第十話 天使様が魔女の杖で殴られたようです。
陽が沈み、夕焼けの赤みがかった色も薄れ過ぎたトワイライト。
学校の図書室、利用者生徒の影もなく、目立つ音もないそこで、怪異は起きていた。
周囲を漂う様に飛んでいる、六つの椅子と一つのテーブル。
輝乱ちゃんを背後にかばい、それを見ていたヴィズちゃん。
椅子の一つが、前触れもなく突然ヴィズちゃんに向かって飛んで行った。
「輝乱ちゃん!」
思わず声が上がってしまう。
ヴィズちゃんは、それを難なく右手で受け止めた。ヘブンちゃんと同じくらいの怪力なのか。
「すごい」
廻ちゃんが、絞り出すように小さくつぶやいた。
ヴィズちゃんは、椅子をテーブルに向けて投げ返した。が、それはぶつかることなく空中で静止し、また空中を漂い始めた。
「愛香ちゃーん」
「大丈夫、ヴィズちゃん」
「大丈夫だよー、これ、壊しちゃっていい?」
いいのだろうか、学校の備品。
「壊しちゃえ壊しちゃえ、わたしが許可する」
輝乱ちゃんが無責任にも、そう返答する。
「じゃあ、いっくねー」
「ちょっと、待って~」
わたしが制止する声は届かず。
ヴィズちゃんは、手首を切り裂いた。そこから流れ出る血がいくつもの水玉となり、空中で静止する。
傷口を舐めながら、反対の手でテーブルたちを指差す。
「射て」
瞬間、弓矢となった血がテーブルや椅子を射抜く。
無数の矢に射抜かれたそれらは砕け散り、破片が床へと降り注ぐ。
「おお、すっごいヴィズちゃん。手の傷は大丈夫?」
輝乱ちゃんが、ヴィズちゃんの手首を見ながら言う。
「もう傷口は塞がってるから」
見せた手首にもう傷痕も無かった。すっごい再生力。
「椅子やテーブル、どーしよー」
「幽霊が壊したことにしましょう」
わたしの嘆きに、廻がナイスアイデア。
「ね、ね、愛香。わたしも暴れていい?」
「ヘブンちゃんは、おとなしくここで待機して、わたしたちを守って」
ヘブンちゃんが動きたくてたまらないのか、うずうずしている。なるべく、これ以上ものを壊すのは控えて欲しい。
「輝乱ちゃーん、危ないし、こっち戻ってきなよ」
「大丈夫よ、こっちには強ーいボディガードも付いてるし」
輝乱ちゃんはヴィズちゃんを伴い、当初の目的、音のした本棚へと向かっていった。
「大丈夫かな?」
「うーん、どうでしょ?ヴィズさんが結構強かったから、なんとかなっちゃいそうですが」
「わたしだったら、周りの本棚全部ふっ飛ばしてから調べるかな」
「ヘブンちゃんはおすわり! 全部ふっ飛ばしたら、調べるものが無くなっちゃうでしょ」
ヘブンちゃんの必殺技は、触れた物を爆弾に変えるというもの。
爆弾に変えていいものなんて図書室には無いし、ましてや爆破されたらこっちがたまらない。
そうこう言ってる間に、輝乱ちゃんたちの姿が本棚の奥へと消えていった。
「輝乱ちゃーん、なんかある?」
声を掛けると、しばらく本を漁る様な音が聞こえてくる。
「本が何冊か落ちてる。けど、他には何も無いよ~」
拍子抜けしたような声。
「ふふふっ、このゴーストバスターヘブン様に恐れを成したか悪霊どもめ」
「ヘブンちゃんは何もしてないし」
「してない言うな、今から暴れる」
「暴れないでよー」
軽口を返すわたしの襟を、突然、廻ちゃんが引っ張った。
「……ね、ねえ、あれ」
震えたか細い声で指さす先に視線を向けると、小さな影。
体長は30cmほどか? 青黒い布に包まれ、とんがり帽子に杖を持っている。
その顔は……赤い目をした、老婆。
目が、合っちゃった。
「……で、出た……」
思わず廻ちゃんを後ろから抱きしめてしまう。
「……こ、こっち見てるよ……天ちゃん……」
わたしの腕を抱き、後ずさる廻ちゃん。
「わたしも抱き付く~」
空気読め無さそうな明るい声でヘブンちゃんが抱き付いてきた。
「ヘ、ヘブンちゃん……あれ、倒しちゃって~」
言って、小さな魔女を刺した瞬間、それがこちらに猛スピードで迫ってきた。
「ヘブンちゃん助けてー」
瞬間、前に飛び出すヘブンちゃん。
「エンジェルパーンチ!」
その拳は、魔女の姿を通り抜けてしまった。
「あれ?」
ヘブンちゃんの間の抜けた声。
そのヘブンちゃんの頭を、魔女の杖が叩いた。
「うむ? あれ、あわややややあああぁぁぁ……」
ヘブンちゃんが宙に浮いた!
