水死ラズ
「あの池には近づくな」
それは祖父から言われた言葉。といってもそれは私が小学校入学前という小さい頃の話であり、二十歳を目前にした今では朧気な記憶であり正確には覚えておらず、「そう言われた」というよりは「そのような事を言っていた」という曖昧な記憶である。祖父とは同居していた事はなく、小さい頃に何度か帰省という事で祖父宅へ泊まった事がある程度の関係性であり、小学校卒業後には経済的事情もあって帰省する事もなく、以来疎遠と言える関係になっていた。そんな祖父が先週に亡くなった。流石にそんな事情であれば経済的にと言ってる状況でもないので私と父母、それと二つ下の妹の家族全員でもって祖父宅へと向かう事となった。
祖父が住んでいたのは住所に村がつくような場所であり、且つそこは村の中でも奥まった場所で集落と呼ばれるような場所だった。そしてその集落には十数戸の家があるが祖父が唯一の住人だったということで、祖父の死をもってその集落は廃集落になるとの事だった。またそんな状況であるが故に村役場では毎日祖父の安否確認を取ってくれていたらしく、そして連絡が取れなかったその日、村役場の人がすぐさま祖父宅へ向かうも時既に遅く、冷たくなっている祖父を発見したという。そして村役場は緊急連絡先として登録されていた私の父にその旨の連絡を入れた。連絡を受けた父はすぐに祖父宅へ向かおうとするも、既に亡くなっているという事もあり仕事の都合もあり家族皆の都合もあり、実際に祖父宅に向かったのはそれから二日後の事だった。
早朝に出発し鉄道に揺られバスに揺られての正午過ぎ、ようやく到着したのも束の間、私達は村役場の協力の元、簡易的ではあったが早々に葬儀を行うとそのまま火葬まで行った。そして祖父は家族の手により骨壺に収められ、家族と共に自宅へと還って来た。その時点で時刻は午後も四時を過ぎ、予定としては遺品整理に着手する予定ではあったが強行軍が過ぎだようで皆グッタリとし、その日は家族全員簡単に夕食を済ませると早々に床に就く事となった。
翌日は朝から祖父宅の遺品整理を家族総出で開始した。とはいえ祖父宅の私物等、この家で生まれ育った私の父以外では誰も必要とはしておらず、母からしても行政手続き等で必要な物以外は全て不要であろうし、私や妹からしても遺品は勿論のこと、特段の思い出もないこの家ごと不要な物であった。そもそも廃集落となるなら必要な書類等のみ持ち出して後は放置しても良いのではと思っていたが、廃集落となったからといって権利等が消えるわけではなく、土地家屋については売却なり相続放棄なりの何らかの対応をしなければこの無人の集落の家であっても固定資産税がかかり続け、尚且つそれが空き家と判断されると高額な固定資産税が課せられる可能性があるとの事だった。だが無人の集落の古い家など買い手がいるはずもなく売却も不可能である事は自明の理である訳で、残るは相続放棄、もしくは国庫に土地を譲渡する制度を利用して土地を手放すという手段しかないという。だが後者では不用品を含む家丸ごと解体撤去し更地にする必要があるらしく、ならどうせ解体するなら相続放棄しても良いのではと思ったが、私の父にとってここは実家でありそれなりに思い出もあり、未来に渡り維持することは困難であったとしても心情的に相続放棄といった真似はしたくないと、そう父は母の目を見つめながら静かに言った。つまりそれは維持も出来ないし放棄も出ないと、故にそれなりの費用がかかるのを承知の上で祖父宅を解体撤去し、更地にした上で国庫に土地を譲渡する方法を選択したいとの事であり、さらに言えばそれは家族に対し経済的負担を強いるかもしれないが許してほしいとの父の懇願でもあった。私と妹はそれに対し何ら反対する意思は示さず「いいんじゃない」と軽く返事した。だが母は貧困とまでは言わずとも裕福なわけでもない家の経済状況にあって、下手すれば百万単位の出費を強いられる解体撤去費用、それも自分達にとって必須ではないその費用負担を求められた事に対し暫し眉をひそめ沈黙していた。