1-3 『スライムゼリー』
朝の街は、また違う匂いがした。
パン屋が窯に火を入れる匂い。荷馬車がゆっくりと石畳を行く音。物売りの声がどこかから聞こえてくる。
探索者ギルドの建物は、街の中心部にある。朝早いが、もう何人かが出入りしていた。扉を開けると、革と土の匂いが混じった空気が出迎えた。
受付に並び、自分の番を待つ。すぐに僕の番まで回ってきた。
「すみません。探索者の登録をしたいんですが。」
受付の女性が顔を上げた。僕の顔を見て、少し目を丸くした。僕のような歳の人が探索者になりたいというのは、珍しいのだろうか。
「初めての登録ね。お名前は?」
「ルメです。」
登録料を払い、簡単な説明を受け、ギルドカードを受け取る。薄い金属の板に、名前と登録番号が刻まれている。
ルメ。探索者登録番号、四七二一八九一。
「初潜りはどこに行くの?」
「星屑の洞穴に。」
「スライムだけだけど、気をつけてね。粘液が目に入ると厄介だから。」
「はい。ありがとうございます。」
ギルドを出て、街の外れへ向かう。
冬の朝の空気が頬を刺す。吐く息が白い。
しばらく歩くと、街道から少し外れた丘の斜面に、岩場が見えてきた。その中心に、ぽっかりと口を開けた暗い穴がある。穴の周囲には杭が打たれ、古びた看板が立っていた。
『星屑の洞穴』
「……行くか。」
麻袋を握り直して、洞穴の入口に踏み込んだ。ひんやりとした空気が、全身を包んだ。
入口から差し込む朝の光が、五歩も進めば届かなくなる。代わりに、洞穴の壁がうっすらと光っていた。岩肌に張り付いた結晶が、青白く発光している。星屑の洞穴、という名前の由来は、たぶんこれだ。
幻想的だな、と思う間もなく。
『ハッハー!ようやくオレサマの出番か!空気を読んで黙ってたんだぜ?気も使える魔道具だからよォ!』
「……そう。ずいぶんと行儀がいいんだね。」
『当たり前だろ?オレサマをなんだと思ってんだ!』
「魔道具。小うるさい、ね。」
『失礼なやつだなオマエ!ギャハハハ!』
笑い声が頭の中に響く。ブラクベンの機嫌は良いようだった。洞穴の静けさの中で、やけに陽気に聞こえた。
小刀を左手に持ち直して、奥へ進む。足元は砂地と岩が混じっていて、歩くたびに小石が転がる音がした。
最初のスライムに出会ったのは、入口から二十歩ほど進んだところだった。
岩の陰から、ぷるりと姿を現す。水色の半透明な塊。大きさは頭ほど。ゆっくりとこちらに向かって滑ってくる。
思ったより、可愛らしい見た目だった。
「……これを倒せばいいのか。」
『スライムなんざ、一捻りだ!オレサマにやらせろ!』
ブラクベンの言葉を無視して、気合を入れる。小刀を構えて、踏み込んだ。
スライムめがけて横一文字に振るう。刃がぶつかった瞬間、ぐにゃりとした感触が返ってきた。切れていない。刃が沈み込んで、そのまま弾き返されるような感じだ。
「……硬い?」
『硬くはない。でろでろしてるから刃が通りにくいんだろ。あと、オマエが非力すぎるのもあるな!ほら、さっさとオレサマに交代だ!』
ブラクベンの言う通り、今度は小刀の切っ先をスライムの中心に向けて真っすぐ突き込んだ。ぷしゅ、と小さな音がして、刃が沈む。スライムがぶるぶると震えた。
引き抜いて、もう一度。
三突き目で、スライムはぷしゅんと音を立てて弾けた。スライムは魔力の粒子となり、砂のようにさらさらと空気に溶けていく。残ったのは、薄く広がった半透明のゼリー状の塊と、その中心にあった小さな粒だった。
魔核だ。
「倒した……。」
『ギャハハハ!かっこわりぃ戦い方だったがな!』
「うるさい。」
魔核を麻袋に収める。それからゼリー状の残骸を見た。これも素材になるはずだ。スライムゼリー、だったか。錬金術の材料や、革の柔軟剤として使われることがおおい。
手を伸ばして、すくい上げようとした瞬間。
右腕が熱を帯びた。
「っ、またか。」
『オレサマが貰うぞ!』
宣言と同時に、ゼリーがブラクベンに吸い込まれていく。魔核のときのような激しさはなかった。するりと、自然に。
どくん、と鼓動する。
今度は全身を灼熱が走ることもなかった。代わりに、右手の指先がじんわりと温かくなる感覚があった。
『ギャハハハ!悪くない!魔核の方が美味かったがな!』
「味がわかるんだね。」
『オレサマはグルメなんだ!好き嫌いはしないがな。ああ、力が溢れるぜぇ!』
何かが、右手に満ちてくる。スライムだ。
こいつ、また勝手に動き出した!