「ヘブンちゃん、大丈夫?」
「よ、よく、わっかんない! し、姿勢がああ~」
もがいているが、どうにもなら無いようだ。
ふと、周りを見直したが、いつの間にか魔女は消えていた。
なんだったのだろう、いったい……
いきなり周囲から、無数の本が開く音が聞こえた。
「天ちゃん! 天ちゃん! 退避ーっ!」
叫んだ輝乱ちゃんとヴィズちゃんが、カウンターに走り込んできた。
「どったの?」
「いきなり周りの棚から、大量の本が飛び上がってきたの。あと、ヘブンちゃん飛んでるね」
「さっき数体、小人みたいのが走り回ってるのが見えたよ」
「数体?」
ヴィズちゃんの報告通りなら、あの魔女さんは何人もいるようである。
「魔女さんが、幽霊の正体かな?」
わたしにしがみ付いたままの廻ちゃんが、そう漏らす。
「そうみたい。けど、どうしようか?」
「わたしがやっつけちゃう?」
やる気ある発言のヴィズちゃん。
「う~ん、ヘブンちゃんが殴ったら、すり抜けちゃったのよ。やっぱ、霊とかって物理攻撃聞かないのかな?」
「お札とかお祈りとか? エクソシズムとか燃えるよね」
何故か燃えてる輝乱ちゃん。
懐からペンダントを取り出した。付いているのは、十字架だ。
「そんなの持ってるんだ」
「除霊しに来たんなら、それなりの準備はしてくるわよ。他にもニンニクの首飾りとかして来ようと思ってたけど、臭そうなんでやめちゃった」
「……それバンパイア」
廻ちゃんの突っ込みには答えず、輝乱ちゃんが十字架を天に掲げた。
「悪魔よ去れ~、あーめーん」
何も状況は変わらない。
「愛香~目が回るよ~」
ヘブンちゃんの悲鳴。
「なんも、変わらないね」
「あるぇ~? おかしーな?」
しげしげと、十字架を眺める輝乱ちゃん。
「さっきの呪文、あれかなり適当だったような」
「適当だよ、わたしキリスト教徒じゃないから実際の文言知らないし」
さっきの自信はどこから来たものなのか。
「わたしがやってみる」
ヴィズちゃんが血を滴らせ言ってくる。
「ブラッドスネイク」
その名の通り、血が蛇のように曲がりくねって図書室の奥へと伸びていく。
「すごいねーそれ、何か分かるの?」
「何かが振れれば感知するし、この血の糸のどこからでも弾丸を打ち出せるわ」
応用が効いて便利である。
「うーん、魔女は触れてないのか、触れても感知しないのか、何も分からない」
やっぱ、幽霊さんには無力なのか。
「図書室全域に糸を張り巡らしたから、全方向に弾丸打っていい?」
「ダメー」
「はにゃあああああっ!」
ヘブンちゃんの悲鳴。
「愛香~やっぱもー全部ふっ飛ばしていい?」
「それはもっとダメー」
天使も悪魔も両方脳筋なのか。
「あ、あのー」
廻ちゃんが恐る恐るといった感じで手を上げた。
「どしたん?」
輝乱ちゃんが応じる。
「魔法研究会で話してたことなんだけど、こーいうのって、出てくるための依代みたいなものがあるんじゃないかなーって……」
「おー、漫画とか映画とかでよく見るね。」
「あの魔女さん、幽霊っぽくないし。例えば、魔法陣? みたいなものがそうかなーって」
魔法陣から出てきた悪魔みたいなものか。
「この部屋のどこかに魔法陣があるの?」
「うん、けど何度も片付けしてたから、ちょっとやそっとで見付からないところにあると思う」
「こーいう場合のよくあるパターンって、ここにある無数の本の中に、魔法の書とかがあって、そこから悪魔が湧き出てくる? とか」
輝乱ちゃんの発言に、うんざりする。この図書室にある何千冊かの中から、特徴もタイトルも分からない、どこかのページに魔法陣があるかもしれない本を探す……無茶過ぎる。
「な、なんか見つける方法、ある?」
「……天ちゃん、読書好き?」
「総当たりは無理よ」
「もう、こうなったら」
意を決したようなヴィズちゃんが立ち上がった。
「ヘブン、ここにある本、全部やっちゃうわよ」
「ヴィズ、了解ですー」
敬礼で返しつつ、いまだ宙を舞っているヘブンちゃん。
「ちょっ!? まっ……」
わたしの静止の声も届かず、大乱闘が幕を開けた。
「全方向、ブラッドアロー打てー!」
「ボンバー・ドン! ドン! ドーン!」
そこら中に風穴があき、本が吹き飛び、棚が割れ――――
その日を境に、図書室での幽霊騒ぎは無くなった。
なにせ、……図書室が無くなったのだから。
わたしは、知らない。何も見てないし聞いてない。うん、そーなのである。
図書室は修繕工事が始まり、図書委員はしばらく暇になるのであった。