そして十秒程の沈黙の後、母は「仕方がないわね」と溜め息混じりにそう言うと、私と妹の方に向き直り、「お母さんのせいでなくお父さんのせいだから」とでも言わんばかりに「しばらくの間は外食とか出来ないからね。お小遣いも減らすかもしれないけど良いよね」と、圧を交えた笑みを浮かべながらに言った。未だ学生の私と高校生の妹に取って無償の愛と呼べる存在の小遣いを減らすなど聖域を犯す程の愚行ではあったが、軽い気持ちで「いいんじゃない」と口にした以上、それが父の味方をしてしまった事でもあるのだと瞬時に理解した私と妹は何ら反論も出来ず沈黙をもって了承するほかなかった。ということで祖父宅の片付けをする必要もなくなり両親からは「あなた達は遊んでていいよ」という言葉を頂き、妹は縁側に腰を下ろし携帯ゲームに勤しみ、私はゲームに興味もなく他にやる事も無いので付近を散策する事とした。
山間の集落という事もあってか、少し歩いただけで集落全体を見渡せる場所へと辿り着いた。そこからは祖父宅を含む十数戸の家が見えた。家人不在の家々。いくつかの家は柱が折れ屋根が崩れ落ちていた。祖父とは特段仲良しという間柄ではなかったが、祖父宅以外の家の全てが空き家だった集落にたった一人で住んでいたという祖父に対し、何か後ろめたい気持ちを感じた。そんな後ろめたさを感じつつ歩いていると、いつの間にか山の中の一本道を歩いていた。それはおそらく人が歩き続けていた事で出来たであろう細い道で、木々の間を抜けてゆく道。そんなどこに向かうのかも分からない道を私は一人進んでいた。すると不意にして開けた場所に出た。
「この場所って……」
木々に囲まれた中で不意に現れた広場と呼べるようなほぼ円形の場所。その奥には小さな祠が一つあり、それは古びてはいたが誰かによって管理されているのか綺麗な姿を保ち、まるでここを守っているのは私だとでも言わんばかりの雰囲気を醸し出していた。そこで不意にして祖父の言葉を思い出した。
《細い山道を歩いてゆくと不意にして広場が現れる。そこには池がありその池の奥の淵に小さな祠がある。だがその池には近づくな。近づいては駄目だ》
「そうか、爺ちゃんが言ってた場所はここか……。あれ、でも……」
祖父の言葉通りのその場所こそが祖父が行くなと言っていた場所であろうはずなのだが、それは昨今の異常気象のせいなのか、池は完全に干上がっていた。
「結局、池に近づくなって言ってた理由は何だったんだろ」
池が無くなった今となってはその理由はどうでも良い事であった。もしかしたらそれは干上がった池の淵に建っている祠に関する事だったのかもしれない。そしてその祠の近くに寄って見てみれば、そこには萎れた花が置かれていた。長らく祖父一人しかいなかった事を踏まえれば、その花を置いた主は祖父であったのだろう。であれば私も手ぐらいは合わせておこうと、私は祠の前で目を瞑り合掌した。
「ねぇ君、この辺の子?」
不意にそんな言葉をかけられた。おもむろに振り向けば、そこには長い黒髪に白い肌、折れそうな程の細い体躯に膝丈程の白いワンピース姿の女性が一人立っていた。
「……?」
年齢的には二十代後半位かと思しきその女性を不審者を見るような目で見つめてしまったのか、女性は自分はこの辺に住んでいる者で決して怪しい者ではないと、そう弁明するかのようにして言った。
「あ、そうなんですか。僕はこの近くの集落に住んでいた祖父が亡くなって葬儀と遺品整理に来ただけでこの辺の人間ではないですし、明日明後日には帰ります」
「そうなんだぁ」
女性は優しい笑みを浮かべながらそう言うと「じゃあね」と踵を返し、私が通ってきた道を集落とは反対の方へと歩いていった。
「綺麗な人だったなぁ。この辺に住んでるって、あっちの方に集落があるのかな? あ、池の事聞けばよかったかなぁ。ま、いいか」
