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拾えない札束  作者: つっちーfrom千葉
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★第十六話★


 私が一歩踏み込んだ瞬間、その若い巡査の冷たい視線が飛んできた。交番という警視庁の前線基地、そして聖地に踏み入った者を見逃すわけがない。その感情の見えない視線は、まるで害虫を見るような、ものだった。


「どうしました?」


 その淡白な言葉の裏には、現在とりかかっている仕事を妨害をされていることへの非難の意図と、どんな目的を持ってきたのかも知れない、いけ好かない侵入者に対する、警察官としてはごく自然な疑惑の目があった。もちろん、その一言だけで、眼前の巡査は、この私の外観や雰囲気に対して、まったくいい感情を持っていないことを知らされた。私としては、昨日、トランク発見からの推移を説明した、丸顔で人のいい中年の巡査に会いたかったのだが、彼が今日出勤しているとは限らないし、名前もわからない。出来れば、ここへ呼んできて欲しいが、それをどう表現すればいいのか判断がつかず、私はしばし言葉を失った。


「何か、ありましたか?」


 巡査はこの対応の難しい展開に戸惑う私を見かねて、さらに冷酷な問いを重ねてきた。そこには、『用事がないのなら、さっさと、出て行ってくれ』という意趣があるように思えた。警察官という職は、これから起こるであろう犯罪、または、すでに起きてしまった犯罪に関わる仕事にしか、いっさい興味を持たないようなイメージがある。もう少し言わせてもらうと、特定の一般人との馴れ合いは、公務員の仕事としては著しく公平性を欠くという観点から、なるべく避けるように上司から指示を受けているという先入観がある。実際にそのような内部規定があるかは定かではないが、初めて会う私に対して、この若い巡査が警察学校において嫌と言うほど叩き込まれた警戒心から、このような冷たい対応を取るということについては、わからないでもなかった。


「昨日の……、そ、早朝なんですが、実は、こちらに伺いまして、私の家の近くにですね、複数のトランクが、あの、かなり重量のあるものなんですが、重ねて捨てられているんです……。そのことについて相談に来まして……」


 私はしどろもどろになりながら、そのような説明をしたが、混乱していて、自分でも何から話せば良いのか、よくわからなかった。『六億円相当の札束が入ったトランクが捨ててあるので、調査して決着をつけて欲しい』と頼んだ一件についての顛末を尋ねたいのだが、もし、この巡査がその件については何も知らないのであれば、少し飛んだ話になってしまう。網のような説明を繋いでいくのは難しいだろう。その巡査は一瞬天井を見上げ、何かを思い出そうとしたようだが、結局、有力な情報は何も出て来なかったのか、再び、こちらに鋭い一瞥を向けて、「ちょっと、そういう話はわかりませんね。用事があってここへ訪ねてくる人は、一人や二人ではないので。私は昨日非番だったんです。うちの誰かがそういった話を承ったということですか?」と尋ねてきた。至極、ごもっともな問いかけだが、あいにく、昨日は通勤途中で急いでいたため、調査をお願いした巡査の名前を聞き忘れてしまっていた。これは困った。仕方がない。一度、今日のところは諦めて出直すか、と思っていたところ、突如として、奥のドアが開いて、二人の別の巡査が部屋に入ってきた。先に入ってきた、少し太った見覚えのある巡査は、私と目が合うなり、驚きの言葉を発した。


「ああ、昨日のお父さんか、いやはや、やっぱり、あれは冗談だったんだね。すっかり騙されちゃったよ。昨日は何であんな嘘をついたの? それで、今日は何の用で来たのさ?」


