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世界の果ての鎧騎士

 乾いた風の音が聞こえる。

 バラバラと石が体に当たるのを感じる。


 ゆっくりと目を開けた。

 ここはいったいどこなのだろうか。

 体を起こそうとするが体が重く固い。

 やっとのことで起き上がったが、ここがどこなのかは相変わらずわからなかった。


 その理由は二つ。

 一つは見渡す限りの荒野で目印になるようなものが何もない事。

 もう一つは……私の記憶がない事だ。


 私はいったい誰なのだ、名前すら思い出せない。

 ここで眠っていたのだろうか、こんな何もない荒野で?

 ……考えてもはじまらない。

 とにかく何か見つかるまで歩くとしよう。


 はじめは固かった体もだんだんとほぐれてきた。

 どうやら私は騎士のような鎧を着ているようだ。

 不思議と重さはさほど感じない、他に着るものも無いので脱ぐのはやめておこう。


 そうしてしばらく歩いてみたが、あるのは荒地と砂と瓦礫ばかり。

 どこか異世界にでも来てしまったかのような感覚だ。

 もしかしたらここは異世界などではなく地獄かもしれないが。


「……!」


 ふいに気配を感じた。

 野生の獣だろうか、だが敵意や殺意といったものは感じない。

 不思議な感覚だ、気配を感じにくい相手とは。

 なんとか相手の出方を伺おうとしていると、フッと空が暗くなった。

 いや、正確には何かの物陰に入ったと言うべきか。

 それを見上げ、私は驚愕した。


 それはまるで巨大な獣だった。

 ゆっくりと歩くその巨体は、よく見れば多くの植物が集まった塊だ。

 これの獣は森そのものが歩いているような存在なのだ。


 植物の獣が脚を上げる。

 脚のように見えるそれは根や蔓が複雑に絡み合ったもののようだ。

 呑気に観察していると、植物とは思えない速さで私に向かって脚を振り下ろしてきた。

 これは確実に私を狙った攻撃だ!

 いまだに敵意は感じないが、それも植物ゆえの事だろう。

 ハエトリグサのように自動で行っているのだ。


 それにしても攻撃が激しい。

 まるで本物の獣を相手にしているようだ。


「しまった!」


 上から振り下ろされる脚にばかり気を取られ、地面を這う根に気付かなかった。

 足の動きを封じられた私に強烈な一撃が振り下ろされる。


 だがその攻撃は私には届かなかった。

 そればかりか切断された植物の脚が無残にも周囲へと散らばる。


「これは……!」


 自分でやっておきながら自分で驚いてしまった。

 いつの間にか私の手には立派な剣が握られており、反射的に植物獣の脚をなぎ払ったのだ。

 脚の一本を切り裂かれた植物獣は大きく体勢を崩した、今が好機だ!


