鳥のいる風景 9
俺は天井を見つめていた。目の前には聡が新聞の経済欄に蛍光ペンでなにやら書き込みをしていた。武は相変わらず俺を迎え入れたときの表情そのままに呆けたように椅子に腰掛けている。昨日は気づかなかったが、その膝の上に丸い玉のようなものを抱えてそれをいとしげに撫でながらたまに俺と聡の方を軽く眺める。
「何か気に入らないことがあったのか?あの部屋が嫌だったら奥の洋間でも・・・」
昨日から一言も口を利かない俺に苛立っているような口ぶりが聡の自分を取り戻したことの宣言のようにも感じられる。俺は奴に答える代わりに軽く右手を振って、立ち上がろうとする。
「おい、何とか言ったらどうだ。気に入らないなら気に入らないって。確かに順番から言えば今度の祭りを仕切るのは当然だけれど、やっぱり祭りは・・・、よう・・・地元に」
俺が椅子に座ると同時に急に聡の表情が硬くなり、言葉がすべて口元に吸い込まれていく。そんな姿を見ていると、聡の誤解を解く気なんかは急に失せ果てて、このまま不機嫌な面を装うことを硬く決めてしまいたくなる。
「祭り、かなり今回は派手にやるんだな」
俺はテーブルの上に置かれた新品のピースの箱を開けながらつぶやいた。聡は少しばかり眉をひそめたあと、無理に平静を装いながら言葉を切り出そうとしてみたが、どうにも喉の奥で慣れない緊張と無意味な虚勢とがせめぎあっているようで、声にならないうなり声だけが俺の心の中に響いた。俺はわざともったいつけて手にした火の付いていない煙草を手の上で転がした。聡はその姿をしばらく呆然と眺めていたが、すぐに気を取り直して机の上に置かれたジッポで俺の煙草に火をつけた。俺はその煙を胸いっぱいに吸い込みながら、誰も手をつけたことがないだろう灰皿に手を伸ばし、気短にその上にわずかな灰を転がした。
「明日になればわかるよ」
下を向いたまま、久々に浮かんだ気の利いた台詞回しをかみ殺しながら聡は部屋を飛び出していった。俺は満足して灰皿に手を伸ばして得意げに煙草をふかして見せた。やけに苦く感じるのは、きついニコチンのせいだろうか。それとも慣れない虚勢のせいだろうか。奴の前でガキ大将面を平然とできるような年は、もうとうに通り越していることぐらい俺自身が一番良く知っている。教壇に立って、人の話を聞くという能力を少しも持とうと思わない連中に、切り刻まれた不恰好な古典の文句を繰り返し話してばかりいる年月が、俺のかつてのような無邪気な大将の座から引き摺り下ろしてしまっていることなど、聡以外のものならすぐにでもわかるだろう。
そんなことを考えながら煙草の灰を灰皿に落としこんで顔を上げたとき、武がそれまでとはまったく違った眼で俺を見つめていることに気づいた。膝の上に乗せられた黒い鞠のようなものを撫でながら、奇妙な罪悪感のようなものに操られているかのように、俺の顔を見るたびに昔以上に情けなさそうな笑いを浮かべるとまた膝の上の鞠に集中する。どいつもこいつもそうなんだ。自分の掌の上のものだけがかわいいんだ。明らかに自分の論理がゆがんでいるのがわかりきっているだけに、ここで一区切りつけることが必要なんだ。俺はそう直感すると体をその直感に任せていた。
「畜生」
俺の手は自然とその鞠を叩き落としていた。幾何学文様が描かれた絨毯の上を手垢で黒くなった鞠がころころ転がっていき、壁の所で躊躇したように止まった。その中央に浮き上がる赤い線。かつての名残をとどめる赤い糸がまるであの鳥の口のように見える。今のもそれはあの忌まわしい叫びを発しそうに見える。俺は鞠を叩いたときと同じ中腰の姿勢のままその鞠をじっと見つめていた。
武は何事も無かったかのようにゆっくりと立ち上がるとそのまま部屋を出て行った。俺は力尽きてそのままソファーに倒れこんだ。




