★第二話★
我が家から百メートルも離れていないその地点で、私の視界には奇妙な光景が飛び込んできた。この辺りでも一番目立つ、立派な松の大木の根元にそれは整然と存在していた。縦幅120センチ、横幅80センチ、厚さ25センチほどもありそうな、大型のトランクであった。それが、上から下までまったくずれることなく、五つもきちんと積み上げてあったのだ。この一帯は、視界に入るほとんどが、生い茂った樹木や手入れの行き届いていない灌木、地面に突き刺さった細い枝、そして色あせた落ち葉しか見当たらない。まるで文明人が踏み込まない山奥のような、この視界の中に、突然このような風変わりなモノが現れたので、私はひどく驚いた。少なくとも、その後数分間は、その物体に目を奪われることになった。正気に戻ってから、ふと気がついたのだが、足元には小さな看板が設置されていて、それによると、ここは新しく設置されたゴミ捨て場となっていた。
なるほど、よく見れば、トランクの側には、燃えないゴミや乾電池を詰め込んだビニール袋や電球などの危険物、ペットボトルなどが捨てられていた。老年に達したことで、会社仕事を引退して、この辺りの安い土地を購入して、気楽な農業生活を始めようとする人が増えてきたため、そういう新しい住民への配慮で設置されたのであろう。しかし、やはり目を引くのは、縦に並べられた、銀色のアルミ製のトランクであり、昨夜の雨によって、取り付け金具に砂が付着して多少汚れていたが、外観はまだ新品に近く、遠距離旅行に持っていくにしても、十分に使えそうな状態に見えた。まず最初に、わざわざ、これを捨てていった理由が理解できなかった。また、それに付随した疑問として、他の燃えないゴミを先にここに捨てていった人々は、その際に、このトランクが堂々と並べられているところを見て、少しも不審に思わなかったのだろうか?
私はこの異物に対して、俄然興味が湧いてきて、試しに一番上に積まれているトランクを利き腕の力だけで、前方に向けて、強く押してみた。しかし、その巨大なトランクはこちらの力を跳ね返し、びくともしなかった。ここでまず疑問に思うことは、この物体の遺棄者は、この五つものトランクを、どのような手段によって、ここまで運んで来たのかということ。この重量の廃棄物を、たった一度で運んで来るためには、二トントラックでも使わなければ無理だろう。この辺りの地形に詳しく、しかも、トラックの運転技術のある人物。いったい何者が? わざわざ、これほど人目につかない場所に捨てていったからには、処分にあたっては、相当困っていたのだろうが、捨てた者はいったい何名で、どの方面から、どうやってこの森林の中に入って来たのだろうか。県道から私の家の玄関先までなら、小型車を使えば、何とか入って来ることは出来るが、太い木々に四方を囲まれた、こんなに細いけもの道までトラックでぐいぐいと入ってくることは出来ない。視界を遮る、大小様々な木々に車体のあちこちをぶつけながら、強引にここまで入って来ることが、もし、可能であったとしても、それは騒音を立てるであろうし、付近を通行する人があれば、相当に目を引く行為にもなるだろう。重いトランクをここへ捨てた後、車体を巧く反転して、元の道へと戻っていくことも、容易な行為ではないはずだ。これが単なる住民への迷惑行為なのか、それとも、事件性を含んだ危険な行為なのかを判断することが、ひとまずは重要なことに思えた。
様々な疑問を抱いたまま、ゴミ捨て場の周囲の土地を凝視していると、昨夜の雨で湿った泥道の上に、私以外の足あとが二種類残されていることを認めた。一つはサンダルによるもの。もう一つは大人サイズの運動靴のように見える。この足あとが遺棄していった人間たちのものだと、そのまま信じるのなら、これが捨てられたのは、昨日の深夜から今日の朝にかけてということだろうか。しかも、この足跡からして、この重い荷物を持ってきたのは、どうやら少人数らしい。しかも、私の革靴と比べて、どちらの足跡もかなり小さいのだ。つまり、あんな重量物を遺棄していったのが、年端もいかぬ学生かあるいは女性? しかも、ここまでトラックを運転してきた? そんなことが本当にあり得るだろうか。私は運動靴の方の足あとの方を、慎重に追いかけてみた。すると、先ほどまで自分が写真を撮るために佇んでいた、人口島のある広大な貯水池の前まで出た。池の外周はすべて高さ一メートルほどの鉄柵で囲まれ、ここを管轄する国立理科大の関係者によって、白い看板に太い黒文字で『危険ですので、池には入らないでください』と書かれている。小さな足跡はその看板の手前で完全に途切れていた。ここからは行けども道のない林の奥深くへと進んで行くだけで、どう進んでも大通りへと戻ることは出来ない。結論としては、この二つの足跡はトランクを遺棄した人間のものではないということ。しかし、その前提に立つとすると、例のトランクの持ち主は、あんな大荷物をここに捨てておきながら、いったいどこへ消えてしまったのだろうか。まさか、自分から池に飛び込んで泳ぎ去ったわけでもあるまいし、県道にトラックを停めておいて、ここまで自力で運搬するとしても、トランクは五つもあるから、一人でそれを運んで来ようとすると、何往復もする必要がある。その間、彼の行為が、この近辺に住む、誰の目にも触れなかったとでもいうのだろうか?
