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拾えない札束  作者: つっちーfrom千葉
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★第十五話★

久しぶりの更新になります。遅れてすいませんでした。


 言うまでもなく、何らかの波動を受けたショックによって倒れ込んだ私を、急を聴いて駆けつけてきた誰かが抱き起して介抱してくれたわけではないだろう。ことによると、私は心理的な疲労のために一時的な錯乱状態に陥って、幻覚を見ていただけなのかもしれない。だが、自分の意思によって起こした、昨夜の一連の行動や、得体の知れぬ悪魔との滑稽な会話は、おぼろげながら、一つの記憶として、しっかりと残されていた。我が脳が意識を奪われて機能しなくなり、地面に崩れ落ちた時の、雑草や土の生々しい匂いをはっきりと覚えている。あの薄気味悪い悪魔が去り際に残した、意味深な言葉。呪縛が解けた瞬間の、体験したこともない強力な脱力感も、たしかに現実のものと感じたのだ。あの鮮烈な体験が、神経の疲れからくる幻覚や、家族ともども寝静まった後に、枕の横にようやく現れるという、あの人騒がせな幻夢などであるはずがないのだ。私は確かに魔界の使いと大金の分け前を巡る交渉をしていた。今回の一件で分かったことは、かつて、頭の片隅でほんの少しだけ意識していた、人間外の存在。そして、これは予測にもなるが、あの怪物は確実にトランクの持ち主であるはずだ。


 しかし、私はいつものように、寝室の自分の布団にくるまった状態で目が覚めたのである。現場からこの部屋まで必死に逃げてきた記憶も、憔悴しきった身体で、歩いてここまで戻った記憶も全くないのだ。あの会話が現実であるなら、いったい、どうやってここまで? 初めて、あの五つのトランクと出会った刻から始まった、この一連のある種幻想じみた出来事は、決して夢ではない。なぜなら、現実での労働や家庭生活よりも遥かに鮮明な、コントラストの高い色彩を持つ記憶であるからだ。断じてこれが夢などであるはずがない、と念じながらも、しばし、次々と起こるこの数日間の事象を眺めながら、窓の外から洩れ出ずる微かな光を眺めてみた。昨夜起きた曖昧で真実味に欠ける事実たちを、何一つとして断定することは出来ず、他人との会話によって記憶に真実味を持たせることも出来ず、しばし呆然としていた。ふと、布団を強引に跳ね除けて窓に走り寄り、カーテンを一気に開けてみた。目を射すような、まばゆい光が射しこんできた。この位置からでは、ゴミ捨て場の現況はまったく見えないわけだが、おそらく、昨日の続き、それは『ゴミ捨て場に積まれた奇妙なトランクは、開けた者の信条によって、中身を変える』ということに、さらなる確信を持ったという、あの場面の続きから、さらなる思考の積み重ねと、自分の未来を輝かすための活動を再開すれば良いものと思われる。ただ、大木の上に突如として現れた悪霊、理論的には到底説明できぬ、あの不気味な存在だけは、私に現実からの逃避、または自分の記憶や道徳的判断への、いささかの不信感を抱かせるのだ。怪奇現象を体験した人間につかまって、その話を長時間にわたり聴かされていると、その相手が、どんなに生真面目な人間で、どんなに社会的信用に足る人物であっても、この人は実は心中奥深いところに、病魔という暗い沼が潜んでいるのではないかと、ふと、勘ぐってしまう向きもある。ただ、今回についていえば、おそらく、他の人間が体験したこともない怪奇現象の体験者は、他ならぬ自分なのである。自分で言うのは照れるところもあるが、記憶力と認識力にはかなりの自信を持っている。こうなったら、他人からどんなに知性や脳内の中枢神経を疑われても、『自分は確かに悪魔と契約をしました』の一点張りで、この一件を押し切ってやりたい気になった。私は自分の欲望を叶えるために確実に一歩を進めたはずだ。『トランクの元々の持ち主と出会い、あの大金を譲り受ける約束を交わす』という当初の目的は、ここに来て、しっかりと果たされたのだから。


