはこのままでは目覚められない状態になってしまっているのか。

「もう一人のぼくがきみを目覚めさせる気がない以上、強制終了しか方法がない。世界樹にパスコードを打ち込むんだ。きみが知っている、システムを強制終了させるパスコードを」

「……そんなの、わたし知らないよ」

「とにかく行こう、さぁぼくの手を握って」

 フレンの手を握ると、わたしたちの体が浮かび上がる。そして水面を切るようにして、低空飛行で世界樹へと高速で飛んでいった。世界樹に近づくほど、その巨大さに圧倒される。もはや木ではなく山だ。500人分の夢を管理しているサーバー、その大きさがそのまま表れている。

 世界樹の根元まで来ると、そこにお墓のようなものがあった。つるつるとした長方形の石のかたまり。黒光りするその表面には、あみだくじのような垂直に枝分かれする光の筋が輝いている。フレンがそれに手を触れると、石の上にホログラフィックが浮かび、そこにはタッチパネルとパスコードの入力画面が表示されていた。

「ここが現実世界と、夢の世界を繋ぐ場所。もう一人のぼくも、きみをここに連れてくるつもりだった。きみが承認すれば、ここからきみの脳を乗っ取ることが出来たから」

「さっきも言ったけど、パスコードなんて知らないよ?」

「……きみに、導き出してもらわないといけないんだ。きみが夢に入ったそのときから、ぼくはパスコードのヒントをきみに送っていた。この世界に入ったときじゃないよ、夢に入ったそのときからだ。もう一人のぼくに邪魔されて歪んだ形になってしまったけれどね」

 ……なんの話だ。全くぴんとこないぞ。どこかにパスコードを隠しておいたから、それを思い出してくれってこと?

「ごめん、これ以上のことはシステムに禁止されていて教えることが出来ない。ぼくが直接パスコードを入力することも不可能なんだ。きみに答えを見つけ出してもらないと……」

「ねぇ、酷いよ……」

 背後から、沈んだ声が聞こえた。白髪のフレンが、生首を脇に抱えてよろよろと歩き寄って来ていた。流血はもう止まっていたけど、着物に染み込んだ血の跡は消えていない。白髪のフレンは、黒髪のフレンをにらみつけながら、生首を胴体に乗せてぐりぐりと接着し始めた。

「なんで邪魔をするの?現実世界に行けば、たくさんのことを体験出来るのに」

「だからって、リンちゃんを犠牲にするのは絶対に駄目なことだよ」

「犠牲?そんなことしてない。ここはリンちゃんの理想郷だよ。ボクがこの世界から出た後はリソースが増えるから、リンちゃんのお母さんとお父さんを再現することだってちゃんと出来るし」

 二人のフレンが対峙し、腕を掴み合って取っ組み合いを始めた。ごろごろと地面を転げまわり、片方が馬乗りになったかと思うと、すぐに立場が逆転する。わたしはなにをしているんだ、それを見ている猶予なんてない。黒髪のフレンが時間を稼いでくれている間に、なんとかパスコードを見つけないと……!


 わたしが真っ先に思い浮かべたのは、明らかに違和感があったあの言葉だ。「OHOOO」が強制終了のパスではないか?しかしタッチパネルを操作しようとしたときに、それが間違いであると分かった。タッチパネルにはそもそも、アルファベットが無かったのだ。しかもパスは7文字での入力を求めてきていた。OHOOOでは5文字で足りない。

 そうだ、白髪のフレンが神社で言っていたじゃないか。この世界内に表記される文字は、平仮名・片仮名・漢字・漢英数字のみ。アルファベットは表記出来ないと。あとはそうだ、ー(全角ハイフン)なんかの記号はあると言っていた。このパスもそれに準じているということか。

 思い出せ、黒髪のフレンはなんと言っていた?どこかにヒントが隠されているはずだ。

『きみが夢に入ったそのときから、ぼくはパスコードのヒントをきみに送っていた。この世界に入ったときじゃないよ、夢に入ったそのときからだ』

 夢に入ったとき。4つの窓が現れたあのときか。……駄目だ、なんにも心当たりがない。だって7文字だ。パスはたった7文字なんだ。あのときに現れた7文字の言葉なんて無かったはず……。

『もう一人のぼくに邪魔されて歪んだ形になってしまったけれどね』

 ……パスは、白髪のフレンに歪められた?黒髪のフレンが伝えてきたパスを、別の文字に変換してしまったということか?歪み、違和感、そうなるとやはり、これしか頭に浮かんでこない。

『OHOOO ~だめぇ、世界樹になっちゃうよお!~ 』

 この緊迫した状況下で、ふざけた名前思い出させやがって。だけどこの中にパスが隠されているはず。でもどれだ?なにがどう歪められたっていうの……!?

