折姫様
七月七日、今日は年に一度の七夕だ。しかし結婚してもう五年目である明美にとっては今更はしゃぐようなイベントでもなく、ママ友とカフェでランチをするただの平日に過ぎなかった。それでもどんな些細な話題でも盛り上がれる世代なものだから当然七夕に関しての話題は出てくる。
「ねぇねぇ、みんなって家で子どもに短冊書かせたりしてる?」
「そっか、今日七夕だったわね!でも幼稚園で書いてるんじゃない?」
「でもやっぱ日本の古き良き伝統って言うの?体験させてあげたいじゃない?」
話を振った五味澤さんは自称教育熱心な人で明美は尊敬するとともにちょっとだけ距離を置いている。子どもにはあーだこーだ言うよりものびのびと自然に育ってくれるほうがよいと思っている。
「アタシんとこはパスかなー。美香がやりたいって言うんならってくらい」
「美香ちゃんに七夕の話してあげてるの?女の子なんだから教えておいたほうがいいわよ」
「あー……たぶん旦那が言ってるわ。うちの旦那そういうのが好きだからさぁ」
溜息混じりに言うとママ友たちは一斉に苦虫を潰したような表情へと変わる。
明美の旦那は趣味で所謂美少女フィギュアを集めている。付き合っている間は我慢していたのだが、いつ美香に悪影響が出るか気が気でない。どれも同じに見えるモノを何体も収集する意味もわからなかった。
そのうちの何個かが七夕をモチーフにしたアニメのフィギュアらしく、爪をいじる明美に旦那が熱心に説明していた記憶がある。
「いっそ旦那がいない間に捨てちゃったらいいじゃない。子どものためにもさ」
「流石にそれはかわいそうじゃないかしら。ほら、それでもめて離婚したっていう話も聞くわよ」
仮に実行した時の旦那の怒りようは火を見るより明らかだった。というのも旦那の趣味が発覚したときに衝動的にフィギュアを壊してしまい、大喧嘩をした過去があるからだ。
せっかく結婚して育児も落ち着いてきたのだから離婚だけは避けたい。このランチが日頃の癒やしとなってるのに、離婚したらそれも出来なくなってしまう。
「これ、私の友達から聞いた話なんだけどね。旦那に直して欲しいところがあったら短冊に書いて願うと叶うらしいわよ」
「え~なにそれ」
「本当なのよ。パチンコが趣味のヒモ男と結婚しちゃった友達なんだけどね、七夕に『ちゃんと働いてくれますように』って書いたら次の日から就職活動し出して、今ではちゃんとサラリーマンやってるのよ」
「マジで?」
「あっ、でもね、普通に書くだけじゃダメなのよ。『織姫様へ』って書いて、短冊の後ろに旦那の髪の毛を一本はりつけないとだめらしいの」
子どもの頃そんなおまじないがあった気がする。確か恋のおまじないだった。髪の毛を必要とするだけで効果があるような錯覚に陥るのは小学生の頃から変わっていない。
「なら私、帰ってきたらちゃんと靴を揃えてくれますようにって書こうかしら」
「そんなのでいいの?もっと直して欲しいところとかあるでしょ」
「えー、それ以外は完璧っていうかかっこいいっていうか~」
そのまま田井中さんの旦那の惚気へと話題が変わり、織姫様の話が出ることはなかった。所詮はおまじないだし半信半疑ではあったが、翌日から行動を変えてくれた即効性に明美は惹かれた。そんなに複雑なものではないし、変わってくれれば儲け物である。明美はコンビニに寄って、一番安い折り紙を購入してから家へと帰った。
午後七時過ぎ、いつもより少しだけスーパーが混んでおり、明美は急いでいた。もう夏だというのにすっかり真っ暗だ。こんなに日は短かっただろうかと疑問に思ったが、七夕だしロマンチックな気もした。彦星が織姫に一秒でも早く会いたくて夜にしてしまったのかもしれないと考えると少しだけ学生の頃に戻ったようで悪くはない。
「仲村明美様でしょうか?」
唐突に背後から声をかけられて明美はつい卵を落としかけてしまった。振り向くと暗がりでよく見えないが、スーツ姿の男が立っている。妄想していたとはいえ、全く気づくことが出来なかった。
「そう、ですけど……誰あんた」
「私は七夕実行委員の者です。あなたの願いを折姫様がお読みになったので結果をお知らせするために参りました」
意味がわからなかった。目の前の男は一体何を言っているのだろうか。新手の変態かも知れないと感じ、いつでも走れるように構えながら男を睨みつける。
「○○市の△□スーパーの短冊に書かれた願い、『旦那がフィギュアを捨てて真人間になりますように』というものですが、折姫様により却下されました」
「ちょ、なに人の短冊勝手に見て……」
そこまで言いかけて背中に悪寒が走る。この男は確実に明美のことを把握しているのだ。名前住所はおろか、何時にどこにいたのかまで。あくまで可能性だが、それだけで嫌悪する十分な理由であった。
だが男に興奮した様子はない。どころか声にまるで生気を感じられない。目の前にいる男は本当に変態なのだろうか。いや、それどころか人間なのだろうか……!?