 記憶は無いが体が勝手に動く。

 絡みつく根を振り払うと私は小屋ほどもあるその獣の体を駆け上がり、気付けば二本に増えていた剣を両手で振るい切り刻む。

 表面を削り取ると奥の方に脈打つものが見え、直感的に私はそれに剣を突き立てた。


 その直感は正しかったようだ。

 植物獣は突如として動きを止め、バラバラと体を崩壊させていく。

 おそらく、これで『死』んだのだろう。


「うっ……」


 なんだ? めまいがする。

 そういえば目が覚めてからずっと飲まず食わずだ。

 そんな状態でこれだけ暴れれば当然か……。

 怪物を……打ち倒したというのに……無念だ。



 *****



 顔に何かが当たっている。

 冷たい……どうやら水のようだ、雨が降ったのだろうか。


「……あ」


 目を開けると誰かがいるのが見えた。

 その人物が私の顔に水をかけていたようだ。


「お前が私に水を……」


 話しかけようとするが、その人物は相変わらずドボドボと水をかけ続けている。


「ブハッ! いや、わかったから。もういい、大丈夫だ」


 慌てて体を起こし制止する。

 今度は溺れるところだった、加減というものを知らんのか。


 起き上がってよく見ると、水をくれたのは少女のようだ。

 年は10歳くらいだろうか、もう少し幼いかもしれない。

 薄汚れた体にみすぼらしい布切れを纏っている。


「お前が私に水をくれたのか、感謝する」


 礼を言うと少女はニコリと微笑んだ。

 言葉は発しないがこちらの言っている事は伝わるようだ。


「それにしても、この見渡す限りの荒野で水があるとは……。どこかに集落でもあるのか?」


 少女に聞いてみたが、今度は反応が鈍い。


「えっと、家、だ。お前はどこに住んでいるんだ?」


 言い方を変えてみると今度は通じたらしい。

 少女は指をさし方向を伝えている。

 家に案内してくれるのか、少し進んではこちらを振り返る。

 誰か話のわかる人間がいれば助かる、私は少女に付いて行く事にした。


 少し歩いた場所にそれはあった。

 瓦礫に覆われた洞窟、よく見れば隙間から入れるようになっている。

 洞窟とは言ったが中は石畳などで綺麗に整備され、中央には美しい泉が水を湛えていた。

 なるほど、ここから水を汲んできていたのか。


「この泉、どこかで……?」


 頭が痛い。

 この泉に見覚えがあるような気がしたが、やはり思い出せなかった。


 それにしても、この洞窟が少女の家なのだろうか。

 泉の周囲にはいくつか部屋があり、机や本なども多少置かれている。

 場所によっては苔やキノコが茂っていて、外とはかなり環境が異なるようだ。


 だが、肝心の人間がいない。

 まさかとは思うがこの少女、ここで一人で生きているというのか。


「お前、家族は? 他に誰かいないのか?」


 質問してみるが要領を得ない。

 置いてあった本も読める文字ではあったが、私に必要な情報は書かれていなかった。

 こうなれば仕方がない。


「おい、お前が喋れるかどうか知らないが、私が言葉を教えてやろう」


 少女は相変わらずキョトンとしている。

 理解しているかどうかは関係ない、私にとっては少女が知っていることを聞き出す必要があるのだ。

 幸いなことに教材になる本もある、ここで私が教えてやるとしよう。


 意外な事に、少女の学習能力は驚くべきものだった。

 わずか数日で私の教えた言葉を使いこなせるようになったのだ。

 世が世なら天才と呼ばれていたかもしれないな。


 そして私自身もここで数日を過ごし分かった事がある。

 まず、この泉の水には不思議な力がある、ただの水だと思っていたが飲むと活力が漲るのだ。

 また、ここらに生えている苔やキノコは食用になる、多少取ってもすぐに生えてくるので子供一人ならば困らないだろう。


 やはり、この子はたった一人で生きてきたのだ。

 この洞窟で、泉の水と苔とキノコで。


「ごはん、できたよ」


 少女が声をかけてきた。

 私も得意なほうではないが、料理というものも多少は教えておいたのだ。

 火の代わりになる便利な石をはじめいくらかの道具は揃っていたからな。


 材料はキノコだけでは足りないので私が取ってきたものだ。

 外をうろつく植物獣は食べられる植物を含んでいる場合も多い。

 活力を取り戻した私ならば必要な量を刈り取るなど朝飯前だった。


「お前もだいぶ言葉が達者になったな。自分名前はあるのか?」

「なまえ、しらない」


 少女は首を横に振る。

 それもそうか。

 言葉を知らず一人で生きてきたくらいだ、名前を呼ばれたことなどなかっただろう。


「ではお前の名前はタチアナだ。お前の事をそう呼ぶ事にする」

「たちあな」


 私が決めたわけではなく、ここにある物にそう書いてあったのだ。

 ここが彼女の家ならば問題はあるまい。


「……ん」


 するとタチアナは私を指さし何かを言いたそうにしている。

 おっと、私の呼び方を教えていなかった。


「私か? 私は……」


 いかん、そう言う私も記憶喪失だった。

 人の名前以前に自分の名前がわからんとは情けない。


「よろい」

「何?」


 鎧?

 私の事か? 鎧は着ているがちと安直ではないか。


「いや、それはちょっと……」

「……ヨロイさん」

「敬称をつければ良いというものではない」


 嫌がる私に向けて不満の視線を送ってくる。

 そんなにこの名前が気に入ったのか?

 まあいい、敬称まで使いこなしている事に免じて許可してやるか。


「わかった、私のことはヨロイさんと呼ぶがいい」

「わかった、ヨロイさん!」


 やれやれ、何がそんなに嬉しいのか、子供はよくわからない。


 さて、それよりも食事だ。

 食せる草とキノコを煮ただけの簡素なスープだが、冷める前に食べてしまおう。


「まずい!」

「おいしい!」


 意見が分かれた。

 普通に考えて美味いわけがないのだが、普段キノコなどをそのまま食べてきたのなら味の変化が新鮮に感じるのか?

