66.こんぐらいで諦め切れるかよ
遂に物語はクライマックスへ
「ど、どうして……俺……が……」
最後、伸びなかったから負けた訳では無い。残り100m地点で、俺は、負けていた。
「……ジさん! シンジさん!」
林の声でハッと我に返った。普段ではこんなことはありえない。心が、おかしくなっている。
「大丈夫ですか!? どこか痛めてしまったのですか!?」
「……いや、何ともない。単なる俺の……実力不足……」
林の忙しい声と対称的に、俺の声は小さく、震えていた。
「誠さんの借金は、何とかします。絶対、酷い結末にはさせない。だから、シンジさんは……自分のことだけ考えて……今は……」
「……おう」
俺は力無く返す事しか出来なかった。
「何やってんだコガネスターロードぉぉ!」
「俺はシンジスカイブルーの三冠を見に来たんだぞぉぉ!」
「てめぇみたいなパッとしない馬、興味ねぇんだよぉ!」
スタンドから怒号が響く。この競馬場に集まった、ファンの声だ。みんながみんな、という訳では無い。1部の過激な人達が叫んでるだけだ。俺はそれを聞いて、無性に悲しく、悔しくなった。俺が勝っていれば……俺が、強ければ……そんなことが浮かんでは消えていった。
「おい」
声がした。林ではない。俺は前を向く。そこには、金色のたてがみをたなびかせ佇む、コガネスターロードがいた。
「あんたは」
「お前が何故負けたのか、教えてやろうか」
俺が続きを発する前に、コガネはこう問いかけた。俺は黙って頷いた。
「お前はまだ、自分の潜在能力の50%しか出せていない。その原因は何か。心が完璧に合ってないからだ。もう1人の自分と腹割って話をしたか? そいつのために命を賭けれるほど、相手の事を思えるか? ……これが無ければ、完璧に心を合わせ、100%に力を出すことなど出来ない」
「そんな……」
俺は今までの2号とのやり取りを振り返る。言われてみれば、確かにその通りだ。もし2号の代わりに死ねって言われても、死ねない気がする。それは、2号にしても同じはずだ。俺たちは心が合っているように思ってただけで、本当は「そこまでシンクロ出来ていない」。
「……逆を返せば、お前はまだまだ強くなれる可能性があるって事だ。シンジスカイブルー、お前は俺が出会ってきた中で1番強い。だから、負けるなよ――有馬記念で会おう」
それだけ言って、コガネはターフを後にした。罵声を受けながら。
「シンジさん! あいつ……コガネスターロードになんか言われたんですか!」
林は怒りが混ざったような声で言った。
「いや……林、悪い。ちょっと気分が良くなくてな」
「そう……ですよね」
俺がそう言うと、林は暗い顔になり、敗者の出口へと進ませた。惨めで仕方なかった。消えてしまいたかった。
――
「……」
馬運車が止まったようだ。明るい光が車内に差す。俺はゆっくりと、車から降りた。そこには……
「……シンジ」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、必死に堪える調教師が居た。
「調教師……」
「…………すまなかったぁぁぁぁぁぁ!!!」
俺を目にした瞬間、調教師は崩れ落ち、泣き始めた。いつもはガタイのいい彼が、今日はなんだか小さく見えた。
「お前のレース運びも、林の騎乗も、全く悪い所はなかった。だから、お前が最後に伸びなかったのは、お前が勝てなかったのは、俺の調教のせいだ! 俺が3000mを舐めていたから、俺がお前にちゃんと調教をしてやれなかったから……お前たちの三冠を……お前の夢を……潰してしまったんだ……すまない……シンジ……」
調教師はうずくまったまま動かない。調教師が悪いわけじゃない。俺の心の乱れのせいだ。だからそんな、謝らないでくれよ。頼むから……調教師の言葉の一つ一つが、俺の心に突き刺さった。
