32.ダービーへ。
今日も2本投稿します。
「本当に…本当によくやった!シンジスカイブルー!お前は俺の誇りだ!」
馬運車から降り、早く厩舎に帰って寝ようとしていた時、既に美浦トレセンにスタンバッていたおっちゃんに呼び止められた。
「いやー、うちの牧場からG1勝利なんていつぶりだろう。嬉しくって、今にも飛び跳ねそうだよ!なぁ剛ちゃん!」
おっちゃんの声の先には、調教師と林が立っていた。その声に調教師が答える。
「ああ。長年まこっちゃんの馬を預かっている俺だが、G1勝ったのは10年振りくらいかなぁ。本当に凄いことだよ。誇ってもいい。」
G1―サラブレッドの中でもひと握りの俊足しか出れない舞台。ここで勝利するということは、とても偉大な事だ。元々、俺はそれを分かっていた。だが、まだ自分の中で気持ちを整理出来ていなかったのだ。2人の言葉で、ようやく心を落ち着かせる事が出来た。
「ほれ、人参だ。今日は奮発して、いつもの2倍持ってきたぞ!」
そう言って俺の前に置かれた箱の中には、溢れんばかりの人参の山が出来ていた。ヨダレが口から零れ落ちる。俺は山にかぶりついた。くぅ〜、たまんねぇ〜。
「次は…日本ダービーだな。シンジ、お前の父のシンジストライプのレースは覚えているか?」
俺が箱の中に顔を埋めていた時、おっちゃんが俺にそう言った。俺は顔をあげ、縦に振った。
「ああ、そうだよな。あの"10馬身差勝利"は伝説だよ。これのお陰で、ダービーと言えばシンジストライプというのが常識になった。」
「そうだな。でも…そのレースで…」
「ああ、シンジストライプは全てを出し切ったかのように、屈腱炎を発症した。あのレースの代償は、それだけ大きかったんだ。そのまま、クラシック三冠も、天皇賞春秋連覇も達成せず、引退を告げた。」
「なぁ、シンジ。俺は、お前が怪我するのだけは見たくない。日本ダービーで全ての力を使い果たし、ボロ雑巾のようになるお前を見たくない。お前は確かにシンジストライプの子供だ。だが、それ以上にお前はシンジスカイブルーという、一頭の男なんだ。それだけは、忘れないでくれ。」
おっちゃんの眉は下がっていた。俺達の間に沈黙が漂う。俺も、なんて答えればいいか分からなかった。
「シンジさん、その気持ちは俺も同じです。」
沈黙を破るかのように、林がそう発言した。俺達は目を丸くして林の方を見る。
「俺は、できるだけ長くシンジさんに乗っていたい。俺は、できるだけ多くシンジさんと勝ちたい。俺は、できるだけ残る記録をシンジさんと打ち立てたい。ならば、日本ダービーで燃え尽きるなんて以ての外です。ダービーがどれだけ素晴らしいレースなのか、それは俺も重々承知です。それを含めても、俺はシンジさんと多く走りたい。俺のわがままに、付き合って貰えますか?」
この言葉で、俺は林の思いを受け取った。林は普通、人に何かを頼むということは殆どしない。そんなあいつがするなんて、よっぽどのことなんだな。その思いを無下にすることなんて、出来ない!
「なるほどな、よーく言いたいことが分かったぜ。みんなの思いは受け取った。だが、日本ダービーは勝たせてもらうぜ。無茶な競馬はしねぇ。だが、勝たせてもらう。無茶をせずに勝つ!そのための調教、よろしく頼むぜ。」
「お、おう!」
今までの空気が、一気に解凍された。そして、俺達に暖かい、和やかな空気が生まれた。そして、俺達は夜まで騒ぎ明かした。
「シンジくん、皐月賞勝利おめでとう。」
次の日の調教、ナイトとパケットに会った。2人は俺を祝福してくれているが、俺は少し答えずらかった。
「ねぇ、シンジくん。僕達、青葉賞に出るよ。」
俺が答えかねていると、ナイトが口を開いた。その声は、僻みや妬みなどといったマイナスの感情はなく、ただ希望に溢れた色だった。俺は、心の中で少し彼らに謝罪した。彼らは俺が思っているよりも強く、心が大きかった。
「絶対に優先出走権を得て、日本ダービーで君に勝ちたい!だから、待っていてね。シンジくん!」
それだけ言って、彼らは普段の調教に戻って行った。そうだ、ライバルはアカガミリュウオーだけじゃない。俺の周りには、色んなライバルがいるんだ。俺も、負ける訳には行かないな。
俺は再び走り出した。上がりかけの朝日を背に、輝く芦毛が空高く駆け上がっていった。
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