 この状況下では少し羨ましいな。


 食事の後は瞑想。

 ここは静かだ、精神統一にはちょうど良い。

 こうして目を閉じていると何かを思い出せそうな気がする……。


「ヨロイさん! ヨロイさん!」


 何かを思い出せそうなところでタチアナがしきりに呼びかけてくる。

 集中が途切れてしまった、私も未熟だな。


「どうした、タチアナ」

「なまえ、よんでみただけ、だよ、ヨロイさん」


 呼んでみただけか……そうか。

 話のできる相手がいて嬉しいのかもしれないが、少々私の手には余る。


 その後も瞑想に入ろうとすると決まって声をかけられた。

 私が反応しなければ調理用の火炎石を押し当ててくる始末だ。

 当然それは叱ったが。


「やれやれ……痛たたた!」


 落ち着いたかと思ったら今度は後ろから兜を引っ張られた。


「やめなさい! これは取れないから!」


 そう、実は私にも外し方がわからない。

 というより鎧の脱ぎ方がわからない。

 ちょっと脱いでみようかと思ったら体と一体化しているように感じるほどびくともしなかった。

 それでも普通に飲み食いできているから、タチアナにはそれが不思議なのかもしれない。

 時々、私の顔をいろんな角度から覗き込もうとするしな。


 とにかく、こうして私は瞑想を諦めた。



 *****



 翌朝、私は見た夢の事を思い出していた。

 多くの怪物たち、それを指揮する人物。

 それらが何を意味しているのかはわからない。

 だが、どこかへ行き何かをせねばならないという気持ちが湧いてくる。


 タチアナはまだ寝ているのだろうか。

 置いていくのは忍びないが、外の世界はあまりにも危険だ。

 安全なこの場所にいた方が彼女のためでもある。

 私はそっと洞窟から抜け出した。


「はい、これ」


 洞窟から出たすぐの場所でタチアナと出くわした。

 何のことはない、彼女はすでに起きていて、外で私が出てくるのを待っていたのだ。

 自分を情けなく思いながら彼女が差し出したものを受け取った。

 みすぼらしいバッグにいくらかの物が入っている。

 見ればタチアナもまた同じようなものを身に着けていた。


「どこかに、いくんでしょ。わたしも、いっしょに、いきたい!」

「……外の世界は危険だ、お前を連れてはいけない」


 タチアナが不満そうな顔を見せる。

 感情をはっきりと出す性格のようだな。


「そとのせかい、ちゃんとしってるよ。いろんなものがあるの。いつか、いってみたいとおもってたから」


 ゴソゴソとタチアナは自分の下げたバッグから何かを取り出す。

 これは、地図だ。


 荒れ果ててしまった今では大して役には立たないが、いくつか主要な建物がある場所はわかる。

 この泉も地図に載っていたのが助かる、これならある程度の目標を定める事ができるぞ。

 この地図をいつも肌身離さず持っていたのか。


「……わかった、これはお前の手柄だ。一緒に行くとしよう」

「うん! ありがとう、ヨロイさん!」


 私は二人分のバッグの中身を確認し、持てるだけの必要なものを詰め込んだ。

 よく考えればこの間目覚めたばかりの記憶喪失の騎士などよりも、この少女の方が世の中には詳しいのかもしれない。

 自分を戒めながら、私は地図を頼りに歩き出した。


 しばらく歩くと遠くに何かが見えた。

 あれは動物か? 犬くらいの大きさだ。

 できれば食料は現地調達したい、私は剣を取り出した。


 この剣、どういう仕組みか知らないが私が念じると現れるようだ。

 片手で一本、両手で二本。

 もっと出そうな気もするが今はまだわからない。


 獲物に気付かれないように少しずつ間合いを詰める。

 適度な距離まで近づいたら、獲物めがけ剣を投げつけた。


 植物獣を相手にしている時も思ったが、どうやら私はかなり強いらしい。

 投げた剣が矢のように真っすぐ飛び、獲物の体に深々と突き刺さる……どころか貫通して真っ二つにしてしまった。

 まあ、獲れたのだからよしとしよう。


「すごい! すごい!」


 タチアナもこう言ってくれてる事だしな。


 獲れた獲物に近付いてみると、それは大きなネズミのようだった。

 さすが、この荒れた世界でもたくましい事だ。

 とりあえず捌いて肉にしてしまおうか。


「それ、わたしにやらせて」


 ここでタチアナが名乗りを上げてきた。

 そうだな、今までこのサイズのものを取った事はなかっただろう。

 獲り方や捌き方を教えておくのも悪くない。


「よし、ではまず自分の力で獲ってみろ」


 こんな事もあろうかと、短剣と小型の弓矢を作っておいた。

 簡単にだが使い方を教え実践させてみる。


「弓矢は離れた場所にいる獲物を倒すのに最適だ。よく狙え」


 再び見つけた大ネズミめがけてタチアナが矢を放つ。

 なかなか筋がいい、見事に命中したぞ。


 その時、地面がえぐれ穴から大ネズミが飛び出してきた。

 思ったよりも狂暴な生き物だったようだ。

 ネズミは私めがけて噛みつこうと勢いよく飛び掛かる。


「やあっ!」


 この子は筋がいい、本当に。

 驚くべき事にネズミが私に噛みつく瞬間、タチアナが短剣で刺し貫き倒してしまった。


 そしてこちらを見て凄く自慢げな顔をしている。

 褒めて欲しいのか?