 彼は微妙な笑顔を浮かべてはいたが、その表情には本来の人懐っこい明るさの他に、多少の憤りと疑惑が入り混じっているように感じられた。それは、そうだろう。彼は『大金の入ったトランクが捨てられている』という、私の真に迫った訴えを信用したからこそ、部下を集めてわざわざ現地まで確認に行き、ゴミ捨て場に積まれたトランクを見つけ、開封したのであろう。だが、中から出てきたのは札束の山ではなくて、材木や鉄材などの廃材や資源ゴミであったと『思い込んでいる』わけである。当然、私が朝も早い時間に、わざわざ交番の中に踏み込んでまで、当直の警察官に嘘の報告をしたと結論を出している。もちろん、憤りはあるだろうが、私の熱い言葉に心を動かされて、同僚を駆り立てて現地まで様子を見に行った彼としては、完全に裏切られた気持ちの方が強いのかもしれない。


 ただ、私の側から言わせてもらえれば、トランクの中に入っているのは、紛れもなく、未来における夢と希望の金粉にまみれた大量の札束であり、こちら側の態度を非難される覚えはまったくないのである。あの不思議なトランクの一風変わった特徴、『開ける者の信条によって中身は変わる』があるため、この問題は解決不能のきわめて難しいものになっている。私の目に見えているモノが、彼らには全く見えていないのだ。いや、見えてはいるだろうが、まるで、別次元のものだ。この大事件について、当事者である巡査(あるいはトランクを開けたことのある、別の人間)と私とが、共通の認識に至ることは絶対にできないため、お互いに不信感ばかりが募っていってしまい、結局のところ、問題解決のために協力しえないのである。


「あのう、その件についてなんですが……、私はその時間、仕事に手を取られて、現地には行けなかったもので……、皆さんが、ゴミ捨て場を訪れた際にですね、どのような形によって、例のトランクを調査をして頂いたのかを、一応詳しくお聞きしておこうと思いまして……」


 私は恐る恐るそう尋ねてみた。ここに来るまでの道中では、その目で札束を認識すらできない、警察の無能について、少し厳しく問い詰めてやろうかとも思っていたのだ。しかし、内心では影のような不安として感じていた通り、眼前に並ぶでくの坊たちは、その生来の知性の低さによって、うちの家族と同様にトランクの真実の姿を見ることはできず、この先でどれほど語りあっても、互いの見解が真っ向から食い違うことは、すでに確定的になっていた。


『何度も言ってますが、中身は数億円にものぼる札束の山なんですよ。あなた方が本当に正義を旨としているのなら、見えるはずなんです。本当にちゃんと確認したんですか? それとも、警察の組織は無能の集まりですか?』


 などと、最初から強気な言葉をぶつけていたなら、警察官たちはすでに怒り心頭であったのだろう。すでに、羽交い締めにされて床に押さえ付けられていたかもしれない。この点では、私は冷静であった。とにもかくにも、まずは下手に出ることによって、連中の側から見た、この一件の真実を知ろうと思ったのだ。しかし、部屋に入ってきた二人の警官の表情には、私の言葉への温かい理解はほとんど見られず、明らかに見られたのは、明白な疑惑と当惑と不信であった。無理もない、二人ともに、この私を、暇つぶしにここを訪れた、単なる酔っぱらいか、あるいは近所迷惑な大ぼら吹きだと思っているのだろう。しかし、いつまでも立ち去らない、私の態度にある程度の同情が働いたのか、昨日、私の話を聞いてくれた丸顔の警官は、私に椅子をすすめて、それから詳しい説明を始めた。


「よろしいですか? 昨日の午後二時半ごろ、お父さんの説明に基づいて、現地を調査しました。森林地帯に大型のトランクが放置されているということで、多少の事件性を感じましたので、私とこの後ろに立っている佐藤の、二人で向かいました。あなたが仰った、ゴミ捨て場に向かう前に、軽く現地を視察しました。県道に面した3ヘクタールほどの畑が並び、その合間にある細い路地と、三軒の民家が軒を連ねる、やや小さな広場のある方の二ヵ所から林に入ることができるとわかりました。二十分ほど、付近を散策してみますと、畑側の入り口から少し道を逸れて、草木をかき分けて奥に進んだ場所にある、二本の松の木の陰に、旧型の半壊したテレビが遺棄されていました。少しの間ですが、我々は林の中を詳しく調査してみました。住民以外の悪意のある人間が立ち入る可能性について調べていたのです。真昼間でしたが、その間、誰も林には入って来ませんでした。このような不法投棄を行うには、絶好の場所のようにも思えました」