時刻は午後三時。まだ陽も高い位置にあるはずなのに高い木々に囲まれたその場所は日中でさえ薄暗く、他に見るべき物も興味を引く物もないようなので祖父宅へと戻る事にした。そして戻った後は暫しダラリと過ごしていると、いつの間にやら夕刻になり家族四人で卓を囲んでの夕食が始まり、それが終わると妹が最初の風呂のローテーションが始まり、その後は各々何するでもなく時間を潰していたが、気が付けば皆、床へと就いていた。
「………………は……は……ヘッブシッ! 寒っ!」
季節は夏。とはいえその集落は標高が高めな場所であるため日中はともかく夜は冷房が不要な程に気温が下がる。なので寒いのは知っておりそれを考慮した上で就寝していたのだが、寒さに目が覚め跳ね起きると、そこは布団の上でも祖父宅でもなく、周囲を木々に囲まれた森の中だった。
「な、何だここ! 何で俺地面で寝てるの! つうか寒っ! ……あれ、ここって……うぁっとっと」
ブルブルと震えつつ立ち上がろうとしたら足に何かが絡んで躓いた。一体何だと足元に目をやれば、何かが足首に絡まっていた。その何かを振りほどこうと手を伸ばすと、逆にその何かが振りほどこうとした私の手首を掴んだ。
「!」
薄暗い月明かりの中で見えたそれは、地面から伸びた人の手以外の何物でもなかった。
「ぅっギヤャァ縺縺薙え繝ウ繝∝ァ萓ソ蟆丈セソ!!!!!!!!」
私は人生に於いて初めて、言葉にならない言葉でもって悲鳴というものを上げた。
「ちょっ! ちょっ! はっ、離してっぇぇぇぇぇぇぇ!」
地面から伸びる手に懇願するもその手はグッと掴んで離さない。
「こんばんわ」
「ひぃっ!」
こんな夜更けのこんな場所、そしてこの状況で後ろから声を掛けられたせいで、私は可愛い悲鳴を上げてしまった。そしてビクビクしながらおもむろに首を後ろに向けると、そこには人の顔があった。
「ぁぁっ………」
最早言葉も無い。実際、顔があるというよりは、私が目覚めた時には何もなかったその場所に、首から下が地面に埋まっている人らしき物があると言った方が正解ではあるが、月明かりしか無い闇夜の中、ソレが長い黒髪と白い顔だったことで顔の輪郭が強調され顔だけが浮かんでいるよう見えていた。そしてその顔には見覚えがあった。
「あ、あ、あんた、た、た、確か昼間に会った女!?」
「覚えていてくれたんだ、嬉しい」
顔は笑顔でそういった。何が起きているのかそれが現実なのか何も分からず呆然としていると「もう少しだからそこで待っててね」とその顔はそう言って、乾いた地面の中にズブズブと消えていった。
「な、な、なに、何が……」
そんな理解不能な状況ではあったが、今優先すべきは私の手首を掴んでいる手を振りほどいて逃げる事以外になく、私はその手を振りほどこうと全力で引っ張るもそれは一切離れず、指を一本一本剥がそうとするもビクともせず、むしろ足掻けば足掻く程に私の手首を締め付け、その度ミシミシと手首の骨が軋んだ。
「ぐぁッ!」
すると微かにではあったが、足元付近からゴポゴポという音がした。音の方へ目を向けるとそこで何かが湧き出していた。
「な、何だ? み、水か?」
ゴポゴポと留まること無く湧き出し続けるそれはやがて広場を埋める程の水たまりを作り出し、当然私はその水たまりの中にあり直ぐにビショ濡れになった。
「何だこの水は……。まさかこのまま水が湧き続けて溺れちゃうんじゃ…」
私の手首を掴む手。そして突如湧き出し始めた水。既にその水は広場を満たし、水深は十センチを超え池と呼ぶに相応しい形容となりつつあり、私の焦りは頂点に達していた。
「おまたせぇ」
「ぅギ縺!繧薙メ繝ウ繧ウ縺カ繧翫■繧薙?繧!!!!!!!!!?」
月明かりしか頼れない暗闇の中で漆黒の池の中から現れた女の顔。といっても先程とは異なり濡れた長い黒髪が顔全体を覆い隠していたことで恐怖度は先程よりも増し、又も言葉にならない言葉でもって驚きと恐怖を表すこととなった。
「こ、これ! 一体どういうことですか!」
女を直視出来ない私は恐怖に抗うようにして目を瞑り、喉が潰れんばかりの大声でその顔に聞いた。
「もぉ、そんな怒鳴らなくても聞こえるから大丈夫よぉ。じゃあ、今からお姉さんが教えてア・ゲ・ル」
「!?」
