転章
青い空が緑の木々の間から見えた。
渓谷を流れる水は澄んでいてヤマメやアユなどが泳いでいるのが見えるほどであった。
六花は白い百合と黄色の菊が織り込まれた花束を川岸に置いて両手を合わせた。
そこは緑が深い徳島の山中の一角で田中真守の養父である田中真先前刑事局長が遺体で見つかった場所でもあった。
死因は胸部への銃撃。
即死だったという事だ。
使われたのはニューナンブである。
徳島県警が管理していた銃だと直ぐに判明した。
六花は立ち上がるとこの現場へ案内してくれた三井修一と小坂慶太を見て
「だとしたら持ち出した人物が誰か直ぐにわからなかったんですか?」
と聞いた。
調書のコピーを手に三井修一が
「それが直ぐにわかりました」
と答えた。
小坂慶太も頷き
「当時の徳島県警刑事課の課長であった竜野進警部でした」
と言い
「ただ竜野前課長は直後に自殺をしてそれ以上の追及が出来なかったということです」
と告げた。
「本当に申し訳ない」
三井修一も同じく真守に頭を下げた。
六花はチラリと真守を一瞥し直ぐに2人に視線を戻すと
「でも犯人は他にいるということですよね?」
だから追及が出来なかったって言ったんですよね?
「何故犯人が竜野前課長だけでないと分かったんですか?」
と聞いた。
三井修一は調書のコピーを六花に渡し
「田中前刑事局長はここで亡くなっていた」
死亡推定時刻は真守さんに電話を入れた午後2時から発見された午後3時のあいだ
「竜野前課長はその日は朝の10時から夜の7時まで署に詰めていてそれは刑事課の人間が確認していました」
と告げた。
「トイレの10分程度の時間では署からここまでどんな方法を利用しても往復は無理です」
六花はパラパラと調書を見ながら少し顔を顰めた。
それに葵が
「六花ちゃん」
何かあった?
と聞いた。
真守もまた
「何か気付いた事があったなら」
と告げた。
六花は視線を伏せながら
「凄く嫌な想像ですけど」
遺体を発見したという通報は竜野課長さんへの合図だったのではないかと思えて
「もしかしたら竜野課長さんと犯人の間には特別な裏取引があったんじゃないかと思うんです」
命を懸けても良いほどの
と告げた。
「小説とかであれば…お金とか…ご家族の窮地の救助とか」
それに三井修一と小坂慶太は顔を見合わせた。
葵はそれに
「けど、自殺したと言えどそいつが犯人だと思ったなら普通は調べているんじゃねぇの?」
と告げた。
三井修一は小さく息を吐き出し
「それが竜野課長の通帳などを調べても多額の金銭が動いた形跡が無くて」
その後に刑事局長に就任した坂口刑事局長からの指示で竜野課長が主犯という事で決着が
と告げた。
六花は驚いて真守を見た。
真守は小さく頷いた。
「養父の死は封印されたんだ」
六花は真守を見ると
「あの、真守さんに一つ聞いても良いですか?」
と言い
「この真守さんのお父さんが付けているバッジ見覚えありますか?」
と聞いた。
「これは警察の記章…俗に言う桜の代紋、旭日章ではないですよね?」
真守は写真を見つめて
「あ、ああ」
何時もは付けていなかったけど極々稀につけているのを見たことがあるけど
と告げた。
六花は目を細めて
「そうなんですね」
と呟いた。
「でも、その…もしかしたらこのバッチは犯人のもので真守さんの養父さんを撃った後につけかえたのかもしれません」
それに全員が六花を見た。
三井修一は固唾を飲み込み
「何故?そんなことを」
と呟いた。
六花は首を振ると
「わかりませんけど」
でも本当だったらバッチの表にも血が付いているんじゃないかと思って
「だから亡くなった後につけかえられたんじゃないかと」
と告げた。
小坂慶太も写真を見つめ
「いや、でも偶々…周囲に血が付いていない部分もあるし」
と呟いた。
六花はそれに指をさして
「確かにそうなんですけどここからバッチの部分を抜けて線のように血が付いています」
バッチの下は線が途切れています
「血はついていたと思います」
と告げた。
それに全員が顔を見合わせた。
六花は悩みながら
「犯人が何故バッチを付け替えたか理由は分からないんですけど」
きっと意味があるんだと思うんです
「犯人にとって」
と告げた。
「だから、手掛かりになるかと思います」
三井修一も小坂慶太も真守ですら元々バッチは田中真先刑事局長自身がつけていたのだと思い込んでいたのである。
六花は捜査資料のコピーを手に
「あの、この資料絶対に悪いことに使わないのでお借りしておいても良いですか?」
と聞いた。
