ウィンデルでの日常 1
朝、楓たちの住むアパートに立ち寄る。部屋のドアを開けると、中からトーストのいい匂いが鼻腔に届く。
「あ、おはようお兄ちゃん。ちょうど今朝ごはんだから食べてく?」
「おはよう。いや、いい。もう家を出る前に取ってきたんだ」
部屋では予想通りシーナが朝食を準備していたようだった。作ったものを手際よく食卓に並べていく。
この街で驚いたことの一つとしてマジックアイテムによる生活の便利さだ。バケツに念じれば自然と水が湧き出るし、コンロにマッチさえ投じれば、いつまでも燃え盛り続ける。アセムさんの家やバリアハールではありえないような日本に近い便利さに、特にシーナはとても驚いたものだ。
シーナは腰に手をあて少し不満げに言う。
「…もう。最近お兄ちゃんが私のごはんを食べてくれてない気がするなあ。やっぱり、今からでもこっちで一緒に暮らそうよ」
現在、俺はとある事情でシーナ達とは別に部屋を取って一人暮らしをしている。理由は勿論あるし、それはシーナも理解しているはずだが、頭では理解していてもやはり不満はあるらしい。
俺は少し困ったように言う。
「悪いな。今の俺の都合上こうするのが一番いいんだ。できるだけここに顔を出すようにするから勘弁してくれ」
「むうう…」
シーナが唸ったところで、奥の部屋から楓が姿を現した。寝起きなのか、眠たげに目をこする楓はいつもの張り詰めたような雰囲気はない。
「おはようございますシーナ。今日も美味しそうな匂いですね…はっ、集!?来ていたのですか!」
「…眠そうだな」
俺を見た瞬間ぱっちりと目を開ける楓。
「は、はい。昨日はアレンの初めての仕事で、ちょっとそれに付き合っていったら遅くなってしまって…」
「アレンはどうだ?」
「今のところはまだ一人での仕事は難しそうですね…。昨日もなかなか危ない所でしたし…」
「…アレンを死なせないようにするのもそうだが、それ以上に『黒龍』が舐められるっていうのだけは絶対だめだ。武闘派で通ってる輩が一回の敗北で信用を失うのはよく見ただろ。俺自身があまり仕事に行けてないから偉そうには言えないが、そこだけは楓に頼みたい」
「集が今あまり仕事に出られないのはしょうがないことです。それに頼むなどと言う必要はありません。…私は斬ることしか能のない一本の刀。一年前からそれはお前の物です。お前がただ命令すれば、私はその悉ことごとくを斬りましょう」
「…ああ」
強い覚悟を宿した瞳を俺はまっすぐ見つめ返す。しかし、鋭利な刃のようだったそれは、次の瞬間には全くのなまくらへと変わっていた。
「…しかしそうは言いますが、最近私がお前の為にかなり働いていることもまた事実。そうですよね?」
「…あ、ああ」
確かにそこは疑いようがない。では、と楓が普段あまり見せないようなもじもじした姿で上目遣いに訊いてくる。
「では今夜…、久しぶりに仕事も無いですし、一緒に過ごしませんか?勿論、二人きりで…」
「…ッ」
そのあまりの色香に、思わず俺はたじろぐ。楓にしろシーナにしろ、成長期であるこの一年でかなり成長した。いや、どこがとか聞かれたらそりゃ察しろとしか言えないが、最近の二人には、油断していると襲い掛かりたくなってしまいそうな時がたまにある。今みたいに。
幸い今回は、ちょうどよく間に入って来たシーナによって、その衝動は無事抑えられる。
「か~え~で~さん?朝ごはん出来てるので、冷めないうちに早く召し上がれ~?」
「…(チッ)」
あ、今小さく舌打ちしたぞ楓の奴。しかし頭に怒りマークでも付けながらほほ笑むシーナには何も言わず、大人しくテーブルに着く。
まったく…、とシーナは嘆いた後、でもと付け加える。
「お兄ちゃんって昔と比べて変わったよね?」
「?そうか?」
シーナの言葉に、楓もいただきますと手を合わせながら頷く。
「私もそれは感じていました。…まあ最も、私はシーナとは違い、一年以上前の昔から集を知っていますが」
「…(ピキ)」
「…朝からそんなことで喧嘩はやめろ」
また静かに火花を散らし始めた二人を俺は諫める。シーナに俺と楓の本当の素性を伝えて以来、こんなどうでもよさそうな話題でも喧嘩をするようになった。普段はそこまで仲も悪くないのに、俺が来るとすぐ険悪になるのは何故だ。