私は次に、犯人が我が家の逆方向から徒歩で運んで来たと仮定してみた。しかし、ここを管轄している理科大の生徒などの関係者が、自分の敷地内の森林に、これほど目につくものをわざわざ捨てていったとは、余計に考えにくかった。しかしながら、この現場から理科大の各校舎までは、距離にしてもそれほど離れてはいない。このまま遺棄者が判明しないようであれば、後日、校舎の方に一報を入れておいた方が良いのかもしれない。出勤時刻が迫ってきた。いつまでも、謎の物体のために惚けていても仕方ないので、私はここで踵を返し、一度先ほどのゴミ捨て場に戻ってみた。
決して捨ておけない、もう一つの重大な疑問がある。これが一番深刻で、しかも興味深いところなのだが、この大きなトランクには、いったい何が入っているのだろうか。大人の腕でも全く動かせない、この重さであるから、内部に詰め込まれている物も、相当な質量があるのだろう。私は警戒心から、一度辺りを見渡して、誰もこちらを見ていないことを確認した。捨ててあるとはいえ、他人の持ち物を自分勝手に開けてみたいと思うことだけでも、微かな罪悪感が胸をつくのは事実であった。
『とりあえず、一番上のトランクだけでも、開けてみようか?』
この奇妙な物体をしばらく眺めているうちに、心の中でそんな言葉が生まれた。しかし、この放置の仕方がすでに異常である。不用意に開けてしまうと、事件性のあるものが中から出てくる可能性は十分に考えられる。不謹慎な考えかもしれないが、最悪の場合、バラバラに切断された死体が出てくるかもしれない。暴力団が始末に困って捨てた銃火器類が詰まっているのかもしれない。そうなると、当然のことながら警察沙汰となる。私とて、それほど暇な身の上ではないのに、トランクを見つけたときの経緯などを長時間に渡って尋ねられることになるだろう。面倒なことこの上ない。かといって、中を調べておきながら、無視を決め込み、自分から名乗り出なければ、前述の危険物などが入っていた場合に、おそらくは容疑者となってしまい、余計に危険な立場に立たされる。重要参考人とみなされれば、マスコミの取材を受けることにもなる。私の身元が世間一般に割れてしまい、取材陣が大勢ここを訪れることになる。静かな景観を望んでこの付近に住居を構えている、近所の住民にも多大な迷惑がかかることになる。しかも、どれだけ無駄な時間を費やしても、こちらには一文の得にもならないにも関わらず、だ。
しかし、想像を良い方向へと一歩進めて、その中身が自分にとって、大きな利益になるものだとしたら……。私は先週から世間で話題になっている、竹やぶ一億円遺棄事件を思いだした。万が一、このトランクの中身が、すべて札束だったとしたら……。しかし、そのくだらない考えをすぐに打ち消すことにした。トランクは同じ大きさのものが五つも積んである。仮に、その中身の全てが札束であったとして、そんな目もくらむような大金を、わざわざこんな辺鄙な場所に捨てていく理由がわからない。もし、その大金が何らかの理由により、もう自分には必要がないと思ったのであれば、寄付だの贈与だの、他にも利用手段は無限に考えられるはずだ。運び込むのも困難な森林のゴミ捨て場に置いていくなんて、処理の仕方としては、下の下である。それにこの手のマグネシウム合金製の立派なトランクには、持ち主しか開けられないよう、頑丈な鍵がかかっているのが常である。おそらくは暗証番号で開く方式だろう。次第に賑やかになっていく野鳥たちの鳴き声に包まれながら、ぼんやりとそんなことを考えているうちに貴重な朝の散歩時間は刻々と過ぎていった。
「いかん、もうバスが来る時間だ」
私は腕時計を見て思わずそう叫び、その怪しいトランクたちを見捨てて、県道の方に向かって懸命に走り出した。思いもかけず、無駄な汗をかくことにはなったが、全力で走ったおかげで、何とか遅れることなく、いつもと同じ時刻のバスに乗ることができた。こんな田舎道を駅に向けて走るバスは、早朝は公民館や市内の病院に向かう老人の利用者が多く、決して座れはしないのだが、かといって、満員になることもなく、窓の外の、のどかな風景を見飽きることもなく、いつも通り快適な時間を過ごすことが出来た。
