75.全ての勝負師達の、魂の賛歌
「林……?」
俺の事をシンジさんと呼ぶのはあいつしかいない……でも、林にしては声が、違う。いつもの爽やかボイスではない、ドスの効いた声だ。それに……声の出処が掴めないんだ。耳では無く、心に話しかけられているような……
「全身全霊が切れたから、なんです!? それでレースは終わりなんですか!? あんたの思いは、その程度なんですか!?」
林は必死に叫ぶ。そんな事……分かってるよ! 俺だって、勝ちたい気持ちは強い。でも……
「じゃあ! どうすりゃいいんだよ! 奥の手が無くなった今、この状況をどう返すんだ!」
俺は無責任に返した。もう、分からないんだよ。俺は。
「……そんなの!」
林は言葉を詰まらせず、力強く言った。
「『信じる事』しか出来ねぇだろ!!!」
「信じる……だって? 何を根拠にそんな事……」
俺は拍子抜けしてしまった。なんだよ、信じるって。
「根拠なんてねぇよ! もしかしたら、あんたはそれをバカにするかもしれねぇ! 意味がないと罵るかもしれねぇ! でも、あんたら2人の『勝ちたい』が力になったように、何かが起きるかもしれねぇだろ! 俺はそれに賭けてんだ!」
「く……」
俺は少しだけ、林の気迫に押されてしまった。今まで、俺たちはいろんな言い争いをしてきた。だけど、今日の林の言葉の重みは、過去最高に深く俺を押し潰してきた。
「しかも、もう既に『キセキ』は起きている! 俺とあんたには今、シンクロに近しいものが起きている! だから心に直接語りかけられているし、ほんの1秒にも満たない時間でここまで会話が出来ている!」
「なんだって……?」
言われてみれば、ここまで多くの言葉を交わしているのに、俺の脚はまだ1歩も前に進んでいない。シンクロが起きた時特有の、時間が止まったような感覚……それが起きているとでも言うのか!
「俺だけじゃない! 聞こえるだろ、みんなの声が!」
「みんなの声だと……」
林に促されるまま、俺は少し耳を澄ました。すると……
「シンジ負けるな! リュウオーの仇を取ってやれ!」
俺の心に、聞き覚えのない声が響いた。年齢は20代前半。これはもしかして……俺を応援する観客の声なのか!?
「負けないで!」
「俺はお前を信じてるぞ!」
俺の疑問は確信に変わった。四方八方から、熱い勝負師の想いが弾丸のように飛び交っている。みんなと俺がシンクロして、想いが断片的に届いているんだ。なぜ起こったのか。それは分からねぇ。でも、俺らの『勝ちたい』という思い。そして林の『諦めなかった』意志。この2つが、キセキを起こしたんだ!
「シンジ! お前が今ここで止まったら、誰がまこっちゃんを救うんだ!」
俺の心に、聞きなれた渋い声が響いた。その声は厳しさと信頼に満ち溢れている。
「調教師……」
「俺はお前をずっとずっと、いつまでも信じ続ける! あの日、お前を見た時から、それは変わらねぇ!だから、もう一度走り出してくれ! 俺の脳を焼いた、あの時のように!」
調教師……そうだな、俺が走りを見せたあの日から、こうなる運命は定まっていたのかもしれねぇ。なら、その運命の輪廻を、止めちゃいけねぇ。俺が止まったら、誰がおっちゃんを助けるって言うんだ。
「おーい、シンジ! 元気してるか!」
「え……」
次に聞こえたのは、昔、嫌というほど聞かされた声だった。このどこか気の抜けたような明るい声色……もしかしたら、いや、そうに違いない。
「おう、俺だぜ!でもよ、俺の事なんて気にせず、ふつーに走ればいいんだ!」
「おっちゃん……!」
おっちゃんはいつもの優しい声で俺を激励した。本当は、おっちゃんが1番辛いはずなのに……おっちゃんが、1番心配なはずなのに……
「レイワカエサル……あいつは確かに強ぇよ! でも、勝てない相手じゃ、ないだろう? それにさ、お前、全然楽しそうじゃねぇよ! こんな楽しいレース、悲しい気持ちでやったら損だ。精一杯、楽しんでこい! それで負けても、俺は後悔しねぇ! グッドラック!」
おっちゃん……あんたって人は……どこまで優しいんだよ……!
「おう……わかったぜ!」
俺はおっちゃんに伝わるよう、大きな声で言った。
それからも、本当に多くの人が応援の声を届けてくれた。今まで関わってきた人。今、トレセンで待機している馬たち……状況としては、菊花賞に負けて不貞腐れていたのを立ち直った時に近い。その時と違うのは、規模だ。何千ら何万という暖かさの波が、俺を包み込んでくれている。俺は……本当にいろんな人に支えられていたんだな……
「シンジ」
そんな波の中に、ひとつだけ異彩を放つ声があった。聞くだけで、胸が熱くなるような、そんな声。俺はこの声を覚えている。
「リュウオー……」
俺はあいつに、沢山話してやりたい事があった。でも、喋れなかった。いざ話すとなると、何を話していいのか分からなかったのだ。そんな俺を見たリュウオーは少し鼻笑いをして、こう言った。
「負けるなよ」
俺たちには、これだけ充分だろう? これは、そういうメッセージだった。
「1号……ボクの心、いつになく熱いんだ! さっきなんかよりも、全然!」
今までずっと黙っていた1号が口を開いた。1号の熱は、俺にも伝わっていた。そう、1度切れてしまったシンクロが、再度繋がったのだ。
「俺もだ……! これなら……いける!限界を超えた、その先へ!」
「ああ、行こうよ! 1号!」
「俺も準備万端ですよ、シンジさん!」
俺たちは頷き、集まった心を1つに纏める。
「これはもう……全身全霊なんかじゃあねぇぞ!」
「みんなの心が詰まりに詰まった……!」
「俺たちの勝負師の最終奥義」
「そう、これは……」
俺は大きく息を吸い込み、気合いに変えて吐き出す!
「魂の賛歌・∞だぁぁぁぁぁ!」
俺は地面を蹴り潰すように、みんなの力を右脚に込めて、1歩を踏み出した。
止まっていた時が、再び動きだす。




