34.好敵手の走り
9時頃もう一本行きます。
「よくやった。おつかれさんな、シンジ。これを理解して実行するなんて、お前はホントに大したもんだ」
歓喜に湧く俺達に、調教師は優しい笑顔を向ける。その笑顔に俺も同じ顔を作って答える。
「ああ。だけど、これは俺1人で完成させた走法では無い。林と俺、2人で作り上げた走りなんだ。林の事も、褒めてやって欲しい」
俺の言葉に調教師は、更に大きな笑顔を見せ、声を上げて笑った。その顔は普段の渋い顔と少年のような笑顔が混ざりこみ、なんとも言えない独特の表情だった。
「友情による成長かぁ、いいねぇ!まるで昔の俺とまこっちゃんみたいだ!お前達は既に、切っても切り離せない友情で結ばれているんだな!」
俺は少しの疑問を抱いた。今のおじさん2人はとても仲がいい。でも、いつからこんな仲良くなったんだ?しかも、昔からの付き合いだということも言っている。俺は調教師に質問した。
「なぁ、おっちゃんと東海さんって、昔から仲良かったのか?」
俺がそう言うと、調教師は少し考え込んだ。十数秒間の沈黙が流れた後、決心したかのように俺達の方を向いた。
「そうかそうか、気になるよな。いつか話しとかなきゃいけん事だったな。少し付き合ってもらってもいいか?」
俺達は了承した。2人とも、過去が気になる言葉は同じだった。調教師が話し始める。
「俺達はな、家が近所で学校も一緒だった。だから、仲良くなるのは必然だったな。よくバカもやったし、センコーにも怒られた。だけど、2人でいる時間は本当に楽しかった。夢のようだったよ。けど、それにも終わりが来た」
「俺の父ちゃんは、実は調教師でな。後を継ぐことは半ば強制的だったんだよ。で、俺達一家は三浦に引っ越さなきゃ行けなくなった。当然、俺は反対したよ。子供ながらに家出もしたし、家を荒らしまくった。心も荒んでいって、学校も休みがちになったね。で、引越し1週間前になった時、あいつが家に突撃してきたんだ」
「俺は、自分が引っ越すことを言ったなかった。言えなかったんだ。怖くて。でも、噂というものは巡るもんなんだよな。バレてたんだ」
「俺はしこたま怒られたよ。はたかれて、怒鳴られて。なんで言ってくれなかったんだ、俺に相談してくれたら協力してやったのに、ってな。俺は答えられず、ただ泣いていた。あいつの優しさと、自分の愚かさにな。で、あいつはおかしな事いいやがったんだよ」
「"お前が調教師をやるなら、俺は牧場をやる!俺の作った馬を、お前が勝たせてくれ"と。あいつの実家は元々牧場だったのは知っていた。けど、馬なんか生産してなかったし、あいつはいっつも公務員になりたいって言ってた。それなのに…あいつは…俺を、俺を立ち直らせるために、自分の未来さえも変えてくれたんだ。俺達は、泣きながら指切りげんまんをした」
「そこから歳を重ね、俺は32となっていた。その時には父ちゃんは調教師を引退して、俺がそれを引き継いでいた。当時は若く、かなりの苦労をしていたよ。もう生きるのに精一杯で、あの約束を忘れかけていた時、彼がやってきたんだ。約束通り馬を連れて。俺は嬉しかったな。何年も前の約束を守ってくれたんだから……」
「と、少し話が長くなりすぎちまったな。俺が最後に言いたいのは、衝突してもいいから、絶対に別れるな、だ。ま、ここまで強くなったお前らなら、そな馬鹿な事はないだろうけど」
俺は林と見つめ合い、覚悟を強めた。その顔には信頼と決意に満ちた表情で溢れていた。林が調教師に答える。
「ええ、もちろんです。私は彼がターフを去るまで、乗り続けますよ。 」
林が気迫のこもった顔で答える。それを見て、調教師は再度笑顔になった。その笑顔は、眩しいあどけさが残る、彼の少年時代を彷彿とさせるものだった。
「さてと、俺は明日青葉賞があるんでね。今日はこの程度でトンズラするぜ。前、ビデオ鑑賞をしてた馬房があったろ。あそこでナイトとパケットの勇姿を見てやってくれ。テレビは置いてくから」
