第4話 その1 ワトソンはかせとつみきのガチョウ
クリスマスの気配が近づいてきたとある夜、
ワトソンはかせのもとに小さなつみきのガチョウがやってくる。
はかせの新しい友だちは、さてはて、どんな事件をもたらすのか・・・。
「なんだこれは。なにものだ」
ワトソンはかせはテーブルのうえに置いてあるつみきのガチョウを人さし指でつんつんした。彼のもこもこなコートはいまだその小さな身体を包んでおり、マフラーどころか手袋すらはかせにくっついたままである。無理もない。彼がハドソン夫人との買い物とランチから帰宅してからまだ一分も経っていないのである。
ホームズは吸い終えた煙草を灰皿に落とし「おかえり」とワトソンはかせに呼びかける。同居人から同じ返事が戻ってくるのを待って、彼はのんびりと奇妙なできごとを語り始めた。
「ピーターソンからきみへのプレゼントだよ。なに、今朝ちょっとした事件があってね。夜警終わりのピーターソン巡査がこの家を訪ねてきたんだ。なんでも、朝方ベッドフォード・スクエアのあたりでつみきのガチョウを拾ったが、拾ってしまったところで管轄区が異なることに気付きぼくのところへ持ってきたのさ。自分の担当区じゃないと手続きがやっかいなことになるからな。ぼくはちょっとした推理を披露して、そのガチョウの持ち主が配管工のジョン・ホーナーであることを教えてやった。まあ、正確にはつみきを落としたのは公園にほど近い通りに住む少年で、その家には兄妹と夫婦が四人で暮らしており、父親の仕事はホテルや公共施設を相手とする配管工だと言ったんだけどね。そうしたら巡査は『ひとり思い当たる男がいますな』と言って、まさしくそのとおりだったというわけだ。彼はさっそくホーナー一家へ届けに行ったんだが、少年はもうすでに新しいつみきを手に入れていた。そんなわけで、古いガチョウを一家のもとに返して、その新しいガチョウは晴れてきみのものになったわけだ。ピーターソンには子供がいないからね」
「食べられるガチョウならよかったのに」
「はは、世のなかそううまくはいかないさ。車輪と、首輪のところにヒモがついているだろう。中に小さなつみきがはいっていて、引っぱって歩くとカラカラ鳴るんだ。夜はマントルピースに飾っておこう。クリスマスにピッタリのオーナメントになるよ」
ワトソンはかせは両手を伸ばして気の早い黒服のサンタクロースから贈られたというつみきを手に取った。友人の説明どおり、ガチョウの首を白いヒモが彩り、ひっくり返してみると足に当たる部分に丸い車輪が四つもあった。どうやら飼い犬をを散歩するように引っぱってともに歩けるようだ。
はかせはガチョウのつぶらな瞳と見つめあって、不満そうに唇を突き出した。
「ピーターソンはいつだってぼくを子供あつかいするんだ。きみもそう思うだろう、名無しのガチョウさん」
「へえ、そのわりにはずいぶんそいつを気にいったようだけど」
ホームズのからかいにワトソンはかせはなにも答えなかった。代わりに抱いたガチョウを部屋の中央まで持ってきて、ふかふかの絨毯のうえへと置いてやる。本人もそのまま座ろうとしたが、思い直してカウチにあったクッションを下敷きにして座った。はかせの同居人がよくやっている格好である。同時にはかせはその行為がいつもハドソン夫人の小言とセットであることを思い出したので、おそるおそる部屋の入口を見て、大家の気配がないことをきちんとたしかめた。
ターコイズの眼がじいっと新しい住人を観察する。前から、横から、そして上から。真剣なその姿はさながら事件を調査しているときのシャーロック・ホームズのようである。背中にぐさぐさと刺さる視線がその感覚をものがたっているような気がする。ワトソンはかせはどこ吹く風だ。
「シャーロックにしよう」
「なんだって?」
「このガチョウの名前。シャーロックにする」
「それはちょっと……複雑な気分だな………」
シャーロック。シャーロック。声変わり前の高い響きが友人をいたくこそばゆい気持ちにさせた。そのためかホームズが立ち上がり、そそくさと部屋の奥へウイスキーを取りに行く。布擦れのあとにキュッとコルクのまわる音がして、琥珀色の液体が拭きあげたばかりのグラスを満たしていった。もちろん、同居人が心を落ち着けているあいだもワトソンはかせはガチョウとコミュケーションを撮るのに夢中であった。
「あれ?」はかせがそう呟いたのは、ホームズが二杯目のグラスを空にしたあたりのことだ。「ねえ、これちょっと変だよ」
友の言葉を受けてホームズが傍らにしゃがむ。
はかせは友人を見上げながら持っているつみきのガチョウ、もといシャーロックを上下にふってみせた。
「音が鳴らないの。なかにはなにも入ってないみたい」
「おかしいな、たしかにピーターソンが持ってきたあれと同じ製品だと思ったんだけど。ちょっと貸してごらん」
ワトソンはかせがガチョウを手渡すと、ホームズはそれを自分自身でも軽く振ってみて、そっと耳を近づけた。そのあとじっくりとガチョウを観察する。前から、横から、そして上から。はかせはそんな友人を見ながら「さっきのぼくと同じじゃないか」と、自分のまねっこが上達したことに心のなかで拍手を贈った。まねしている自覚はあったということである。
「変だな」ホームズが誰に聞かせるでもなく言う。ワトソンはかせはあえて相槌を打たず、静かに続く言葉を見守っていた。「近くで観察すればするほど、このつみきが先ほどこの部屋にもたらされたそれと同じ型番なのがわかる。それほど高くない、工場でいくつも生産された代物だ。裏を見ると作った会社の名前も書かれている。なのに内部にはなにも入っていない。いや、なにもないのは単なる製造工程でのミスだろうと考えられるのだが……なによりの問題はこのガチョウ、そもそも『なにかを入れる』ための構造をしていないんだ。唯一考えられるとすれば穴の空いている口だけれど、工程の最後にここからねじこむのは効率が悪すぎる」
「じゃあ、こっちのシャーロックが正しくて、あっちのガチョウが変ということ? 間違って落ちているものを食べちゃったのかしら」
「そういうことだな。きみのその、あー、シャーロック……は違うけれど、ホーナー家のガチョウは質流れの中古品だ。前の持ち主がなかになにか小さいものを入れたまま預けてしまったのかもしれないね。ねえ、やっぱり名前変えないかい? ちょっと気恥しいのだけど」
「いや」
同居人が肩を落としてカウチに戻る。
ワトソンはかせはその背中についていって、腰を落ち着かせた男のひざによじ登った。もちろんガチョウのシャーロックも一緒である。その夜はかせはシャーロックとホームズのあいだに挟まって、それはそれはご満悦の様子だった。