田園の風景に見とれているうちに、心も平穏を得たためか、私の記憶から、例の放棄されたトランクのことは時間の経過とともに消えかかっていた。だが、駅について、都心に向かう電車に乗り換えてみると、夏休み明けの学生たちが大挙して乗り込んで来たこともあって、大変な混雑を体験することになった。この時期の車内では、横から割り込み乗車されることも、平然と足を踏まれることも日常茶飯事だ。私も二十代の若き頃は、ちょっとしたトラブルにも腹を立てて、相手と口論して、相手の肩を突き飛ばしたり、日常では決して使わないような暴論を投げたりしていたものだが、あれから数十年の月日が経ち、会社の管理職を勤めるようにもなると、感情の波や対応にも、変化が起きるものなのか、もはや、些細なことで、他人と揉め事を起こす気など、まったく起きなくなっていた。満員電車での些細な事件、例えば、他人からの悪意ある肘打ちなどによって、感情を揺さぶられることも、ほとんどなくなっていた。だが、他の若いサラリーマンたちには、なるべく平和に静かに通勤したいという、私の持つ、達観した気持ちなどが理解してもらえるわけもなく、今朝も同じ車両のあちこちで肩が当たったとか、満員電車で新聞を拡げて読むのは迷惑だからやめろとか、つまらないことを起因としたいざこざが起きていた。
私はここでテレビで大々的に報道されていた、トップニュースを思いだしたのだが、明確なミスもしていないのに、上司に嫌味を言われたり、同僚に足を引っ張られたりしながら、たかだか月々三十万程度の金を稼ぐために、毎朝こんなに混雑した電車に乗らなければならないという侘しい現実こそが、一見些細なトラブルや、休日や祭日で平穏に家で過ごしているときのような日常なら、到底起こり得ない憤慨を呼び起こすのだろう。
つまり、この国の労働者は皆貧しいのだ。一応は正社員として、職があって働いているというのに、他人との比較において、自分の貯蓄に満足出来なければ、心の平穏は決して得られず、ストレスは溜まっていく一方だ。妻や子供から『お父さんって、凄いんだね』と一声をかけてもらえれば、ある程度のストレスは還元されるのだろうが、当然、それもない。それどころか、家族や親族の行動が余計に足を引っ張ってくる。今朝もテレビに映っていたが、数日前に突然有名になった栃木県在住の家族は、遺棄されていた、例の一億円を、たまたま通りがかって拾ったというだけで、マスコミから、「ほらしゃべれ」とばかりに、たくさんのマイクを向けられているが、みんな、にこにこしながら返答していた。
それも当然だ。家の金庫の中にあの大金があれば、わざわざ混雑したバスや電車に乗ってまで、都心の遠い職場まで働きに出る必要もないわけだ。気の向かない日や、病気の日や、土日祭日までも、無理無理会社に通って、小銭をコツコツと貯めなくても、雑誌のトップを飾るような高級レストランで食事をしたり、贅沢な海外旅行を楽しむこともできる。つまり、満員電車の中で痴漢や口論や降りる降りないでの押し合いへし合いが起きてしまうのは、当事者たちの性格や知性の問題ではなく、誰もが大金を持っていないからなのだ。簡単に導き出せる結論としては、こうした混雑した車内での、大小さまざまな事件を一番単純な手法により、起きにくくするためには、警察官や機動隊を増員して警備を強化することよりも、政治家や企業家が一般の労働者にもっと高い賃金を払えば良いということになる。私は会社に到着するまでの、長い長い朝の通勤ラッシュの中で、そのような理屈に思い至っていた。おかげで、ずいぶんと苦痛が和らいだように感じた。
