エピソード8:黒幕
アカリとの激しい応酬を終え、私は疲労困憊で桐生院組の事務所に戻った。あの説明会でのやり取りは、まるで前世の断罪イベントの再来のようだった。しかし、今回は私が一方的に断罪される側ではない。この街を守るという明確な目的がある。
「お嬢、大丈夫ですか? 随分とお疲れのようですが」
タツヤが心配そうに声をかけてくる。彼の顔には、私を気遣う色がはっきりと見て取れた。
「ええ、何とか。しかし、あの神宮寺アカリ……」
私は、アカリの言葉を反芻していた。彼女の言葉には、単なるビジネスライクな冷徹さだけではない、何か別の感情が込められているように感じられたのだ。彼女の瞳の奥に、一瞬だけ見えた迷いの色。あれは、一体何だったのだろうか。
「タツヤ、神宮寺組の裏を探ってください。再開発の裏に、何か別の思惑があるような気がしてなりませんの。彼女の言葉の端々に、違和感を覚えましたわ」
私の言葉に、タツヤは真剣な表情で頷いた。
「承知いたしました。すぐに手配します。組の者たちにも指示を出して、徹底的に調べさせましょう」
タツヤは、すぐに組員たちに指示を出し、彼らは一斉に動き始めた。桐生院組の情報網は、この街の隅々にまで張り巡らされている。彼らならば、きっと真実を掴んでくれるだろう。
数日後、タツヤから報告が入った。彼の顔は、いつになく険しい。
「お嬢、どうやら再開発に関わる政治家や企業の社長が、かなり強引な地上げ行為を指示している疑いが浮上しました。神宮寺組は、その手先として利用されている可能性が高いです」
「やはり……!」
私の予感は当たっていた。アカリの言葉の違和感は、これだったのだ。彼女は、この再開発の真の目的を知らずに、あるいは知っていても、何らかの理由で逆らえずに、利用されているのかもしれない。
「神宮寺組は“表向き”は再開発を請け負っていますが、裏で不当な利益を得ようとしている者たちがいる。彼らは、この商店街を潰し、そこに巨大な商業施設を建設することで、莫大な利益を得ようと画策しているようです」
タツヤの言葉に、私は胸を痛めた。この街の人々の生活を、金儲けの道具としか見ていない者たちがいる。許せない。
「アカリは本当にこんなやり口を望んでいるのでしょうか……?」
私は、思わず呟いた。前世のヒロインは、正義感が強く、困っている人を放っておけない性格だった。そんな彼女が、こんな卑劣な計画に加担しているとは、どうしても信じられなかった。
「神宮寺アカリ嬢も、この件については、かなり複雑な立場にあるようです。彼女の父親である神宮寺組長は、この再開発の推進派の筆頭ですから」
タツヤの言葉に、私はさらに胸が締め付けられる思いだった。親子の板挟み。それは、前世の私には想像もできない苦しみだろう。
一方、アカリもまた、同じような疑問を抱いていた。
神宮寺組の事務所。アカリは、部下から提出された桐生院組に関する報告書を読んでいた。
「桐生院組はただのヤクザというよりは街を守りたいだけのように見える……」
彼女の部下が、そう呟いた。
「ええ。彼らの行動は、確かに筋が通っているわ。この再開発が、本当にこの街のためになるのか……私には、疑問が残る」
アカリは、報告書を机に置くと、深くため息をついた。彼女の心の中には、私と同じように、この再開発に対する疑問と、そして、この街の人々への思いが渦巻いている。
「しかし、お嬢。組長は、この再開発を成功させることに、並々ならぬ決意を抱いていらっしゃいます。逆らうことは、難しいかと」
部下の言葉に、アカリは唇を噛み締めた。彼女の父親は、神宮寺組の組長として、組の存続と発展を第一に考えている。そのためには、多少の犠牲も厭わないだろう。
「分かっているわ。でも……」
アカリは、窓の外に広がる商店街の明かりを見つめた。そこには、人々の笑顔と、温かい生活が息づいている。
「このままでは、この街は、本当に変わってしまう……」
彼女の瞳には、深い悲しみが宿っていた。
しかし、お互い素直に言葉を交わすにはプライドが高すぎて、結局直接話し合いに至らない。私たちは、それぞれの場所で、見えない敵の存在に気づき始めていた。そして、その敵が、私たちを、そしてこの街を、破滅へと導こうとしていることを。
私は、タツヤに言った。
「タツヤさん。私たちは、この黒幕を突き止めなければなりません。そして、神宮寺アカリを、この卑劣な計画から救い出さなければ」
「しかし、お嬢。相手は、かなり手強いですよ。下手に動けば、桐生院組も危険に晒されるかもしれません」
タツヤの言葉は、もっともだった。しかし、私はもう、引き返すことはできない。
「構いませんわ。この街と、この人々のために。わたくしは、どんな危険も顧みません」
私の言葉に、タツヤは深く頷いた。
「承知いたしました。お嬢の覚悟、しかと受け止めました。俺も、命を賭けて、お嬢をお守りいたします」
彼の言葉に、私は胸が熱くなった。
私たちは、それぞれの場所で、それぞれの思いを胸に、見えない敵との戦いを始めた。
この戦いは、私たちだけの戦いではない。
この街と、この街に住む全ての人々のための戦いなのだ。
私は、静かに、しかし強く、心に誓った。