隣に引っ越して来たのは最愛の推しでした
ようこそいらっしゃいました。
楽しんでいただければ嬉しいです。
「うわー! やっぱりユウは最高だ!!」
七海は、本日公開の動画を三回じっくり観終えて、コメント欄に感想を書き込む。
『今回のcoverも本家へのリスペクトを感じながらも、ユウの世界観が出ていて最高でした! 特にアレンジのところは────』
七海の最推し歌い手であるユウは、顔出しNGで口もとをマスクで隠している。
しかし、目元はバッチリ見えているわけで……。
「はぁー、今日のユウもカッコよかったなあ。」
胸元から上だけの画角なので、上半身だけしか見えないが、ユウが考えた振り付けをしてくれるので、ひたすらカッコイイ。もちろんオリジナル曲の振り付けがあればそれも良い。
そして何よりも、
「今回の曲で、どれだけの声色使ってる? 神? 神なの?」
ファンの間では「七色の声」と呼ばれ、毎回驚かされるのだ。
最近、登録者数はじわじわ増えてきている。
ユウの地道な努力の成果だと思う。
それなのに、ユウはプロになる気は無いと明言していた。
現在、ユウは社会人をしながら歌い手として活動をしている。
そんなユウの推し活を高校生からしている七海の実家は、わりと裕福だ。
じいちゃんが大学卒業して社会人になった祝いにと、セキュリティがしっかりしているマンションをポンと買ってくれたくらいだ。
七海は高校の時に、ゲイだと家族にカミングアウト済みなのだが、その反応もあっさり受け入れられたのだった。
母と妹は発酵済みなので、正直この二人は味方になるだろうと思っていたが、父や兄まで受け入れてくれてちょっと泣いた。
ちなみにじいちゃんは、そうか。と一言だったが、その後の態度は変わらずにいてくれる。
家族の理解があっても、七海に恋人は出来なかった。そもそも当時から推し活に夢中だった。
ユウがまだ有名ではなかった頃、偶然歌声を聴いた瞬間に恋をしたから。
七海が男が好きだと気づいたのは、俳優の艶のある声や変声期をむかえて低くなった男子の声に、胸を高鳴らせたことがキッカケだった。
ユウも完全に顔出しはしていなかったので、どんな人なのかわからなかったが、ライブ配信の時の穏やかな地声が堪らなく好きだと感じた。
まだ視聴者も二桁いくかいかないかの緩い中、チャットでナナミとして、シレッと「ユウの声が大好き」と、告白している。
モチロン、ファンとしてのマナーは心得ていたので、七海の気持ちの中でだけの告白だった。
それにユウは、「ありがとう、嬉しいな。」と返してくれた。たったそれだけで幸せだったのだ。
普段と変わらない平日、ひとりで昼休憩に出ると、いつもの店で注文を待っている間にSNSをチェックしていた。目に入ってきたのは、ユウが重大発表を本日の22:00にライブ配信でするという告知だった。
「え、なんだろう?」
もしかしてプロデビュー?
でも日ごろから、それはないと公言している。あとはなんだ? もしかして……結婚?
