1-11 スライム酒
職人通りを急ぎ足で歩いた。
もちろん、訪れたのは老人の工房だ。古びた扉をノックすると、すぐに返事があった。
「入りなさい。」
扉を開けると、老人は作業台で何かを調合しているところだった。こちらを見て、手を止める。
「おお、少年。もう来たか。どうしたのだ?」
老人は顔にほんの少しの笑みを浮かべると、作業台の端に置かれた小さな金属製の器具に手を伸ばした。丸みを帯びた胴体に、細い注ぎ口がついている。ぱちりと器具のスイッチを押すと、底面の紋章が淡く光った。
「少し待ちなさい。紅茶を淹れるからね。」
しばらくして、中の水がことことと音を立て始めた。湯を沸かす魔術機だった。湯が沸くのを待ちながら、老人は棚から茶葉の瓶を取り出した。
「さて、どうしたんだ?」
「実は……お酒を探しているのです。」
老人は少し目を細めた。
「酒?まさかおぬしが飲むわけではあるまいな?」
もちろん、そんなことは無い。ぶんぶんと首を振って否定する。
「大工のガルルドさんをご存知ですか。」
老人の表情が、少し動いた。
「ガルルドを知っているのか。」
「今日、偶然知り合って。腰を痛めていたので、頂いた治癒のポーションを渡したら、お礼に小屋を建ててくれると言ってもらって。その代わりに、酒を一本用意することになったのです。」
老人はしばらく黙っていた。それから、かすかに笑った。
「あの頑固者が……。ポーションをもらったくらいで、小屋を建てると言ったのか。」
「はい。」
「よほど腰が辛かったんだろうな。ははは。わしらも、老いたものじゃ……。」
甲高い音を立てながら湯が沸いたことを知らせる魔術機に、老人が歩み寄った。こぽこぽという音が工房内に響く。湯気を立てるティーカップは、柑橘類の爽やかな匂いを辺りに漂わせた。
「ありがとうございます。」
「うむ。」
カップに口を付ける。熱い。美味しい。紅茶を飲んだのは、いつ以来だろうか。思い出せないほど昔か。経営難でいつも水を飲んでいるシスターを思い浮かべる。素材屋が儲かれば、孤児院でも紅茶が飲めるようになるかな。
老人はちびちびと紅茶を飲む僕を見守ってから、いたずらっぽく目を細めた。
「酒か。奴は、酒に目が無いからな。しかし、どうせなら、奴も飲んだことのないような珍しい酒を用意してやりたいな。驚く顔を久しぶりに拝みたいものだ。どれ、わしが酒を造ってやろう。」
「造れるんですか?」
「うむ。酒の製造免許を持っているのでな。自分だけで楽しむために取ったものだが、たまには使い道があるものだ。」
老人は棚の奥から分厚い本を引っ張り出して、作業台に広げた。ページをめくりながら、一か所で止める。口の端が、まだ少し上がっていた。
「スライム酒というものがある。」
「スライムで、酒が造れるんですか。」
「造れる。ただし、通常のスライムではつまらん。」
スライムの酒。いったいどのようなものなのか。少し興味が湧いた。僕が酒類を飲むことができるようになるのは三年後だが、ちょっと飲んでみたいと思った。老人は、にやりと笑みを浮かべた。
「『星屑の洞穴』の最奥に棲む、ボスモンスターの酒を造ろうじゃないか。」
「ボス……ですか。」
「うむ。『星屑の洞穴』のボスモンスターは、星スライムという。黒いスライムの体に、取り込んだ結晶が星のように煌いている、特別なスライムだ。その体内に星屑の酵母が宿っている。それを使って、スライム酒を造る。」
老人は本のページを指した。挿絵がある。黒い丸い体の中で、無数の結晶が星空のように瞬いている絵だった。
「星スライムは強いですか?」
「もちろん、強い。いくら初心者向け迷宮といえども、な。そも、ボスモンスターには、探索者何人かで組んで挑むものだ。一人で行く相手ではない。」
だが、と老人は僕の顔を見た。
「おぬしには、相手にならぬかもしれぬな。あれほどの素材を一晩で集めるような探索者は、初心者とは言わぬ。」
「……そうですか。」
「素材が手に入ったら、すぐに持ってきなさい。醸造はわしがやろう。少し酒を分けてくれれば、それでよい。」
