異界からの死徒
グラウンドは血の海、まさに地獄絵図だった。
「いやあああああ!!痛いいい!やめてぇぇ!」
小柄な女子が、ゴブリンのような亜人数人に囲まれ、棍棒で袋叩きにされている。既に指や足先は叩かれすぎてペシャンコになっているにも関わらず、顔は綺麗で殴られたような跡はない。今は女子の膝と肘がある箇所に念入りに何度も棍棒を打ち下ろしている。
まさかとは思ったが、どうやら身動きがとれなくなった女子を、体の末端から徐々にすり潰していくらしい。ゴブリンが何事かを叫んでいるが、そこには愉悦の色が含まれていることだけは理解できた。
その奥では、バットを持った男子生徒数人が、ゴブリンを3メートルくらいにしたような生物――オーガへと挑みかかるところだった。
数で優れば勝てるとでも思ったのだろうか。その男子たちは次の瞬間、オーガの一薙ぎで、紙切れのように吹き飛んだ。オーガは満足気に勝鬨をあげる。
他にも死体を食べあさるハイエナのような獣、女子生徒をレイプする獣人など、この世の終わりを連想するかのような光景がそこにあった。
「な、なんなんだよ…これ」
俺は遂に立ち止まった。理解できなかった。ほんのつい数時間前まで当たり前のように享受していた平和が、なぜこんなにも容易く壊れてしまったのだろうか。
「集!向こうの廊下からゴブリンみたいなやつらが来るぞ!今は何も考えずに生きることだけに意識を向けろ!」
「ーーッ」
桐生の言葉に我に帰る。そしておもむろに何か細長いものを桐生から渡される。見るとそれは竹刀だった。
「廊下に落ちてたやつだ!丸腰よりはましだろ、使え!」
よく見れば桐生は刺又、佐藤も先端に包丁を括り付けたモップの柄を持っていた。いつの間にそんなものを見つけてきたのか。
そしてやってくるゴブリン。背丈は80センチ前後だろうか。数はちょうど3、手にはそれぞれ短剣。逃げてる暇はない。背を向けた瞬間にやられるーー。
「くそっ!!」
走りこんでくるゴブリンに、俺は竹刀を構える。だが所詮は竹刀。さっき桐生が言ったように丸腰よりはマシ、というレベルで剣と渡り合えるような武器ではない。それなら。
(打ち合わせずに仕留めてやる!)
ゴブリンはそこそこ俊敏だった。距離を詰めてから跳躍し、俺にとびかかってくる。その跳躍力には驚いたが、跳躍に意識を使いすぎたのか、助走のスピードは大きく減速している。俺は体をゴブリンの直線軌道上から半歩ほどずらす。
「――シッ!」
そしてすれ違う寸前、がら空きになったゴブリンの横っ面に、俺はあらん限りの力で竹刀を叩き込む。バシィ!と小気味よい音が鳴り、ゴブリンは奇怪な声を上げると窓ガラスを割って下へ落ちていく。奴らがどれほどの生命力かは分からないが、少なからずダメージは与えただろう。
桐生達の方はどうか。俺は急いで桐生達の方を見ると、即席の槍を構える佐藤。見ればゴブリンと相対していた。
ゴブリンが佐藤へと飛びかかる。その動きはやはり俊敏だが、武術の欠片もない。
その隙だらけのゴブリンの鼻先に、佐藤は勢いよく切っ先を振り下ろす。槍はゴブリンの頭に半ばまで食いこみ、ゴブリンは痙攣しやがて動かなくなる。見事なカウンターだった。