七海は、胸を鷲掴みにされたように傷んだ。画面の向こう側の人に本気で恋をしているなんて馬鹿だな、なんて何度思ったことだろう。
勝手な憶測で傷付いてる自分にウンザリしつつ、いつもは美味しい日替りランチを事務的に腹に入れた。
七海はその日、なんとなくソワソワしながら仕事を定時で終わらせて、帰宅したのだった。
普段は簡単な自炊が出来るので、冷蔵庫にあるもので適当に作るのだが、今日はそんな気持ちになれなかった七海は夕飯をコンビニ弁当で済ませる。
風呂に入りながら少し気持ちが浮上する。悪い方にばかり考えていた自分に苦笑しながら、風呂上がりにミネラルウォーターを飲むと動画サイトを開いた。
「そろそろか。」
待機画面上の視聴人数は、結構集まっていた。みんなユウの重大発表の告知を受けて、待っているのだろう。七海も普段のライブ配信の時よりも緊張してきた。
「ハァー」
七海が思わず大きく息を吐いた時、画面がパッと切り替わった。
「!」
ユウだ。いつも通りマスクをして顔を隠している。特に緊張した様子もなく、普段通りの始まり方をした。
『こんばんはー』
みんなのチャットと一緒に「ナナミ」のコメントも流れていく。
ひとりひとりの名前を読み上げながら挨拶をするユウ。もちろんナナミも読み上げられる。それだけで嬉しい気持ちになるのだ。しばらく雑談をしながら進んで来たが、ある程度視聴人数が集まると、ユウがとうとう話題を切り替えた。
『さて、SNSでも告知しましたが、今夜は重大発表があります。』
きた。七海はドクリと心臓が鳴るのを感じた。
大体の内容はこうだ。ユウが大手の運営するクリエイターエージェンシーと提携して動画サイトでの活動支援を受けること。
これにより、動画サイトから公式アーティストチャンネルとして認定されること(チャンネル名に公式マークがついた)
だからといって、活動自体はこれまでと変わらないのだということ。
ユウが何より楽しみにしているのは、そこに手紙を送って貰うと中身を確認された後にユウの手元にファンからの手紙が届くということだった。
『もちろん、今までのようにコメント貰ったり、チャットでやりとりするのも嬉しいんだよ? でも手紙も楽しみに待ってます。』
「ユウに手紙……。」
ユウに手紙を送れるようになった。七海は翌日にはレターセットを買ってきた。
どの曲でユウと出会ったのか、それでどれほど心が救われたのか熱く語り、ユウの歌声が大好きです。これからも応援します。とファンレターを送った。
ユウの手に渡ると思うだけで幸せだった。
一ヶ月後のライブ配信で、ファンレターが手元に届いた事を、ユウはとても喜んでいた。
七海は無事届いたのだと嬉しくて、しばらく機嫌が良かったのであった。
それから数日後、隣に引っ越してきた男性が挨拶に来た。
「本日、隣に引っ越してきた坂本友也です。これからよろしくお願いします。しばらくバタバタするので煩かったらすみません。」
背が高く長い前髪と分厚いメガネの彼の声を聞くと、七海の胸は騒いだ。
───声が良すぎるだろう!
「と、都倉七海です。こちらこそよろしくお願いします。ここは防音完璧だから、それほど気にしなくて大丈夫ですよ。」
「そうですか、 安心しました。あ、よかったらコレどうぞ。都倉さん。」
友也のかたちの良い唇から、七海のドストライクの声が発せられる。
「ご丁寧にありがとうございます。」
変に思われないだろうか? 七海は頬が少し熱い気がした。
この時、友也がジッと七海のことを見つめていることに気付かなかった。
それから隣同士という事もあって、よく会うようになった。
「都倉さん、おはようございます。いつもこの時間ですか?」
「おはようございます。そうなんですよ、坂本さんもですか?」
「俺のところは基本的に緩いので、普段はもう少しゆっくりですよ。今日はやる事があるので偶然です。」
友也の会社は私服OKらしく、カジュアルなジャケットを着たシンプルな格好をしていた。
二人は仲が良くなってから、よく七海の部屋で過ごす。
たまに友也の部屋に飲みに行くが、時間が合えば夕食を二人で食べた。
「都倉さんの手料理、本当においしいよ。」
友也が七海の手料理を喜んで食べてくれるから、作りがいがあるのだ。友也はリクエストがある時は材料を買ってやって来る。
二人ともインドア派なので、出かけることはなかった。
「ねえ? そろそろ名前呼びして欲しいな。友也って呼んで?七海。」
「わかった。と、友也。」
友也に艶のある声で名前を呼ばれて、ゾクリと背筋に甘い痺れが走った。
