第10話 一目見たその時から(勇者エイシャ視点)
一目惚れなどと言うくだらない言葉を信じたことは無い。
第二王子であり、兄であるフェネクスが街に繰り出しては頻繁に女に一目惚れしてしまったなどと抜かしていたが、そんな言葉を真に受けた事など一度もない。
大体にして恋だの愛だの下らないのだ。そんなものは存在しないし、そんな事にうつつを抜かすぐらいならば、勉強や鍛錬をしていた方がまだましだ。
そう思っていた……彼女を見るまでは……。
彼女の青い瞳が俺を射抜く。
それだけで俺の心臓は高鳴り、体は硬直して動けなくなっていた。
永遠とも思われる見つめ合いだったが、時間にすれば僅かだろう。目を閉じ頭を振るい頭を一度クリアにして、改めて彼女を見る。
少女は間違いなく白銀のドラゴンの生まれ変わりにして娘なのだろう。この美しい容姿と銀髪を持っていて違うとは言わせない。
「君はこの教会の子なのかと聞いている」
改めて彼女に問いかける。
正直声が上ずらなかったことを褒めて欲しいくらいだ。
「あ……はい。私はこの教会の孤児です……」
凛と響く儚くも美しい声色が俺の脳に直撃する。
正直そろそろ限界かもしれない。このまま彼女を攫って城で監禁してしまいたい。
誰の目にも届かない場所に彼女を捕まえて、この美しい少女を俺だけの物にしてしまいたい。
今、物語などで語られる姫を攫う魔王の気持ちが痛いほど解った。
「そうか……。失礼。君の様な人が教会の孤児とはとても思えなかったから、わざわざ聞いてしまった」
「はぁ……そうですか……。え……とあなたは……?」
「俺の事はどうでもいい。それより君の名を聞いておきたい」
「えぇぇ……」
正直こうやって平然と彼女と話が出来ていたのは、彼女の顔がまだ水にぬれていたからだろう。
顔を洗っている最中に話しかけてしまった故に彼女の顔はまだ水にぬれていて、彼女はそれを手で拭いながら話していた。
その事を悪いと思う良心こそ、今彼女と平然と話せている理由なのだと思う。自分で言っていてよく意味もわからないが……。
そうして少し思考がずれていると、彼女があからさまに警戒しているのが分かった。
しまったな……。
自ら名乗らずに人の名前だけを聞く人物を、信用しろと言う方が難しいだろう。
だが俺はここで名乗るわけにはいかなかった。何故なら勇者であり王子でもある俺が何の連絡も入れずに街に現れたとなればそれこそ大事だ。
「警戒しなくていい。俺は怪しい者じゃない」
などと言っても彼女の警戒心を解くことは当然出来ない。
「本当に名前だけでも教えてくれないか?そしたら俺は帰るよ」
ついには懇願してしまった。
正直、俺自身こんなに情けない声を出したのは初めてだった。
だがそんな俺の懇願を受けてか、彼女は困ったよう目じりを下げて口を開いた。
「コウ……です」
ようやく彼女の名前を聞けた。
先代の彼女からは終ぞ聞くことの出来なかった名前を……!
「コウ…………いい名前だ。俺は……今は名乗れないが、次逢えた時は必ず名乗ると約束する」
そう。
彼女は教会の孤児だと言った。ならば彼女を手に入れる方法などごまんとある。
おそらくこの教会の神父たちは彼女が白銀のドラゴンの娘だと言う事を知っていて、こうして彼女を匿っているのだろう。あからさまに配置している結界がいい証拠だ。
だが、教会の孤児と言う事は、もし国からの命令でその子を差し出せと言われた時に逆らえないと言う事だ。彼女を手に入れる為ならば俺は……。
そこまで考えて、俺の思考がかなりやばいものになっていると気が付いた。
これでは自分の権力を振りかざし女性を我が物にする、反吐が出るような貴族と何ら変わらない。
心の中で一度ため息をつき、頭をクリアにする。
そして彼女が誰かに呼ばれて振り向いている間に、俺は瞬間移動で一度城へと帰還した。
コウ……。また逢おう……。その時こそ……!!
