雲と私
結構頑張った
約束は守る質だからいまここで宣言する
冬の企画をだすからそれを出したら連載ものをだす( ・`д・´)
流れる雲を見て
ああ綺麗だなと思ふのは仕方ない
空とは何のためにあるのだろう
小さな庭に小さな椅子を置き矮小な私はそこに座る
雲を眺めるために
1日そこで過ごすのはなかなかに平穏で刺激的
ちぎれ集まり又ちぎれる
それを繰り返す雲はいつになっても消えはしない
私の目の前に姿を現さなくても
誰かの私の前に姿を現している
時間がすぎると背景は変わる
はじめは赤く橙な幻想から
青く爽やかな現実に戻され
又時が過ぎると
赤く橙な歪な場となり
黒が表れ夜となる
その時々に
灰と成り果てた荒廃が姿を現す
自然とはかくも美し
かくも悲しき
自然によって人は死に
自然によって人は生を得る
その自然の一部であるのに変わりないのに
あの雲はなんと美しいのだろう
雲は醜い私達を卑下するためにあるのだろうか
雲は壮大なのだ
あの中に幻想的な風景が
例へば
大きく広大な西洋風な城だったり
人の目には毒な美しい花々の園だとかが
家の中にいるとき小窓によって雲を眺める
雲も多種多様だ
曖昧模糊で境界線が何処なのかよくわからない雲もあるが
細微緻密に描かれる絵画のように縁が美しい雲もある
曖昧模糊な雲は私を幻想と現実の間に置き
細微緻密な雲は私を自然といふ圧巻さに引きずり込む
そう雲とは魅惑な魔の手なのだ
上を見上げると雲はいつもある
上に雲はある
、、、雲は空に囲われ飼われているのだろうか
それならば我々人間もおなじだ
我々は社会という檻に飼われ日々を過ごす
実によくにている、、、いや、そうでもないか
雲は空に飼われている
自然の広大さを壮大さを象徴する空だ
それが雲を飼っているのだ
それに対してどうだ?
我々は
社会なんて我々が
我々が
我々の厭らしい慾望のために産み出された妄信の類いだ
自分達の妄信に飼われるなんぞ
愚の骨頂
我々の愚かさがよくわかる
自然を象徴するのは何か?
山か?森か?川か?石か?星か?それとも大地か?
象徴なんぞ人工的な大層な呼び名で呼ぶんだ
人間にとって大層なものに決まっている
それはこの星が産まれたか生まれたかよくわからない時代から
燦々と照らす陽だ
我々を陽を昼の象徴ともする
それならば昼と相反する夜は
夜の象徴は何か?
それは陽の代わりにその夜を深深と照らす月だ
昼と夜といふ相反するこの二つ
この二つの境界で深深とした碧を背景に
陽は毅然と大地を我々を燦々と照らし
白き月はニコリと笑ひ短き間我々を見守る
このなんとも美しく思える光景に気づかないことが嘆かわしい
雲は流れる川を流るる水のように
人々の頭上で只只流るる
雲とは水と等しい
この空気も水と等しい
海と陸とではない
海とこの水な気体
これが世界を構築する
構築された世界で我々はセカセカと
妬み憎しみ思い臥せる
その負ともゐへるこの気持ち
人間を構築するそれを
水な気体が
洗い流し人を従来の自然へと戻す
だから仕方ないのだ
己達と似て非なるものである雲に
雲に
雲に
雲に
雲に憧れ慰め心に火を灯す
だから仕方ない
上を向くのは仕方ない
雲を
雲を掴もうと
神聖を掴もうと
手を伸ばすのです
上に
空に
雲に、、、
つづかない( ̄ー ̄)