第二節:剣の記憶
丘陵を越えた風が、草を揺らしながら彼らの肩をなぞっていく。三人は黙々と歩いていた。レオの姿は、そこにはなかった。
「……もうすぐだよね、レオの村」
ヘスティがぽつりと呟いた。
「ああ。あの山を越えれば、歓迎の準備をして待ってるはずさ」
ユリウスは笑ってみせたが、その声はどこか浮いていた。レオが先に村へ戻ると言ったのは数日前のことだった。彼の後ろ姿を見送った時、何か引っかかるものがあった。だが今となっては、それが何だったのかも曖昧になっている。
村へと続く道は、かつて何度も歩いた記憶があるはずなのに、やけに静かだった。鳥のさえずりも、木々のざわめきも、耳に届かない。
やがて、一軒の木造の家が見えてきた。屋根の色、壁の木目、見覚えのある形。レオの家だった。
「おかえりなさい。ユリウスさん……うしろの二人が、ヘスティさんとセレネさん?」
家の前で、まだあどけなさの残る少女が待っていた。レオの妹、リセだった。
「……ああ。久しぶりだね。レオは、一足先に帰ったけどここに?」
リセは少しだけ目を伏せて、穏やかな微笑みを浮かべた。
「今は出かけてるわ。お兄ちゃん、ずっとあなたたちのこと、話してた」
ヘスティが何か言いかけたが、その口をつぐんだ。
夕方、家の奥の部屋に通されると、そこには一本の剣が飾られていた。レオが旅立ちの前に使っていたものではない。もっと古く、錆びついてはいるが、丁寧に研がれた跡がある。ユリウスがかつて、レオに贈った練習用の剣だった。
「これ……まだ持っててくれたんだな」
ユリウスはそっと鞘に触れた。冷たい金属の感触の中に、昔の記憶が滲み出す。
「この剣ね、よく振ってたよ。何度も、何度も。……あなたに追いつくんだって」
リセの声が、小さく揺れる。
その晩、ユリウスは一人で裏山の高台に立った。そこは、かつてレオと剣の打ち合いをした場所だった。斬り結ぶ音が、夕暮れの風に混じって聞こえてくるような気がした。
「お前、本当に無茶ばっかりだったな……」
つぶやく声に返事はない。ただ、風が髪をなびかせる。
地面に、削れた木の丸太が立っている。何度も剣を打ち込んだ跡が刻まれていた。ユリウスはそこに、ひときわ深くえぐられた箇所を見つけた。まだ新しい、乾ききっていない痕。
その隣には、ナイフで刻まれた文字があった。
『振り返るなよ、ユリウス。前に進め。俺の分まで、ずっと』
翌朝、旅立ちの時。
村人たちは静かに彼を見送った。誰も、何も言わなかった。ただ、リセだけがそっと言った。
「……ありがとう、ユリウスさん。お兄ちゃん最後まで笑ってた、きっと、あなたたちと一緒にいたから」
ユリウスは戸惑いながらも、それ以上の言葉は聞かなかった。
村を後にして振り返ると、ヘスティとセレネが少し後ろを歩いていた。二人とも、いつものように微笑んでいたけれど、どこかその瞳は遠かった。
「さあ、次はどっちに行こうか?」
ユリウスが顔を上げると、セレネが道を指差した。
「東よ。ヘスティの村まで、三日の道のり」
彼女の言葉に、ヘスティが静かに頷く。
「でも……その前に、少しだけ星を見ていかない? 夜風、気持ちいいし」
ヘスティがそう言うと、ユリウスは目を細めた。
「そうだな。……今日は、少しだけ休もう」
三人の影が、落ちてゆく夕陽に溶け込んでいく。もう、レオの姿はどこにもなかった。
けれどユリウスの中では、仲間との旅はまだ終わっていない。ようやく魔王を倒したのだ、平和な世界で一休みしたら、またみんなで冒険もありだろう。
そう信じていた。