1-2 素材屋のきざし
シスターの部屋は、他の部屋とは違った匂いがした。基本的に、説教をされるときにしかこの部屋に呼び出されないため、僕にとっては嫌な匂いだった。
孤児院の奥、廊下の突き当たりにある小さな部屋。棚には古い本が並び、窓際には枯れかけた小さな鉢植えがある。シスターはそこに僕を座らせて、向かいの椅子に腰を下ろした。
白湯の入ったカップが二つ、テーブルに置かれた。
「さ。なにがあったの?話してちょうだい。」
シスターの声は静かだった。怒鳴らない。責めない。ただ、有無を言わさない重さがあった。
僕は湯気の立つカップを両手で包みながら、ゆっくりと話した。右腕のこと。ブラクベンのこと。魔核に反応して暴走したこと。それを抑え込んだこと。
シスターは一度も口を挟まなかった。
話し終えると、しばらく沈黙があった。シスターはお茶を一口飲んで、静かに言った。
「その腕は、前から知っていたわ。あなたが来たときから。」
「……知ってたんですか。」
「ええ。当たり前でしょう?でも、あなたが何も言わないから、私も何も言わなかった。」
シスターはカップを置いて、少しだけ笑った。目尻に皺が寄る、柔らかい笑い方だった。
「よく一人で解決したわね。」
「……なんとか。」
「怖かったでしょう。」
それは質問というより、確認だった。僕は素直にうなずいた。
「怖かったです。」
「そう。」
シスターはそれ以上何も言わなかった。でも、その一言だけで十分だった。僕は、この孤児院では年長に当たる。一人前に扱われていると実感した。
なぜか、涙が出そうになった。ぐっと堪え、声を揺らがせないよう、喉に力を入れて。
そして少し間を置いてから、言った。
「孤児院を出ます。」
シスターの目が、すっと細くなった。
「理由を聞かせて。」
「また暴走するかもしれない。次は今日みたいに済まないかもしれない。ヘレナが、みんなが、そばにいたら。」
「あなたが出ていけば解決するの?」
「少なくとも、ここでまた暴れるよりは。」
しばらく沈黙があった。シスターは窓の外に視線を移して、枯れかけた鉢植えをそっと指先で触った。それから、こちらに向き直った。
「ルメ。あなたはここで生まれたわけじゃない。でも、ここで育った。私にとって、あなたは実の子供となにも変わらない。そう思っているわ。」
「……シスター。」
「出ていくなとは言わない。いつかはそういう日が来るって、わかってるから。でも今日じゃない。何も持たない十五歳が一人で放り出されて、それであたしが喜ぶと思う?ヘレナが喜ぶと思う?」
ずるい言い方だった。でも、間違ってもいなかった。
「……どうすればいいですか。」
シスターはすっと立ち上がった。
「ついてきて。」
連れていかれたのは、孤児院の裏手だった。
建物の陰に、それはあった。
木製の屋台だった。かつては移動式の販売台として使っていたのだろう、車輪がついている。ただ、長いこと使われていないのは明らかだった。板は所々ひび割れ、車輪の一つは泥に半分埋まっている。幌の布は色が抜けて、端がほつれていた。
「昔はここの子たちが街に出て、野菜や焼き菓子を売り歩いていたの。でも今は孤児院で育てたものは全部ここで食べてしまうから、売るものがない。ずっとそのままにしてあったわ。」
僕は屋台を眺めた。
「……これを、使っていいんですか。」
「あなたに預けるわ。」
シスターは屋台の幌をそっと触って、懐かしむように目を細めた。
「昔の子たちも、これで頑張っていたんだから。あなたにできないはずがない。」
シスターの見た目はずっと若い。それなのに、その過去を見つめるような目は含蓄があった。
シスターはこちらを真っすぐに見た。
「自分の足で立てることを証明して見せなさい。それができたら、出ていく話はそのとき改めて聞いてあげる。約束よ。」
僕は屋台を見た。屋台は、みすぼらしく突っ立っていた。
「……はい。」
「返事は元気よく、ね?」
「はい!」
シスターは満足そうにうなずいて、踵を返した。三歩ほど歩いて、振り返らずに言う。
「肩の傷は後で手当てするから部屋に来なさい。それと、ヘレナが廊下で待ってるわ。泣き疲れて壁にもたれてるから、早く顔を見せてあげて。」
それだけ言って、行ってしまった。
僕はしばらく屋台の前に立っていた。
何を売ろう。孤児院にあるものは、全部ここの暮らしに使ってしまう。外から仕入れなければならない。
右腕が、かすかに脈打った。
素材を喰らい、力を得る魔道具。
素材を、喰らう。
「……素材屋、かな。」
自分で言って、じわりと腑に落ちた。これしかない、という感覚だった。
「ルメにいちゃん」
「ルメにいちゃん……。」
「ああ、ヘレナ。ごめんね。」
泣き腫らした目と顔を覗かせるヘレネに駆け寄る。まだ、孤児院を離れることはできないみたいだ。
翌朝から、僕は屋台の修繕を始めた。
ひび割れた板を替える。泥に埋まった車輪を掘り起こして、油を差す。幌の布は繕えるところを繕って、どうにもならないところはヘレナに頼んで端切れを縫い付けてもらった。
「ルメにいちゃん、これ何屋さんになるの?」
「素材屋だよ。」
「素材って、モンスターの?」
「そう。」
ヘレナは器用な手つきで布を縫いながら、少し考えてから言った。
「かっこいいね。」
素直な言葉だった。僕は少し笑った。
三日かけて、屋台はどうにか人に見せられる形になった。ぼろっちいことには変わりないが、少なくとも傾いてはいない。板の上に『素材屋』と書いた看板を打ち付けて、一歩下がって眺める。
特にこれといって目につく見た目ではなかった。
でも、始めなければ何も始まらない。
問題は、肝心の素材だった。
売る物がなければ、屋台はただの木の箱だ。仕入れに行かなければならない。素材を手に入れるには、迷宮に潜るしかない。
街の近くに、いくつかの迷宮がある。その中でも最も街に近く、最も浅いのが『星屑の洞穴』だ。スライム系のモンスターしか出ないと言われている、初心者向けの迷宮。冒険を始めたばかりの探索者が最初に潜る場所として知られている。
そこなら、僕でも何とかなるかもしれない。
ただ、迷宮に潜るには探索者ギルドへの登録が必要だ。
翌朝、早くに起きた。
持ち物は麻袋が二つ、小刀、それから水筒と乾パンを少し。シスターには昨晩のうちに話してある。シスターは少し眉をひそめたが、最後には僕の目をじっと見て、それから静かに言った。
「無理はしないこと。日が暮れる前に帰ってくること。守れるわよね?」
「守ります。」
「約束よ。」
許可を得た、ということにした。
【Tips】
『素材喰らいのブラクベン』捕食能力
スライムの魔核:スライムを生成し、形状を変化させることができる。