◆
城へ戻りすぐに俺は父上に、此度の遠征の俺の世話役としてコウを推薦した。
今までは一度たりともそういった女関係に興味を示さなかった俺を、初めは驚いていた父上だがすぐに気を取り直して街の市長へと要求をしてくれた。
緊急連絡としての伝令は直ぐに市長へと伝わり、程なくして俺の世話役としてコウが与えられるのが決まった。
彼らは勇者が来ることは知っていたが、それが俺だとは知らなかった様だ。
王族にして勇者である俺は、街の市長からすれば絶対に逆らってはいけない人物だろう。おまけとしてギルドの冒険者の女もついてくるそうだが、正直そっちはどうでもいい。
強引な手になってしまってコウには少し申し訳なく思うが、こればかりは止める事は出来ない。
俺は意気揚々とリヴァレンへの遠征を心待ちにしていた。
その日はあっという間に過ぎ、俺は日課である夜の街の巡回をしていると、城壁の上で佇み街を観察する黒い影を見つけた。
それを見た瞬間自分でも驚くほど笑えてしまった。
完全に忘れてしまっていたのだ、あいつの事を……そう黒騎士の事を。
俺は気配を消し黒騎士に近づく。
「こんな夜中に人の街を眺めて監視か?黒騎士とやら……」
驚かせてやろうと後ろから声を掛けたが、黒騎士は動じることも無くゆったりと俺を見た。
「ほう?勇者殿は博識だな?辺境の地の得体も知れない者の事まで知っているとは……」
「くく……。お前はこの王都でもそこそこ有名だぞ?何せ俺達勇者以外で魔王軍の幹部を打ち倒したのはお前だけだからな……」
「ならば勇者殿。アンタならわかるはずだ……あの街に勇者はいらない……と」
なるほど……。
黒騎士としてはあの街に俺が行くのは面白くないのか。
低くくぐもった声からはあまり想像できないが、思ったよりプライドが高い男なのかもしれない。
「ふうん?まぁ正直な話、俺もそう思ってはいた。いくら魔族が頻繁にお前の街を襲おうとも、お前はその全てを退治してきた。だからそんな自衛出来る街があるのならわざわざ俺が出向く必要はないとな」
「ならば……」
まぁ正直な話、もう黒騎士の事は俺の頭の中からすっかり抜け落ちていた。
こいつを仲間にしたいという気持ちはあるが、それよりも俺は今優先すべきことがある。
「だが気が変わった。なに、お前の邪魔はせんよ。俺はあの街でちょっと欲しいものができてな?それさえ手に入ればあの街に様はない」
「………」
「黒騎士。コウと言う名の銀髪の少女を知っているか?教会の孤児らしいのだが……」
その名前を出した瞬間、あからさまに黒騎士の雰囲気が変わった。
先ほどまでは、警戒はすれど敵意を感じなかった黒騎士からあふれ出る圧倒的憎悪。
「………ふん。どいつもこいつもあんな小娘に色気づきやがって……」
「なに……?」
「知っているとも。教えてやろうか?勇者殿。あの小娘はなぁ、なぜか魔族に狙われていてな?……知っているか?最初に魔族の幹部とやらがあの街を襲った理由はなんと、あの小娘を捕まえるためなんだと!」
白々しい。こいつ程の騎士ならば、彼女が白銀のドラゴンの生まれ変わりだと知っているだろうに……。
「あんな役立たずの小娘のどこがいいのかは知らないが、やめておきたまえよ勇者殿。あんな小娘、百害あって一利なし!だ!撒き餌ぐらいにしか使いようがないから、俺が上手く使ってやっているんだ!」
……は?
今この男、彼女を撒き餌だと言ったか?
「だがしかし撒き餌が無くなるのはさすがに困るな?新しいのを探すのも面倒だし、悪いがあの小娘は諦めてくれ!……くくく……ははははは!!」
「……撒き餌だと……?」
はっきりと理解した。
このウジがわくような不快な声も、そこから出てくる言葉も俺とは絶対に相容れないと言う事が。
「貴様、彼女を撒き餌だと言ったのか?」
俺は怒りを抑えきれなかった。
あんな可憐な少女を言うに事欠いて撒き餌などと抜かすこの男を、最早生かしておくのも虫唾が走る。
そんな俺に黒騎士は肩を竦めて言った。
「……はぁ……やれやれ。この程度で怒りを露にするとは……どうやら俺は随分と勇者殿を買い被っていたようだな……」
「もういい黒騎士。貴様と言う男が分かった。もう貴様と話す事はない」
「はぁ……。勇者殿ほどの男ならば女に苦労しないだろう?ならあんな小娘の事は……!!」
最早これ以上言葉を重ねる必要はない。
黒騎士の口を閉じるための渾身の抜刀……しかし。
「なに!?」
「……俺としては穏便に済ませたいわけだが、勇者殿……もう一度考え直してはくれないか?俺のテリトリーに入って来ないと誓ってほしいんだが……」
俺の渾身の一撃は、黒騎士に片手で止められていた。
俺は聖弓に選ばれた勇者だが、剣の腕でも誰にも負けたことは無い。
驚きのあまり一時手にフリーズする頭を叩き起こし、剣を捨て黒騎士から距離を取る。
少しの睨み合い。
俺は聖弓を召喚する為魔力を溜めようと手をかざしたその時、辺りが騒がしくなる。俺達を発見した衛兵たちが慌ててやってきたのだ。
それを見た黒騎士はため息をつき、体を霧状へと変化させていく。
そして俺に最後の言葉を投げかけた。
「勇者殿……また逢おう。その時は好い返事を期待しているよ……」
その言葉と同時に黒騎士は完全に闇に溶けて消えていった。
黒騎士……確かに噂通り、いや……噂以上の実力者だった。
しかしもう奴を仲間にしようなどとは微塵も思わない。
奴は俺の敵だ。
コウを傷つける者は何人たりとも俺が許さん。
俺は黒騎士が霧となり夜の闇に溶けた街を、何時までも睨んでいた。