もちろん、と頷く。老人はまた、いたずらっぽく笑った。
「ガルルドの顔が楽しみだ。」
孤児院に戻った夜、自室の灯りを落とそうとしたとき。
『なあ。』
「ん、また迷宮へ行くのかい。」
『行くが、それよりも、だ。はやく喰わせろ。』
「……あ。」
そういえば、イレイヤに貰った素材があった。火炎スライムと土スライムの素材だ。それに、よく考えれば、水スライムの素材もまだ食べさせていないものがあった。いつになく不機嫌なブラクベンに、心の中で冷や汗をかく。
右腕がじわりと熱を持つ。
急いで袋から素材を取り出した。火炎スライムゼリー、火炎スライムの魔核、硬質粘液嚢、土スライムの魔核。そして水スライム液。
「……暴走しないよな?」
『しねぇよ。あと十種類は喰わないと、そんな気にもならん。』
「本当に?」
『黙れ。早く喰わせろ。』
かなり苛ついている様子だった。
ブラクベンの言葉は本当かわからないが、しかし星スライムを倒すためには、そして素材屋のためには、ブラクベンの力は必要不可欠だ。少し警戒しながらも、最初の素材を差し出した。
まず水スライム液。するりと吸い込まれる。どくん、と右腕が鼓動した。様子を見る。特に変わりない。
次に火炎スライムゼリー。右腕が少し熱くなった。紋章の赤がいくつか明滅する。問題ない。
火炎スライムの魔核。熱が増す。ブラクベンの鼓動が少し速くなった気がして、手を止めた。
「……大丈夫か。」
『大丈夫だっつってんだろ。次、寄越せ。ギャハハハ。』
土スライムの魔核。右腕が重くなる感覚があった。
最後に硬質粘液嚢。熱は冷めない。
『……漲る。ギャハハハ。』
「満足した?」
『ああ。』
珍しく短い返事だった。右腕の紋章がゆっくりと瞬いている。新しい力を確かめているようだった。
「『星屑の洞穴』に行くのかい。」
『もちろんだ。ギャハハハ。今夜は腕が鳴るぞ。』
背嚢を差し出した。ブラクベンがそれを受け取る。右腕から影法師のような姿が滲み出て、形を成す。黒いスライムで形成された、背格好が僕と同じ人影。紋章の赤が、あちこちに灯っている。
窓を開けると、冬の夜気が流れ込んできた。
「頼んだよ。」
『ギャハハハ。』
飛び出した影法師は、星明りの中に消えていった。
夜明け前に目が覚めた。
窓の外はまだ暗い。叩かれている窓を開けると、ブラクベンが滑り込んできた。今日も背嚢がずっしりと重そうだ。
『ギャハハハ!少し暴れすぎたぜ!』
「声が大きいよ。」
『……ギャハハハ。』
背嚢を受け取って、素材を広げた。ブラクベンは右腕に戻った。
スライムの魔核が四十個、スライムゼリーが五十ニ個、粘液嚢が四十一個、スライム液が四十八個。昨日と変わらぬ大量の成果だが、驚くべきは風スライムの素材だった。
風スライムの魔核が六十一個、風スライムゼリーが八十四個、軽量粘液嚢が六十八個、風スライム液が六十八個。前回よりも遥かに多い。特に魔核の数がすごい。
「うわあ。すごいね。」
『当たり前だ。ギャハハハ。』
老人への定期納品分も、余裕をもって対応できる。
素材を丁寧に分類しながら、今日のことを考えた。
星スライム。ボスモンスター。一人で行く相手ではないと老人は言っていた。
でも、こんなに強いブラクベンがいるのなら。
右腕がかすかに脈打った。
「ブラクベン。ボスと闘いに行こうか。」
『ギャハハハ!待ってたぞ!』
夜が明けてきた。空の端が薄く白んでいく。
素材の整理を終えて、小刀を腰に差した。いつもより、少し念入りに。
孤児院がまだ静かなうちに、玄関を出た。
三日前には、まさか『星屑の洞穴』を攻略することになるとは、考えてもいなかった。さあ、ボスとの決戦だ。結晶煌く洞穴へ向かう。
【Tips】
『素材喰らいのブラクベン』捕食能力
火炎スライムゼリー:スライムを発熱させることができる。
火炎スライムの魔核:スライムに火属性を付与できる。
発熱粘液嚢:スライムの生成量が少し増える。
火炎スライム液:発熱スライムを射出することができる。