「調査の結果、旦那である健一様は真面目に勤務されており、これといった犯罪も犯してません。また趣味も許容範囲のものであり、明美様のほうを矯正すべきだとの結論が出されました」
「はぁ!?なんであんた、なんか、に……」
明美の中で爆発した怒りは言葉になる前に沈下してしまった。だって目の前に明らかな異形がいたのだから。男と向き合っていたのにいつの間に現れたのだろう。
強いて言うならカバに似ていた。二本足で歩くカバがいるならだが。大きな顔に無数の吹き出物が出来ており、夏場に放置してしまった生ゴミの臭いが吐き気を催す。
この世にこれ以上醜いものはあるのだろうかというほどの化物だったが、明美は同時にとても綺麗だという印象を持った。
淡く、桜を連想させるピンクの着物、透き通るような羽衣はさながら天女である。誰が着ても孫に衣装であるし、美人が身につければ振り向かない男性、いや、人間はいないのではないかというほどだ。
直感的に明美は確信した。この絶世の汚物が『折姫』なんだと。
「ぱったーぱったー」
幼少期の女の子の声がそれから発せられて明美は目を見開いた。全身が震えて動かない。
すると折姫の着物の裾から人の手がいくつも伸びてきた。関節が不自然にいくつもあり、ボロボロの腕は触れただけで自分も汚れてしまうくらい汚かったが、明美は腰を抜かしてしまい、あっさり掴まれてしまう。
腕を手を脚を脇腹を太股を脇を胸を首を頭を髪を。ありとあらゆる身体の部位を。
もう何がなんだかわからなかった。これは現実なのか夢なのか。夢ならば覚めて、現実ならば嘘だと言って、お願いだから誰か助けて……
「ぱったーぱったー」
乾いた音がした。明美は好物の手羽先を思い出す。小さな音大きな音。すり鉢で胡麻をするような音も聞こえた。今自分が何をされているのかわからない。そもそも自分なのかもわからない。
あれあれあれあれあれあれ?ぐちゃぐちゃにされるぐちゃぐちゃだわたしがぐちゃわたしあけみいたい。
ぱったーぱったー
こっねーこっねー
ぱったーぱったー
こっねーこっねー
………………
…………
……
ぺっ!
「これで矯正は終了でございます。折姫様、明美様、お疲れ様でした。それではまた来年、お待ちしております」
「ハい、どウも有リがト兎ござひ魔した」
それから明美、いや、明美だったもので明美になったものは夫と趣味を認め合い、お互いに尊重し合いながら幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
ぱったーぱったー
皆様お久しぶりです。タクミン改めまして安藤言葉です。
リハビリも兼ねて思いついた七夕ホラーを書いてみました。少しでもお楽しみいただけたら幸いです。
趣味は尊重し合いたいですし、短冊で人を呪ったりするのやめましょう……笑
がんばって連載も書いたりしたいと思っているのでそのときは是非よろしくお願いします。
あとがきも読んでくださりありがとうございました。