「ああ、凄いぞ。二匹も倒してしまうとはな」

「えへへ」


 褒めるととても嬉しそうな顔をする。

 本当にハッキリした子だ。


 私と合わせて合計三匹、良いタンパク源だな。

 捌き方と保存法を教えたし、しばらく食料は問題ないだろう。

 近くに屋根になりそうな残骸も見つけた事だし、今日の探索はここまでだ。


「なにこれ! すごくおいしい!」


 今日の食事は焼きネズミ。

 ただ焼いただけの肉だがタチアナは目を輝かせている。

 確かにあのスープよりは何倍も美味いがな。


 だがちょっと食べ過ぎだ。


「こら、それ以上はダメだ。そんなに食べると腹を壊すぞ」

「やだ! ヨロイさんのいじわる!」

「意地悪で言っているわけではない。こら、やめんか!」


 落ちていた石で殴られた。

 鎧で身を固めている私でなければどうなっていた事か、アクティブにも程がある。


「人を石で殴ってはいけません」

「……やだ!」


 その『やだ』はどっちに掛かってるんだ? 肉か、石か。

 ああもう、駄々をこねて暴れるんじゃない。

 その日は寝るまで延々お説教となったのであった。



 *****



 次の日、タチアナの足取りは重い。

 昨夜のお説教のせいかかなりご機嫌斜めだ。


「タチアナ、遅れるなよ」

「……」


 むすっとして返事もしない。

 まったく、先が思いやられる。


 世界は相変わらず荒廃しているが、そこそこ生き物はいるようだ。

 今日も何か生き物を発見した。

 かなり大きい、ネズミとは違う。


「トカゲ……いや、竜か?」


 そこにいたのは馬ほどの大きさをした二本足の鳥竜だった。

 仲間とはぐれ弱っているのか、こちらに目線をやるものの動こうとしない。


「……!? おい待て、何をする!」


 タチアナが短剣を振り上げたのに気付き慌てて押さえた。

 危ないところだった、もう少し遅ければ持ちきれないほどの肉が増えるところだった。

 それも悪くは無いが……。


「どうしてとめるの!」

「状況を見ろ、もっと広い視野でものを考えるんだ」


 私は持ってきた泉の水を鳥竜に飲ませてやった。

 息も絶え絶えだった鳥竜の目に光が戻り、まだ少しふらつきながらもしっかりとその脚で立ち上がる。


 鳥竜を見た時、少しだけ頭痛がした。

 かつてこの生き物に乗って走ったような気がする。

 だとすれば乗り物として力を借りられるかもしれない。


「ほら、触ってみろ。そっとだぞ」


 タチアナに鳥竜を触るように促す。

 おそるおそる撫でていたが、だんだんと慣れて私が言う前に背に乗ってしまった。

 鳥竜のほうも嫌がらずそのままタチアナを乗せている。

 お礼のつもりか?


「ウーマ!」


 私に向かってタチアナが叫んだ。


「このこ、ウーマにする! わたしがきめたなまえ!」

「馬ではなく鳥竜だと思うが……まあいいか。名前だし」


 ちょうど子供の足で長距離を移動させるのに無理を感じていたところだ。

 新たなる旅の仲間に感謝しないとな。

 持っていた物と拾った物を材料に鞍と手綱を作成。

 とはいってもただのロープと布だが、これでも無いよりはマシだろう。


 休憩がてらタチアナに馬術を教えてみた。

 タチアナが優秀なのかウーマが優秀なのかわからないが、そこそこ上手く乗れている。


「どう、すごいでしょ!」

「あ、おい、よそ見をするんじゃない」


 ほら落ちた、言わんこっちゃない。

 優秀なのはウーマの方だったわけだな。

 お前は要練習だ。


 ウーマのおかげで旅はかなり楽になった。

 一日の移動距離が格段に上がり、持ち運べるものも多くなった。

 人間が牛や馬を利用し始めた理由がよくわかる。


 新たな友人のおかげかタチアナの機嫌も直ったようだ。

 みんな乗り物は好きだものな。


 時折現れる植物獣の相手は私がする。

 あの痛みを感じない巨体は恐るべき相手だが、この程度なら問題ない。


 何体か相手をしてみてわかったが、やはりこいつらは『動く森』なのだ。

 生き物を襲うのは肥料として取り込むため。

 現に倒した植物獣から半ばコヤシになった死骸が出てきたことがある。


 だが、生き物を襲う反面、食べられる実や真水を分泌することもわかった。

 地上の動物たちはこの植物獣に命を脅かされながらも、同時に彼らによって命を繋いでいる状態なのだ。


 何故このような事になっているのか、私には知る由もない。

 ただあの洞窟にあった本に、かつて勇者と魔王が戦っという記述があった。

 おとぎ話ではなく『歴史書』として。

 もしかしたら何か関係があるのかもしれないな。



 *****



 数日間の旅を経て、私たちは目的の場所へたどり着いた。

 目的としていたその場所は荒廃してはいたものの、建物の形をしっかりと保っている。


「だが……これは!?」


 地図には『国立記念資料館』とあった。

 だがどう見てもそんなお上品な建物ではない。

 言うなればそう、『魔王城』という言い方が一番しっくりくる。


 何だ……頭痛がする。

 この場所に覚えがあるというのか?


「ヨロイさん、はいってみよう!」

「あ、ああ。そうだな」


 ウーマを待たせ、タチアナと共に建物へと入っていく。

 どうやら城だったものを改装して資料館にしているようだ。


「ものがいっぱい……でもだれもいないね」

「そうだな。建物は残っているが、ここは生活するには向かないようだ」


 階段の先にあった大きな扉をこじ開ける。

 そこは玉座の間のような作りになっていた。

 当時の様子をそのまま残してあるという説明だ。


「うっ……!」


 今までにない激しい頭痛が私を襲う。

 何だ……様々な映像が流れ込んでくる。


 私はこの場所を……知っている!


