★第一話★
朝の空気の質は漂う季節によって、日々違えど、意識が夢を貫いて目が覚める時間は、ここ十数年間いつも同じだった。ここ数年、朝の静寂を突き破る、置き時計のあの騒がしい音によって、たたき起こされた記憶はない。文明人にとって、最高の発明品のひとつである、あの目覚まし時計が、静寂を破る騒々しい音を立てる直前に、自分の意思によって、自然と目をさますことが出来る。そして、腕を反射的に伸ばして、時計のスイッチを止めてしまうのが、日々の寝起きにおける、最初の動作になっている。
今日もいつもとほぼ同時刻に、パジャマからYシャツに素早く着替えて、一階まで降りてくると、妻と娘はもうすでに食卓についており、朝食の最中だった。娘は都心の専門学校まで通うため、一限から授業がある日は私より早く朝食を済ませる必要がある。当然、妻としてはその時間に付き合う必要がある。だが、ここ数日間、世間を賑わしている、あるニュースの動向に、二人とも、心踊らされており、テレビや週刊誌の流す情報にすっかり釘付けとなっている。
「まだ、落とし主が発見されないんだね、だんだん、すごいことになってきたね」
「ここまで来るとね……、本当に間違って捨てていったのかもよ。何か、別のものを捨てたつもりで……」
「いくら何でも、そんなわけないと思うけど……。こんな話、聴いたことないし……、どうなるんだろう、ほんとに拾った人のモノになっちゃうの?」
私が居間に踏み込む前から、テレビに視線を引き付けられた、二人のそんな会話がはっきりと聞こえてくるわけだ。そんな安っぽい会話には、絶対に付き合いたくないと心に誓っているこちらとしては、朝食の準備を要求しにくい局面にもなっている。
先週の金曜日に栃木県の山あいにある、ひと気のない、こじんまりとした竹やぶにおいて、一億円の現金が詰め込まれた革製のバッグが発見された。現在までのところ、落とし主は不明。これを発見したのは早朝の散歩途中に偶然その場を通りがかった、近所に住む五十代の主婦だった。そもそも、このゴミ捨て場を日々利用しているのは、たった十五にも満たない小さな集落の住民のみであったため、その奇妙な遺失物に不信感を抱いたのだという。その女性は中身を確認すると、すぐに警察に届け出て、数時間後には大手マスコミ各社が、これを知るところとなった。テレビ各局、大手新聞各社、雑誌週刊誌などの総力をあげた取材合戦が始まったのは、それからすぐである。
確かに驚くべき事件ではあるが、私は当初からこの一件に対して、それほど興味を持っていなかった。いや、もっと言ってしまえば、こんなきな臭い事件に感情を剥き出しにして大騒ぎすることは、馬鹿馬鹿しいことであるとさえ思っていた。自分に一円の得にもならない事案に神経を尖らせるのは、時間の無駄と思えるからだ。しかし、後から思えば、何者かが、大金を訳もなくひと気のない場所に置き捨てていくという、この奇妙な事件が、私の心の奥底に無意識のうちに悪しき影響を与えていたのかもしれない。
「あら、あなた起きていたの? おはようございます。今、食事の準備をしますね」
妻は廊下に立ち竦んでいる私の気配に、ようやく気がつくと、慌てて椅子から立ち上がり、動き始めた。しかし、その対面に座っている今年二十歳になる娘の方は、未だにテレビにかじりついたままで、こちらに顔を向けようともせず、両親への朝の挨拶などは、必要ともしないようで、とうの昔に捨て去ってしまった、悪しき習慣のように、しようとしない。彼女は来年の春には、今通っている専門学校を卒業する予定だが、この不景気のさなかで就職先は未だに決まらず、かといって、自分の人生の過酷さに、恐れおののいて失望するわけでもなく、我が家の生活費を少しでも補充するために、家の周辺でアルバイト先を探すわけでもなく、いったい、将来について、どんなことを考えているのかは知れぬが、毎日のほほんと暮らしている。
「おまえも、そろそろ出かけたらどうだ? このままじゃ遅刻するぞ」
こちらからそう声をかけてやっても、まったく動じる気配はなく、テレビの中に映し出されている、事件現場の竹やぶの映像にすっかり釘付けのままだった。父親に挨拶もせずにワイドショーにのめり込んでいる自分の行為が、完全に正しいことであるとまでは思っていないようだが、かといって、こちらの指摘に素直に従ってやるのも、どこか腹立たしいので、取り敢えずの無視を決め込んでいるかのようだ。
こういう場面に直面するたびに『どうして、こんな子に育ってしまったんだろう? 』と内心ではつねづね思っているわけだが、妻とは、そんな暗い話題を真剣に話す機会もなく、かといって、強行な手段に出て矯正させることも出来ずに、この歳まで成長させてしまった。この子は成人するまでの間に、少なからず他人に迷惑をかけてきたかもしれないが、世間一般の人々が思っているほど、自分たちは子供を甘やかしてきたつもりはない。
こんな子にも、『お父さんといっしょじゃなきゃやだ!』と、涙顔でわめき散らし、私と手を繋がなければ、友達と公園で遊ぶことも、幼稚園に通うことも出来なかった、幼少期があったとは、今の姿からはまったく想像もできない。
私はテーブルの隅からテレビのリモコンを拾い上げると、娘には何も告げないままに、公共放送にチャンネルを切り変えてやった。すると、娘はようやくこちらの存在に気がついたような、陰険な目つきとわざとらしい素振りを見せながら振り返り、「お父さんって、国が垂れ流す情報しか見ないわけ? ほんとにつまらない大人だよねー」と辛辣な言葉を投げかけてきた。彼女はとっくに食べ終わっていた食器を台所まで運んでいき、それを片付け、ようやく学校に出かける準備を始めた。
