鳥のいる風景 7
「なんでそんなおどろいたかおするんだ。まあとかいもんのけんいちに、やまがみがすがたなんぞあらわすわけねえよ」
俺の見た物。山神、名前を与えられて安心するわけでもなく、むしろ名前を与えられたが故にその奇妙な生き物の陰が俺の頭の中で跳ね回りはじめる。
俺が武のいる部屋を出る決心がついたのは時間とすれば五分くらいの間のことだったかもしれないが、俺には半日くらいの長さに感じられた。俺はそのまま部屋に閉じこもると、気だるい皺を浮かべるベッドへ転がった。
目を向ける先、そこには天井があった。ベッドの上に乗って手を伸ばしたとしても、きっとそこには手が届かないだろう。こんな馬鹿げたことを考えるのは本当に久しぶりのことだ。それより先に物を考えると言うことすら久しくしていない気がする。テストの問題を選ぶのも、設問に多少ひねりを加えて生徒の青い顔を想像することも、すべては周りの同僚達の受け売りのプログラム、俺が特にその主体である必要なんて何も無い。
しかしあの鳥を見て、そしてあの武に会った俺は天井に浮かんだ木目すらまるでなにかの意味を持って俺に語りかけてくるように見える。たぶん気のせいだ、いや俺が疲れていると言う証拠以外の何者でもない。少なくとも俺以外の人間がこうしてぼんやりと天井を見ている俺を見つければ、そう考えるだろう。俺もそのことを否定はしない。しかし、そんな他人のおしゃべりが今の俺にとって何になると言うのだ。確かに俺は鳥を見た。そして祖母のような従弟に出会い、こうして天井を見つめている。こういう在り方以外に俺はどうあれば良いと言うのだ。
朝があった。人はどうだかしらないが、何一つとして新しさのない朝がそこにはあった。部屋を出て廊下を抜け応接間に出た。ぼんやりと居間のソファーに腰掛けて俺のほうを無言のまま見つめる聡の視線も昨日と何一つ変わることなくその怯えたような視線が俺の額の辺りをさまよっている。俺は奴のつまらなそうな瞳に嫌気が差したように部屋を出た。
朝の田舎の空気は不健康なまでに重く水分を含んで俺の目の前に重くたちこめる霧となって現れた。その中を走り抜ける音はまるで水中で聞く泡の音のようににごったまま俺の頭の中を転げまわる。気のサンダルが玉砂利を掻き分ける音、養鶏場の鶏の声、辺りの森に潜むキジバトの雄叫び。その一つ一つの絡み合いの中、俺は真っ直ぐと長屋門の下をくぐりぬけた。
通りは人々から見捨てられていた。放置された三輪トラックの荷台からセイタカアワダチソウが伸びている。道に切れ込んだクレバスの間にもその子供達がしつこくはびこっている。そして俺の足音が響く。俺だけのための道のように、その音は響く。かつて俺はこんな道をなにかに追われているような気になりながら必死になって走ったものだ。しかし、今はその追われる感覚などどこにも有りはしない。
コールタールを塗りたくられた電柱の陰を抜け、地蔵を目印に切通しの小道に入り、そのまま道なりに小さな落花生畑に転がり込む。かつてはここまで線香のにおいがした墓地のはずれも、人影もなく、ただ腐りかけた卒塔婆だけがこの地の意味するところを知らせてくれている。俺はそのまま柔らかい地面を慎重に通り過ぎ、踏み固められた墓地の小道に入る。墓地の周辺、新しく作られた無意味に大きな墓の続く分譲地を抜け、みすぼらしい旧家の墓の続く本堂の裏手にでた。目の前に続く緩やかな瓦の坂は、最近葺き替えられたように見えて、朝日のにごった光を灰色に変換して俺の顔面にたたきつける。俺は急に気が変わって石造りの階段を下りるのをやめ、泥濘の目立つ杉木立の中の道へと進んだ。
道はゆっくりと小さな丘の上にある寺から神社へと下っていた。子供の頃何度と無く歩いたこの道が、かなり荒れ果ててはいるもののまだ生きていることはうれしくもあり、悲しくもあった。昔のこと、取るに足りないつまらないことを考えながら歩いた。昔のように。土の感覚が冷たく、俺の意識を今の杉木立の中に送り返してくれるように。