「ぐ……う……」

「だいじょうぶ? しっかりして!」


 うずくまる私を少女が揺さぶる。

 ……何をそんなに動揺することがある?


「う……ふふ、フハハハ!」


 そうだ、全て思い出した。

 私の事も、この場所の事も。


「ヨロイ……さん?」

「ヨロイさん? ……気安く呼ぶな、小娘が」


 私の腕を掴んでいた小娘を振り払う。

 私を誰だと思っている、馴れ馴れしい餓鬼め。


「私は魔王軍最強の不死将軍、アシュラナイトなり。目障りな人間め……消え失せねばその頭、床に転がる事になるぞ!」

「ひっ……」


 小娘が後ずさりした後、出入り口に向かって駆け出した。

 これでゆっくりと調べ物ができる。


 ……はて、何故私はあの餓鬼を殺さなかった?

 まあいい、魔王様の居城を血で汚すこともあるまい。


 偉大なる主の城を勝手に弄られているのは腹立たしかったが、資料館である事は助かった。

 おかげで多くの事が分かったのだからな。


 私自身の記憶では、魔王軍として世界を侵攻していた際に勇者と戦い敗れた事は覚えている。

 私は不滅の肉体を持つ魔物。

 時間はかかるが復活までの休眠状態に陥っていたのだ。


 その後、魔王様もまた勇者によって討ち取られてしまったようだ。

 それにより魔王軍は壊滅、世界は勇者の手によって奪還され平和が訪れた……か。


 時が流れ、いつしか勇者の家系も一般人と変わらなくなった頃。

 文明は発展したが、同時に人の欲も際限なく大きくなっていった。

 争いの火種は徐々に大きくなっていき、国同士が争う大戦へと展開していく。


 泥沼の魔法戦争が続いた結果、その影響か植物が変異を起こし巨大な獣のように歩き回るようになった。

 植物に見放された大地は荒廃し、栄華を誇った王国もまた不毛の大地へと沈んでいった。


 ……というのが現状らしいな。

 せっかく手に入れておきながら簡単に手放すとは。

 人間というのはよほど平和が嫌いとみえる。


 とはいえ、魔王様もすでに亡きこの世界。

 私はどうしたものだろうか。

 魔王様の遺志を継ぎ新たなる魔王軍を設立するのも悪くないが、世界がこの有様では侵攻する意味もない。


 ふと、入り口近くにさっきの小娘がいるのが目に入った。

 あれだけ脅したのにまだ逃げていなかったのか?

 ……そうだ、良い事を思いついた。


 上階からひらりと体を舞い踊らせ、下層にいる小娘の目の前へと着地した。

 いまだ逃げずにいる小娘の顔をじっと見る。

 怯えているようにも見えるがそうでないようにも見える、よくわからん餓鬼だ。


「……やはり違うな」


 もしや勇者の家系の者かと思ったが、面影も何も似ていない。


「貴様はただの人間だ。運よく泉の力で生きながらえただけの小娘よ」


 あの泉……、命の泉は魔王軍が秘匿していたものだった。

 思えばあの生命力を活性化させる泉を奪取されたのが敗因だったのかもしれんな。


「おい小娘、私は新たな魔王軍を立ち上げる事に決めたぞ。そこで貴様を新たなる魔王にしてやろう、光栄に思うがいい」


 ガン!


 そこそこ大きい石で顔面を殴られた。

 面白い事をしてくれるな。

 いいだろう、こちらも面白いものを見せてやろう。


 両肩が盛り上がると同時に脇腹も膨らむ。

 そして繭を突き破るように新たな腕が生えてきた。

 背中に二本、脇腹に二本、全て合わせて六本の腕。

 これがアシュラナイトの名前の由来。

 この鎧も私の思念で変化する魔導の鎧、同様に出し入れ可能な魔剣と合わせれば不死将軍の真の姿の完成というわけだ。


「恐怖しろ小娘、そして絶望と共に服従するのだ!」

「べーだ!」


 バチンと大きな音がして小娘が倒れる。

 貴様ごときに剣など必要ない、その痛みを覚えておくのだな。


 それにしても強気な餓鬼だ。

 だが貴様の意見など聞いていない、勝手に連れていくとしよう。

 幸運にもラプトリッチがいるようだ、この餓鬼のものか? 贅沢な。


 私は拘束した小娘をラプトリッチに積み込み、魔王城跡を発った。



 *****



 命の泉が近付いてきた。

 これだけ世界が荒廃しても枯れることなく残っているとはさすがだ。

 再びこの泉を制すれば痩せ衰えた世界など取るに足らないだろう。


 ……何だ、地面が揺れている。

 植物獣ではない、振動はかなり下から発せられているものだ。

 私は剣を手に構えた。


「さあ、どこから来る?」


 振動が徐々に大きくなってきた。

 何かは知らないが出てきた瞬間バラバラにしてくれる。

 そう思った瞬間だった。


「何!?」


 それは巨大なミミズのような生き物だった。

 こいつもまた戦争の影響で変異したのかもしれない。

 そしてそのミミズは私ではなく、少し離れた所にいたラプトリッチを大きな口でくわえ込んでいた。

 狙いはそっちか!


