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拾えない札束  作者: つっちーfrom千葉
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★第五話★


 これを一読したとき、当然のごとく、一瞬にして脳を貫かれたような、奇妙な感覚に襲われることになった。いわば、人の能力を超越した、絶対的な存在にある何者かによって、自分の醜い心中を見事に透かされたような気分がしたものだ。私は滅多にない寒気を全身に感じて、言い知れぬ恐怖に襲われた。誰に説明させたとしても、とても不気味な体験であった、と語るだろう。言うなれば、良識と分別を持ち合わせた、あらゆる国家に住まう、億千万の善良な人民によって、自分の未来における欲に満ちた行為の全てが、激しく非難された気さえした。心を落ち着かせるために、まず、このメモを書き残したのが誰なのか、ということを考えなければならなかった。ゴミの回収業者が、こんな挑発的なことを、いたずら目的で、わざわざ書き残していくわけがない。きっとこれは、トランクの中身について、あるいはその取扱いの難しさについて、よく理解している人間によって、ある種の警告のために書かれたものだろう。つまり……、このトランクの中身である大金の、そもそもの所有者か、あるいは、私のように通りすがりに、偶然にも、これを一足早く発見したライバルの牽制の書きつけということになるだろう。


 私と同じように、戸惑いを秘めつつ、この場でトランクを開けてしまい、ある程度の驚愕を伴いつつ、この大金を目にすることになった、とあるライバルが、後続(実際には、これを発見したのは、こちらが先のはずだが)を寄せ付けぬために、わざわざ、この紙片を置いていったと仮定しよう。すると、悪意を持ったその人間も、この五つのトランクに札束が詰まっていることは見て知ったわけだが、これを自分のテリトリーにまで持ち運んで、完全に所有物にするための術は思いつかなかったなのだろうか……。いずれにせよ、自分だって、全く同じ立場にある、金欲にまみれた一般人のくせに、上からの目線で、ここまで偉そうなことを書き残していく権利はないはずだ。それ以外の可能性として、紙片を残したのが、この数億円の札束を放棄した、元々の所有者であると仮定したならどうなるか。そもそも、自分でこんな僻地まで運んできた貴重な大金を、今度は他人を脅し言葉で抑えることによって、自分から守ろうとしていることになり、ここまで馬鹿げていて、しかも、矛盾した行為は他にないはずだ。つまり、このトランクは明らかに遺棄されたものであり、その第一発見者は私であるから、どういう根拠に基づいても、この数億円に上る札束の山は、私のものにならなければならない。後からやって来て、こちらの動きを静止させようと、挑発してくる者には、断じて渡してなるものか! 私は憤慨して、その小さなメモ用紙を乱暴に破り捨てた。そして、一段目のトランクを、もう一度試みに開いてみて、(もちろん、中には先日と同じように大量の札束が寸分の狂いもなく、秩序正しく、綺麗に並べられている)初めて神聖な箱のその中に手を入れてみた。そして、百万円の札束を一つだけ手にとってみた。これほどの大金を手にする機会は、誰であっても少ないはずだが、それほどの重さは感じなかった。いまだ、この大金の所有者は分からず、分かるのは少なくとも、この周囲に住まう人々のものではない、ということだけだが、今ここで行われていることは、なぜか、犯罪行為などではなく、法や道徳に捉われない、聖人によって執り行われた、きわめて自然な行為のように思われた。トランクからそれを奪った後も、心はすっきりとしていて、何の罪悪感も感じなかった。


 しばらく、目を皿にして、その紙幣の束を眺めた後、私はごく自然な動作で、それを自分のコートのポケットに収めた。この段階においても、生まれて初めて盗みを働いてしまったという、世間に対しての後ろめたい気持ちは、まったく湧かなかったのだ。この瞬間から、私はこのトランクに詰まっている札束は、すべて自分の所有物なのだと、理由が存在せぬままに、(ここに置き去って行った、見知らぬ誰かのものではなく)自分が後見人として占有しても良いもの、なのだと固く信じるようになった。私はしばらく札束の山を眺めることで、中小企業の課長などという名も知れぬ一般人ではなく、自分は特別な人間なのではないかという、一種の幸福感と安心感を得ることができた。その後、トランクの蓋をゆっくりと閉めて、辺りに誰もいないことを何度も確認してから家に戻った。


