漆黒の龍
「集、攻撃が来ます!」
「――ッ!」
龍の登場に呆然としていた俺は、楓の声で我に返り、慌ててドラゴンの爪による攻撃をかわした。俺が直前までいたところには、深々と爪痕が残される。
「どうした、ぼうっとしていればすぐ死んでしまうぞ!」
「くっ!」
アセムさんの声に合わせて振るわれたもう片方の前足を跳んでかわす。前足は壁をやすやすと破壊して外に突き出る。あんなもの、例え『鉄の籠手』を使っていても、当たれば俺などひとたまりもないだろう。
(くそ、こんなデカブツどうすればいいんだよ!?)
俺が習得している魔術程度ではあの巨体にダメージを与えられるとは思えない。しかし、殴るにしてもこのリーチの差では容易には近づくことができない。
「…!いや…」
「そこじゃカリラ!」
龍の攻撃をかわしつつ俺は後方で指示を飛ばす人物を見る。
(術者であるアセムさんを仕留めればあるいは…)
「『鷹の目』」
俺は魔術を行使し走り出した。狙いは勿論龍の後方にいるアセムさん。
「ふむ、まあわしを狙ってくるのは道理よな。――カリラ!」
『GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』
アセムさんに呼応するように雄たけびを上げ、前足を振り上げる。
「ふっ!」
そのタイミングで俺は床を全力で踏みしめ、蹴る。最高速度に乗った俺のすぐ後ろを、龍の爪がタイミングを遅らせて落ちる。
そのまま俺は龍の股をくぐってアセムさんへと迫る。
「後ろじゃカリラ!」
アセムさんの指示に合わせて龍の尻尾が突如俺へと振り下ろされる。しかし、『鷹の目』で視界が広がった俺にはそれも十分に視えていた。面ではなく線の攻撃である振り下ろしの攻撃ならば、一歩横へと跳べば十分にかわせる。
「むっ、振り向きもせずかわしおったか!」
「『鉄の籠手』!」
遂にアセムさんへと肉薄した。向こうは片手を使えず杖も持ち合わせていない。今ならば十分に勝機がある。
「『流動』!」
「逃がすか!」
魔法で回避しようとするがそれは織り込み済みだ。あの魔法は発動が早い分、移動距離はそう長くない。アセムさんの魔法行使に合わせてこちらも思い切り地面を蹴る。
「!なんと!」
「これで終わりだっ!」
走った勢いを乗せたまま、俺は渾身のストレートを放つ。アセムさんが何か魔法を発動しようとするがもう遅い。拳は見事アセムさんの懐に吸い込まれ、みしりと体から異音を出す。俺は打撃直後に拳を引き、キメを作る。アセムさんはその場で数歩たたらを踏み、やがてどさりと倒れた。
「…」
伏したアセムさんを見下ろす。大丈夫だ。完全に死んでいる。少しの安堵と悲壮を乗せてため息を吐く。
『GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』
「ッ!なに!?」
背筋が震える雄たけびを受けて慌てて振り返
る。
見れば主を失った龍は天に向かって吠えた後、ぎろりとこちらを見据えた。その瞳は悲しみと怒りをたたえているようにも見える。
「主の敵討ちでもしようってか!くそがっ!」
振り下ろされる前足をかわす。真横に落ちた前足を、俺は硬化した拳で思い切り殴る。
「ッ!硬え!」
返って来たじんとする衝撃に思わず顔をしかめる。こちらは鉄並みに硬度を持っているというのになんと硬い鱗か。
『!』
しかし少しは痛かったのか、龍は床に着けた前足をそのまま大きく払う。咄嗟に手を前に出して防御するが、魔術で向上していても龍の前では変わらない。何度もバウンドしながら向かいの壁に突撃。頭を強く打って視界に星が飛ぶ。
「…ッ!」
チカチカする視界の中ではずんずんと近づいてくる黒い龍。逃げなければ、と思ったとき、裂帛の気合と共に視界の端で何かが跳ぶ。
「せぇい!」
それは日本刀片手に龍へと跳びかかる楓だった。日本刀は、なんと龍の鱗を突き破るが浅い。表面を少し削った楓は地面に着地。怒った龍のがむしゃらに振るわれた尻尾による攻撃を悠々と裂け、こちらまで後退してくる。
「集。大丈夫ですか?術者は殺したようですしこの龍もしばらくすれば消えると思います」
「…シーナは?」
他に色々と言う事があっただろうが、気づけばその言葉が口に出ていた。楓は少し気まずそうに顔を曇らす。
「…ひとまずは、先ほど捕まっていた奴隷の少年達に預けました。同じ売り飛ばされようとしていた者同士なのでとりあえずは安全でしょう。しかし、先ほどの光景はしっかりと見られてしまいました…」
「そうか…」
「…すみません」
「なぜお前が謝る」
「外道に成り果てたとはいえ、私も人の子です。少女のあんな顔を見ては流石に同情します…」
おそらく俺がアセムさんを殺した時のシーナの顔を見てしまったのだろう。
「…お前も不器用な女だな。よくそんなのでこの世界に復讐しようなんて思ったもんだ」
そう言いながら、俺は楓から日本刀を奪い取る。
「ッ!お前、何をするつもりですか!?無理に闘う必要は無いと言ったはずです!」
「おい楓。ーーあいつ、俺の物にできねえかな?」
俺の言葉に楓は唖然とする。
「なっ…。ひ、人の守護獣を奪うつもりですか!?た、確かに可能ではありますが…」