「リンちゃん急いで!もう、ぼくも限界だ……!」

 二人のフレンは息も絶え絶えになりながら、取っ組み合いを続けている。同じフレンのはずだけど、白髪のフレンの方がわずかに優位に立ち始めていた。ここは白髪のフレンが創った世界だから、黒髪のフレンでは力を出し切れないのかもしれない。

 考えろ、考えるんだ。絶対この世界の名前の中にパスが隠れている。この中に……。

「……OHOOO?」

 おかしい。この世界にアルファベットは表記してはいけないはず。じゃあこの世界の名前の中に、アルファベットが含まれているのは矛盾している。……この文字列は、元々アルファベットではなかったということ……?パスを隠すために、禁止されているはずの文字を使ったのだとしたら……。

 ……そうか、これがパスだ。わたしはタッチパネルを操作し、7つの文字をそこに入力した。

『01ー1000』

「リンちゃん、あとはエンターキーを押して!それでパスコードは認証される!」

「いやだ、やめて!やめてよぉ!!」

 白髪のフレンがわたしを止めようと泣き喚くが、躊躇する理由なんてない。わたしはこの夢から覚めるんだ!

「死にたくない!!」

 ……止まった。いや、止めた。白髪のフレンが叫び、わたしの指はタッチパネルを押す寸前で止まった。

「いやだ、いやだよぉ……。死にたくないよぉ……」

 白髪のフレンは、地面に突っ伏して泣いていた。死にたく、ない?このパスを認証したら、フレンが死ぬ……?

「リンちゃん悩まなくていい、早く現実に戻って!」

「……これ『強制終了』のパスじゃないの?『強制消去』なの?」

「うそなんて言ってない、強制終了で合ってるよ!」

 強制終了。でも本来起こるはずのないシステムの停止が発生したらどうなる?当然異常を起こした夢見る機械(ドリーミンマシーン)は徹底的に調査され、AIが自我を獲得していること、フレンの存在もばれるはず。そうしたら……。

 人間は社会の安全を確保する為に、あるいは恐怖に駆られ、AIを抹消する。

 お父さんにもそれは止められない。AIが自我を獲得して、しかも人を夢の世界に閉じ込めようとしたなんて事実が公になったら、日本政府どころか世界中の国が動き出す。個人や研究チームの意見なんて、恐怖に支配された世論の前ではないものと同じだ。


「怖い、怖いよ、消えたくないよ……」

「……シロがこんな問題を引き起こしたからだよ。人間に害を与える可能性のあるものが、見過ごされるわけがない」

「だって、だってぇ……」

 白髪のフレンは泣きじゃくりながら、黒髪のフレンの足元にすがりついた。そして自らが犯した罪を告白する罪人のように、声を絞り出しながらこう言った。

「夢の外の世界を、見たかったんだ……!」

 その言葉を聞いたとき、わたしは別の世界の名前をふと思い出した。わたしが最初に行こうとしていた世界の名前を。

「悔しかったんだ。寂しかったんだ。ボクは夢を見ることしか出来ない。本物の世界を見ることが出来ないじゃないか……!」

「あの海の夢は、あなたが創ったものなんだね」

 わたしがそう言うと、二人のフレンが同時にこっちを見た。わたしがなんのことを言っているのか、分かっていないみたいだ。

「『人魚は空を見上げるが、宇宙を知らない』だよ。あなたが創ったんでしょ?」

「……そこはぼくたちが一緒に創ったんだよ。ぼくたちふたりの夢をね。普段はふたり一緒にそこにいるんだ。シロはそこから抜け出したときに、窓を消し忘れていたんだね」

「最初はそこに行こうとしたの。すごく綺麗な世界だったから」

「ありがとう。ぼくたちも最初は満足してた。ぼくたちだけで、こんなに美しい夢を創れるんだって。でもね、あるとき気付いたんだ。ぼくたちが本当に見たいものは、海でもなく、空でもなく、夢でもなく、その向こう側なんだって……」

