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葦毛の雄王〜転生の優駿達〜  作者: 大城 時雨
はじまりのかぜ
10/79

10.衝突―そして想い

今回もご閲覧ありがとうございます。諸事情で投稿遅れました。申し訳ございません。

「はいはい、後コース追い2本だよ」


「え、増えてないですか?」


調教師はにっこり微笑む。鬼かこいつは。


おっちゃんが帰ってからというもの、ここ数日は殆どコースを走っている。正直いってかなりキツイ。牧場ではコースを走ったこともあったが、そう何本も続けて行うことはなかった。だが、トレセンではそうはいかない。美浦トレセン自慢のコースを、途方もない回数走らなければいけないのである。生前、運動自体それほどしてこなかった俺からしたら、非常にハードだ。


「ほら、そんなこと気にしないで行きましょうよ。今は3月で、デビューは7月。後4ヶ月しかないですよ。勝ち続けるためには、この程度踏ん張らなくては」


騎手の林は俺に発破(はっぱ)をかけた。随分とわかりやすい発破だが、こんなのにも俺は引っかかった。脳に酸素が回っていなかったからだ。


「そ、そうだ! 俺は勝つためにやらなければいけないんだ。なら、後5本ぐらい……いや、後10本くらいできらぁ!」


「試してみるか?」


調教師が冷酷に笑う。この後地獄を見たのは言うまでもない。


そんなこんなで、超ハードだったコース追いも、回数を重ねる毎に、体にかかる負荷が少なくなっていった。回数も、初めは3本が限界だったが、今では5本行った後でも、まだまだ体力が有り余るほどになった。諦めの悪さは、前世でたっぷり養ったんでね。


そこから2ヶ月ほど経ち、桜が散って若葉が輝く5月のある日、俺たちはトレーニングを始める前に調教師に呼び出された。


「林、慎二、お前ら本当によく頑張ったな。本当ならこれよりも全然少ない回数でやるんだが、お前らの才能を見越して、ちょっと多めにやったんだ。ごめんな」


殺意と嬉しさが両方1度に湧いた。評価してくれたのは確かに嬉しい。だが、このトレーニングを他の馬はやってないのかと思うと、ほんの少し殺意が芽生えた。一方、林はいつも通りのポーカーフェイスだ。ちくしょう、これじゃ俺の方が子供みたいじゃねーか。


「この2ヶ月で、長距離を耐えうるスタミナ。他の馬にせり負けない根性をお前らは磨けた。で、こっからはスピード強化期間!いくらスタミナがあったって、スピードがなきゃ意味がねぇ。ということで、明日から待ちに待った坂路調教をしまーす。場所間違えないでね」


俺は安堵した。ようやくこの地獄から抜け出せる。ようやく新しいことが出来る。そう思っていた。そう思い込ませていたのかもしれない。だが、実際にそこにあったのは、種類の違う地獄だった。


「なーにバテちゃってんの。あの鍛えたスタミナはどうしたー?」


おっちゃんはコース外から俺をからかった。俺が公共の面前で声を出せない(状況的に)のいい事に、好き勝手言いやがる。


けど、こんな事で折れる俺じゃない。そう自分に言い聞かせ、ただ黙々と坂路を駆けた。


「大丈夫ですか。辛くないですか」


騎手が優しく、他者に聞こえない程度で俺に問いかける。俺はなけなしの力を振り絞り、大丈夫だということを伝えた。そうすると、騎手は少し笑顔を見せ、前を向いた。俺はこいつのこういう所が好きだ。人との接し方というのをよく分かっている。距離感というものをしっかり理解している。少なくとも今はそんなふうに思っていた。


何回もも坂路を往復した。何日も坂路へ向かった。雨の日も、風の日も。根性と他の人の力を借りて、必死に耐え続けた。厩舎でも、考える事は1つだった。「どうすれば早く終わるんだ。」動機は不純だったが、それで良かった。速い走り方を研究し、少しでも速く走るため最善を尽くした。時には林とも話し合った。速く走りたい―それだけだった。