ブラクベンが膨張する。右腕を包むように巨大化したブラクベンは、元の二倍ほどの大きさとなると、僕を引っ張るようにして動き始めた。
「お、おい!」
『ヒャッハー!』
スライムのような質感のブラクベンは、ビュンと伸びると、壁にくっついて僕を宙吊りの恰好にした。
『これがオレサマの能力!捕食さァ!』
ブラクベンが、手を放すようにぱっと壁から離れた。慌てて着地する。
『うまく使えよォ?』
「いてて……。」
魔核から得た、スライムのように自在に形状を変化させる能力。そして、スライムゼリーから得た、粘着力のあるスライムを生み出す能力。
ブラクベンは、捕食した素材から新たな力を得る能力を持っていた。
奥を見る。青白い光の中に、いくつもの水色の塊がゆらゆらと動いている。
数えると、七体。
『ギャハハハ! オレサマに任せろ!』
「ちょっ。」
再び、右腕が、勝手に動いた。
壁に向かって右手が伸びる。ゼリーが勝手に展開して、壁面に吸い付いた。気づいたときには、体が天井近くまで引き上げられていた。
「高い!」
『オレサマ達は一心同体!落ちるこたねぇよ!ギャハハハ!』
天井に張り付いたまま、ブラクベンは器用に体を移動させる。スライムたちは地面しか見ていない。天井の僕に、まるで気づいていない。
『どこ見てんだオラァ!』
右腕が離れた。
着地と同時に、その巨大化した腕を叩きつける。スライムが弾けた。魔力の粒子が霧散し、魔核とゼリーが残る。
『ギャハハハ!一体!』
「一体……。」
呆然と呟く間もなく、右腕がまた壁へ伸びた。
二体目は岩の裂け目に向かって逃げようとしていた。右腕が引っ張る方向に従って走る。裂け目の手前で追いついた。また潰す。
ぷちゅん。
『二体!』
三体目と四体目は固まって移動していた。右腕がぐいと引っ張り、二体の間に割り込む位置へ誘導した。そのまま回転するように腕は勢いつけ、スライムたちを吹き飛ばす。壁に叩きつけられたスライム達は、そのまま魔力の粒子となった。
『三体、四体!ギャハハハ!爽快だなァ!』
「ちょっと、落ち着け……!」
『文句言うな!』
右腕に引っ張られながらも、足だけは自分で必死に動かしている。急な運動に息が上がってきた。
五体目は洞穴の一番奥の岩陰に隠れていた。右腕がずいと前に突き出される。スライム状に変質した指先が、中でぷるぷると震えているスライムをつまみ出して床に引きずり出した。
「こういう使い方もできるのか。」
『五体!ギャハハハ!』
六体目は天井際まで逃げていた。右腕が壁を掴んで体を引き上げ、天井を這って追いかける。距離を詰めて、右手で直接押さえ込んだ。ぺちゃり、と潰れる。
『六体!』
七体目は入口の方へ逃げようとしていた。右腕が引っ張る。走る。追いつく。背後から一撃。
ぷちゅん。
静かになった。
『七体!ギャハハハ!合計八体だ!上出来!』
青白い光だけが、変わらず洞穴を照らしている。床のあちこちにスライムの落とした戦利品が転がっていた。僕はそれを一つずつ拾い集めながら、息を整えた。
「……お前、楽しんでたな。」
『当たり前だ。これがオレサマの本分だろォ。ギャハハハ!』
「素材を喰うのが本分じゃないのか。」
『どっちもだ。文句あんのか。』
「ない。」
麻袋の口を縛って、立ち上がる。
『お!新しいのもあるじゃねぇか!早く喰わせろ!』
「わかった、わかった。」
スライムの魔核二個。スライムゼリーが五個。粘液嚢が五個に、スライム液が四個。確かに、成果としては上々なのかもしれない。
そのうち、粘液嚢とスライム液を一つずつ、ブラクベンに食べさせる。
『漲るぜぇ!』
洞穴の入口へ向かって歩き出す。外から差し込む光が、少しずつ明るくなっていく。
出口に立つと、冬の日差しが目を刺した。まだ昼前だ。思ったより早く終わった。ブラクベンのおかげであることは、事実だった。
麻袋を肩にかけて、街へ向かって歩き出す。吐く息が白い。
『次はもっと旨いやつを喰わせろよ。ドラゴンとかな!』
「倒せるわけないでしょ!」
『ギャハハハ!』
素材屋としての、初日の仕入れだった。
【Tips】
『素材喰らいのブラクベン』捕食能力
スライムゼリー:粘着性のあるスライムを生成することができる。




