37.夢へ向かって!
今回も遅れました。すいません。
俺の叫びを聞いて、他の馬が怪訝な表情を見せた。でも、気持ちよかった。スッキリした。自分の想いを吐き出すというのは、こんなに清々しいものなのか。そう思うと、ずっと自分で抱え込んでいた自分が馬鹿みたいだった。
 
正直言って、シンジストライプの重圧は大きかった。10馬身差勝利、これは歴史ある日本ダービーの中でも、トップの記録だ。2:18:3、これはシンジストライプのタイムだ。これももちろんレコード。そんな偉大な馬の産駒、俺にかかる期待は相当なものだ。調教師や林には強がってああ言ったとはいえ、心には微量の恐怖があった。
だがその恐怖は、今ここには無い。全て、広大で輝くあの空に押し付けたからだ。もう、何も無い。全ては勝利に向かって、驀進するだけだ。
牧場を後にしようとした時、1頭の馬と目が合った。ナイトオルフェンズだ。彼は言葉を発しなかった。ただ、鋭い目で俺を見つめるだけだった。
「ああ、言ってくるよ」
俺はそう目で返して、馬運車に乗った。中は暗かったが、俺の心に灯る焔が暗闇を照らした。なぁ、もう俺の中には迷いなんてないよな、ナイト。
馬運車が止まった。俺は厩務員に連れられて外に出る。俺を、暖かな光が包み込む。遂に、来たんだ。東京競馬場。半年前、東スポ杯に来た時は、ワクワクで笑顔が生まれていた。今日は、違う。今日の俺は、覚悟が違う。それは緊張でも、震えでもない。単純な、"勝利への執着"だ。俺は無表情に待機馬房に向かった。
「おいおい馬鹿だなぁ、シンジスカイブルーちゃんよ。俺ら3人組に、勝てるとでも?おい!あのシンジスカイブルーがきやがったよ!」
参ったな。お隣はあの愉快な方たちだ。だが、あの時の俺とは違う。そんな安い挑発に乗るほど、俺の覚悟は軽くない。
「お!逃げずに来たか。ま、元人間で、騎手と会話出来る俺達に勝てるほど、競馬は甘くないぜ」
「うむ、このアドバンテージは大きい。どうくる、敗者よ」
俺の予想が確信へと変わる。向こうから俺と同じタイプだってことを教えてくれるなんて、こんなに嬉しい事は無い。
「ふふふ、君はどんな負け方を見せてくれるのかなぁ?あのキザなアカガミリュウオーとか言う奴と一緒にヤっちまおうかなぁ?」
無視を決め込む。ここで反応したら、奴らの思うつぼだ。その後数分かは煽り続けていたが、次第に飽きたのかフェードアウトしていった。これでいい。
「シンジ、久しぶりだな」
横を振り向くと、見覚えのある馬体が目に入る。何度も追いかけてきた、忘れられない姿。アカガミリュウオーだ。
「我は、この最高の舞台でお前と戦える事を嬉しく思う。ここで、決着をつけよう。どちらが速いか。どちらが頂点を取るか。この、東京優駿で!」
ハリのある声、決意に燃える瞳。俺はお前のこういう所が好きだ。
「ああ、約束だ。ここで勝った方が、真の勝者だ。全力でぶつかり合おう、俺の―ライバルさんよ」
かなり洒落たセリフだろ。こんなん言ってる方が恥ずかしいわ。でも、俺はその時何も感じなかった。どちらも、真に勝利を欲する仲間だったからだ。
「今から楽しみだな。出走が」
「……ああ」
そこで会話は終わった。俺達に、これ以上の言葉は必要なかった。ゆっくり、勝負の時を待つ。来るべき時を見据えて。
精神を落ち着かせ、瞑想にふけっていた時だった。遠くから厩務員の声がする。遂に来たか。俺は覚悟を決め、ファンの待つ場所へと足を進めた。
「待っていましたよ、シンジさん。この日を、ずっと」
装鞍所では既に勝負服に着替えた林と、いつもと変わらない格好の調教師がいた。いつもは爽やかに見える林の青い勝負服も、今日は一段と綺麗で、爽やかさに磨きがかかっていた。その勝負服と林の真剣な顔のギャップが対比を生み、この勝負の大事さを物語っていた。
「シンジ、お前は今までよく頑張ってきた。そんなお前に追いつける奴は、ここにいない。力を出し切ってこい!」
調教師の熱いセリフ、普段とは気合いの入れようが違かった。言葉1つ1つに重みがある。3歳馬の頂点が決まる、日本ダービー。それにかける気持ちは、皆同じだった。俺は再び気合いを入れた。
どうやら装鞍が終わったらしい。手網を林に握られ、パドックに向かった。
今日はより一段と観客が多かった。だが、もう慣れた。昔とは場数が違うのだ。平常心を保ち続ける。そして、そのままパドックを後にし、勝負のフィールドへと場を移す。
「全てのホースマンの夢、ここ東京競馬場で行われる日本ダービー。日本晴れが生み出した絶好の良馬場2400、ここで新たな伝説が生まれるのか。まずは出走馬を確認していきましょう」
番 馬名 騎手
1アースガルド77.2倍(11人気)葛林
2コガネスターロード5.6倍(3人気)渡辺