この時点では、心の底から『竹やぶ1億円事件』を嫌悪していた私は、せめて、会社で仕事をしている時間だけは平穏と静寂に包まれて、過ごしたいと願っていた。だが、そんなささやかな願いすらも、叶えられることはなかったのだ。我が社は、新宿のとある雑居ビルの二階に、ひっそりと存在している。この貸しビルは、建てられてから、すでに三十年以上の時を経過し、外部も内部も薄汚れていた。大地震や火災の際の安全の保証などは、どこにもなかった。職場に足を踏み込んだ途端、今日に限って、すでに出勤していた若手の一般社員や、彼らのかん高い声に釣られて、傍までやってきたその上司たちや、契約上は我が社とは全く関係がない掃除夫たちまでもが、フロアの一角にあるテレビの前方に群がっているのが確認できた。私は早朝の家での光景を思い出して、さらにうんざりすることになった。
自分は仲間ではないという意思を鮮明にしながら、なるべく、そのような雰囲気に巻き込まれないように、強い決意を持ってフロアを歩きながら、自分の席に着いた。いつも通り、まずは隣の席で書類の点検をしていた部長に対して、丁寧に朝の挨拶をした。さすがに、このフロアの責任者である、この部長までもが、ワイドショーなどにすっかり気を取られている、などという情けない事態にはなっていなかった。それでも、テレビの設置してある一角から、時折聞こえてくる歓声やため息によって、時々首や肩を動かし、やり辛さは感じているようだった。
「K君、君はあの手のニュースは好きじゃないのかね? まったく、とんでもないことが起きたものだね。少しは興味を引かれることはないかね?」
この広いフロアにおいて、管理職にある二人だけが真剣に仕事に取り組んでいるという、この場の居心地の悪さに耐えかねたのか、部長はそんなことを尋ねてきた。私は彼の問いかけに対して、さしたる疑問も興味も持たなかった。
「ええ、興味ありませんね。自分が拾ったわけでもないですしね。例え、自分が主役の事件だったとしても、厄介なだけです。ましてや、他人が拾った金に一喜一憂するなんて馬鹿げています」
そっけなく、そう答えてやると、部長は驚き半分安心半分といった微妙な表情だった。
「まあ、そうだろうな……。君は普段から、あの手の情報番組には気を惹かれないだろうし……。いや、君のことを単純な堅物というわけではなく、自分の生き方に誠実な男だからな……」
「光栄です」
私は視線も合わさずにそう答えると、部長のそれ以上の発言を半ば遮るつもりで、朝の打ち合わせの書類の何枚かに目を通していくことにした。自分の集中を遮ろうとする、例の事件のことを何とか忘れたいと願っての行為だったのかもしれない。
やがて、始業のチャイムがフロア全体に鳴り響き、本日の業務の始まりを告げた。テレビに群がっていた愚かな連中も、餌に飛びつく鳩のように、自分の席に速足で戻っていった。時計が九時五分頃を指したとき、突然、私の机の電話の呼び鈴が、不吉な音色を持って鳴り響いた。受話器を取ると、一階受け付けの女性スタッフからの取り次ぎだった。
「もしもし、おはようございます。たった今、新宿区役所の編集スタッフの方が、二名お見えになられました。お出迎えをお願いします」
その報告を聴くと、私は慌てて受話器を置いて、ついたての向こう側に所在なく座っていた男性社員になるべく抑えた声をかけた。
「おい、前田君、今日は新宿区役所の検収の日だが、会議室の支度や書類の準備は、すっかりできているんだろうな?」
すると、その男性社員は寝耳に水も当然です、というような、真っ青な顔をしてその場に立ち上がり、蟹の横歩きのようなポーズをとって混乱を示した後に、ようやく深々と頭を下げた。
「すいません、忘れていました!」
彼はそう叫ぶと、会議に使用する書類や便箋や革の手帳、そして詰め替え用の消臭剤などを机の引き出しの中から、次々と引っ張り出して、会議室の方へと狂犬のように猛然と走り出した。もし、この男が始業前にテレビのワイドショーに夢中になっていたために、今日のイベントのことを失念していたのだとしたら、いくら責めても責めたりないほどの大失態である。ただ、ここで大声を張り上げ、頭ごなしに怒鳴りつけることは、どんな駄目上司にも出来ることだ。私は二次災害を恐れる余り、あえて叱責はせず、自分から階段へと向かった。
「もういい、私がロビーで他愛のない話を仕掛けて、出来るだけ時間稼ぎをするから、君は慌てずに準備に専念をしなさい」