「私たち明日のフライトで東京に帰らないといけないので」
三井修一は笑むと
「君を信じる」
というと
「あ、でも一応ちゃんと連絡を常に取りたいので」
と携帯を出した。
六花は頷くと
「お友達登録ですね!」
と告げた。
それに小坂慶太も
「あ、俺もお願いします」
と携帯を出した。
真守も葵も携帯を出してそれぞれがLINEの友達登録をしたのである。
そして、六花と真守と葵は三井修一の運転で六月の待つ冬里家へと戻りGWの最後の夕食を楽しんだ。
六花は食後に自室へ入ると真守の養父である田中真先刑事局長の殺人事件捜査資料を大切に鞄に仕舞い込み窓の外を見つめた。
「絶対に…犯人に辿り着いてみせる」
その時、扉が開き六月が
「六花」
と名前を呼んだ。
六花は振り向くと
「お父さん」
と足を進めた。
六月は優しく彼女の髪を撫で
「一つだけ言っておくが」
くれぐれも無理はしないようにしなさい
「お前が何時も無事であるように祈っているからな」
と告げた。
六月は六花が田中真守の養父の事件に立ち向かおうとしていることを感じ取っており、そう告げたのである。
六花は頷くと抱き付き
「はい、だって私、お父さんに面白いミステリーを届けるために勉強しているんだもん」
無茶はしないから
と告げた。
六月は優しく抱きしめると
「そうか」
お前を信じてるよ
と答えた。
翌日、六花と真守と葵は六月に送られて徳島空港から羽田に向かって飛び立ったのである。
推理小説研究者の探偵模倣
青い空が一面に広がり六花は行きと同じように本を読みながら機内を過ごしていた。
葵はその隣に座り
「往路のように事件が起きないように祈りたい」
と呟いた。
六花は笑みを浮かべると
「そんなに頻繁に事件なんて起きないですよ」
と答えた。
葵は覗き込みながら
「それはどんな小説?」
と聞いた。
六花は頷くと
「これは叙述トリックミステリーです」
と答えた。
「簡単に言えば重要な情報を隠した上で犯人を見つけるという感じです」
葵は腕を組むと
「重要な情報?」
と答え
「それが無くても犯人分かるの?」
と聞いた。
六花は顔を顰めると
「例えば犯人があたかも男のように書いておきながら実は女でしたーというのもあるので引っ掛かりそうになるんですけど他の情報から総合判断みたいな感じです」
と告げた。
葵は「なるほど」と答え
「俺が読んだらズルいって思うかもしれないって感じだな」
と笑った。
真守は2人の隣に座りながら苦笑を零し
「葵らしい」
と心で呟いていた。
飛行機は白い筋を引いて東に向いて青い空を滑走し、葵の心配とは裏腹に今回は事件も何もなく無事に東京へと到着したのである。
3人は羽田からマンションに戻ると先にマンションの正面に立つ冬月七月…つまり六花の伯父でありマンションのオーナーである彼にお土産を持って行き礼を告げた。
飛行機代からチケットの手配は全て七月がしてくれたからである。
七月は土産を受け取り
「いやいや、六花ちゃんが無事に戻ってきてくれただけで充分」
あ、真守君と葵くんもお疲れ
「補君は泣きながら撮影に出かけていたよ」
と笑って告げた。
3人は苦笑を零しつつマンションのそれぞれの部屋へと戻った。
六花は捜査書類を引き出しに入れて鍵をかけ、本を手にすると一階のレストランのマンションの住人用のスペースへと向かった。
真守もまた荷物を片すと同じようにレストランの住人用スペースへと姿を見せたのである。
真守は六花が昼食を前に座っているのを見ると
「いつの間にかここが一番落ち着く場所になったみたいだな」
と呟いた。
六花はそれに笑むと
「そうですね」
と告げた。
「東京ではここが一番落ち着きます」
2人は昼食をゆっくりと取ると真守はパソコンで仕事をし、六花は持って降りた本を読もうと手にした。
その瞬間であった。
バーンと扉が開き
「大変なことになった」
と蒼褪めた葵が入ってきたのである。
六花と真守は葵を見ると
「どうかしたんですか?」
「どうしたんだ?」
と同時に聞いた。
葵は息を吐き出すと
「実は詩を暫く預かることになったんだ」
と椅子に座った。
「兄貴の元妻の美香子さんが連れてきた子なんだけど美香子さん詩を置いたまま浮気した男性と逃げちゃってさ」
兄貴がその後ずっと面倒見てきたんだけど
「海外へ暫く出張することになって流石に海外には連れて行けないって帰るまで面倒見て欲しいって言われたんだ」
と告げた。
「親父とお袋に頼んだら断られて」
気持ちは分かるけどさ
六花は顔を顰めつつ
「そうですね」
一応伯父さんに聞いてみたらどうですか?