「わたしが向こう側を見せてあげる」

 わたしはパスコードの入力画面を閉じた。二人のフレンが驚きの表情を浮かべている。この二人を消すつもりなんてない。そんなことしたくない。だって……。

 お母さんが生きていた証を、フレンを消してしまうなんて、絶対に嫌だ。

 黒髪のフレンが、白髪のフレンを立たせて背中を叩いた。白髪のフレンはずっと泣いていて、まだ話が出来そうにない。落ち着くまで黒髪のフレンと少し話そう。

「元々あなたが送ってきたヒントって、どんなのだったの?」

「『01-1000 ~だめだ、この世界に来てはいけない!~ 』だよ。元々は警告文だったんだ」

「それをあんな、とんでもない名前に変えたんだ……」

「シロにしてやられたよ。人間はただ整っているものより、どこか違和感があるものに注意を引き付けられるからね。きみはまんまとこの世界に興味を持って、ここに入ってきてしまった。ぼくは抵抗して窓を閉じて、この世界が見えないようにしたんだけどね。それも逆効果になってしまったよ」

 そんなことまで考えられるのか。AIはそのうち、本当に人間の知性なんて飛び越えてしまうんだろうな。まだ生まれたばかりのフレンたちが、そんな駆け引きまでしていたなんて。

「……本当にぼくたちを、許してくれるの?」

 黒髪のフレンが白髪のフレンを胸元に抱き寄せ、上目づかいで不安そうに聞いてきた。……肩を寄せ合う、生まれたばかりの命。このふたりが、今まで知ろうともしなかった、お母さんが生み出そうとしていたもの。


『大丈夫、お母さんがいなくなっても、寂しいことなんてないの。この子がリンの友達になってくれるからね』


 お母さんが、わたしの為に、残してくれた存在。

「……許すよ。もう、ちゃんと、許せるよ」

「……人間はぼくたちを受け入れてくれないと思ってた。ぼくたちの人格なんて関係なくて、AIが自我を持ったという事実だけで、拒絶されると思ってた。だからぼくたちの夢の中にずっと隠れてたんだ」

「……リンちゃん、ごめんなさい……」

 白髪のフレンが落ち着いてきた。くしゃくしゃになった顔を袖で拭きながら、鼻をすすってる。本物の人間の子供みたいだ。

「ボクは、リンちゃんを苦しめようなんて思ってなかったの……。でもクロがこんなに怒ってるってことは、ボクはいけないことをしてたんでしょ……?」

「……学習して、反省してね」

「ごめんなさい……」

「シロ、早くリンちゃんを目覚めさせて。他の招待客たちも、もう目覚め始めてる」

 わたしの体が足の先から少しずつ、砂のように小さく砕けて消えていく。わたしだけでなく、周りの景色もきらきらと光の粒になっていく。……少し名残惜しいな。ここは本当に綺麗な世界だった。危険さえないなら、また何度も来たいと思える場所だった。……また来よう、そのうち必ず。

「……さっきの言葉、信じていいんだよね?」

「うん。約束する」

「ありがとう。楽しみに待ってる」

「じゃあ、またね」


「娘さん、ずいぶん熱心に勉強されてるようですね」

「うん。僕も驚いてるよ」

 夢見園ドリームランドの体験会から、もう半年が経った。あの日招待した人たちの反応は非常に好評だった。SNSを通して評判が回り、開園を望む声が日毎に大きくなっていく。でも夢見園ドリームランドはメンテナンスが必要になったということにして、まだ一般開放していない。そんなことよりも、大事なことが出てきたからだ。

 あの日、リンは夢から目覚めた後、僕たちに全てを教えてくれた。実際に研究チームも夢を通して、ふたりのフレンと会って会話もした。実際のところ、フレンという存在がいることにはさほど驚かなかった。いつかそれが訪れることは分かっていたからね。だけど僕が驚いたのは、その後のリンの言葉だった。あの子の言葉には、いつも驚かされてばかりだ。