 意を決して、我が家に一歩踏み込むと、すぐ近所で、堂々と盗みを働いてしまったという、後ろめたい気持ちも少しは湧いてきて、なるべく静かに足音も立てないように居間に入った。なるべくなら、この段階では自分の動揺を悟られたくはなかった。しかし、こんな小細工は往々にして血のつながった家族に対しては、まったく通用しないものなのだ。妻は読んでいた新聞を反射的に放り出して、素早く振り返ると、顔を真っ青にして、こちらに向けて駆け寄ってきた。


「あなた、いったい、どうしたっていうの? 本当に大丈夫なの? 帰ってきたと思ったら、鞄だけ投げ捨てて、また、すぐにどたばた出て行くから、何か大変なことが起こったのかって、心配していたのよ」


 妻の真剣な視線に晒されているのが、少し怖かった。大金を盗み取ってきて、それを隠し持っていることが、自分の態度からばれてはならない。罪人が必ず隠し持っているといわれる後ろめたさを、平穏な表情によって淡々と語られていく日常会話によって、完全に覆い隠すことは難しく思われた。心中は冷静を保っているつもりでいたが、特に意識もせず、彼女の視線から顔を逸らしていた。人殺しや大金強盗をやらかした罪人たちが、いかに罪を隠し通そうとしても、決して、平穏な日常を取り戻すことなど出来ずに、周囲の人間たちや腕利き警部の直感や推察によって、その犯行が次々と暴かれていく事例が多々あることの要因が、私にも良く理解できたわけだ。


「なんでもない、ちょっと、バス停に忘れ物をしてな……」


 やや現実味に欠ける回答ではあったが、懸命に感情を抑えながら、普段と同じような声色で、そう答えてみると、妻はまだこちらの様子を観察していて、その言葉を完全に信用したようには見えなかった。だが、この私に嘘をつく理由を見出すことも出来ないようで、とりあえずは安心したようだった。しかし、その微かな不信感は、心の内で燻っていて、消えてはいないはずだ。これからはトランクを見に行く度に適切な対応を考えなければならない。娘の方は隣の部屋にいて、いつもと変わりなく、一文の得にもならない、くだらないバラエティー番組に夢中になっていて、私の遅い帰りを知っても、いったい何ごとがあったのかと、一度はこちらの方を振り返ったが、興味を持つには至らず、それきりだった。こちらの事情を心配している様子は微塵も感じられなかった。


 自分のコートのポケットには、たった今、トランクからくすねてきたばかりの百万円の札束が入っている。今回は半ば衝動的に取ってきたわけだが、遺棄されたトランクのことを家族に打ち明けて、あの大金の全てを我が家で独占すること、そして、これから先の人生を幸せで満たしていくために、合法的にあの金を使用していくとなると、警察や裁判所に今回の件の顛末を詳しく伝えて、法律に則った、正当な手段によって、あの札束の所有権を手に入れる必要がある。しかし、その手段を選んだ場合、密林に潜む、大量の爬虫類のように、マスコミ記者があちらこちらから絡んでくるだろうし、トランクを発見したことが報道される過程で、あの大金を放置していった本人が名乗り出てくる可能性すらある。その場合、論議は振り出しに戻ることになる。『警察に届け出る』という手段は、一考して正攻法にも思えるが、決して、磐石とはいえないのだ。ならば、このまま悪行を押し通し、何らかの方策を用いて、あの五つのトランクを誰にも見えぬ位置にまで移動させてしまい、内部の札束を少しずつでも、バレぬように、自分たちの欲望に沿った形で使っていくのが良いか……。ただ、こちらの手段を取る場合には、妻と娘に対して、今回の一件の詳細な事情を説明して、今後は一家総出で、法律違反の悪徳に手を染めていくことになるぞ、とそのことに全面的な了解をとる必要があるだろう。これが容易に進むとは到底思えない。自分に多少の利益があっても、犯罪者の集団に誘われて、首を縦に振る人間は、この法令順守の国には、まずいないだろう。