 気分がいくらか落ち着いてくると、私はまっさらなYシャツに着替えて、階下に降りてみた。昨夜の突拍子もない行動について尋ねられるのでは、と少しの不安に襲われた。居間では、妻がこともなげに食事の支度をしていた。彼女の手が卵焼きをひっくり返すと食欲をそそるいい匂いが漂ってきた。陽子の姿はどこにも見えなかった。そのことを尋ねてみると、今日は登校する前に友人の家に寄って、借りていた音楽CDを返してから、一緒に学校へ向かうので、ずいぶん早くに起きて、朝食も取らずに足早に出かけていった、とのことだった。


「昨日の夜に連れてきて逃げていった彼氏のことなんて、まるで気にしてないようでしたよ」


 妻は半ば呆れたようにそう言って、洗い物を続けながらも、苦笑いを浮かべていた。あれほどの騒ぎのあとの、現代っ子のさばさばとした態度への疑問と、『あんな姿のままで、本当に社会に出て行けるのだろうか』という将来への不安を、どちらも思い知らされたのだろう。ただ、その様子からは、昨夜、私の身に起きた異変について知っているようには見えなかった。そうなると、率直な疑問として、ゴミ捨て場に倒れこんでいたはずの自分の身体を、ここまで運んでくれたのは、いったい何者なのだろうか。どうしても、それを知りたかったので、さりげなく、昨夜の自分の様子について、妻に尋ねてみた。


「昨夜は陽子の彼氏が逃げ帰ってしまったので、仕方なく、三人で夕食を食べたでしょ。それとも、あなたの機嫌のこと? いつもよりは、少し陽気に見えましたけれど……。その後、お風呂に入って、お二階の書斎で少し休憩されて(多分、新聞を読まれていたのだと思いますが)その後、寝室に移動されて、そのまま、就寝されましたよ。電気を消したのは、午後十一時前だったかしら……。だいぶ、お疲れでいらっしゃったようです」


 彼女の言葉はきわめて冷静で事実に基づいたものだった。二十数年前の婚姻以来、その多岐にわたる表情が語る事実は揺るぎなく、嘘をついているようにはとても見えなかったからだ。例の悪魔が自宅前まで私の身体を引きずってきたのであれば、妻も娘も通常の心理状態では、いられるはずがない。また、妻があの出会いを草木の陰から覗いていたとすれば、それこそ、トランクの一連の事件について、黙っていられるはずもなく、今さら、自分の知ってしまった事実をひた隠しにする理由もなかった。


 妻の記憶からは、私が風呂から出た後、自宅前を走る光の筋を二階の窓から認めて、慌ててゴミ捨て場に向かって駆け出した後のことが、すっぽりと抜け落ちている。私はドアを出る前に、確かに大声で出かけてくることを知らせたはずだ。では、そのことに対する反応や対応が、どこにも存在しないということなのか。しかし、三十年近くにわたって、私の行動を鷹のように鋭い、その目で追い続けてきた女性が、そんな記憶違いをするはずもない。やはり、悪魔と話したと思えた一件は、私自身の夢だったのであろうか。人間の感覚や気持ちの持ちようは、朝と夜とでは大幅に様変わりする。明日の大イベントのために、深夜まで気合を入れて思索していたことが、射し込む朝の光と共に溶けて無くなってしまい、その自信もどこかへと消え失せ、せっかくの楽しみが拍子抜けになってしまうことは、程度の差こそあれ、どんな年齢の人でも体験することではないか。もっと簡単な例を挙げれば、精神病を患っている人は、昼間は通常の人と同様に生活することができても、夕方の訪れとともに具体的な嫌な出来事が起きなくても、なぜか不安を感じるようになり、完全な夜が来てしまうと、突如として、得体の知れない恐怖に襲われ、身体の一部がだるく感じたり、麻痺したり、あるいは強い痛みを伴ったり、お風呂に入るだとか、ハミガキをするだとか、部屋のゴミを片付けて捨てに行くなどといった、一般的な家事までもが出来なくなって寝込んでしまうという。このような症状は精神医学でも完全には解明できないものもあり、頓服薬を用いても、ほとんど効果が見られない場合が多い。病気の例を出すまでなく、私が言いたいのは、人間は朝と夜では、厳密に言えば、まったく同様の行動は取れないということである。夜とは人の心理状態まで闇で閉ざす、別世界といえるのだ。