動揺して、どもってしまった七海だったが友也は気にした様子もなくホッとした。
名前で呼び合うようになってから、友也の態度が甘くなった気がする。
この頃には、七海はユウの声と友也の声がとても似ている事に気付いていた。
そして「友也」に惹かれている自分にも。
ただでさえ好みの声が甘く「七海」と呼ぶのだ。
もうひとつ、ユウのライブ配信の時は友也の都合が悪い。動画があがる時は一緒にいてくれるのに。
七海は、わからなくなってきた。ユウと同一人物なら良いのか、友也は友也のままが良いのか。
今の関係が壊れるのが怖くて聞けなかった。
「ねえ、七海? 最近ぼんやりしてるけど、何か悩み事?」
「えっ、なんでもないよ? ちょっと考え事してただけ。」
心配そうにこちらを見ている友也に、慌てて笑ってみせる。
「そう? 悩み事があるなら、俺で良かったら聞くから。一人で抱え込まないでね。」
「ん。ありがと、友也。」
友也の優しい言葉に「ああ、好きだ」と実感してしまう。
もちろんユウのことは変わらず好きだ。でも、友也への想いが日に日に増していく。
「そうだ、金曜日の夜一緒に映画鑑賞しよう? この前七海が観たいって言ってたやつ、独占配信されるって。
ついでに、泊まりに来ない? たまには俺の部屋でゆっくりしようよ。酒とつまみは準備しておくから。」
「いいね。じゃあ、夕飯はこっちで食べてから移動しようか。」
七海がそう言うと、嬉しそうに友也は頷いた。気軽に泊まるように言ってくるという事は、意識されていないのだろうな。と少し悲しいが、友達としては気を許されているのだと思う。
同性だから仕方ないのだが、七海は今の関係を崩したくないと改めて思った。
楽しみにしていた週末。残業など絶対したくなかった七海は、いつも以上に集中して仕事を終わらせた。
定時に会社を出て買い物を済ますと、真っ直ぐ帰宅する。
友也からリクエストを貰っていた生姜たっぷり肉団子の甘酢あんかけを作っていると、インターホンが鳴ったので友也を招き入れる。
「俺も手伝うよ。何すれば良い?」
「じゃあ、大きい皿お願い出来る? 飾り付けよろしく。」
「わかった。」
慣れたやりとりで完成させるとテーブルに着く。
「いただきます。───ん! おいしい! はぁ、幸せ。七海の手料理これからもずっと食べたいな。」
「ゴフッ! 友也言い過ぎだって。」
「本気なのになぁ。」
頼むから期待させないで欲しい。七海はそう思った。
「それじゃあ、風呂に入ったら友也の方にいくよ。」
「俺も風呂に入っておくよ。鍵はここに置いていくから勝手に部屋に入って来てくれる?」
「わかった。」
カードキーをテーブルに置くと、友也は先に部屋に帰った。ちなみに友也はシールキーで解錠出来るから大丈夫だ。
待たせてはいけないと、手早く風呂に入って友也の部屋に向かった。
「おじゃまします」
七海が玄関に入ると、ドライヤーの音が聞こえた。友也も風呂から上がったところらしい。いつものようにリビングに行くと、テーブルに何となく見覚えのあるものが置いてあった。
七海は、ドクリと心臓が大きく鳴ったのを感じた。
「え? コレって……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
───来た
友也は玄関の開閉音を聞いてから、脱衣所でドライヤーの電源を入れる。
まもなくアレに気付くだろう。
───ようやく手に入る。
友也は、緩む口元をそのままに一人呟いた。
「絶対に逃がさないよ、七海。」
友也は時間を見計らってそっとリビングへ向かうと、七海はソレに気を取られていて友也が来たことに気付かず、呆然としていた。
「うそ。確かに声は凄く似てると思ってたけど、まさか。でも、この手紙は……」
「七海」
友也はそう言って、背後から七海を抱きしめた。
ビクッと震えると、恐る恐る手紙を差し出す。
「友也、こ、この手紙はなんで……。」
「七海、こっち見て。」
友也は手を緩めて、そっとこちらを見るように促した。
普段は下ろしている前髪が後ろに流され、厚ぼったいメガネは外されている。
「───ユ、ユウ?」
驚いて目を大きく開けた七海は掠れた声でようやくそれだけ声にした。
「そうだよ。俺、ナナミに会いたくて会いたくて堪らなかったんだ。」
ユウの目元、友也の唇から発せられる甘い声、今の体勢全てに七海の顔は真っ赤になっている。
「なんで……」
同じ言葉を繰り返す七海を正面から抱きしめる。拒否されないことを良い事に、友也は七海の首筋に顔を埋めた。風呂上がりのボディーソープの香りを吸い込んで、耳元で甘く甘く囁いた。
