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溝の音 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 こー坊は土いじりは好きか? やったことはあるか?

 なーに、畑のお世話ばかりとは限らん。砂場をはじめとする場所で、土を掘ったりこねたり、いろいろとやるじゃろう? あれじゃよ、あれ。

 地面は、家を一歩出ればすぐに見つけ、触れることができる場所じゃしな。そこを使わないことには、人間どこにも行くことはできん。そして地をゆく者は、自分の身体で毎日そこへ触れ続けておる。

 ここまで毎日、誰かに触られ続けるなど、世界のどこを探しても、こいつを上回る奴はいないじゃろうな。その積み重ねゆえか、地面もしばしば不思議な力を宿すようでの。

 じいちゃんが前に聞いた話なんじゃが、耳に入れてみんか?



 じいちゃんの友達の、弟が体験した話らしい。友達とじいちゃんは年が離れていてな、友達の方が20年近く若い。じゃからそこまで古い話じゃないかもしれんな。

 で、その弟なんじゃが、雨上がりのぬかるみで遊ぶのが好きだったらしいんじゃよ。

 こねるのもよし、蹴って飛び散らかすもよし。その好き勝手できる柔軟さにほれたんじゃないかとは、友達の分析じゃな。いったん興味を持つと、熱が冷めるまでひとつのことをやり続けるから、観察も容易なことじゃったと。


 その弟なんじゃが、ある日の夕方。外遊びから帰ってきて、少し奇妙な出会いをしたと、友達に話してきたという。

 その日はいつもより、少し足を伸ばしたところにある公園に向かったんじゃが、先客が一人いたようじゃ。

 数十メートル四方を囲う柵の中、女の子は小さいシャベルを手に、黙々と地面を掘っていたらしいな。しかも縦にではなく、横にじゃ。

 公園を横断するように、幅は10センチ、深さはもう少し浅いかもしれない長い溝。雨があがってさほど時間が経っていないこともあり、彼女のスコップの先はいとも簡単に、ぬかるんだ泥をうがっていく。


 初めて見る光景と、彼女の熱心さを邪魔してはならないという気持ちも相まって、弟は公園近くの家の、せり出した屋根の下から彼女の様子をうかがっていた。

 彼女は完全に公園を二つに分けてしまうまで、熱心に溝を掘り続けている。それが終わると、溝の終わりへ置いていたバケツを手に取り、公園備え付けの蛇口をひねって水を汲んだ。その水を溝の端から流していったんじゃ。

 公園周辺は、坂というほどではないが、ゆるく地面が傾いておる。女の子が注いだ水は、ゆっくりゆっくりその足を伸ばし、作られた溝の道を沿って下流へ。そのまま公園の敷地をはみ出て、道路にある冠水よけの排水口の中へ滑り込んでいく。

「単なる水遊びか」と、弟はここまでさして警戒をしなかったらしい。


 しかしここから、彼女の妙な動きが目に入る。

 弟のいる側からは見えなかった、滑り台の影。彼女がそこへ潜り込み、戻ってきたときには、その手に新しいバケツが握られておった。

 まだ作った溝の中を、水が流れおる。そこへまた水を追加するのかと思いきや、彼女が新しく溝へあてがったバケツからは、水とは違うものがこぼれ出したんじゃ。

 瑠璃色のなにか、としか弟には分からない。もっとよく見ようと近づきかけたところで、彼はおのれの耳へ違和感を覚えたらしい。


 それはあの、黒板を爪で引っかく音に似ていた。なにとはなしに耳を塞ぎ、身体の毛が勝手に逆立ち始めてしまいそうな不快感。

 かすかにしか覚えなかったそれが、どんどん大きくなってくる様は、緊急車両のサイレンを思わせる。しかしここにはもちろん、嫌な音を立てる黒板や、それに類するものの姿は見られない。

 女の子が流す、二つ目のバケツの中身。あれが水を滑りながら奏でているのじゃろうか。



 じょじょにだが強まる音に、弟がその場を離れかけたとき。

 一匹の犬が、しきりに吠えながら、女の子のいるところの反対側から公園へ駆け入ってきたんじゃ。それを見て女の子は「はっ」と顔をあげ、立ち上がる。

 犬がこの黒板を引っかくような音を、苦手としているかはわからん。だが犬は明らかに嫌がっているようで、女の子へ向かって激しく何度か吠えた後、あの水と瑠璃色を流した溝を振り返る。

 女の子の取り乱しようといったら、なかったらしい。バケツを転がしシャベルを取って、それを振り回しながら犬を追い払おうとしたんじゃが、一足遅かった。

 犬は鼻先を溝へ向けたかと思うと、背を向けながら後ろ足で土をかけ、溝の一部を埋め立ててしまったんじゃ。


 流れがせき止められると、あの嫌な音はいちどきに消え去ってしまう。

 次の瞬間。


 ――カーン、カーン、カーン……。


 遠くで鐘を鳴らすような甲高い音が響くと、犬がそのまま宙へ浮かんだんじゃ。

 飛び上がったわけではない。手足をばたつかせながらも胴体そのものはぴんと伸びているうえに、その首からはゆっくりゆっくり、血が滴っていくのじゃから。


 ――何かにくわえられているんだ……!


 弟はすぐに悟ったらしい。

 空にはなんの変哲もなく、はた目には犬が勝手に宙へ運ばれていくようにしか思えなかった。

 女の子はというと、すぐさま溝を復旧。水と瑠璃色のあれを流し出すまで、例の「カーン、カーン」という鐘の音は止む様子を見せなかったという。そして戻ってくるのは、あの不快な黒板の音。


 そこで彼女は初めて、こちらを見やる弟の姿を見つけた。

 道具一式を抱え、近づいてきた彼女は、すでに犬が消え去っていった空を眺めながらつぶやいてきたそうじゃ。


「あの鐘の音は、犬をさらったあいつの鳴き声。放っておくと、いろんなものが盗まれちゃう。だからこうして音を出して、あいつを追い払っているの」と。

 



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