佐藤は動かなくなったゴブリンを見て顔をしかめると、ひょいとそれも窓から放る。俺は佐藤に近づいていく。
「助太刀はいらなかったみたいだな。佐藤、お前中々強かったんだな」
「昔槍術齧ってたんだよね。もっと褒めていいんだぜ〜?」
二人で笑いあうが佐藤の笑顔には翳りが見える。きっと俺の笑顔にも同じような翳りがあるのだろう。それほど先ほどの光景はショッキングな物だった。
またあの光景を思い出しそうになり頭を振る。今は桐生の言う通り生きることに専念する。
「おいおいお前ら…、俺の心配はなしか?」
すると奥から桐生がやってくる。佐藤はため息と共に言う。
「僕が勝ったくらいなんだからお前らが負けるわけないじゃん。なんて言っても天下の伊達の黒龍様と白狼様なんだからね」
そのあまりに場違いな台詞に俺と桐生は苦笑する。伊達の黒龍と白狼は、当時まだ俺と桐生が世の中の理不尽を割り切れなかったとき二人で迷惑を働かせる街の不良を見境なく黙らせて回っていた時についた通り名だ。
(…まあこんな通り名がついたところで誰も守ることなんてできなかったけどな)
ふと、そこで屋上の人達はどうなったのかと考えた。おそらくほとんどの人が死んでしまっただろうが、もしかしたらまだ生きている人もいるかもしれない。
桐生たちはこれからのことについて話し合っていた。しかし外には大型の怪物。校舎の中にもゴブリンが何匹も入ってきているだろう状況で、なかなか良い考えは浮かばない。そこで俺は意を決して言ってみる。
「なあ、一度屋上を見てこないか?」
「なっ…、お前いい加減にしろ!また意味のない正義感で自分を殺すつもりか!」
「いや、意味はある。…正直、さっきから屋上が最後にどうなったか気になって仕方がないんだ。これから気持ちを切り替えるためにも、あの結末だけはしっかりと知っておきたい」
「だからって…」
「桐生。立花が行くなら俺も行くぜ。もしかしたら生き残ってる人がいるかもしれないし、俺もけじめとして、あの結末は知っておきたい」
意外な所からの佐藤の援護に、桐生はたじろぐ。「それでも、」と反論しようとするが、続く言葉も出ず、諦めたようにわかったと頷いた。
「ただし、あの怪物がまだいたら諦めて引き返せよ」
俺と佐藤は笑う。
「もちろん。ありがとな、桐生」
「ふん。黒龍がいなくなると困るからな」
「あの~、俺のこと忘れてません」
そうして、空元気だけども少し元気を取り戻し、俺たちは来た道を引き返した。
結果的に屋上には、何も残っていなかった。
皆逃げおおせたのかと一瞬希望的考えも浮かぶが、大量の血痕がアスファルトにこびりついているのを見て霧散する。
屋上から見える街の景色も、この数十分で変化していた。
俺たちの街は、既に街としての体裁を保っていられなくなっていた。
あちこちで建物が燃え、自動車があちこちで横転し、偶に漏れた燃料が引火して爆発し、ここまで空気を震わせる。
ここに上がってきたばかりのときは、パトカーのサイレンもたまに聞こえてきていたが、今はそれも聞こえない。今や街は完全に蹂躙されていた。
「くそ…。一体何だってんだよこれは!!あいつら一体なんなんだよ!!」.
