11.練習の成果
今日も少し遅れてしまいました。
じりじり死ぬ思いで書きました。
用語解説
馬身
着差の単位。1馬身で馬の身体ひとつぶん
ターフ
日本語で芝生。芝コースのこと
考えを改めた俺は、調教師のメニューに全身全霊を注ぐようになった。怪我をする前より、練習量は確実に減る。だから、量を質でカバーしようということだ。不思議と、今までの調教よりも気が楽だった。本当に、鍛える事が楽しくなってきたように思えて来たのかもしれない。
俺がメニューを変えた時、本当は少し怖かった。練習量の減少を、質で補えないのではないかと。だが、それは全くの検討違いだった。能力は全く落ちず、それどころかかなりの向上を見せた。それは全ての調教に言えた。スピードでもスタミナでも、心臓強化でも、全てにおいて一段と成長した。
それが顕著に現れたのは本番10日前の芝での本馬場調教だった。今日は7月18日に福島で行われる、芝1800m新馬戦に向け、模擬レースをする予定だ。
時間通りに騎手とサラブレッドはやってきた。相手は名も知らぬ青鹿毛の馬だった。林と俺は会釈をし、ゲートに入った。
「落ち着いてください。今の慎二さんなら絶対に負けません」
その声は前の夜のような熱い男ではなく、いつもの冷静沈着な林がいた。俺は少し林の方を向き、目で答えた。
ゲートが開いた。好スタートを切った俺は、全速力で逃げ始めた。体が軽い。以前には出なかったスピードを出して俺は駆けていた。
「いいペースですね。ここで400でしょうか。少しペースを落としましょう」
林の指示通り、俺は少しペースを落とす。俺の競馬は、「逃げて差す」競馬だ。終盤で差し切るため、体力を残して置かなくては。
レースはなだらかに進み、5馬身ほど保った所で最終コーナー、終盤に差し掛かった。
「さ、詰めろ!」
相手の騎手がスパートをかける。それに呼応し、相手のペースをあげてきた。なるほど、おもしれぇ。
「このコーナーで仕掛けますよ! 大きく回って加速しながら曲がってください。練習通りです!」
涼しげな声色に、少し熱が加わった。ムチが入る。俺は根性を振り絞り、スパートをかけた。
一方その頃、相手の騎手は安堵していた。あそこまでハイペースで飛ばしていた逃げ馬なら、そろそろ失速する頃だろう。そこを豪脚で叩く―騎手のその考え、作戦は間違っていなかった。それが普通の馬と騎手ならば。
彼はこのコンビの目測を誤っていた。その証拠に、いくらスパートをかけようとも、いくらムチを使おうとも、追いつくどころか、離されている。それに彼が気づいたのは、慎二が200mを切り、最後の直線に到達した頃だった。時すでに遅し。どんどんどんどん差をつけられ、遂に10馬身に届くかと言う頃、慎二のゴールによって、凄惨な生き地獄は終わった。かろうじてゴールはしたが、鞍上にはすっかり自信をなくした騎手が、手網を握る力さえも失い、放心状態でそこにいた。まさに圧巻。そう表わすしかなかった。
このレースで、俺はようやく自分の頑張りに自信をもてた。そして、もっともっと強くなりたいという闘争心へと昇華させた。このレースが俺に与えたものは大きかった。
それから9日が過ぎ、7月14日の調教終わり、俺と林は調教師に呼ばれた。
「遂に3日後は新馬戦だな。お前たちなら、絶対に一着を取ると信じている。おっと、そんな話をにしに来たんじゃなくてだな。お前らの登録名と勝負服についてだ」
男二人の目の色が変わる。そりゃ、誰だって自分の登録名と勝負服は気になるところだろう。
「慎二、お前はこれから―
シンジスカイブルーだ!
晴空牧場の名を背負って、頑張ってこい! 」
「シンジスカイブルー。いい響きだ。これが、俺の第2の名前となるのか。この名前を、全国に狂想曲として轟かせてやる。今からレースが楽しみだぜ」
調教師はにこやかに笑う。そして、この名前をつけた経緯を教えてくれた。
「この名前はな、先頭に誰もいない、綺麗な青空を見て欲しいという思いを込めて、まこっちゃんが考えてくれたんだ。こんなに喜んでくれたなら、まこっちゃんも本望だろうな」
それを聞いた瞬間、この名前に感じた思いが変わった。おっちゃんは、前世の俺の名前を、一世一代の大勝負をかけた自分の馬につけてくれたんだ。ただ単純な思いではない。もっと大きな「何か」を感じた。そう思うと、俺はいっそう嬉しくなった。
「これが林の勝負服だ。ほれ、カッコイイだろ」
林に手渡された勝負服は、青と水色のストライプで、雲に見立てた白のワンポイントが施されていた。
林は、今までに見た事のないような手つきで、大切そうに扱った。やはり、キャリア初めての勝負服というのは、どこか特別さを感じるのだろうか。
「さ、さっさと福島に移動すんぞ!乗り物酔いするなよ!」
おっちゃんはそうおどけ、俺は馬運車に乗り込んだ。
  
中は涼しかったが、熱気も確かにあった。他の馬も数匹いたが、精神を集中させているのか、一言も話さなかった。俺はそんな環境に耐えられず、寝てしまった。
どのくらいの時間が経っただろうか。俺は起きては寝てを繰り返し、もはや無の境地にたどり着いた。
だが、ようやくエンジンの止まる音がした。そして、俺は永遠にも感じた暗黒から、抜け出すことが出来たのである。
厩務員に連れられ、俺は一目散に外に出た。そこには、かつては立つことができなかったターフが目の前にあった。俺は感動した。
夏の風がターフに吹き込む。やけに涼し気なその風が、俺を歓迎しているように思えたのは、気のせいだろうか。
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