女のその言い方に良からぬ妄想が脳裏をよぎったまさにその瞬間、今は水に覆われているとはいえ先程まで地面だった場所が底が抜けたようにして消え失せ、その場所は底なし沼のような状態となり、その水底へと私の手首を掴んでいた手が引きずりこんでいった。
「ガボッ!」
『私はあの祠の神様。鎮守様? 氏神様? この付近においては万能な神? みたいな?』
水の底へと引きずり込まれていく中、その水の中で女の声がした。藻掻き続ける私に返答する余裕などはなかったが、そんな状況などお構いなしに女は一方的に話し続ける。
『昔はね、雨乞いされたり肥沃な土地にして欲しいとか色々お願いされたりしてねぇ。まあ私も頑張ったのよ。何百年も頑張ったの。この土地の為に、この土地に住む民の為に。でもさ、皆この土地を離れてゆくのよ。どう思う? 何百年も頑張った私を置いて出ていくのよ? どう思う? 尽くした相手に捨てられる気持ち分かる?』
女がそんな愚痴を吐き続けるのを私は聞き続けていた訳だが、それよりも何よりも、水の中で溺れかかっているはずなのに息が出来ていないはずなのに何故か苦しくなく、むしろ私は心地よい浮遊感を感じていた。
『都合の良い時だけ頼って用が済んだら捨てるってどう思う? 信仰心が私の糧になるんだけどそれもお座なりになってくるしさぁ』
この村の人間でない私には状況が一切分からない。一般的に集落と呼ばれるような場所は神様とかの行事やら古い言い伝えとかを大事にしているイメージがあるがここは違うのだろうかと、今更どうでもいいことを考えていた。というかなぜ水の中なのに苦しくないのだろうか?
『ああ、ここは水といっても普通の水とは違うから苦しくないのよ。これは水というより私自身なの。だからその水の中にいる君の思考も手に取るようにして分かるの』
女の体の中に取り込まれている?
『そう。今君は私に取り込まれている最中なの。君の肉体精神思考といったありとあらゆる全てが私の中で溶けて取り込まれるの。だから言葉にせずとも思考を読んで対話が成立するのよ』
溶ける? 取り込まれる? 私が? なら私は今後どうなる?
『君は私の中で生き続ける。といっても自我はなくなる。この地の神である私の血肉的な物になるのよ』
「……」
今感じている浮遊感の心地よさのせいだろうか、とても理不尽な状況に置かれているであろうにも関わらず、不思議と怒りとか悲しみとかの感情が一切湧かない。単純な話、今私はリアルタイムで殺害されている途中であるというのに、何らの感情も湧かない。そういえば葬儀の手伝いに来てくれた村役場の人に世間話として聞いた話の中で、あの集落では夜逃げするようにして急に人が減ってゆき、とうとう祖父一人になったのだという話を聞いた。だがもしかしたらそれは夜逃げではなく────
『そう、みんな私が取り込んだの。だって皆して集落を出ていこうとするんだもん。バカにしてるわよねぇ。だから決めたの。出てゆくなら取り込んじゃおって。私に対する信仰が失せたならもう要らないから取り込んじゃおって』
「……」
『で、気付けばあの集落は君のお爺さん一人になっててねぇ。で、その最後の一人も最近亡くなったでしょ? 流石に人が居ないんじゃ信仰を得られなくて私も終わりかなぁって思ってたら君達が来てくれたの』
空腹な猛獣の前にノコノコと私達がやって来たという事だろうか。
『ピンポ~ン。正解でぇす。いやぁ嬉しかったぁ。おまけに君は祠まで来てお参りまでしてくれたしねぇ。つうか、お姉さんを猛獣呼びするのって失礼じゃない? ひどくない? お姉さん泣いちゃうぞ』
猛獣呼びはおいといて、その話の流れなら「助けてあげる」とかになりそうだが?
『ブッブー。ハズレぇ。だって君は遺品の片付けに来ただけでもう二度とここへは来ないでしょ? 君がお参りしてくれたのは嬉しかったけど私に対する信仰とかは無いでしょ? だから助ける理由はありませ~ん』
「……」
そもそも人を取り込むことに何の意味があるの? つうか取り込むって何? 食べるのとは違うの? それとも単なる趣味?