「…しかし、集が変わったという点には同意です。昔のお前は…、そうですね、もっと騒がしかった」
「…唐突に悪口になったな」
「そういう所ですよ。今のも、日本にいた時だったら、もっと騒がしくツッコんでいます」
「ツッコむのは変わってないんだな…」
そのやりとりを聞いて、シーナはうーんと首をかしげる。
「お兄ちゃんがうちに来たときはそこまで元気でもなかったけど、さすがに今よりは落ち着きは無かったかな」
「そんなもんすかね。俺が初めて見たときの兄貴はもう今見たいに超ハードボイルドな人でしたけど」
「おいアレン。さらっと会話に混ざるのはやめなさい。昨日の怪我はもういいのですか?」
「はい坂本さん!昨日はご迷惑をおかけしました!」
そう言っていつの間にかいたのか、俺の横でアレンは勢いよく楓に頭を下げる。こういう素直な所はアレンの元からの人柄なのか、憎むことが出来ない一つの理由だった。
俺はアレンに厳しめの口調で話しかける。
「…おいアレン。昨日の闘いは楓がいなきゃかなり危なかったそうじゃねえか。お前、いつもの仕事でそんなんじゃこの先やっていけねえぞ」
「はい、兄貴!今日も午後から昨日の反省も兼ねて坂本さんに修行つけてもらう予定です!次は絶対負けないっす!」
「…次ってのは明日に命を繋いだ奴だけが言える言葉だ。昨日お前は楓のおかげで次が出来た。それをよく理解して修行に臨めよ」
「はい!」
「やはり変わりましたね…」
「うん、今のお兄ちゃんはすごいお兄ちゃんって感じ!かっこいい!」
「アレンの前で冷やかさないでくれ…。…っとそろそろ時間だ。行ってくる」
「あ、もうそんな時間なの?」
「いってらっしゃい、集。こちらのことは私に任せてください」
「今日も学校、頑張ってください!」
「ああ」
俺が玄関まで来ると、シーナが小さな包みを渡してくれる。
「はい、今日のお弁当。朝作ったのと被ってるのばっかりだけどね」
「いつも悪いな」
「ううん。私はこれくらいしか出来ないから…」
それじゃあ、とシーナは言うと、目を瞑り、こちらに顔を突き出す。
「…なんだ?」
「もお、いってきますのキスは“二ホン”にもあるって楓ちゃんから聞いたよ。ほら時間ないんだし早く~」
「…」
顔を近づけてくるシーナは初めて会った時と比べ身長も伸び、髪も長くなって幼さが消え、綺麗さが身に付き始めた。まあ、こういう子供っぽい所作はまだあるが…。
家を出ない俺を不審に思ったのか、居間から楓が顔をのぞかせてくる。
「集、どうしたのですか?何か忘れ物でも…シーナァ!」
「うわっ。姉貴がマジ切れした!怖え!カリラさんくらい怖え!」
「アレンッ!私を姉貴と呼ぶのをやめなさいとお前も何回言えば分かるのですかあ!」
「ちょっ、ストップ!こんな狭い中で剣を抜かないで!マジでそれ洒落なんないですから!」
「はい、お兄ちゃん。今のうちに手早くチュッとやっちゃって」
「お前もなかなかマイペースになったな…」
そんな殺伐とした空間でも動じなくなった妹分の成長に苦笑いする。
まあこんな可愛い歳下の女の子に迫られて悪い気もするはずもない。
俺は唇に一瞬目が行くが流石にそこは自制し、わずかにでてるおでこに軽く唇を触れさせた。
「…おでこかあ。他のとこでも良かったのに…」
「流石にそれはまずいだろ…。まあこれでいいだろ。それじゃあ行ってくる」
「はい、いってらっしゃーい」
「ちょ、集!よもやお前――」
声の途中でばたんと扉を閉める。中からは未だけたたましい声が聞こえる。
(少し流されすぎたか?)
『ふん。まあシーナは龍の俺から見ても可愛いしな。あんな顔で迫られちゃそりゃ主様も雄だししょうがねえだろ』
「起きてたのか…」
心の中でつぶやいた言葉に律儀に返してくるカリラ。たまにこうやって考えていることをカリラに筒抜けになってしまうのは最近の悩みの一つだった。
『まあ気にすんなよ主様。ほら、それより早く行こうぜ。学校』
「…ああ」
シーナ達の住むアパートから徒歩十五分歩いたところでその広大な敷地が見えてくる。
伊達高校の校舎二つ分はありそうな大きな校舎。グラウンドも三つあり、それぞれが伊達高校のグラウンドと同じくらいの大きさを誇る。こここそがファンタゴズマに数少ない勇者兼騎士育成学校にして、今俺が通っている場所でもあった。




