エピソード0
「ああ、なんてことでしょう……」
薄れゆく意識の中で、私はただ後悔に苛まれていた。
リリアーナ・ローゼンハイム。それが、この人生における私の名前だった。華やかな貴族社会に生まれ、誰もが羨む美貌と才覚を持ちながら、私は愚かにも「悪役令嬢」という役割を全うしてしまった。
乙女ゲーム『聖女の祝福と光の騎士団』。
そう、この世界は、私が前世で熱中したゲームの世界そのものだったのだ。
私はそのゲームの悪役令嬢として、ヒロインであるアカリを執拗に虐げ、婚約者である王子を奪おうと画策し、そして――破滅した。
断罪イベント。
それは、悪役令嬢に与えられた、避けようのない運命。
「リリアーナ・ローゼンハイム! 貴様の悪行、もはや看過できぬ! 貴様を国外追放とする!」
王子の冷たい声が、私の耳に木霊する。
周囲の貴族たちの嘲笑、ヒロインの憐れむような視線。
ああ、こんな結末、望んでいなかった。
本当は、ただ平穏に暮らしたかっただけなのに。
ゲームのシナリオに縛られ、悪役として振る舞うしかなかった私。
「もう二度と、こんな過ちは繰り返さない……」
そう心に誓いながら、私の意識は闇へと沈んでいった。
次に目覚めた時、私は見慣れない天井を見上げていた。
白い壁、消毒液の匂い。どうやら病院のようだ。
「お嬢、お目覚めになられましたか!」
視界の端に飛び込んできたのは、筋肉隆々の男たち。
彼らは皆, 黒いスーツに身を包み、顔には傷跡。
そして、なぜか私に向かって涙を流している。
「お嬢、生きていてくれて良かったッス!」
「心配で夜も眠れませんでしたぜ!」
……お嬢? 誰のことかしら?
混乱する頭で、私はゆっくりと体を起こした。
「だ、誰ですの……?」
私の問いかけに、男たちは一瞬、固まった。
そして、顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべる。
「お嬢、何を仰いますか! 俺たちは桐生院組のモンでさぁ!」
桐生院組? きりゅういんぐみ……?
その言葉が、私の脳裏に新たな記憶の奔流を呼び起こした。
桐生院レイナ。
それが、今の私の名前。
そして、この男たちは、私の父が組長を務める「極道一家・桐生院組」の組員たち。
亡き母の遺影が飾られた仏間、強面の組員たちに囲まれた日常。
壮絶なカルチャーショックが、私を襲う。
前世の記憶と、今世の記憶が、まるで走馬灯のように駆け巡る。
私は、乙女ゲームの悪役令嬢から、極道の一人娘へと転生したのだ。
「……ふふ、ふふふふふ!」
思わず、高笑いが漏れた。
男たちが「お嬢、どうなされました!?」と心配そうに私を見る。
「ああ、なんてことでしょう! あのゲーム設定の束縛がない! 自由に振る舞える!」
解放感。
そう、これこそが、私が求めていたもの!
前世で散々「悪役としての破滅」を味わっただけに、今度こそ真っ当に生きる!
「もう二度と人を傷つけない。悪役は卒業ですわ!」
私は強く、心に誓った。
この新しい人生で、私はきっと、幸せを掴んでみせる!
……いや、待て。
極道の一人娘、か。
真っ当な人生、とは少し違うような気もするが……。
まあ、前世の悪役令嬢よりはマシだろう。
私は、新たな人生への希望を胸に、病室のベッドから立ち上がった。