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短編小説・詩シリーズ

コミ子ちゃんの憂鬱



 あたくし、コミ子ちゃん。

 あら、別に本名じゃなくってよ?

 こんなふざけた名前、そんなにそこいらに普通に転がってはいませんでしょう?

 もちろんこのあたくしにだって、お父様とお母様からいただいた、とっても素敵な名前がございますわ。

 だけど、なんだか知らないけれど、最近クラスのお友達から、あたくしそのように呼ばれていますの。いわゆる「渾名あだな」っていうやつですわね。まあみなさんの親愛のしるしなんだと思って、ありがたく受け取っているというわけ。


 そんなことはいいの。

 今のあたくしの最大の問題。それは、目の前のこの問題よ。

 小学校の頃から算数と名のつくものは大体が苦手だったあたくしだけれど、中学にあがってからはさらにいけませんわ。

 計算問題だけならどうにかこうにか、練習さえすればスキルアップできるのですけれど。この、文章題っていうのがどうにもこうにも、昔から苦手なのよね。

 え? たかだか十三年生きたぐらいの小娘の、どこに「むかし」があるのかって?

 いやあねえ、言葉のあやってものをご存知ないの?

 まあいいわ、そんなことは。

 

 だから今は、()()()()()()()なのよ。

 そう言ってもあなたがたには何のことやらちんぷんかんぷんよね。

 しかたがないわ。読んでさしあげましょう。


『たかしくんは、朝の八時に家をでて時速四キロで歩いて学校へ向かいました。二十分後、兄のあきらくんが弟のたかしくんの忘れ物に気づいて、自転車に乗り、時速三十キロでおいかけました。あきらくんがたかしくんに追いつくのは何時何分でしょう。』


 ここでみんなお思いになるわよね。

「なんでたかし、忘れ物するねん!」って。思うでしょう? 思わない?


 そもそもたかしくんが忘れ物をしなければ、こんなややこしい問題は発生しなかったのよ。

 前日の夜のうちに、翌日の授業に必要なものはそろえてから寝る。こんなの常識じゃございませんこと?

 たかしくんっていくつなのかしら。小さいうちならお母様が前の晩にいっしょにそろえてさしあげるなんてこともあるでしょうけれど、それがないということはそれなりのお年よね。

 だというのに、こうして忘れ物をして問題を発生させておきながら、その解決は他人に丸投げって、なにかおかしいと思わないのかしら、みなさま。


 でもあれね、この「兄のあきらくん」もいいお兄様よね。わざわざ自転車にのって、それを弟に届けてやろうっていうんだから。

 だけど、弟がまだ学校に通っている年齢だったら、いったいこのお兄さまはおいくつなのかしら。八時二十分に学校へ行った弟を追いかけられるご身分ということは、たまたま午前の講義がなかった大学生ということも考えられるわね。

 少なくとも、高校生や普通の会社勤めの男性だったらこういうことは無理ですもの。ご自分がとっくに遅刻が確定した時刻から、弟を追いかけるって尋常なことじゃないですものねえ。ああ、ご自宅やその近隣に職場があるかたなら可能かしらね。


 いえ、待って。やっぱり気になるのはお母様よ。

 この場合、お兄様が届け物に走ったということは、お母様にはそれができなかったというわけよね。今日び、共働きのご家庭は多いんだから、このお母様もきっと朝早くからご出勤だったのにちがいないわ。

「あとはあきら、お願いね。戸締りには気をつけてね」とかなんとかおっしゃって、ばたばたとお出かけになったあとだったのよね。大変よね、お母様。

 では、お父様は?


 ……ああ! いやだ!

 あたくしったら、とんでもない思い違いをしていたかも知れないわ。

 そうよ。このお宅には、すでにお父様がおられないのだわ!

 だからお母様は家計を支えるために早くから出勤して、こまねずみのように働いていらっしゃるのよ。そうよ、そうに違いないわ!

 ではご両親さまはご離婚を……?

 いえいえ、こんな優しいお兄様がお育ちのご家庭ですもの、あまりぎすぎすした環境だったとは思いたくないわ。

 やはり他界。

 そう、他界ね!


 お父様は長い患いの果てにとうとうお亡くなりあそばしたのだわ。

 ああ! なんてこと!

 そうして慣れない仕事に就くことになって、日々、身を粉にして働いているお母様を支えながら、兄弟助け合いながら暮らしている。それがこのあきら様とたかしくんなのよ!