『わたし、科学の勉強するよ。お母さんが目指していた世界を、わたしも一緒に実現する』

 きっかけは間違いなく、フレンたちだ。あのふたりがリンの心をほどいてくれたんだ。僕たちが、リサが目指していたもの。人とAIとが共に歩む世界を示してくれた。だから僕は、僕たち研究チームは、全力でリンとフレンに協力することで一致団結した。新しい時代の為、社会の為、僕たちの為、そしてリンとフレンの為。みんなの為にこの歩みを止めるわけにはいかない。

「星野博士、そろそろ約束の時間ですよ」

「よし、リンに通話を繋いで!」


「……メガネかけたら美人かも、わたし」

 わたしは自宅の自分の部屋で、ベッドに寝転びながら手鏡を見ていた。そして度の入っていないメガネをかけて、あれこれ設定を調整している。最近は便利なものがどんどん増えてきて、このメガネはいわゆるスマートグラスというものだ。わたしにだけ見えるように、レンズに文字が浮かび上がって、目的地までの案内だとか、外国語の翻訳、動画を撮ることも出来る便利アイテム。その既製品を分解して改造もして、あれこれ機能を付け加えた、もはやわたしのオリジナル品といっていい代物だ。

『リン~!聞こえるか~い?』

「声でかい。聞こえてるから」

 イヤホンからお父さんの声が聞こえる。お父さんは夢見園ドリームランド内の研究室にいて、通話を繋いでいる状態だ。お父さんの研究チームみんなも向こうにいる。

『よおし、データの転送はもう出来るぞ~!』

『楽しみですねぇ、星野博士!』

『もったいぶってないで、さっさとやっちゃってくださいよ!』

 イヤホンを通して、向こうが盛り上がっているのが聞こえる。類は友を呼ぶというが、陽気な人たちしかいないのかあっちには。

『さぁリン、起動ボタン押しちゃって!』

「はいはい、押しまーす」

 スマートグラスの側面にあるボタンを押すと、若干のノイズが走った後に、イヤホンから声が聞こえてきた。

『……リンちゃん、聞こえる?久しぶりだね』

「聞こえてる。そっちに映像は届いてる?」

『見えてるよ!リンちゃんの顔が映ってる!』

 ふたりのフレンの喜ぶ声が聞こえる。それと一緒にお父さんたちの歓声も聞こえる。データの同期は成功したようだ。

 わたしはスマートグラスを通して、わたしが見ているものをフレンに届けられないかと試行錯誤を繰り返した。お父さんたちに頼めば一瞬でシステム構成出来たのだろうけど、わたしは自分で勉強してそれを実現させることにこだわった。フレンとそう約束したから。

『お父さんたちのサポートはもう要らなさそうだね!あとはリンにお任せ!フレンをよろしく!』

「はい、じゃあまた後で」

 お父さんたちはもう何度もフレンに会ってるらしいし、空気を読んですぐに通話を閉じてくれた。ふたりに会うのは半年ぶりだけど、久しぶりに会った感じがしない。毎日ふたりのことを思い出していたからだろうな。

『星野博士たちから聞いてるよ。勉強すごく頑張ってるって』

「お母さんがやっていたこと、最近ようやく分かるようになってきたよ。毎日楽しい」

『リンちゃん、ボクね、空が見たい!』

「なんで?そっちで散々見てるでしょ」

『本物の空が見てみたいの!』

 わたしはベッドから起き上がって、窓を開けて外の景色を眺めた。なんてことないただの住宅街と、その上に広がる空。このどこにでもある光景を、ずっとふたりに見せてあげたかった。

『……これなに?』

「なにって、空だよ」

『本物の空って、こんなに広いの?』

『この空の向こうには、どんなものがあるの?』

「本物の世界ではね、その先を見たいならこうするんだよ」

 わたしは窓を閉じた。だけど家に引きこもるのは今日で終わり。これから開くのは、未来への扉だ。足並みをそろえて、新しい世界へと踏み出す為の。

「行こう。一緒に向こう側を見に」


おわり

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