 今日も出社すれば通常の勤務は控えており、解答が存在するかどうかも知れぬ難解なことを、数時間もかけてウダウダと考えている暇はない。私は急いで朝食をかき込むと、妻に軽い挨拶をして、駆け足で家を出た。大量の札束を取得するための思索を練ったものの、雲をもつかむ状態であった昨日までとは、まったく状況が変わったわけだ。やるべきことは非常に多い。まずは、ゴミ捨て場に向けて走った。私が持つ、すべての行動心理の大前提として、まず、『ゴミ捨て場に大金の詰まった、五つのトランクが置かれている』という現象がなければならない。


 もし、これが覆されるなら、私は危険を冒してまで、大金を自分一人でせしめるための、法に反する行動を取らなくともいいわけだ。つまり、トランクが何者かによって、何らかの理由で片付けられてしまえば、私の野望はそこで潰えて、いくらかは遺憾であるが、通常のサラリーマン生活が戻ってくる。この後に続く、長い長い退屈な貧乏生活も……。


 いくらか呼吸を乱しながら、長い時間を感じながら、私は現地に着いた。その視線の先には、しっかりと五つ積まれたトランクが映っていた。約一週間前に始まった、この当たり前の光景は、私の心を他人との競い合いという心理的な呪縛から解いて、いくらか安心させる。最初の前提はこれでクリアされたわけだ。周囲を気にしながら、自然な動きで近寄り、一段目の蓋をおもむろに開いてみた。すでに確信していた通り、砂一粒乗っていない新札の束が、ずらりと並んでいた。その表面は朝陽を反射して金色に輝いていた。これはもはや、壮観である。造幣局や大銀行にでも勤めていない限り、一般的な人生において、このような光景を目の当たりにすることはできないだろう。ただ、ここまでは想定していた通りである。あの悪魔と出会う以前の通りである。問題は昨夜の怪奇現象が、現実として確かに起こったのかどうか、ということ。私は素早く空を見上げ、辺りの大木の濃緑に輝く枝葉に注目した。まだ、秋の装いに入らぬ葉っぱも、すでに黄色に変化した葉も、同じように重なり、空を覆いつくして、陽の光をほとんど通さなかった。数分に渡って、ゴミ捨て場の周囲を歩き回り、あの怪人の気配を探したわけだが、シジュウカラやスズメなどの野鳥の姿はこの目で見られたが、臓腑を激しく揺さぶるような、異界の生物の存在は、今や、どこにも見受けられなかった。また、昨夜は背後から感じていた、怪しく鋭い視線についても、今は感じられなかった。


 この落ち着いた空気、ひと気のない平和な光景から、端的に導かれる解答は、昨夜の怪物との出会いは、すべて自分で作り上げた幻覚であった、ということである。この穏やかな空気に包まれた田舎の町に、魔界からの使いが大金を携えてやって来る、などという子供じみた話をいったい誰が信じよう。もっとも、常識をすべて跳ね返して、意地を張り続けることは容易にできる。私一人が警察署に押し掛けていって、『大金に目を付けてしまったために、悪魔に憑りつかれ、この命を狙われている』などと訴え出ることは論理的には可能だ。しかし、このような事例の場合、多くは訴えてきた人間の精神状態に異常があると見なされ、いくら機動隊員の袖にしがみ付いて、泣き喚き、説得を試みたり、助けを求めたりしても、精神医療の発達した、都内の大学病院を紹介される、というところに落ち着きそうである。


 私は自分の心の安閑にとって必要な、いくつかの要点について、確証が得られたので、とりあえずは、余計な時間を置かずに、その場を離れることにした。まだ、自分がこのトランクに触れている場面を他人に見られてもいい時期とはいえない。せっかく、八割がた自分のものになった大きな幸運を、自らによる単純な不注意によって、破綻させることはない。私以外の人間には、この札束の山は見えていない、という大前提は確かめられたのだから、大した目的もなく、鶏も鳴き始めぬうちから、この辺りをウロウロなどしていたら、その行動自体を怪しむ人も現れるかもしれない。あの巨額の紙幣をしっかりとこの手に握りしめる日が来るまでは、用心に用心を重ねて、慎重に行動しなければならないのだ。それに、自分の思いを叶えるためには、まだいくつか確かめなければならない案件があった。


