ピンチ
そういえばいったいなぜ私は蜂鳥さんにユキちゃんを渡すためにここに来なければならなかったのだろう。
依頼者をサバゲー連中から逃がすのになぜ人形が必要だったのか?
まさか本当に人形がないと声が出せないとかそういう精神疾患なのだろうか、だとしたらあまり地声が聞きたいとかつっこまない方がいいのだろうか…。
そんなことをぼーっと考えているとキャンプ地の方がにわかに騒がしくなっている。
しかし蜂鳥さんがいないので会話の内容はわからない。
人物の動きとしてはとりあえず依頼者であるスーパーの息子が商店街会長の娘に馬乗りにされていた。
そんな娘をいつのまに近くに行っていたのか、父親である商店街の会長(さっきまでタコの着ぐるみだった)が羽交い絞めにして止めているが、その止めに入っている会長をスーパーのエプロンつけた壮年の男性が止めている。
だれだこのスーパーの男性…もしかしたらこの人がスーパーの社長だろうか。
蜂鳥さんは馬乗りにされているスーパーの息子の頭付近にしゃがみこんでなにやら話しかけている。
こんな状況で話しかけられるなんてどんな神経してるんだろう。
しばらくすると商店街会長とスーパーの男性が抱き合った。
え、なにどういうこと?なんで急にハグ?意味がわからん。
そして商店街会長の娘はスーパーの息子を馬乗り状態から逆エビ固めに移行。
そして蜂鳥さんは逆エビをかけている商店街会長の娘さんになにやら書類にサインしてもらっている。
ってあれ?もしかして蜂鳥さん喋ってる?なんか普通に談笑してる?
いや、あんな状況の人と談笑してるとか全然普通ではないけれど、とにかくなんか話してる!いまあっち行けば声が聞ける?!
こうしちゃいられないと移動しようとした時、すぐ後ろあたりでなにかの気配を感じて振り向く。
「お、おおう…」
獣、まごうとことなき獣。
硬そうな毛がしっかり見えるし、なんなら息づかいも聞こえる距離に四つん這いの獣。
「いのしし…」
自宅で飼っている犬以外でこんな間近に生き物を見るってあんまりないよなあ、とか現実逃避してみる。
数十センチ先で野生の獣の息づかい。身体が動かなくなるくらい、怖い。
どうする?どうすればいい?
とりあえずゆっくり後ずさりして距離をとろうと試みる。
いままでそれなりに勉強を頑張ってきたが、その反動か運動神経にはあまり自信がない。
いのししの背中の毛が心なしか逆立っている気がする。
よくない、これきっとよくないやつ。
助けを求めようとキャンプ地の方を振り返ると、異変に気が付いたのかすでに蜂鳥さんがこちらに走ってきてくれている。
その時
「さやかちゃん伏せて目を閉じて」
強く叫ばれる。
答えるよりも早く身体が反応し、地面に這いつくばっていた。
その声にはそれくらいの力があったから。
その声。
低すぎず高すぎず、甘すぎず渋すぎず、それでいて乙女の鼓膜を一瞬で虜にする魔性の王子様ボイス…。
「え、いまの 声」
こんな時にそんな事が気になるなんてたいがい乙女だな自分。
なんだか笑ってしまう。
這いつくばって目を閉じているのでなんだかよくわからないが、どうやら蜂鳥さんは私を背中にかばってくれているらしい。
なにかを噴射している音と土を蹴る音、何人かばたばたと近づいてくる声と足音。
うっすら片目だけあけて見ると、ユキちゃんが口から毒霧を出して
『うちの新人に手を出さないでよね!』
と可愛らしい幼女の声で叫んでいた。