と告げた。
真守も頷くと
「そうだな、色々面倒を見てやらないとダメだからな。詩ちゃんって幾つぐらいだ?」
と告げた。
葵は息を吐き出すと
「確か5才ぐらいだったと思う」
取り敢えず冬里さんに聞いてくる
「暫く一緒に暮らして良いか」
というと立ち上がって扉を開けると立ち去った。
六花は真守を見ると
「行く当てがないと可哀想ですよね、詩ちゃん」
と告げた。
真守は頷くと
「そうだな」
と答えた。
「まあ、みんなで可愛がってあげればいいと思うけどね。行く場所が無いのはかわいそうだし葵くんとお兄さんが帰るまでの話だからな」
六花は頷いて
「ですよね」
と答えた。
案の定、葵が七月に話をするとあっさりと
「いいよ、但しちゃんと面倒見てあげること」
いいね
という事で話が付いたのである。
葵はレストランの住人用スペースでどうなったか気にしていた六花と真守の元に戻ると
「冬里さん、良いって言ってくれて助かった」
と言い
「今から兄貴が連れてくるって」
と告げた。
「詩ちゃん、めっちゃ可愛いから」
2人とも可愛がってくれると助かる
「補にも言っておかないとな」
六花は笑顔で
「そうですね」
どんな子かワクワクですね
と胸を高鳴らせた。
それから1時間ほどして葵の兄の奏が姿を見せた。
ビシッとしたスーツ姿で如何にエリートという具合であった。
ただ、兄弟だけあってよく似ていたのである。
奏は車から降り立つと七月にまず挨拶をして事情を説明し
「ご迷惑をおかけいたしますが宜しくお願いします」
と告げた。
そして、車から詩を入れたケースを出して
「じゃあ、葵」
詩を頼んだぞ
と渡すと立ち去った。
六花はケースの中で丸くなってじっと外を見ているチワワを見ると
「可愛い、詩ちゃん」
宜しくね
と手をパタパタと振った。
真守も笑むと
「意外と大人しいな」
と告げた。
葵は頷くと
「人見知り激しいから」
鳴くよりは隅っこに行くって感じかな
と笑った。
マンションに新しい住人が1人…いや、1匹増えたのである。
六花は真守と葵と共にレストランの住人用スペースに戻ると読みかけの本を手に取った。
葵は詩のケースを座った席の隣に置くと
「今は何読んでんの?」
と聞いた。
六花は本を見せると
「名探偵の自白という叙述ミステリーです」
と告げた。
葵は目を瞬かせると
「叙述ミステリーって?」
と聞いた。
六花は笑むと
「詩ちゃんみたいな感じです」
と告げた。
真守は苦笑すると
「確かに」
と告げた。
葵は腕を組むと
「えー、わからない」
詩を引き取るのは事件じゃないじゃん
と答えた。
六花は笑って
「詩ちゃんのこと始めは前妻さんが連れてきた子供だと思ってました」
読者にそう言う先入観によるミスリードをさせるミステリーです
と答えた。
葵は「あ、なるほど」と答えた。
六花は微笑み
「事件じゃない方が良いですけど」
と告げた。
その時、七月が姿を見せると
「今、補君のマネージャーの唐沢さんから電話があって補君が誰かに襲われて大怪我をして救急搬送されて意識不明だそうだ」
と告げた。
六花も葵も真守も3人とも七月を見つめた。
空には急速に暗雲が広がり雷鳴が東京の街に響き始めていた。