「ですが……」


 私はそこで反論を述べようと思ったのだが、寸でのところで思いとどまった。相手側を完全に納得させることができない不毛な反論は、警察側の不信感をさらに増していくだけだと思ったからだ。話し手の巡査のすぐ後ろに立っている、佐藤と呼ばれる巡査は、その短剣のように鋭い目で、じっとこちらの表情の変化を伺っていて、彼も昨日一緒に不毛な捜索に動員されられ、泣きを見た恨みがあるわけなので、今となっても、私に対する怒りや不信は相当なものがあるらしかった。それどころか、あれだけの大噓をまき散らしておいて、その翌日に改めてここを訪れるとは、いったい、どういう神経をしているのかと憤っているに違いない。今や、私の立場は迷惑な酔っぱらいと犯罪者のちょうど間にある、グレイゾーンにあるのかもしれない。


「付近の散策を終えてから、我々は貴方のお話の中にあった、ゴミ捨て場へと向かいました。林の北側、貯水池のすぐ南側の大木の下ですよね。入り口から数分もかからずに到着しました。南側に人家が二件、二階建ての青壁の建物、あれがお話の中にあった、お父さんの自宅ですか? ああ、そうでしたか。なるほど、ゴミ捨て場には確かに重そうなトランクが五つ積まれていました。中身の確認をする前に、ゴミ捨て場付近の調査をしました。周囲の木々との距離を測り、運搬の手法の可能性を探りました。軽自動車なら、あそこまで入って行けそうですが、その場合は、あの巨大なトランクを同時に五つも搭載することは困難に思えました。ワゴン車や二トントラックなら積めますが、それだと、今度は林の中の狭い獣道を通行することができません。そういう理由から、我々はこれが何らかの乗用車によって運び込まれた可能性は否定しました。これを遺棄する意思を持った誰かが、徒歩でここまで運んできた、あるいはトランクだけを現地で調達したのではと推測しました」


 私はその説を聞かされても、疑問だらけだった。何しろ、利き腕で力いっぱい押してもびくともしない、あの重量である。仮に徒歩で運ばれたのだとすると、短時間の間に一人や二人で運んでくることは、困難を通り越して不可能である。その上、私が初めてトランクを目にした、あの朝、ゴミ捨て場の付近には自分以外の不審な足跡はなかった。これらの証左を覆すに足る、画期的な運搬方法はあるのだろうか。私の心中に沸く疑念を知ることもなく、警察側はその説明を続けた。


「付近の簡単な調査を終えた我々は、問題のトランクを調べることにしました。外観は目立った汚れもなく、比較的新しいものに見えました。サイズは大型で、いわゆる90Lフレームタイプと呼ばれる物です。最近、旅行や運搬目的でよく売れているものに比べますと、やや旧型で、おそらく四年ほど前に発売された物です。今回は防具をいっさい持ってきませんでしたので、すぐに開けてしまうことには一抹の不安を感じました。そこで一応、周囲を回って、不審なところはないか、調べてみました。すると……」


 彼はそこで説明を一度止めた。開いて、木材やら、鉄材やらを発見したときの感想を早く聞きたいと思っていた私は、その少しの間をかなりもどかしく感じた。


「最初にこの付近を見て回ったときは、まったく気がつかなかったのですが、トランクの後ろ側、それも、一段目と二段目の間の、つがい目の辺りなのですが、一枚の小さなメモ用紙が挟まっていました。後ろで見ていた、佐藤から、『何か紙片が見える』と、そのような指摘を受けましたので、慎重にそれをつまみ出して、開いてみました。すると、二行にわたる異質な文章が書いてあったんです。それは、教養のない大人とも、子どものものともとれる、何の変哲もない、書体で書かれていました。たしか……、信条によって……、中身が変わるとか、どうのこうの……」


