第五節:帰路の誓い
風の音が変わった。旅の初めには気づかなかった、季節の香りがそこかしこに漂っていた。
山の稜線が遠ざかり、川のせせらぎが耳に届かなくなっても――ユリウスの背にある重みは、決して消えなかった。
ヘスティとセレネ。そして、最初に別れたレオ。三人の仲間たちは、もう隣にはいない。
それでも彼らの言葉は、確かにユリウスの中で息づいていた。
故郷への道は、静かだった。幾つもの村を越え、草原を渡り、忘れかけた故郷の風景が徐々に近づいてくる。だが、その旅はただの回帰ではなかった。
とある峠の途中、ユリウスは夢を見た。静かな草原の中で、三人の仲間が並んで立っている夢だった。
「もうすぐだな、ユリウス」
レオが言う。剣を背負った姿は、旅の最中と変わらぬ姿で。
「ちゃんと、帰ってこられる?」
ヘスティが問う。風に髪をなびかせながら、その眼差しはどこか遠くを見つめている。
「……私は、もう何もできないけど」
セレネが笑う。微笑みの奥に、優しい悲しみを宿して。
ユリウスは何も言えずに立ち尽くしていた。ふと、彼らの姿が風に溶けるように薄れていく。
「待って……まだ、一緒に……!」
そう叫んだその声で、彼は目を覚ました。
日は昇り、空は青く澄んでいた。現実のはずなのに、どこか夢の続きのように感じられた。
その日の午後、故郷の森が見えた。幼いころ、幾度も走り回った緑のトンネル。小川を飛び越えた記憶。父と剣を交えた広場。母の歌声が聞こえてきそうな、小さな畑。
「……帰ってきたんだな。それにしてもあんな夢を見るなんて、未練がましいな」
ユリウスはひとり呟いた。
家は、変わらずそこにあった。崩れかけた屋根も、軋む扉も、全部が彼の記憶の中のままだった。
中に入ると、空気はひんやりと静かだった。
書庫。旅に出る前、何度も読み返した本たちが並ぶ部屋。冒険譚が大好きだった。ユリウスはそっとその部屋に入った。そして、一冊の古びた日記帳を取り出す。
かつて、仲間との出来事を書き留めていた記録――今も忘れる事のない、大切な思い出。
彼は机に向かい、ペンを取った。そして、ゆっくりと書き始める。
――「最後の旅に出たあの日から、全てを思い返している。旅のこと。仲間のこと。戦いのこと。そして、今この静かな時間のことを」
沈黙の中に、時折風が吹いた。その風に乗って、誰かの声が聞こえた気がした。
「ありがとう、ユリウス」
それは、ヘスティの声か。セレネか。レオか。それとも――自分の中の誰かだったのか。
ページを閉じ、ユリウスは立ち上がった。窓を開けると、夕焼けが空を染めていた。
「……もうすぐ、夜が来る」
だが、彼は微笑んだ。
「それでも、明けない夜は無かっただろう?」
静かに、祈るように
――その言葉を空に投げた。