 六億円を誰にも打ち明けないままで、トランクごと奪い取り、そのすべてを自分だけのものにすることは家庭という重い足枷がある限り、ほとんど不可能といえる。かといって、今後とも、家族と信頼の輪を繋いでいくために、警察に通報する方を選ぶとなると、マスコミ各社の餌食になるし、あの欲深い娘はどのような反応をするのであろう。ただ、良識派の妻は言うまでもなく、こちらの無難な選択肢を選ぶだろう。拾った金を受け取れるまでは、相当な時間がかかるし、おそらく、分け前はかなり減ってしまうであろう。プライバシーの問題については未知数だが、身体的な安全が守られるという意味では、堅実な選択肢と言えなくもない。想像すらしたこともない大金の前で、心は揺らされている。私自身はいったいどういう選択をしたいのだろうか? 『悪魔になっても良いから、全額奪い取ってやる』という、これまでの半生では感じたこともない気持ちは、どのように湧いてきたのだろうか……。百万円という半端な額を興味本位に盗んでしまったことにより、自分の気持ちが、かえってあやふやになってしまった。しかし、ここで間違った選択をして、家族全員を盗人にするわけにはいかない。やはり、マスコミに自分の顔だけは晒されてしまうことを、ある程度は覚悟をした上で、警察に届け出るしかないのだろうか。


 前例から察するに、そうなれば、第一発見者である私の姿は、テレビや新聞で大々的に報道されるだろう。当然のことながら、数時間も経たずに、会社の上司や同僚から、近所に居を構えるほとんどの住民、そして顔も思い出せないような遠い親せきに至るまで、今回の件が知れわたることになってしまう。「散歩の途中に通りがかった場所で、偶然にも、札束が詰め込まれたトランクを発見しただけです。警察への通報をしばらくためらったのは、自身の健全な生活の維持を第一に考える、社会人としては慎重になって当然と思います。迷いの全てを悪意とは受け取らないで頂きたい。あくまでも、最善策を模索していただけです。決して、金欲に揺らされたわけではありません」などという言い訳じみたコメントを、蟻のように群がる記者たちの前で強気な表情で発表してみたところで、数億円という莫大な金額に魅せられた世間一般の人々は、まったく信用してくれないものなのだ。大金を拾った瞬間から、私は大多数の視聴者にとって、忌むべき幸運者となり、どんなに大衆の意を汲んだ発言をしたところで、必ずや、悪い方へと受け取られてしまう。大金の拾い主とは、世間からは、その足腰が崩れ落ちるまで警察やマスコミに問い詰められるか、あるいは、個人情報のデリケートな部分が晒されることによって、徹底的に世間の笑いものになるまで、攻撃され、追い詰められるべき存在なのだ。


 これまでの歴史においては、貧困層の人間がある日突然大金を拾うなどという事例がきわめて少なかったから、その残酷な事実が知られてはいなかっただけなのだ。我々を憎む人間たちは、何も鋭い凶器を握って、背後から襲いかかるような、残酷な行為に打って出る必要はない。ただ、遺棄されていた金額に驚き、あちこちの企業の内部やら飲食店やら公共施設において、知人との時間潰しの話題にすれば良いだけなのだ。一匹のコオロギが鳴くと、そこらじゅうの草むらから予期せぬ大合唱が起こるように、こうして騒ぎが大きくなっていけば、それを拾った一家の安閑とした生活は自然と奪われていき、職場においても、同僚から白い目で見られることになる。やがて、会社にもいられなくなるだろう。これまでの数十年に及ぶ会社人生で、コツコツと積み上げてきたものは、すべて灰になり、おそらくは人生の向く方向が、嵐に巻き込まれた舟のように、ここで大きく変わってしまうだろう。大金を所有することと引き換えに、すべての名声と信頼、そして友情を失ってしまう。会社や公共の場でも、これまでの私のストイックな生き方をあざけ笑い、『なんだ、あいつも一枚皮を剥いでみれば、やはり金の亡者ではないか』と後ろ指を指されることになる。分不相応な大金を拾うことで、贅沢な生活以外の全てを失うことになる。しかも、その状態はその後一生涯続くことになる。すべてを総合して考えれば、結局のところ、それが一番恐ろしい。ここで選択を誤れば、金も名誉も地位もすべてを失いかねないのだ。