「誠の借金は、俺が何とかする。2位でも5000万は貰えるからな。これが……せめてもの罪償いだ。……少し疲れた。じゃあな」
「あ……」
何も言えないまま、調教師は去っていった。調教師は悪くないのに。俺が、悪いのに。調教師の言葉全てが、俺の心に突き刺さった。調教師の後ろ姿は、弱々しかった。いつもは黒黒としている髪も、白髪混じりだった。ピンとしている背筋も、曲がっている。俺は無性に心苦しくなった。
――
「ちくしょぉぉぉぉ!」
厩舎に戻って、俺は自分の心を解き放った。今まで抑えていた悔しさ、情けなさ、悲しさ、全てを叩きつけながら叫んだ。その声は、聞くに絶えなかっただろう。
「ふざんけんな! 俺が全て悪いのに! 俺が正気だったら、俺が強かったら、俺が勝っていたら、俺がファンの気持ちを裏切らなかったら……コガネは罵倒されず、ファンを悲しませず、三冠も取れて、おっちゃんを笑顔にすることも出来た! 結局俺は、おっちゃんとの約束を守れなかった!ちくしょう、ちくしょう、ちくしょぉぉぉぉぉ!!!」
「1号……」
「ああそうだよ! 俺は、2号をも裏切った! かっこいいレースを見せるっていう約束をしたのになぁ! 俺の独りよがりで、コミュニケーションを取らなかったせいで、こいつの力を活かせず負けた!」
「どうしてだ、どうしてだよぉぉぉぉぉ!!!」
「……」
――
ちゅんちゅん
小鳥の声で目を覚ます。どうやら、いつの間にか寝てしまっていたらしい。外は既に明るかった。
「シンジさん、おはようございます……」
林だ。やはり元気が無い。
「今日の調教なんですが……」
「すまない、昨日のレースのダメージが少し残っていてな。今日はパスで」
嘘だ。本当はダメージなんて無い。あるとすれば、俺の心だけだ。
「そう……ですよね。失礼しました」
林はそそくさと馬房を後にした。
たった一日休むだけのはずだった。しかし、トレーニングの時間に近づく度に、身体が、震えるようになっていた。あそこまで好きだったトレーニングが、いつしか苦痛になっていた。気づけば、5日間も休んでいた。
今日もまた一日無駄にした。5日目、薄暗い電灯を眺めながら、俺はそう嘆いた。途方もない無気力感だけが、俺にはあった。
いつも通り、一日が終わってしまう。また、何もせずに。
その時だった。濃い深淵の中に、何かがうごめいているのを見つけた。人では無い。
「シンジ、いるかい?」
その何かは、俺の名前を呼んだ。この穏やかな声。人を優に越した大きさ。そして、俺の事を「シンジ」と呼ぶ奴……まさか
「久しぶり、元気してた?」
ナイトオルフェンズだった。
「最近見ないから心配したよ。ホープフルでリュウオーに負けた次の日からトレーニングに出てた君が、5日も休んでるんだからね。……怪我でもした?」
その問いに、俺は力無く首を振った。
「まぁ、メンタル面だろうね。正直……」
「ガッカリしたよ。シンジには」
「!?」
こいつ、何を言って。
「林さんから全部聞いたよ。三冠の事。それから誠さんの事」
なんで、なんで人と話せないお前が、そんな事知ってるんだよ。
「僕が目指してた、目標にしてた君は、こんな事でめげないはずだよ。どんな逆境でも跳ね返して、最後には必ず勝利を掴む。そんな君に憧れていたのに……」
黙って聞いてりゃ、でたらめな事ばっか言いやがって。俺は、今までの静かな態度を壊して、叩きつけるように叫んだ。
「ふっざけんじゃねぇよ!何が逆境を跳ね返すだよ! そんなんお前が勝手に作り上げたエゴだよ! 本当の俺は、ただのズボラな無職のおっさんなんだよ! てめぇが思ってるようなヒーローじゃねぇ! 第1、お前に何が分かんだよ! ここまで大事なレースで負けた事がねぇお前に!」
はぁ、はぁ。本当に、ムカつく。
「大事なレースで負けた事が無い……?それは聞き捨てならないな!」
ナイトがそう言うと、暗闇の中から、ゾロゾロと大きな動物……馬が現れた。
「お前たちは……」