 ああ、涙を誘うわ。

 あたくしの白いレースのハンカチがもうぐっしょりになってしまってよ。

 だったら多少のことがあってお兄様が高校やお仕事に遅れたからといって、周りの方たちだってやいのやいのとはおっしゃらないのかも知れない。いえ、そうであることを願ってしまうわ。

 そうよ。

 世間はもっと、こうした恵まれない子供たちを温かい目で見て差し上げなくては!



 ……いえ。ちょっと待って。

 ダメよ、コミ子。惑わされてはいけないわ。

 「くん」が付いているからといって、何もこのたかしくんが男の子だと決まったものでもないのよね。

 昔の生徒手帳には、「男子が女子を呼ぶ際には『くん』をつけ、女子が男子を呼ぶ際には『さん』をつけること」なんて記載された項目があったとお母様からお聞きしたことがあるわ。

 もしもこの問題が起こった時期が今から数十年も前の話であったとしたら、「たかしくん」はひょっとしたら、女の子である可能性さえなきにしもあらず。

 はたまた、こういうことだって考えられるわ。

 いいお年になられてから学校と名のつく場所に行くご年配のかたもないわけではないんだし、もしかしたら「たかしくん」は、もっとずっとご高齢のおじいさまであるかもしれない。

 ご結婚もされずにご兄弟でお暮らしの「たかしさん」と「あきらさん」。

 ああ、こっちのほうがありそうな気もしてきたわ。

 だってそのぐらいのお年だったら、ついうっかりとする忘れ物なんて日常茶飯事だと聞いたことがありますもの。


 ああ、困ったわ。困ったわ。

 こんな風だからあたくしの数学の宿題は、最初の一問からつまずきっぱなしなのよねえ……。




◆◆◆




「コミ子ちゃん、コミ子ちゃん」


 黒い詰襟の少年が、セーラー服の少女に駆け寄ってくる。


「あら、悠馬ゆうまさま。おはようございます」

「あ、うん、おはよう。あの、昨日の数学の宿題、ちゃんとできた?」

「え? ああ、一晩中あれこれと考えてはみたけれど。結局、うまい落としどころにたどり着くことができなかったの。それで朝は少し寝坊をしちゃって。こんな時間になってしまったわ」

「そ、そうなんだ……」

「深いわ。たかしくんとあきらさんの問題は深すぎて、あたくしなんかにはとっても歯が立ちゃしなかったわ。やられたわ。完敗ね……」

「あの……。遠い目するの、やめてくんないかなあ……」

「え、なにかおっしゃって?」

「え? いやいや、なんでもないよ、うん!」

「それでふと、昨日も思ったのだけれど。どうしてあなたたち、あたくしを『コミ子ちゃん』とお呼びになるの?」

「え? えーっと……。言っていいのかなあ、これ」

「あら、あたくしは構わなくてよ。大体のことは受け止められる自信がありますもの。昨日の『たかしくんとあきらさん問題』でも最終的に、ボーイズラブの可能性まで広げて考えてみたんだけれど、特に嫌悪感はありませんでしたし」

「あ、そ、……そうなの……」


 中学校のほうから予鈴が聞こえ始めて、二人はぱっと走り出した。


(いや、やっぱり言えないよなあ……)


 コミ子ちゃんのクラスメイト、悠馬くんは考える。


「コミ子ちゃん」の「コミ」は、「思い込み」のコミ。


(けっこう可愛いのに……。もったいないよね)


「あらやだ、校門が閉まりかかっていますわよ! 悠馬さま、いそいで!」

「あ、うんっ……。待ってよ、コミ子ちゃん……!」


 セーラー服の裾をゆらしながら走っていく美少女の背中を追いかけて、ちょっと首をかしげた悠馬くんも校門に駆け込んでいったのだった。




2018.1.6.Sat.

(執筆:2018.1.5.Fri.)


思い込みは創作の源でもありますね(笑)。

お読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] コミカルからコミ子ちゃんと思っていましたが、思い込みのコミでしたか。 こうやって周りに親しまれているところを見ると、学友にも恵まれているようで、のびのび育つでしょうね。 心配されがちな人ほど…
[一言] まあ、コミ子ちゃん。あたくし、あなたとならお友達になれそうよ。本当なら、コミ子さん、もしくはコミ子様ってお呼びすべきなのでしょうけれど、ごめんあそばせ。敬愛の印ですのよ。 あたくしも、五人…
[良い点]  ややこしくて、児童を惑わせる文章題ってございますわよね。文章題に挿し絵など付けるものだから、公園の遊具で遊ぶ子どもはそれぞれ何人? って、文章から解く子と絵から解く子といたくらいですもの…
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