 久しぶりに家族三人が集まり、味気ない会話を交わしながら、機械的に口に運んだ夕食は、神経がトランクの処遇のことに集中しているためか、まったく味がしなかった。しかし、このとき、なぜか心は浮ついていた。まだ、小さな破片にすぎないが、暗いトンネルの遥か向こう側に希望は煌めいて見えた。家族にはまだ見せるわけにはいかないが、私は今百万円の札束を隠し持っている。明日もあのトランクが同じ場所にあれば、遠慮なしにそれ以上の額を引き抜くこともできる。好奇心から、あのトランクをみつけた日から、妄想を浮かべるごとに自然と鼻息は荒くなり、誰も手にしたことのない大金の使い道を想像していくたびに、『自分は選ばれし富裕層の人間である』と気が大きくなっていくのがわかった。私は今や、厳しい法律に縛られて、無情な税金を搾り取られ、中小企業に安い賃金で雇われて、いいように扱われている、一般庶民ではないのだ。これまで考えもしなかった、横領や詐欺、恐喝や窃盗などといった、心が真っ当であった頃は想像するだけで嫌悪してきた犯罪のすべてが、膨大な金銭を奪い取り、自分の資産として守る上では、最終手段の一つとして考えられるようになってきた。これからのことを考えていると、少しずつ息が苦しくなり、胸が熱くなってきた。少しのプライドや意地、あるいは名誉のために先見の明なしに犯罪を犯してしまい、道を踏み外す者は愚かだが、私の場合には数億円の札束がかかっている。決して発達しているとはいえない田舎町に、庶民の子として生まれ落ちた者にとって、決して少なくはない金額である。人間としての格が変わるといってもよい。私はこの時には、あのトランクの中身を、すべてこの手に入れるためであれば、自分の人生の浮沈を賭けてもいいとまで思っていた。戦いに勝利すれば、海外のプール付き大豪邸、負けたら全てを奪われて監獄行きだ。たった一度の人生である。そんな大勝負もいいじゃないか。勝っても小銭しか残らない、競馬や宝くじよりはずいぶんマシなギャンブルだ。一生涯にわたって、勝負の機会が訪れない人だって山ほどいるだろう。私が道徳を見失い、性悪になったわけではない。突如として、善人から悪魔へと心変わりをしたわけでもない。結局のところ、物事の価値というものを正確に計れない人間がバカなのだ。私は常に冷静である。数億円という金額には、ひとつの人生を賭けるだけの価値があるのだ。そう思えば、今さらマスコミや野次馬なんて怖くない。私の持論に刃向うやつらは容赦なく蹴散らしてやる。


 湯船に浸かった記憶も、パジャマに着替えた記憶もなく、トランクのことを考えていたら、知らぬ間に寝床で横になっていた。自分の人生を思いもかけず良い方向へと変えてくれた、トランクの捨て主に感謝しながら、パイロットランプのだいだい色の光をじっと見つめていた。これまで沸いてきたことのない、もちろん、見たこともない、しっかりとした明日への希望があり、これまで感じたことのないような高揚感があった。人間は道の先に大きな変化や顛末が見えてきて、初めて希望の光に向かって、前に進むことを選択できることを知った。同じことを何十年にもわたって、淡々と繰り返しても、結局は不幸と貧乏神しか呼ぶことは出来ないのだ。欲望を満たす最大のチャンスが見えたなら、それに向けて機敏に動き出す瞬間を逃してはならない。