佐藤の叫びがむなしく消える。さっきまでなら不用意に声を立てるなと桐生も起怒っただろうが、今はそれもない。周りの絶叫や悲鳴で、佐藤の声など遠くまで聞こえないからだ
しかし、意外にもこの声に答える者がいた。
「――私たちはここより遠い世界、『ファンタゴズマ』よりいでし王の軍勢である」
「まあ、今から死ぬあなた達にはあんまり関係ないけどねー」
「「ッ!?」」
声の先には二人の女が立っていた。
屋上に立つ二人の女は一目見ただけで、この世界の人間ではないことがわかった。
魔法使いと剣士。二人の出で立ちはそれらのイメージをほぼそのままにしたような格好だ。
加えて髪の色も異質だ。魔法使いはエメラルドグリーン、剣士は炎のような赤の髪で、それらは染めるだけでは出せないような艶を放っている。
二人ともこんな状況でも無ければ見惚れるような美女だったが、そんなことも言ってられない。おそらく彼女達も姿形は違えど、先ほどの亜人達のように敵なのだろう。俺たちは油断なく武器を構える。
「異世界からねぇ。確かそうでも考えないと納得できないような現実続きだけど、それならアンタ達はさしずめ異世界人ってとこか?」
「いかにも。私はファンタゴズマ軍の尖兵隊統括を任されているユーリ・アイギス。そして隣にいるのが同じく統括の…」
「ララ・ブリッツだよ。短い間だけどよろしくね☆」
「…」
俺は今の彼女達の言葉を頭で反芻させる。
魔法使い風の出で立ちのユーリという女。こいつの言葉をそのまま受け取るならば、彼女達は異世界侵略軍の分隊長クラスくらいの人物だということである。
色々と疑問もあるが、先ほどの亜人達とは違って話は通じている。生き残る為にも、どうにか彼女達を懐柔できないか模索しようとしたところで、隣の佐藤が声を荒げた。
「な、なんなんだよお前ら!異世界とかファンタゴズマとかわけわかんねえけどさっ!あいつらはお前らの仲間なんだろ?何でこんなことするんだよ!!」
「おい、佐藤!むやみに刺激するな!人の姿はしてるけど、あいつらだって中身はどんな奴らか分からないんだぞ!」
「だってよ!あいつらの仲間にみんな殺されたんだぜ!学校があんな有様だったんだ!ここ以外だってメチャクチャになってるはずだ!そんなことする奴らをお前許せるのかよ!」
「それは…」
佐藤が熱くなるのを見て、逆に俺は冷静になっていく。確かに佐藤の言い分は最もではある。だがかといってここでさっきの俺のように無謀に彼女達に闘いを挑み、あえなく殺されることが本当正しいことなのか…?
俺が言葉に詰まっていると、大剣を担いでいる女が焦れたように口を開く。
「どうでもいいけどさー、さっきの君の答えだけど、そんなの仕事だからだよー。何でそんな当たり前のこと聞くのさー?」
女は首を傾げた。
「なっ…」
頭が一瞬真っ白になった。仕事だから。そんな理由で俺たちは今、殺されかけているのか?
「てめえ…、ぶっ殺す!!」
だが、俺のその一瞬の空白が、隙を生んだ。それまで勝手に飛び出さないか注意していた佐藤へと意識が回らず、佐藤が走り出したのを止められなかった。今の言葉で完全に火がついた。もう佐藤は止められない。
(だけど、ここでまたむざむざと仲間を失うのはごめんだ!)
こうなればもう一蓮托生だ。俺は桐生と顔を見合わせ、頷く。俺たちは佐藤のバックアップに回る。
「ええ。なんであの人怒ってんの?あたしなんかマズイこと言った?」
「もう。いつも言ってるけどララはもっと人の気持ちを考えなさい…」
「よそ見すんじゃねえ!!」
佐藤を全く眼中に入れない二人に、佐藤の切っ先が迫る。柄の端にくくりつけた刃物ははララと呼ばれた女の顔面に直撃した、かのように見えた。
「もう。何するのよぉ」
「なにっ!?」
槍はララの顔の前、差し出された人差し指の腹で止められていた。彼女の指は、まるで繊細な物に触れるかのように全く力が込められているように見えないが、ギリリと震える柄の部分を見れば、佐藤が全力だったことがわかる。
「まあちょうどいいでしょう。ララーー処分しなさい」
「はぁい。ーーそれじゃあね。殺虫、と」
佐藤の頭部が爆ぜた。それがララの蹴りによるものだと分かったのは、彼女が蹴り足を床に戻した時だった。その足には返り血一つ付いていない。
佐藤だったものはしばらく立ったままだったが、やがて糸切れた人形のように地面に伏した。
我ながら佐藤の死亡フラグ臭が…。次で現世界編終わります。