 私はいつの頃からか、家族以上に親しみを感じるようになった、あのトランクたちに多少の未練はあったのだが、何とかそれを振り払うと、バス停に向かうことにした。私が到着するのを待っていたかのように、北側の県道をたどって、ワンマンバスがのんびりと走ってくるのが見えてきた。車内はいつにもまして混雑していたが、今日ばかりは、その息苦しい苦労も、まったく精神的な負担には感じなかった。周りの乗客に対して、得も言われぬ優越感すら感じていた。それはそうだ。左右両方からグイグイと押し込まれ、顔を苦痛に歪ませながらも、両手に挟んだ新聞を無理無理読んでいる、性悪な中年サラリーマンも、何とか席を確保したものの、駅の手前の停留所で降りなくてはならないため、ドアまでの進路を素早く確保できるかわからず、不安げな様子の女子学生なども、自分の今日一日のことに思いを馳せることで精一杯であり、五年後、十年後の自分の地位や資産の増加のことなどに思いを巡らす余裕はあるまい。バスを降りて駅の構内へと人混みを搔き分けて懸命に走っていく自分の姿は想像できるだろうが、その先にも苦痛は待っている。おそらく、彼らが私のような奇跡を起こさない限り、何年の時が経とうが、延々と続く苦痛が……。


 私には少しばかりのリスクや投資すらもなく、近日中に六億円を手に入れる予定がある。隣に並ぶサラリーマンたちと出目は大して変わらないはずだが、たった、これだけのことを運命の上に乗せているだけで、他人の人生を大きく凌駕できるわけである。『まだ、現金を手に入れて無いうちに、他人を見下すのはおかしい』との声も聞こえてきそうだが、今の私には、チャンス無き者たちから発せられる、そんな妬みや嘲笑の声を完全に遮断できるだけの安心感と心理的余裕があるのである。考えてみるがいい。庶民は年末の宝くじの、(数億円の大当たりを、ほとんど券を購入した全ての人の出資によって賄われる、最悪のギャンブルのことだが)一等に当選する確率が、親戚が海で釣ってきたフグを食べて当たる確率よりも、よほど低い、あの、まったく無意味と等しいギャンブルに幾分かの夢を見て、安い給料の中から、泣く泣くいくらかの分不相応の投資をして、それでも、券を購入した大多数の人間は、(結果の公表とともに確実に潰される)そのほんの小さな夢を持つだけで満足して、その日を楽しみに生活しているではないか。その健気な希望は、私がこれから数億円を手に入れる確率に比べたら、胃腸を荒らす細菌や、砂糖に群がるシロ蟻のフン程度のものである。


 たった、十分ほどとは言え、灼熱のアドリア海を目的もないまま進んでいく、奴隷船の内部のような、地獄の責め苦を存分に味わい、苦渋に顔を歪めながら、耐え続けた乗客たちは、駅前の狭い停留所に着くと、ようやく新天地に到った亡命者たちのように、我さきにと駆け降りていったのである。


 私は駅の構内に向かう前に、自分がやるべきことがあることを覚えていた。昨日、トランクが遺棄されている問題のゴミ捨て場を、数人の部隊で調査したと思われる、幾人かの警官たちから、その当時の事情を聞かなくてはならない。なぜならば、私は事前に、トランクの中には数億円分の札束が入っている、と正直な申告をしたからだ。実際に実況見分をした警官たちが、あれを見てどのような結論を下したにせよ、『そうですか、件のトランクの中は、やはりガラクタでしたか』では済まされないのだ。つい先ほど、私はこの目で、トランクの中には、今現在にも、大量の札束が詰まっていることを確認したわけである。私の視力と認識力か、あるいは警察官の現地調査か、どちらかが明らかに間違っている、ということになる。交番の入り口に立ち、中を覗いてみると、長身で色白の見慣れない若い巡査が、せわしなく細いペンを動かして、書類に何事かを書き込んでいた。私は意を決して、その扉を数回にわたり軽くノックしてから、大きな音を立てぬように、ゆっくりと扉を開いた。


 ここまで読んでくださってありがとうございます。完成が見えてきたので、ぼちぼち公開していきます。(2020年5月31日)

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