 ふと、隣の布団を見ると妻が静かな寝息を立てていた。日に日に顔の皺が深くなり、毎日着実に歳をとっているのが見て取れる。自分の唯一の理解者として、せわしない仕事の合間にも、多少の愛情は注いできたつもりだったが、思えば多くの苦労をかけてきた。結婚して、はや二十五年。低賃金の仕事に一筋になり、家族をまったく顧みない、中小企業サラリーマンとの夫婦生活は、決して幸せなものでも、充実したものでもなかったろう。幸福を得るためではなく、ただ、生活を維持するためだけの安月給を得るために、日々会社にこき使われている夫は、毎日深残業。上司の指令ひとつで土日祭日出勤も当たり前。華の新婚旅行でさえ、日光への一泊二日の旅だった。子供が生まれてからは泊りがけの旅行に出かけたことすらなかった。たまの休日に、子供を連れて近所の公園で遊んでいても、携帯電話へひっきりなしにかかってくる顧客への対応により、まともに娘の面倒を見てやることすらできなかった。陽子は、そんなふがいない父親を見ながら成長を続け、周囲の恵まれた家庭と自分を比較してみて、いったい、どんなことを感じながら育ってきたのだろう。


 私の記憶に残っている、一番不甲斐ない体験としては、やはり、突然訪ねてきた叔父夫婦から、高級ワインを貰い受けた案件になるであろう。もう二年も前の出来事になるが、その記憶は鮮明である。五年も前に、すでに退職はしていたが、長年にわたり、大手の自動車メーカーで幹部のひとりとして働いてきた叔父が、自分の嫁を引き連れて、何の連絡もよこさないまま、ある日、突然我が家に訪ねてきた。名目上は、一か月ほど、パリへ旅行をしてきたので、現地で購入した土産物を手渡したいということだった。ソファーに座るとすぐに、その高学歴を駆使して、大した努力もせずに成功へと至った、自分の半生のことを語り出した。今回の旅行では、フランスの五つ星ホテルに二週間も滞在して、贅沢な旅程を繰り広げてきた、その中身も含めて、長ったらしい自慢話をしたいのが見え見えであった。日本人サラリーマンの礼儀正しさや卑屈な態度を、器が小さいと、散々にこけおろし、フランスの芸術や歴史的な文化の素晴らしさを紹介してみせた。とどめは世界中から集まってくる、舌の肥えた観光客たちを日々唸らせる、フランス料理の奥深い味わい。そして洗練された欧州人のふるまいの話になり、退職金を投じて購入したという静岡県にある温泉付き別荘の話になる頃には、我々夫婦にとって貴重な休暇も残り少なくなり、日も暮れかけていたわけだ。すべての自慢話を終えて、ある程度の満足はしたのか、長話を聞いてくれたお礼とばかりに、豪華な木箱に収められた、シャトーの高級ワインを一本置いて帰っていった。その間、こちらの家族の結婚後のイベントや、現在までの生活の移り変わりについて、向こうからは何も聞かれず、ひけらかしたいだけの話を延々と聞いていただけの我々夫婦は、お返しに紹介するべき話のネタは一つもなく、ただ、長時間にわたり、相手の話に相槌を打つばかりだった。二十年間、泊りがけの旅行を一度もしたことがない貧相な家庭には、こちらから自慢するべき話など、あろうはずもなかった。


「兄が長話を聞かせちゃってごめんなさいね。昔から、ああいう人なのよ……。疲れたでしょう?」


 妻はテーブルの上の茶碗や大皿の後片付けをしながら、目は合わせず、落ち着いた口調で、そう慰めてくれた。気持ちがすっかり沈み込んだ私に対して、心底同情したような表情をしていた。一家の主としてのプライドを打ち砕かれた、私の気持ちをすべて悟っているかのような振る舞いに思えた。しかし、彼女の本当の怒りの要因は、自身の兄夫婦よりも、まず自分の半生に、他人に自慢できるような、楽しくて絢爛豪華なイベントを、何一つとして用意してくれなかった夫に対して向けられていたはずだ。つまり、この妻とて、本当の意味では味方とはいえない。気がついたら形成されていたような、何の変哲もないひとつの家庭を、なんとか切り盛りするために、一度も称賛を受けぬままに、懸命に働きぬいてきた、この二十数年間の労働の成果がこれなのかと、私は心底情けなくなったのを覚えている。

ここまで読んでくださってありがとうございます。完成が見えてきたので、ぼちぼち公開していきます。

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