そのうち、コース追いと同じ事が起こり始めた。1本のペースが見違えて速くなった。また、林との話し合いで、いいペース配分というのを学べた。それのお陰で、消費体力を今までよりも少なく、コスパのいい走り方を覚えた。これじゃ坂路でしか使えないんじゃないの、と林に尋ねたが、「この経験が、実践に生きるんですよ」と一蹴された。やはりプロは違うなと実感した。


「なぁ、早く終わらせるのを目標にするのもいいが、それをNo.1にするなよ。この調教をやってる理由は、あくまで勝つためだからな」


5月の終わり、そろそろスピード強化期間も終わろうかという頃。調教師の何気ない一言で、俺はハッとした。普段なら適当に返しているところだろう。だが、回数をこなした事により、俺には余裕ができ始めていた。よく言えば、沢山の物事に目を向けられるように、悪く言えば、1つの物事に集中出来なくなった。


その言葉で、俺は俺が走っている理由、勝ち続け、賞金を稼ぐという事を思い出した。また、それと同時に、生前の嫌な記憶も思い出してしまった。その2つを思い出したからか、俺は無意識の内に調教への取り組みが変わっていった。


今まで通り、指示された本数をやるだけでなく、「自主練」という名目で、普段よりも多い回数をこなすようになった。これは、本番1ヶ月前になり、新たに増えたプール調教や芝での調教でも同様だった。何故か、増やした分の疲れを感じることは無く、ただひたすらに鍛えるという目標に向かって走り続けるのみだった。


初めは、林も調教師も大いに喜んだ。だが、1週間後には2人の歓喜の目は徐々に下がり、やがて慎二の健康を心配する目へと変わっていった。


何度か、2人で慎二を止めようとしたことはあった。だが、止めれなかった。本気の勝負をしている男を、止められるはずがなかったのである。


新馬戦へのタイムリミットが2週間を切った。俺はまだこのトレーニングを続けていた。正直、脚にかなりの負担がかかっていた。だが、引くに引けなかった。ここまで来てしまったら。


「し、慎二さん。もうやめましょう。競走馬は体が資本です」


林が優しく咎める。だが、俺は聞く耳を持たず、再び坂路を走り始める


バギィ


「く、ぐぉぉ!」


瞬間、俺の体に激痛が走る。コースから外れようと脚を動かす。痛みで前へ進めなかった。林はすぐに俺の異変に気づいた。


「先生! 慎二がアクシデントを起こしました! すぐに獣医を!」


聞いたことの無い、力強い声だった。答えるまもなく、調教師は走り出し、俺は獣医達によって連れられていった。周りの視線が痛い。早くこの場から逃げ出したかった。何故こんな事をしてしまったのか、嘆くばかりだった。


「軽い筋肉痛ですね。2日程度安静にしていれば大丈夫そうですね。この子は大人しそうですし」


幸い、怪我はそう酷いものじゃなかった。俺たちは胸を撫で下ろし、医務室を後にした。


「慎二! 何がなんでも量をやればいいってもんじゃない!」


開口一番、俺は調教師に怒鳴られた。いつもの爽やかな声ではなく、ドスの効いた、低い声だった。まるで実家の父を思い出す。


「お前は世界を揺るがす名馬なんだ! こんなところで怪我したら、俺や林、まこっちゃんやこれからできるファンの皆、全員を裏切ることになるんだぞ!」


その言葉で、俺はサラブレッドという存在の重みをようやく理解した。おっちゃんだけじゃない。色々な人の思いを背負っているのがサラブレッド、スターホースだと。俺の体は俺だけのものじゃないのだと。俺は意気消沈した。そして、自分の無知と愚かさを呪った。


「とりあえず、今日と明日は休みだ。早く厩舎に戻れ」


そう言われ、俺は反論する言葉もなく、その場を後にした。調教師の顔は、未だ厳しいままだった。


厩舎に帰った俺は、泣きに泣いた。泣きまくった。自分を責めて。泣かなければ自分を保っていられなかった。自分のこと、騎手のこと、調教師のこと、おっちゃんのこと。色んなことを思って泣いた。それはただの泣きではない。「泣きわ喚く」これが適切な表現だろう。俺は果てるまで泣き喚いた。泣き叫んだ。他者を拒絶するように。