「シンジ! あの時の俺は、調子に乗りまくってた。三冠だって楽勝だと思ってた。だから、努力も、ライバルも作らなかった。でも! お前に会えてから変われたんだよ! お前がコテンパンにしてくれたあの日から!」
「ナルト……」
「僕だってそうだ! データに頼りきって、他人を馬鹿にしてたゲス野郎の僕を、君……シンジくんが救ってくれたんだよ! あの皐月賞という大切な1戦で!」
「アトム……」
「あんなゲスな戦い方をしてた俺らさえ、シンジさんは見逃さなかった!」
「おう! 日本ダービーという名誉ある舞台で、俺らに恥をかかせてくれたからこそ、今があるんだぜぃ!」
「感謝……しかない」
「アースガルド……アーブルヘイム……ヘルヘイム……」
「お山の大将やってた俺がここまで来れたのも、お前があそこで、俺を打ち負かしてくれたからだ。正直、あの時は本当にみっともなかった。群れからもハブられた。けど、これで良かったんだよ。シンジ、ありがとう」
「パケット……」
「あの日、日本ダービーに出れなくなったあの1戦。どん底に落ちていた心を拾い上げてくれたのは、君だったんだ。俺が、今立てているのは、君のお陰なんだ」
「ナイト……」
気がつくと、涙が目をつたっていた。
「ここにいるみんな、大切な戦いに負けてきた敗者だ。でも、そんな敗者だって、こうやって立てている。みんな、活躍できている。だからこそ、俺らを立たせてくれたシンジには、沈んで欲しくない!」
ナイトの目にも、俺と同じ涙が輝いている。
「今度は、俺らが君を立たせる番だ!!!」
「シンジ!」
「シンジくん!」
「「「シンジさん!」」」
「シンジ!」
「今が立つ時だよ、俺たちの、「ヒーロー」」
込み上げてくる熱い思い。こんなところで諦めていいのかというどうしようもない責任感。今、アイツらの言葉が、俺の心の氷を、溶かそうとしている。
そしてその熱は――俺の身体を突き抜けた!
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
「!!!」
「……みんな、心配かけたな。「葦毛の雄王・シンジスカイブルー」の帰還だ!」
「「「「「「「やったぁぁぁぁ!」」」」」」」
辺りが歓喜の渦に包まれた。近所迷惑だとか、そんな事考えない。俺らの心の叫びだ!
「よかった……本当によかった……」
ナイトはその目から大粒の光を零しながら泣いていた。
「おいおい、大袈裟だって。……そうだ。お前たち、自分の馬房からどうやって出てきた? 誰か1人人間がいないとダメだろう」
「ああ、それならアースガルドが林さんに話をしてくれて……あれ? 林さんどこ行った?」
みんなが辺りを見回す。林はどこにもいない。
「正直、俺にはどうしようもなかった。どうシンジさんと向き合えばいいのか、分からなかった。だから、アースガルドさんが俺に話してくれた時、嬉しかった。少しでも勇気づけてくれればって。でも、想像以上だ。ここまで復活させてくれるなんて、思ってもいなかった……シンジさんが与えた力は、こうして、あなたの元に帰ってきた……! あなたと共に戦えて、俺は本当に……幸せ者だ……!」
闇に消えてしまいそうな微かな声だった。しかし、俺らは聞き逃さなかった。間違いなく、これは、林の声だ。
「あ、林さんいた! あの柱の影にいるぞ!」
アースガルドがそう言った。みんなは一目散にそっちの方向へと向かっていく。
「わわわ! 皆さん落ち着いて! シンジさんにバレちゃうじゃないですか!」
おせーよ、もう、バレてんだ。
「有馬記念で会おうぜ、シンジ!」
「絶対に負けないよ! 葦毛の雄王!」
ナイトとパケットの2人が、闇に消える間際にそう言った。俺は、元気よくこう返した!
「当たり前だ! 絶対てっぺん取ってやる!」
もうそろそろ完結ということで、最新作を書き始めました!
もし宜しければ、そちらの方も応援よろしくお願いします!