「貴様、それは私の所有物――」


 フッと周囲が暗くなる。

 次の瞬間、何かとてつもなく巨大なものが大ミミズに覆いかぶさった。

 ミミズはそのままはるか上へと放り投げられ、待ち構えていた木々の間へと消えていく。


 ミミズを襲った何か、それは当然植物獣だった。

 だが……あまりにも巨大だ。

 山が連なったようなとてつもない巨体、巨大すぎて地形と間違えてしまいそうなほどだ。

 その獣自身も大きすぎるせいか、私には見向きもしないで立ち去ろうとしている。


「くそ、私のラプトリッチが……」


 せっかく手に入れた足を失ってしまった。

 頭には来るがわざわざあれと戦うほどの価値はないだろう。

 私はとりあえず泉の状態を確認することを優先した。


 程よく瓦礫に隠された入口、暑い荒野とは異なる安定した気温。

 口にするだけで活力が漲る枯れる事の無い泉。

 素晴らしい、隠れ家にするのにこれほど適した場所はない。


「ふん、あの小娘め、これだけの好条件が揃った場所ならば生き延びるのも難しい事ではなかったろう」


 新たな魔王を擁立するつもりだったが、ラプトリッチとまとめて失ってしまった。

 他の人間を見つけるにしても時間がかかる、暇つぶしの玩具になると思ったのだがな。


「……?」


 そう言えば、私は何故あの小娘がここで生き延びていた事を知っているのだろう。

 いや、勇者の末裔でもないただの餓鬼がひとりで生き抜く方法など限られている。

 おそらくそこから推測したに過ぎない。


「くそ、頭が痛い」


 泉の水を飲むが頭痛が収まらない。

 どうなっている、この泉の水は病にも効くはずだ。

 空腹のせいか? 何か食べれば落ち着くかもしれない。


 泉の周囲はいくつかの部屋になっている。

 そこにあった火炎石で周囲に生えたキノコを焼いてみた。

 荷物はラプトリッチに積んでいたからな……仕方がない。


「まずい」


 毒は無いが味の悪いキノコだ。

 おまけに頭痛がどんどん酷くなる、こんなまずいものを食ったせいだ。

 私はとうとう横になってしまった。


「……ん? なんだ、本か」


 横になった時に手が当たった。

 背中の腕は収納しないと寝づらいのだ、うっかり忘れていた。


 気を紛らわそうと本を一冊手に取る。

 だがやはり頭痛が酷く読む気になどなれなかった。

 ちょうどハンカチのような布切れが落ちているのが目についたので、それを拾って泉の水で濡らす。

 これを当てておけば何とかなるだろう。


 ……本当に何とかなった。

 嘘のように頭痛が引いていく。


 ドガッ!


 私の右拳が石畳を激しく打つ。

 その部分は無残にもヒビが入り窪んでしまった。


 頭痛が治った、だがそれは泉の水のせいではない。


「何故だ……、何故私は忘れていたのだ……?」


 落としたハンカチに刺繍された名前。

『タチアナ』

 そうだ、あの子の名前だ。

 私はどうしてそんな事も忘れていたんだ。


 そうだ、こんな事をしている場合ではない。

 荷物を取ると急いで洞窟を飛び出し荒野を見渡す。

 まだそんなに時間は経っていない。


 植物獣が動物を殺して取り込むのは肥料にするためだ。

 あの時襲われたのは大ミミズ、あくまで巻き込まれたに過ぎない。

 動物のような消化器官は無いはずだから生きていればまだ間に合うはずだ。


 くそっ、足跡が無い。

 それどころか風と砂で視界が悪い。

 あれほどの巨体を見失ってしまうとは!


 泉との位置関係でおおよその方向を推測したが確証はない。

 何か手掛かりになるものが欲しい。

 そう思っていると、砂の向こうから何かがやってくるのが見えた。

 あれはラプトリッチだ!


 そのラプトリッチはケガをしているらしくかなり弱々しい。

 しかし決して歩みを止めようとしない、そこに強い意志のようなものを感じた。


「お前、まさかウーマか?」


 近付いて呼びかけてみた。

 するとラプトリッチは歩みを止め、私の前に頭を下げた。

 やはりこいつはウーマだ。

 植物獣に襲われた衝撃でミミズが吐き出したのか。

 ケガは地面に落ちた時に負ったものだろう。


 残念ながらタチアナは一緒ではないようだ。

 おそらく予想通り植物獣に捕らわれているのだろう。

 とにかく私はウーマのケガを手当てし、持ってきた泉の水を飲ませた。


「さっそくで悪いが今はお前が頼りだ、あの子のところへ行くぞ!」


 ウーマにまたがり荒野を疾走する。

 将軍時代を思い出すな。

 まさか人間の子供一人のために奔走する事になるとは、とても想像できなかったよ。


 ラプトリッチの足は速い、あの巨大な植物獣の影が見えてきた。

 思えばウーマは私を連れてくるために戻ってきてくれたのかもしれないな。

 緩やかな動きながらも踏まれないよう気を付けて距離を詰めていく。

 やはり、でかい。


「ウーマ、お前は離れていろ。あとは私一人でやる」


 手で合図を送るとウーマはそれを理解した様子でその場を離れた。

 途中何度もこちらを振り向いている、心配しなくとも助けて見せるさ。


 六本の腕に六本の剣。

 久々に私の本気を見せてやろう。

 人間たちを恐怖に陥れた我が剣技を!