 警察への不審と己の記憶への不審との間で揺れ動く、私の絶えまない思考はその発言によって、乱暴に遮られた。


『なんだって? その文言はたしか……』


 脳裏に浮かび上がったのは、おそらくトランクとの二度目の出会い、つまり、土曜日の帰宅後に、あのゴミ捨て場において、トランクの隙間から小さなメモを発見して凍りついたときの画であり、そのとき、強引に脳みそに叩きつけられた文言だった。そうだ、トランクを開けた者の信条によって、中身が変わるという内容だったはずだ。これまで、なんとか保っていた、鉄面皮は崩され、ここはさすがに聞き流すことはできなかった。


「ちょっと、待って頂けますか? その、メモ用紙のことなんですが……、今、手元にありますかね? やはり……、すでに、処分してしまいましたかね?」


 私のその鈍い問いに対して素早い反応を示して、佐藤という、冷酷そうな巡査は、机の上の文房具入れと思しき木箱の中から、ごく小さなビニールを拾い上げ、中からひとつの紙片を取り出して、私のところまで持ってきた。泡を食って受け取ると、慌ただしくそれを開いてみた。文房具屋であれば、どこにでも売っていそうな、極めてありふれた、そのメモ用紙の中に書かれた、悪意の言葉は、ここにいる警官との持論の応酬さえ上手くこなせれば、あの大金はすべて自分のモノになるのだと堅く信じていた私の渇望を、粉々に打ち砕き、この一連の出来事の形相を、初めてトランクと出会った、あの生々しい瞬間にまで引き戻すものであった。


『もう一度だけ、通告しておく。このトランクの中身は、これを開く者の信条によって変化する。心の悪しき者が、この中身を持ち去ろうとすれば、必ずや裁きを受けるであろう。すなわち、おまえは命を失う』


 まず、二度目の確認という安心よりも、記憶の海の底のそこかしこから、いくつかの疑念が沸いた。


『こんな文章だったか?』 


 自分が見つけた紙片を破り捨ててから、すでに、かなりの時間が経過してしまい、残念ながら、一度目に見たときの正確な文言は覚えていないのだが、この時の予感では、あのときの文章とは少し違っている気がした。まったく信憑性の感じられない、無能者のいたずらのような、幼稚な文面にも思えるのだが、トランクのすぐ傍から、同じような文面が二回出てきた以上、この問題についても、真剣に取り組まねばならなくなった。


 そもそも、私はこの紙片の問題を軽視しすぎていた。これを発見した当初は、このトランクの中身を、私より先に確認した第三者が、自分より後にこの場に現れて、これを発見するであろう、いわゆるライバルを牽制するために、このつまらない紙片に脅迫の文言を残していったと仮定していたはずだ。そうであるならば、その後、トランクの中身を何回か(私にとってはこれは大量の紙幣だが)確認した際に、そのような『悪意を持つ第三者は存在していない』ことを認識し直さなければならなかったのだ。


 なぜなら、その後の数日間、私は仕事や家族内の雑事に追われ、何よりも大切なトランクを、始終見張っていることなどできず、それにより、悪意の第三者は(もし、そんな人間が現実に存在していればだが)いつでも、小型トラックやワゴン車をつぎ込んで、財宝が詰め込まれた五つのトランクを丸ごと持ち去ることが出来たはずだからだ。そう、悠長に紙片の上に文章など書いている暇があるのなら、その隙に廃棄業者でも雇い入れて、全ての札束を軽々と持ち去っていたはずだ。その結論にもっと早く至っていれば、この紙片を残したモノはいったいナニモノなのか? という、しごく当たり前の疑念に、とっくにたどり着いていたはずだ。私はこの混乱を呼ぶ厄物をしばし見つめ、この文言の不可解な意味を、何とか『この自分がトランク内の大金を手に入れることにより幸福を得る』という未来の理想像に近づけようとした。そして、この呪いの言葉を、どうしたら、自分にとって都合のいい解釈に持っていけるか、思考を巡らすことにした。


 ここまで読んでくださってありがとうございます。完成が見えてきたので、ぼちぼち公開していきます。

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