「好きだよ、七海。」
「ひゃあ」
急接近された挙句、ドストライクの声に甘く告白された七海は、疑問がいっぱいでパニック状態だ。
「な、なんで?」
「七海、驚かせてごめんね。説明するから落ち着いて?」
友也は七海の背中をさすって落ち着かせる。プルプル震えていた身体は徐々に治まってきた。
「教えて、友也。」
「うん、七海に全部話すよ。」
抱きしめていた腕を解いてソファに座り直すと、七海の手をとり視線を合わせると、友也は口を開いた。
「ナナミを認識したのは、動画投稿を始めて三ヶ月目だった。」
「それって、本当に最初の頃から……」
七海は驚いて目を見開いた。
「そう。ナナミがコメントで良いと思うところを詳しく教えてくれたんだ。俺がこだわって何度も録り直したところを褒めてくれた。それに俺自身気付かなかった長所を見つけてくれて嬉しかった。
それから動画投稿するたび、ナナミのコメントが待ち遠しくて。もちろん、他のファンの子達のコメントも嬉しかったけどさ、俺にとってナナミは特別だった。」
友也は一度言葉を切って七海の反応を見た。はくはくと口を動かして何かを言おうとするが、言葉として出てこない七海は、目を潤ませていた。
「それは、ユウとしてナナミに会いたかったという事?」
ようやく言葉にした七海に、友也は首を振った。
「友也として、ナナミがどんな人か知りたくなった。動画サイトの音楽クリエイターエージェンシー作りたいって我儘言って──」
「ち、ちょっと待って! この前ユウが言ってた提携したところ? あの大手の?!」
「ああ、うちの親が設立した会社なんだ。兄姉も一緒に勤めてる。丁度そういう話が出てたみたいで、すんなり認めて貰えた。当時は学生だったから、学業優先しろって言われたんだ。社会人になって落ち着いてからようやく提携したんだよ。今勤めているのもそこ。」
七海は余計にわからなくなった。そんな凄い人が目の前にいる。
「なんで?」
自分でも語彙力低下していると自覚しているが、七海の頭の中は疑問符でいっぱいだ。
友也は、手紙をひっくり返すと、指先でトントンと、七海の住所を見せた。
「コレ、どうしても知りたかった。賭けだったけど、七海ならきっと手紙をくれるって信じてた。」
そして、不安そうに七海を見つめた。
「社員だからすぐ届いたのわかったし、一番に届いたの七海の手紙で嬉しかった。そこから調べたら隣が空いていて、直ぐに引っ越し決めたんだ───ごめん。怖いよね。」
友也の手が震えてるのを感じながら、七海が最初に感じたのは「嬉しい」だった。
普通なら、確かに気持ち悪いし怖く感じて当たり前なのだろう。
でも、手が届かないと思っていた人、そして現在好きな人に追い求められていたと知って、気持ちが溢れそうになる。
「友也、オレの恋愛対象は男なんだ。そんなこと言われたら勘違いしちゃうよ。」
「勘違いなんかじゃない。好きだって言ったよね?」
友也は七海にふわりと触れるだけのキスをした。
「オレも友也のことが好き。」
ポロリと七海の本音がこぼれ落ちた。
「最初は良い声だなって思って、本当にご飯を美味しそうに食べてくれると嬉しくて。
ずっとユウが好きだったのにって悩んだ時もあった。
友也に『七海』って名前を優しく呼ばれると、ふわふわして。ユウと声が似てるからなのかも、ってわからなくなってたんだ。」
友也が言葉を詰まらせた七海の手を、キュッと握った。
「でも、友也と仲良くなっていくうちに、優しさに胸が温かくなったり、一緒に居てドキドキしたり、それでいて二人きりの空間に気を許せる自分がいた。
それで友也が好きなんだって、ようやく気付いたんだ。」
友也の形の良い唇が嬉しそうに緩む。
「どっちの俺も好きになってくれてありがとう。
七海に俺の全てをあげるから、七海の全ても俺に頂戴?」
そう言うと、友也は七海の手を引いてそばに寄り添った。
戸惑う七海の耳元で情熱的な愛の言葉紡ぐ。
友也の声に弱いのを熟知して吹き込むと、七海はふにゃりと腰が抜ける。そのまま夜が更けるまで甘い言葉を絶え間なく囁きあった。
後日、ライブ配信で目ざとくペアリングに気付いたリスナーに質問責めにされたユウは、マスク越しにもわかるデレデレとした表情で惚気まくった。
画面の向こう側……隣の部屋でライブ配信を観ていた七海は、両手で顔を覆うと真っ赤な顔をして、悲鳴をあげながら悶絶したことを記しておく。
───完───
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