 植物獣は近付く動物を自動的に攻撃している。

 さっそくこちらに向けて山のごとき根の腕が振り下ろされた。

 だが鈍い、その程度では私を捉える事などできん!


「獣もどきが、バラバラに切り刻んでくれる!」


 全身を激しく回転させ、振り下ろされた腕を切り裂きながら駆け上る。

 植物に痛覚などないだろうが攻撃を受けている感覚はあるらしい。

 私めがけておびただしい数の根や蔓、枝が襲い来る。

 しかしそれは回転するカッターに指を突っ込むようなもの、片っ端から削り取られていくだけだ。


 私は縦横無尽に飛び回り、山を削るが如く植物獣を攻め立てていった。

 確実にダメージは与えているだろう。

 しかしあまりにも巨大すぎる、与えているダメージが有効なほどかはわからない。

 それに大事なのはあの子を見つける事だ。

 だがそれもその巨大さが邪魔をしてなかなか見つけられないでいる。


 ふと、伸びてくる触手に何かが付いているのに気が付いた。

 そのままもろとも切り裂いた瞬間。


「ぐっ!」


 爆発が起こり煙幕のような煙が立ち込める。

 これは胞子か!?

 植物獣はキノコとも共生関係にあるようだ。

 驚くべきは相手に合わせて攻撃を変えてきたという事。

 それなりに知性があるという事か。


 毒性の煙幕で目潰しを受けた私にさらなる攻撃が襲い掛かる。

 毒も目潰しも私には効かないが、一瞬隙を作るのには十分だった。

 いつの間にか現れた花から強酸が吹き付けられ私の体を蝕んでいく。


 それだけでなく、同時に刺すような痛みも感じた。

 何かが腹を貫いている。

 種だ、種を弾丸のように飛ばしているのだ。

 酸で弱体化した鎧を貫くには十分な威力、なかなかに効いたぞ。


 思いがけないダメージに怯んだ私めがけ、痛烈な一撃。

 私の体は動く森のはるか外へと弾き飛ばされてしまった。


 荒野に転がる兜。

 まさか植物相手にこれほど苦戦するとは思わなかったな。

 肥料としては興味無いのか、倒れた私には見向きもしない。


 だがこちらのお客さんは私に興味があるようだ。

 大ネズミどもの群れが私を食おうと狙っている。

 それほど弱っているように見えるのか? 鎧も砕けているとはいえ心外だな。

 だがまあ確かにダメージは相当酷い、私が不死身でなければとうに死んでいるだろう。


「そうだ、せっかくだからお前たちにも協力してもらおう」


 襲い来るネズミどもを一太刀で切り捨てる。

 力の差がわからんようでは生きて行く事などできんな。

 この死骸だけ利用させてもらうとしよう。


 全身にネズミの肉、内臓、血を纏う。

 なんともグロテスクだ。

 こんな事、普通なら進んでやるなどありえん。

 だがこれならどう見ても生き物の死体にしか見えないだろう?