彼の背中にそう声をかけてやった。自分の責任により引き起こしてしまった、こんな緊迫した事態にあっては、誰でも取り乱すものであるが、管理者まで一緒に感情を乱してしまっては、職場はさらなる混乱に陥り、立ちいかなくなるわけだ。
「部長、本当にすいません!」
自分の背中からは、そんな反省の弁が飛んできたが、私がこの件に関して憤ったのは、ほんの一瞬だけであり、今はもう冷静沈着ないつもの自分に戻っていた。『できることなら、区役所のスタッフにはこちらの失態を見せたくはないが、さあ、どうしたものか』と、心の中では思案しながらも、早歩きで階段を降りていくと、一階のフロアには、紺色のスーツを着て緊張の空気に包まれた、二名の男性が立ちすくんでいた。新宿の区役所からは、もう十年以上にわたって、継続した契約を頂いており、その関連部署のほとんどの方の顔を見知っている。しかしながら、この二人については、まったく見たことのない顔だった。これは助かった。おそらく、最近職場異動で配置された、新人の若い職員だ。もし、ベテランの管理職の方などが来られていたら、ここでずる賢く時間を稼ぐなどということは、きわめて難しかっただろう。『余計な雑談は無用です。なるべく、早く仕事に入りたいのですが』などと言われてしまったら、対処のしようがなくなるところだった。
「おはようございます。今日は区報の健康週間のビラの検収でしたよね? もうすでに準備はしてあります。ただ、こちらとしても、朝のせわしない時間帯でして、社員の対応が少しもたついているようです。もうしばらくお待ちください」
課長である私から、そう柔らかい声をかけられて、若い二人も少し恐縮したらしく、少し声を震わせながら、「本日はよろしくお願いします。こちらの来訪が少し早すぎたかもしれません」と緊張した面持ちで挨拶を返してきた。これではどちらがお客の側か、傍目には全くわからないのだが、この緊迫した事態の中では、それでいいのだ。例え、失敗が在ったとしても、それが分かりやすいくらいに下手に出てしまうのは余り良くない。『今日のことを完全に忘れていたのでは……』という、余計に悪い心証を与えることになる。相手にこちら側の失敗の重大さを、なるべく知られてはならないのだ。あくまでも普段通りに、大きな異変は起こっていませんよ、という態度を見せなければならない。私は二人の眼前に立つと、後方の自動ドアの方向を指さした。
「どうです? 先週あたりから、銀杏が徐々に散り始めて、日々、道路を金色に美しく染めていく光景は決して悪くないでしょう?」
二人も私の指のさす方に視線をとられ、その光景に目を奪われ、緊張した面持ちを崩さないままに同意してくれた。
「本当にきれいですね。この大通りはずいぶん長いようですが、この先もずっと銀杏が続いているんですか?」
私はその質問に我が意を得たりと思い、「そうなんですよ。一週間後には四百メートルほど先の広場におきまして、銀杏祭りも行われましてね。もちろん、焼きそばやたこ焼きなどの派手な屋台も出まして、ダンスグループが来て盛り上がりまして、もちろん、飲食もできます。土日には市民健康マラソンも大々的に行われるんですよ。この辺りではかなり有名なイベントです」と、さらに明るい表情で答えた。
「それでは、その頃、またお邪魔したいですね」
区役所の職員の一人は、私の柔和な対応にだいぶ緊張も和らいできたようで、屈託のない笑顔を見せながらそう言った。
「地方の特産品を扱う屋台も多数出ますのでね。毎年、かなり盛り上がるんですよ。ぜひ、その日も遊びにいらしてください。特等席を用意してお待ちしていますよ」
そこで、『取り敢えずは雰囲気だけでも良くしよう』という利害が一致したため、三人で声を合わせて笑い、私はだいぶ時間を稼げたことに内心ほっとしていた。その後も市民マラソンからの連想により、自分の身体の不健康ぶり(運動不足や夜酒をやめられないことなど)をネタにして、しばらくだらだらと話を続け、結局、階段を降りて彼らに挨拶をしてから、合計7分ほどの時間を消費することができた。これなら打ち合わせ準備のための時間稼ぎとしては十分といえるだろう。これ以上、この場を引っ張りすぎると、さすがに不審がられる恐れがある。