もうそんな時期か。そんな事を考えていると、調教師がここを後にした。それに合わせるように、俺も馬房に帰った。
「俺がいない、あいつらだけのレースか。楽しみだ」
そんな事を考えながら、俺は眠りについた。春の暖かい風が吹き、星空輝く夜だ。
――
「さぁ、待ちに待った青葉賞!ダービーへの切符を賭けた大切な1戦です。やはり注目はナイトオルフェンズとスーパーパケット!ナイトは皐月賞5着、パケットは6着。惜しくも皐月賞では出走権を得られませんでしたが、持つポテンシャルは1級品か、目が話せません」
時間は思ったより早く過ぎていった。朝起きて、ちょっとトレーニングして。そしたらもう出走だ。俺はあいつらの努力を知っているから、彼らの勝利を疑わなかった。それは林も同じだった。
「今ゲートが開きました!先頭を取ったのはナイトオルフェンズではなく7番人気アースガルド。その½馬身後方、外を通っているのは8番人気アールブヘルム。その後ろ内を通る5番人気ヘルヘイム。その後ろに待機しているのが1番人気ナイトオルフェンズ。2番人気スーパーパケットはやはり最後方」
2人ともいつも通りの競馬をできている。かかる事もなく、レースは順調に進んでいた。2人とも特におかしな様子はない。最前線を走る奴が不気味だが、負ける要素はない。
「さあ、向正面を過ぎて第3コーナーにかかります。ペースは平均よりもかなり遅い。どの馬もまだ動きません……おっと、スーパーパケットが後方から仕掛けてきました。前回のレースならアカガミリュウオーとコガネスターロードがいたが、このレースにはいない。ペースを上げて他の馬を抜き去っていきます。このまま華麗な追い込みを決めるのか」
向正面で気合いが入ったのか、パケットが仕掛けてきた。いつ見ても惚れ惚れする脚だ。これにナイトはどうするかな。
「スーパーパケットがナイトオルフェンズに並ぶ…並…ばない!やはり脚を隠していたナイトオルフェンズ!このまま1番手を奪取するか」
「よし!あの前の奴を抜かせ!」
思わず声が漏れた。この時、もう勝負は決まったようなものだった。並の馬に、ナイトとパケットが負けるはずはない。
「おおっーと、外を通るアールブヘルム、内を通るヘルヘイムが急激に間を縮めました。これにより、3頭の間を通ろうとしていたナイトオルフェンズとスーパーパケットが馬群に溺れる形となってしまった!これが彼らの戦法か。青葉賞の枠は3枠。確実に上位を取ろうと言うことか。汚いと言ってしまえばそれだけだが、これも騎手のテクニックだ!」
「え……?」
おかしい。こんな事は許されない。こんな作戦、いくら偶然って言ったっておかしい。騎手も怪しい手網捌きをしている訳でもないし…まさか、奴らも俺と同じ、"人と話せる馬"か!?
「これでは前へ行こうにも行けません。スーパーパケットの前を走っていたナイトオルフェンズは悲惨だ。間が殆どない中を、通るしか道がないのだから。それに絶望したかのように、ナイトオルフェンズは馬群の中に沈んでいきました」
「ここでスーパーパケット、一時減速して…外をついて来ました。馬群さえ抜けてしまえば彼らはそれまでの集団だと言わんばかりに、1着を独走していきます。…そのまま順位は変わらずゴールイン。まさかまさかの展開になりました。場内からは大ブーイングが飛び交っています。これは進路妨害じゃないのか、反則負けにしろなど。ですが、判定は覆りません。あくまで、降着となるのはその馬が、進路妨害されていた馬と僅差だった時。ナイトと3着との差は僅差とは言えません。これが競馬の怖さだ」
「ウソ……だろ」
俺は体から思い切り項垂れた。こんな形で敗戦するなんて、有り得ないからだ。林は何も言わずこの場を後にした。俺は少しの間放心状態となっていた。その空は、いつもの青空ではなく、黒い雲で澱んで見えた。
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