 狙い通り植物獣がこちらに気付いた。

 できれば大ミミズのようなでかいものの陰に隠れたかったが贅沢は言っていられない。

 植物獣の巨大な脚が、肉を纏った私を思いきり踏みつけた。

 山崩れにでもあったような感覚だ、今日一番の大ダメージだぞ。

 肉を掴んだ脚は正確な放物線を描き、森の中にある袋へと肉を放り投げた。


 何度か植物獣と戦って理解した。

 奴らは肥料となるものを決まった場所に溜め込む。

 そこは主根、やつらの心臓部の周辺だ。

 だからこそ植物獣は動物を殺してから放り込むのだ、自身の心臓が危険に晒されないように。


 そして当然、そこにいるはず。


「やあ……また、会ったな……タチアナ」

「……!」


 堆肥と化した死体の上にタチアナの姿があった。

 落ち方がよかったのかミミズがクッションになったのかは知らないが、大したケガはしていないようだ。

 それどころかこの袋から出る方法を探っていた様子だな、たくましい事よ。


「ヨロイ……さん?」

「ああ……そうだ。助けに……来たぞ」


 兜がなくとも声でわかったようだが、私の事を警戒しているな。

 無理もない、ひどい事をして怖がらせてしまったんだ。


「ヨロイさん、もどってきてくれたんだね! よかった……」


 タチアナが私にすがりつき大粒の涙をこぼす。

『戻ってきて』か、そこには二つ意味がありそうだな。

 だが、そうだな、私は戻ってきた。

 お前が許してくれるのならば、私は何でもやってみせよう。


「さあ……帰るぞ。ちょっと……離れて……くれ、仕上げを……する」


 ぐっ……、思ったよりも重傷だ。

 私の傷に気が付きタチアナも表情がこわばっている。

 そんな顔をするな、すぐに終わるさ。


 私は袋の中央にある脈打つ主根へと体を引きずっていく。

 あれほど強かった植物獣も中はこんなに無防備とはな。

 剣を取り出し、難なく主根へと突き立てる。

 植物なので断末魔の悲鳴を上げる事も無い。

 ただその動きを止め、ゆっくりとその体を崩壊させていくのみであった。



 *****



 何かが顔を舐める。

 そのあまりの気持ち悪さに私は目を覚ました。


「ヨロイさん! きがついたのね!」


 タチアナの姿が目に飛び込んできた。

 しかし舐めていたのはウーマのようだ。

 当然だけど。


「そうか……お前が……私たちを」


 心臓部に侵入する事には成功したが、脱出までは考えていなかった。

 崩壊する巨大植物獣の体からウーマが助け出してくれたのだ。

 おぼろげながら思い出した、タチアナのラプトリッチ捌きも上手くなったものだな。

 死体作戦に体格の大きいウーマを使わなくて本当によかったよ。


 私たちは泉へと戻った。

 しかし、私の体には限界が近付いている。

 泉の水でも治しきれないほどに。


「あの獣もどきめ、魔王軍に欲しいくらいだったな。もっとも勇者ほど手こずりはしなかったがね」


 勇者には負けているんだから当然と言えば当然だ。

 おっと、冗談を言っている余裕はない。


「タチアナ、よく聞くんだ……」


 私はタチアナに、私が知っている事、経験したことを可能な限り伝えた。

 本当はもっと時間をかけて鍛えたかったが、そんな時間は残されていないようだ。


「少々ダメージが大きすぎた。泉の水で軽減はしたが……眠って回復しなければならない。目覚める時は私にもわからん」


 不服そうな表情をしているが、タチアナは文句も言わずじっと私の話を聞いている。


「私の事はここに置いていけ。お前が他の人間を見つけるんだ、ウーマと共に」


 手を伸ばし魔剣を呼び出す。

 これは剣としては最高峰の逸品だぞ。


「餞別だ、持っていけ。どう使おうとお前の自由だ」


 黙って受け取るタチアナだったが、その目には涙が溢れている。

 黙っているのではなく言葉が出なかったのか? 仕方のない奴だな。


「そんな顔をするな。なに……また……会える……」


 私は死ぬことは無い、眠ってまた目覚めるだけ。

 そう、ただ眠るだけだ。

 再び鎧に包まれた私の体は石へと変わり、意識は闇へと沈んでいった。



 *****



 顔に何かが当たっている。

 冷たい……水のようだ。


「ブハッ!」


 溺れそうになって慌てて体を起こした。

 一体誰だ、こんな事をするのは。


「あ、おきた!」


 やっぱりお前か、この悪ガキめ。

 ……ちょっと待て、私はどれくらい眠っていたのだ?


「タチアナ、私はどれくらい眠っていた?」

「んー、みっかくらい」


 三日……三日か。

 い、泉の効果は大したものだな。

 十年くらいは覚悟していたのだが……そうか、三日か。


 急に恥ずかしくなってきた。

 あんな別れ方をしておいて三日で目覚めるなど、気まずいにも程がある。


「ヨロイさん、じゅんびはできてるよ」

「準備?」


 見ると様々な荷物が用意されている。

 この三日間に旅支度でもしていたのか。

 しっかりと私の分まである。


「旅支度か……、私の事は置いて行けと言ったのに。まあ三日では仕方がないか」


 ふと、机の方が目に入った。

 その壁に不自然な線が刻まれている、その数およそ三十本。

 やれやれ……何が三日だ。

 だが効率の良い日数の数え方を思いついたのは褒めてやる。


「……いいだろう、決めたぞ」


 私はスッと立ち上がり、六本の腕を大きく広げ声高に叫ぶ。


「人間を探しに行くとしよう、魔王には支配するものが必要だからな! お前も魔王としての自覚を持って行動するのだ、よいな!」


 タチアナは何も答えなかったが、ニヤニヤと嬉しそうだ。

 照れ隠しに叫んだのを見透かされているような気がする。


 持てるだけの荷物をウーマに積み込み、タチアナを鞍に乗せる。

 少し調整したからな、乗りやすくなっているだろう。


「そうだな、海の方にでも行ってみるか」

「うみ? うみってなに?」

「海というのはだな……」


 荒れた大地を私たちは歩き始めた。

 この小さな魔王が世界をどうするか、それはいつか彼女自身が決める事だ。

 私は私の知っていることを教えるだけ。


 今は、それだけでいい。

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