エピソード6:アカリとの再会
神宮寺アカリ。
その名前が、私の脳裏を支配していた。前世の記憶が蘇って以来、私の心は常にその名に囚われていた。まさか、前世の乙女ゲームでヒロインだった“アカリ”が、同じ名前を名乗っているわけは……。そう自分に言い聞かせながらも、私の胸騒ぎは収まらなかった。そして、その「まさか」は、あっという間に現実のものとなる。
数日後、商店街の再開発に関する説明会が開催されることになった。
桐生院組からは豪三郎とタツヤ、そして私も同行することになった。会場は、市内の大きなホール。行政の人間や大企業の重役らしき者たちが、スーツ姿でひしめき合っている。その中に、一際目を引く女性がいた。すらりとした長身に、艶やかな黒髪。洗練されたダークグレーのスーツに身を包み、その立ち姿は、まるで絵画のようだ。彼女の周りだけ、空気が澄んでいるように感じられた。
「あれが、神宮寺アカリです」
タツヤが、私の耳元で囁いた。
私の視線に気づいたのか、彼女がゆっくりとこちらを向いた。その瞳と、私の瞳が、交錯する。
一瞬、アカリの顔に動揺の色が浮かんだように見えた。彼女の瞳が、大きく見開かれる。そして、彼女の口から、信じられない言葉が紡ぎ出された。
「……あなた、まさかリリアーナ……?」
その言葉に、私の心臓が大きく跳ねた。やはり、彼女もまた、前世の記憶を持つ転生者だったのだ。
「違いますわ! 今の私は桐生院レイナですの!」
私は反射的に否定した。前世の悪役令嬢としての罪悪感が、私の心を締め付ける。もう、あの頃の私ではない。私は、この街の人々を守るために、ここにいるのだ。
しかし、アカリの目には、きっと“前世で自分を散々いじめ抜いた悪役令嬢”が重なって見えているのだろう。彼女の表情は、警戒と、そして、どこか懐かしさのようなものが入り混じっていた。
アカリは、ゆっくりと私に近づいてきた。その一歩一歩が、まるで前世の断罪イベントの足音のように、私の心臓に響く。
「私こそ神宮寺アカリ。現世では立場が違うけど、今度は私が勝たせてもらうわ」
彼女の言葉は、静かでありながら、確固たる意志を感じさせた。その言葉に、私のプライドが刺激された。
「勝負だなんて……もうそんなゲームみたいな争いはしたくありません!」
そう言いたいのに、言葉が喉の奥で詰まる。前世の悪役令嬢としての矜持が、私の口を塞ぐ。
「私があなたに屈することは二度とありませんわ!」
結局、口から出たのは、前世の悪役令嬢そのもののセリフだった。私の隣で、タツヤが頭を抱えているのが見えた。
「またややこしい関係になりそうだな……」
彼の呟きが、私の耳に届いた。
「お嬢、落ち着いてください!」
豪三郎が、私の肩に手を置いた。その温かい手に、私は少しだけ冷静さを取り戻す。
「神宮寺の嬢ちゃん、うちのレイナが失礼したな。だが、この再開発の話は、そう簡単に通せるもんやないぞ」
豪三郎が、アカリに真っ向から対峙した。その迫力に、アカリも一瞬たじろいだように見えた。
「桐生院組長。感情論で物事を語るのは、建設的ではありません。この再開発は、この街の未来のために必要なことなのです」
アカリは、冷静な口調で反論した。その言葉は、あくまでビジネスライクで冷徹だった。
「未来のため、だと? この街の人々の生活を奪って、何が未来や! お前ら大企業は、金儲けのことしか考えておらんのか!」
豪三郎の怒声が、ホールに響き渡る。周囲の人間が、ざわめき始めた。
「お父様、お静かに!」
私は、豪三郎を制した。これ以上、騒ぎを大きくするわけにはいかない。
「神宮寺アカリさん。わたくしは、あなたと、この再開発について、じっくりとお話ししたいのですわ。この街の人々の生活を、これ以上脅かすことは、わたくしが許しません」
私は、アカリの目を真っ直ぐに見つめた。私の言葉に、アカリの瞳が揺れる。
「……わかったわ。後日、改めてお話ししましょう。ただし、個人的な感情は抜きで、ビジネスとして」
アカリは、そう言い残すと、踵を返して去っていった。
ああ、なんてことでしょう。せっかく悪役を卒業したというのに、またしても因縁の相手と再会してしまうとは。しかも、今度は敵対する立場として。
しかし、私はもう、前世の私ではない。
この街と、この人たちを守るためなら、私はどんな困難にも立ち向かってみせる。
たとえ、それが前世のヒロインであろうとも。
私は、静かに、しかし強く、心に誓った。
「お嬢、大丈夫ですか?」
タツヤが、心配そうに私に声をかけた。
「ええ、大丈夫ですわ、タツヤさん。むしろ、これで覚悟が決まりましたわ」
私は、タツヤに微笑みかけた。
「神宮寺アカリ……。彼女が、この再開発の鍵を握っている。そうでしょう?」
タツヤは、私の言葉に頷いた。
「ええ。彼女は、神宮寺組の次期組長候補と言われています。頭も切れるし、度胸もある。一筋縄ではいかない相手でしょう」
「望むところですわ。わたくしは、彼女と、この街の未来を賭けて、戦いますわ」
私の言葉に、豪三郎が力強く頷いた。
「よう言うた、レイナ! わしら桐生院組が、お前を全力で支えるで!」
私は、豪三郎とタツヤの顔を見上げた。
この温かい家族と、この街の人々のために。
私は、必ず、この戦いに勝利してみせる。
私の心の中で、新たな炎が燃え上がっていた。