『や~ね~。そんな趣味無いわよぉ』
「……」
『私は信仰が形となった存在なの。だから基本的に信仰がなければ存在し続ける事は出来ないんだけど、実は存在し続ける手段としてはもう一つあって、それが人を取り込むって事なの。でもそれは信仰の代わりに人の魂を取り込み糧にするという事であって、人を食べるという事では無いの。分かる?』
う~ん、分かるような分からないような…。
『まぁ、ぶっちゃけ禁忌とされてる行為だけどね。ははは。でもこれは私を蔑ろにした者達への正当な懲罰的な意味もあるからセーフ!』
「……」
そういえば一緒に来た父と母、あと妹は今どうしてるんだろ?
『君のお父さんもお母さんも妹ちゃんも既に取り込んだわよ。でもって君が最後』
「……」
う~ん、というか私達はお姉さんというか神様を蔑ろにしたわけでもないのに取り込まれるのは何故?
『一言でいうと……運が無かった、間が悪かった、みたいな?』
「……」
なんだろう、ここは怒りか悲しみの感情が湧いてもいいはずなのに何らの感情もなく、むしろ心地良い。
『君は今、神様である私の中にいるからね。喜怒哀楽といった感情は起こらないの』
そうなんだ。因みに父や母や妹が取り込まれる時も同じ? 苦しんだりしなかった?
『君も苦しくないでしょ? みんなも同じよ。みんなの場合は寝ている所を取り込んだから何があったかも分からないまま消えたわよ』
そうか、苦しみも悲しみもなく逝けたのなら、それはそれで良かったのかもしれない。あれ? そういえば何故祖父は取り込まれなかったの?
『元々君のお爺さんは小さい頃からこの祠の場所によく遊びに来てたのよ。で、たまたま私が集落の人を取り込むのを偶然目撃したの。そいつは村を出ようとしていた訳じゃなく私というか祠に対し石をわざとぶつけた奴でね、そんな不敬は許されるわけ無いから直ぐに取り込んでやったわ。そもそも誰一人としてこの村から出さないなんて事はなかったのよ? 現に君のお父さんは集落から出ていった訳だし。出ていこうとする者が多くなったのはここ十年位の話だしね。あ、話がズレたわね。えっと、あ、そうか。で、その時、君のお爺さんに「今見た事を決して口にしてはだめよ。もしも誰かに話せば、もしくはこの村から出ていこうとしたならば、君もあの者と同じようにして私に取り込むからね」って優しく言ったの』
「……」
『そうしたら君のお爺さんは「絶対に村を出ていきません! この事も話しません!」って言ってね、その約束を生涯守ったのよ。凄いわよねぇ。アハハ』
「……」
『別に信仰を強制するつもりはなかったけど、君のお爺さんはその日以降、毎日祠に来てお参りしていたわ。余程その時のことが怖かったのね。アハハ』
「……」
『そんな人が亡くなって信仰もなくなり私の糧が無くなり落胆していたらその人の孫が来るんだもん。もしかしたらここに住むのかなって思ったら明日明後日には帰るっていうじゃない? ならすぐにでも取り込むしかないないでしょ?』
なるほど、ならば仕方ないか……。というか私はここまでどうやって来たんだろ? 確か祖父宅の布団で寝ていたはずなのに。
『深夜、私がここまで運んできたに決まってるじゃない。あ、細腕の女にそんな事出来るはずがないとか思った? だってほら、私神様だから人間のそれとは違うから。ウフフ』
なるほど、神様に物理法則は通じないという事か。
『そういう事ね』
何かと同化してゆくような不思議な感覚。感情もなく感覚も乏しくなってきた。
『あと少しで取り込めるからね』
自分自身が水になるような、そして吸われるような不思議な感覚の中で、私は祖父の言葉を思い出していた。
祖父は何と言っていたんだっけ?
池に近づくなだったと思うが水に近づくなだったろうか?
水に入るな? 水で死ぬなだったろうか?
見ず知らずの者に近づくなだったろうか?
魅入られ…る? だから…水に近づく…な…とか…
ああ…もう…何も…かん…が…える…事が…出来な………、
『やっと取り込めたわ。でも今回は運良く四人取り込めたから良かったけど、あの集落が廃集落になるのは確定してるし、私を信仰する人が現れないと私もそう長くは持たない訳だし。あ~あ、早く次の誰か来てくれないかなぁ。そうしないとお姉さん淋しいわ』
2025年08月28日 初版
「夏のホラー2025」企画投稿作品/テーマ「水」