私は話を打ち切って、二人を二階へと案内した。これ以上、時間を無駄には出来ない。彼らが黒い革靴から、来客用の専用のスリッパに履き替えている間に、フロアの中央で待機していた前田君に素早く目で合図をしてみたが、彼は役所のスタッフには、全くばれないような微妙な反応にて、少し頷いて見せた。どうやら、準備は万端のようだ。私は二人を連れて一番新しく清潔なA会議室へと向かった。今日この会議で使用される書類やノートパソコン、ペンケースやコーヒーなども、机上においてすでに準備されていた。役所の二人の職員に続いて、我が社の上役たちも姿を現して、次々と会議室へと入っていった。全員が席に着いたことを確認してから、ひとつ頭を下げて、扉は閉じられた。私もこのときばかりは、さすがにほっと胸をおろした。管理職としての自分の役割を果たすことが出来たように感じられた。
「課長、私は気の緩みから、今日の会議のことを完全に忘れていたんです。ご迷惑をおかけしました。どうも、すいません」
「まあ、この通り、今回は何事もなく済んだのだから、もういいじゃないか。どんなに経験を積んだとしても、ほんの不注意から、失敗というのは誰にでも起こり得るんだ。次から気をつけるための教訓にすればいい」
私は自分の功績を誇らず、逆に部下を慰めるべくそう声をかけると、それ以上の不必要な叱責の言葉を浴びせることもなく、自分の席に戻った。
部下が作業に差し障るミスを犯したとき、自分の感情任せに、上から怒鳴りつけることは非常に簡単である。何しろ、自分が事前に指示しておいた約束ごとを守れなかったのだから。管理職にある者として、突発的な怒りと共に、熱く言ってやりたい気持ちが沸いてくるのもよくわかる。大事な顧客が絡む事案なら、きつく叱るべき理由が、そこに大いに存していることもよくわかる。しかし、実際を言えば、感情任せに部下を叱っているだけでは優秀な上司とは呼べないのだ。仕事がうまく進まなかったからといって、ミスを犯した個人の責任だけを追求して、怒り続ければ、かえって当事者の部下の仕事への情熱を削ぐだけだ。本当に優秀な上司とは、突発的な事故が起きたとき、まずは、部下のミスをすべてかばってやれるだけの器量を持たなければならない。落ち度を見つけて、それに反射するように怒るだけではだめなのだ。つまり、ミスを監視してモグラ叩きのように上から叩くだけではだめなのだ。個人のミスに見えても、実際は職場全体のシステムに不都合が発生している場合もある。部下を窮地から救ってやった後で、ほんの少しの注意を促す。今後はなるべくこういうことがないようにな、と。そうすれば、下からの余計な恨みを買うこともなく、部下の自然な成長を促すこともできる。私はこうやって二十数年間会社勤めをしてきた。その結果、上司から叱責を受けることもなく、部下たちに見えないところで陰口を叩かれたこともない。日々の生活を平穏無事に過ごしてきている。定年を前にした管理者の会社勤めとはこうありたいものだ。
世間には仕事上のことで、部下から何か急所を射るような、鋭い指摘を受けると、すぐに腹を立てて、やれ「おまえなんかクビにしてやる」だの「地方に異動させてやる」だのと、狂ったように怒鳴りだす上司が多くいるらしいが、真の上司とは、部下のミスに腹を立てず、部下の若干方向のズレた言い分にも、広い度量で立ち向かってやる器量がなくてはならない。きちんとしたデータと論理で説得すればわかってくれるものだ。部下の一挙手一投足に対して、すぐに感情任せに反応するばかりが上司の仕事ではない。大きく胸を開いて、部下の一つ一つの反応を優しく見守ってやることも、時には必要なのだ。管理職とは、自分の殻に閉じこもった、独りよがりの人間には、決して勤まらないのである。
ここまで読んでくださってありがとうございます。完成が見えてきたので、ぼちぼち公開していきます。