『与党が予算委員会で成立させた、消費税の税率引き上げの法案は、今週末にも本会議での採決にかけられる見込みとなりました。しかし、委員会での強硬な採決に踏み切ったことにより、野党からの反発は避けられず、野党の一部では内閣不信任案提出の動きも……』
公共放送に切り変わると、テレビの電波は、ようやく私好みの情報を発信し始めた。一億円は大金なのかもしれないが、私だったら、例えそれを拾っても決して浮かれたりしない。どうせ、その素性は税金逃れの汚れ切った金に決まっている。マスコミの突っ込んだ取材が進み、真実が明らかになったとしても、ゴールデンタイムに流されるCMのすべてを牛耳っている、一部の大企業にとって都合の悪い事情が出てくれば、事件の全てはどうせ闇から闇へと葬り去られるに決まっている。そして、一週間もすると、どこの放送局でも、話題は完全に塗り替えられてしまい、大金を拾っただのというニュースは、いっさい放送されなくなる。こんな状態がもう数十年は続いているわけだ。今さら、マスコミの気概の無さを責める気もしない。騙されている国民を、バカにする気もしない。そういった仕組みによって、この国がネジ一本から頭脳に至るまで動いているのなら、それはそれで仕方がない。今回の一件でも、そういう汚い事情によって、持ち主が現れないのならば、無理に捜査をする必要などない。最初から恵まれない人にでも寄付してやればいいのではないだろうか。
私は常に自分の懸命な労働によって、国家や国民の役に立ちたいと思って生きている。お金を稼ぐことだけが企業で働く理由ではない。自分の信念は崩さないし、硬い思想を持って生きている。私に命令できるものがあるとすれば、それは企業社会が向かっている理想と、高度な政治的権力だけだ。全く知りもしない、一般人が拾った大金の話題などより、国会の情勢の方が、よっぽど重要な局面に向かっている。
「おまえも、一応は企業に管理職として勤めている男の妻なんだから、もう少し政治や経済に興味を持ちなさい。まったく関係のない話じゃないんだぞ」
台所で洗い物をしている妻の背後から、そのように声をかけてみた。流し台を流れる水の音に打ち消されたのか、妻からの返事はなかった。決して、機嫌が悪かったわけではないが、あんな無能な娘と一緒になって、朝っぱらからワイドショーなどに釘付けになっている姿が気に食わなかったのだ。食べ終わった食器を片付けると、私は鞄の中身やスーツのポケットの確かめた。すっかり、出かける準備が整っていることを確認すると、玄関へと向かった。
家を一歩出ると、初秋の爽やかな風が、前方から吹きつけてきた。我が家の眼前からは、隣りの市区まで続く、広大な森林地帯が広がっている。ブナや松の木が所狭しと生い茂り、足元にはシダの葉が地面を覆い隠すように成長していた。都会ではほとんど見慣れない野鳥も、ここには多く生育している。休日になると、野鳥の観察を趣味にする、アマチュアの写真家の多くが、ここを訪れる。自宅の敷地を出ても、すぐにはバス停に向かわずに、この森の中で二十分ほど散策をして過ごすのが、私の日課になっている。地面の上には、大量のドングリが、まるで人の意思で敷き詰められたパズルのように、並んで落ちている。二十年前の結婚当初に、自分の家が木々に包み込まれているという、小説や映画の世界の一場面のようなこの光景に、夫婦ともども心を惹かれて、この土地に家を建てることを決めたのを、今鮮やかに思い出した。
どんぐりたちを踏みしめながら、人ひとりやっと通れるくらいの細い道を辿って、右手の方に数十メートルほど歩いていくと、国立の理科大が管理している巨大な貯水池に行き当たる。水面は大量のハスの葉で覆いつくされて、見栄えの良いものではないが、池の中央には人口の島があり、そこにはシロサギやアオサギが縄張りとして留まっていることがよくある。池の淵からは大量に生育していると思われるウシガエルの合唱が聴こえる。彼らは午前中から大変騒がしいが、非常に用心深く、岸辺の低い位置にある小さな穴に身を潜めていて、ひと気のない深夜にならなければ、その姿を現わすことはない。この広い池のそこかしこでは、運さえ良ければ、鴨の親子やカワセミの姿を見ることが出来る。通勤途中であるから、大きなカメラは持って来れないが、小型のカメラを常に携帯して、自分としても、シャッターチャンスを狙っている。昨年の夏に偶然シロサギが自分の近くの水辺にまで舞い降りて来て、しばらく逃げずにとどまっていてくれたために、その美しい姿を写真に収めることができた。街中では見られない、珍しい生き物の写真を撮れたのは初めての経験であった。そこで、写真家を名乗ったこともないのに調子に乗ってしまい、その作品をA3サイズにまで引き伸ばし、市の展覧会に応募してみたところ、幸運にもそれが優秀賞を受賞し、市民会館の一角に展示されることになった。その結果が、私をますますこの趣味にのめり込ませることとなった。
しかし、今日は十五分ほど付近をゆっくりと歩いてみたが、画になりそうな獲物とは出会うことができず、「まあ、そういう日もあるか」と独りごちて、少し遠回りをしてから、県道へと向かうけもの道に入った。松の木に留まる、カワセミなどともし出会えたら……、などといつも期待しているのだが、なかなかそのような珍しい野鳥とめぐり会うことは叶わないでいる。
ここまで読んでくださってありがとうございます。完成が見えてきたのでぼちぼち公開していきます。