3キングオブサガ108.0倍(12人気)中野
4セトウチナルト66.8倍(10人気)御手洗
5アカガミリュウオー3.9倍(2人気)葛城
6ヨコハマクロス32.0倍(9人気)H.クリケット
7トワイライトヌーン204.7倍(15人気)赤見
8クロスオーバーラン270.4倍(17人気)臼木
9アーブルヘイム18.5倍(6人気)葛生
10ヘルヘイム20.7倍(7人気)葛原
11アナタガスキナノ117.0倍(13人気)K.ニヨン
12シンジスカイブルー2.7倍(1人気)林
13タカノキンタロー230.3倍(16人気)鳥羽
14ニホンアルセーヌ148.7倍(14人気)S.ルパン
15スーパーパケット8.5倍(4人気)栗原
16ニホンスターマン11.0倍(5人気)赤鬼
17スペシャルインパクト23.2倍(8人気)竹野
「野村さん、やはり注目は1このダービーで10馬身差圧勝の偉業を成し遂げたシンジストライプ産駒、シンジスカイブルーでしょうか?」
「ええ、それは間違いないでしょうね。本来ならばアカガミリュウオーの方が人気が高いでしょう。でも、それをさせないのは、シンジストライプのレースを忘れられないからでしょうね。2022年の日本ダービー、あれは伝説です。それからのレースが故障で見れなかったのは残念ですが、彼は何かやってくれる素質がありますよ」
「なるほど。ですが野村さん、2023年にシンジストライプが種牡馬入りしてからというもの、未だ日本ダービーはおろかG1勝利馬さえ生まれていませんでした。シンジスカイブルーが始めてのG1制覇だったわけですが、それでも彼の人気が衰えないのは何故でしょう?」
「それは彼の生年月日が関係してきます。なんと、彼は2025年の日本ダービー、レイワカエサルが制覇した日に生まれているんですね。まさにダービーに勝つために生まれてきた馬と言ってもいいでしょう。実力もありますが、そんな偶然の重なりも、彼を1番人気にしている要因であるとも言えますよ。」
「なるほど、今回のレース、目が離せませんね!」
――
「翔太、俺はあえて何も言わないよ。今回のレースが歴史に残るレースだってのは、素人から見ても分かるから」
いつも元気に会話している若者、和義と翔太にも緊張が走っていた。いつもの質問の投げかけが少なく、会話も少ない。この雰囲気が、このレースのヤバさを物語っていた。
「うん、シンジが勝つか、リュウオーが勝つか。後世にどちらの名が残るのか。注目だな。だが、あの3頭、アーブルヘイム、アースガルド、ヘルヘイムがただで走らせてくれるかな?」
翔太がそう言うと、和義は分かりやすく嫌悪の表情を見せる。それは間違いなく翔太が名指しした3頭に向かっていた。
「ああ、あの3頭を俺は許せない。あれは、絶対に故意でやってる。偶然にしてはできすぎだ。あの2頭の勝負の邪魔をしないか、本当に心配だよ」
「いや、あの2頭ならどんなブロックをされようと、どんな反則をされようと負けないよ。自分達の手で、未来を掴み取るはずさ。」
「……そうだな!」
――
最後の準備を終え、合図がかかる。ゲートに入る時がきた。俺はゲートの方へ行き、その中に収まった。
ファンファーレが鳴り響く。どこか勇ましく、どこか美しい音色は、ただ勝利を求め走る優駿達を祝福しているようだ。俺の血が滾る。それと同時に、林の手網を握る強さも強くなる。俺達は静かに勝負の時を待つ。
場内を轟かせる歓声が、熱気として俺達に伝わってくる。その熱によって、今までの思い出が走馬灯のように思い浮かんでくる。初めておっちゃんとあった日のこと。初めて走った日のこと。初めてトレセンに行った日のこと。初めて調教師と林にあった日のこと。初めて調教を行った日のこと。初めて怪我をした日のこと。初めて林とぶつかったこと。初めて、レースで勝利した日のこと。初めて、ライバルと笑いあった日のこと。
様々な経験があって、今の俺が存在している。俺の経験は、俺の財産だ。俺の経験は、俺の身体だ。経験の量なら、誰にも負ける気がしねぇ。これら全ての経験が、俺に力をくれた。絶対に負けるわけが無い。そう信じれるほどに。
ファンファーレが鳴り止んだ。あれほどうるさかった競馬場はなりを潜め、勝負を待つ静かな空間へと変わった。その空間に、一石を投じる男がいた。林だ。
「大丈夫です、俺とシンジさんは負けません」
「何を当たり前の事を」
俺は少し笑いながら答えた。それに呼応するように、林も笑顔を浮かべる。
「よし、ここまで話せればいけるでしょう。じゃあ――」
「いきますよ、シンジさん!」
「ああ、当たり前だ。絶対にてっぺん取ってやる」
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