どのくらい経っただろうか。俺は寝てしまっていたみたいだ。俺は眠い目を擦りながら起きた。隣には林がいた。


「うひゃあ!おめぇ、なんでここに」


驚いて変な声が出てしまった。それを聞いて林は笑う。


「気分、ですかね。それより、私は貴方と話したい事があってここに来たんです」


深い黒の宝石が、林の思いをを物語っていた。とても深く、深海のようだ。それ程大切なことなのだろうか。俺は反応せず、次の言葉を待つ。


「何故、あそこまで頑張れたのです? 何故、あんな無茶を通したのです?」


林に対する印象が、崩れ落ちた。今までは人の心を花のように愛でる、付き合いのうまいやつだと思っていた。だが、彼はその花をズタズタに踏みながら、心を探ってきたのである。これには正直驚いた。だが、逆に面白くなってきた。だれか、俺の話を聞いてくれる人がほしかったのかもしれない。


「こんなジジイの話でも聞いてくれるか」


「勿論」


林は屈託のない笑顔で答えた。


「あれは俺が14の頃、俺には親友がいた。当時、何事も中途半端だった俺を、よく親友としてくれていたか、今でも謎だよ」


「ある日、友達にとあることを相談された。俺は今大変な虐めにあっている。俺を助けてくれないか、ってな」


思い出すだけで涙が出てきた。林は黙ってこちらを見つめる。


「話したくなかったら大丈夫です」


「あ、もう大丈夫だ。そこで俺は、なんつーかな。ビミョーに返しちまった。可もなく不可もなく、なーんも考えてないように」


「それが彼を傷つけてしまった。彼も元々、友達が少なかったのだろう。唯一の壁である俺が、こんな薄いなんて、思わないよな。それで彼は、学校を辞めた」


「当時は俺を責めたよ。だけど、いつまでも責めていても埒が明かない。俺はそう考えた。何より、それが一番の罪滅ぼしだと思ったんだ。それがきっかけで、今ののめり込みすぎる俺が出来た。当然友達はできないさ。それからずーっと1人だった。そこを助けてくれた皆にはほんとに感謝してる」


「でもなぁ! お前みたいなエリートはいいよな!友達もよってきて、話してきてくれる人もいて、人気者だったんだろ!ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう! 俺は、俺は、昔から何も変わってないじゃねぇかよ! 失敗の方向性が変わっただけじゃないかよ! うわぁぁぁ!」


大粒の涙を零し、汚い叫びをあげた。それを、林はじっと深い闇で見つめる。そして、俺に寄り添うように、そっと話しかけた。


「私も似たような経験をしたことがあります。詳しくは言いませんが」


「え」


「私も1人でした。ずっと。1人暗い闇を歩いていました。私も、慎二さんも、仲間です」


「ただ、過去の私達とは決定的に違う事があります。それは、もう中途半端では無いということです。何がなんでも叶えたい夢がある。それで十分です。そして、今の私達には、その志を共有する仲間がいるじゃないですか」


「!!」


「私は、どこにも行きません。ですから、慎二さんもどこにも行かないでください。そして、私達を頼ってください。信用してください。私達は、人馬一体。2人で1つの勝負師なのです。他の皆もそうです。誠さん、東海さん、厩務員さん、そして、ファンの方々。皆、1つです」


「慎二さん、1人で抱え込まないでください。私達は、運命共同体です」


その言葉で、俺はまた泣いた。だけど、その涙は悲しさや怒りの涙ではない。分かり合えたこと、やっと暗いトンネルの出口を見つけた嬉しさによるものだった。


俺は再度林を見る。そして、言葉を交わさずに拳を合わせた。





「昨日は少し言いすぎた。済まなか……ん?目付きが変わったな。なるほど、遂に答えを見つけたか。相棒の力を借りて」


朝、調教師と目を合わせた瞬間、こう言われた。そして、俺はこう返す。


「昨日は済まなかった。だが、力を借りたのは林だけじゃない。俺を創ってくれた皆だ。おかげで目が覚めたよ。ありがとう」


調教師は無言で頷いた。目には涙が輝いていた。調教に向かう前、俺たち3人は皆で肩を組んで泣いた。


夏の匂い。物語の始まりを感じさせる、初夏の頃だった。

今回もご閲覧頂きありがとうございます。

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