「どうすればできる?」
「本気ですか!?相手は龍ですよ!魔術師程度では勝てるはずがありません!」
「俺は魔術師以前に戦士だ。それに、こんなやつ程度を従えられないんじゃ世界を統べるなんて無理だ。楓、奪い方を早く教えろ。龍が来る」
俺に気圧されたように、楓は言う。
「…元の持ち主の守護獣を封印していたマジックアイテムを身につけたうえで、力を示すことです」
「結局はやっぱり闘うしかないってことか。わかった」
「集ッ!」
俺が走り出したのに合わせて龍も向きを変える。やはり狙いはあくまで俺のようだ。
「『補強』」
魔術で楓から拝借した日本刀を強化する。広角視野を手に入れる魔術もまだ働いている。視界端で捉えた鉤爪による一薙ぎも跳躍してかわす。
攻撃が全然当たらないことに苛立ったのか、龍は大きく吠える。しかし、それさえも俺に優位に働く。
そのうちにアセムさんの亡骸に辿り着く。指から指輪をそっと引き抜く。
「…一ヶ月。何を考えていようがアンタに世話になったことは事実だ。それだけは感謝してもしきれない。…ありがとうございました」
『GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』
「!」
主の遺体をまさぐる俺に怒ったのか、龍は猛烈な勢いで突進してくる。俺は慌てて抜き取った指輪をはめて、刀を構える。
龍は、俺のすぐそばにある主の亡骸に気を遣ったのか、ここで初めて顔を近づけて噛みつきによる攻撃を仕掛けてくる。 しかしそれはあまりにも迂闊だ。
「ッ!」
龍が大きく口を開けたところで真上に跳ぶ。ガチリと歯が重なり音がする。
間近にいたため視界が狭くなり、対象が消えたように見えたようだ。龍は辺りをキョロキョロと見回す。そのタイミングで思い切り天井を蹴る。
(飛べない室内なら俺に分があるようだな)
流石に耳はいいのか、天井を蹴った音に反応して龍はこちらを見るが遅い。狙いはがら空きになっている首筋。
「オラァ!」
『GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』
全体重を乗せたその一撃は、鱗を突き破り、首の三分の一くらいのところで止まる。龍は痛みに苦しみ悶えて吠える。
「集!後ろです!」
「!」
刀を抜こうとしたところで後ろを見ると、尻尾が別の生き物のように首上に乗った俺へと向かって伸びてくる。それは巨大な槍の素早い刺突のようだ。
刀を抜くのは間に合わないと判断した俺は、楓の刀をいなしたときと同じように、今度は両手で尻尾を受け流そうとするが、やはり攻撃の重さが比較にならない。受け流すことはできたが、そのあまりの衝撃にたまらず龍の首から落ちる。
なんとか着地したところに、追い討ちのように放たれる前足での横薙ぎ。無理に踏ん張って踏みとどまろうせず、飛んで衝撃を受け流したが、それでも十分な威力だ。壁を突き破り、外まで出てからも何度かバウンドする。
「くぁ…」
「集!」
「お兄ちゃん!?」
会場から出てきた楓と、外で休んでいたシーナの声が聞こえるが、頭の中はぐわんぐわんしてまともに理解できない。痛みに呻きながら自分の状態を確認する。
両腕はもろに攻撃を受けたため最も怪我がひどく、肉が裂けて白い骨が覗いている。背中も壁に大きく打ったことでズタズタになっており見たくもない。ただ、足だけは軽傷でまだ動く。
「お兄ちゃん!」
「来るな!」
走り寄ってくるシーナを見て怒鳴る。シーナははっとしたように立ち止まるが、今はそれどころではない。
ズン、ズン、とゆっくり大地を踏みしめるようにして、会場から漆黒のドラゴンが出てくる。いくらか弱っているようで、最初ほどの覇気はないが、目に灯る闘志はまだまだ消えていないように見える。
『GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOGAAAA!!!』
龍が今までで一番の猛々しい咆哮をあげる。それを聞いた周りの者は、ある者は気絶し、ある者は失禁し、ある者はそれと闘う一人の少年を見た。
「上等だ。お互い限界も近い。次で決着にしてやるよ!!」
俺は全速力で駆ける。向こうが飛んでしまったらもう勝ち目はない。地上にいる間に決着をつける!
しかし龍も馬鹿ではない。俺が駆け出すと同時に大きく翼を広げる。間に合うか。
「ッ!なに!?」
しかし次に出た行動に、俺は目を丸くした。
翼を広げたと思ったら、龍はそのまま旋回し、振り向きざまに尻尾を振るってきた。翼を広げたのはこの攻撃のフェイントだったのだ。
躱せる道理は無かった。しかし次の瞬間信じられないことが起きた。
「!これは…!」
左手が光ったと思うと、突如俺の体は何かに引き寄せられるかのようにして宙に浮き、迫り来る尻尾を躱して龍の背中に降り立ったのだ。
それはまさに先ほどの闘いでアセムさんが使った移動魔法ーー『流動』の魔法の効果そのものだった。
左手を見ると光っていたのは人差し指に嵌った、碧に光る宝石を嵌めた指輪。『交流の指輪』だった。
「シーナを、頼むぞ」
一瞬、聞き覚えのある老人のそんな声が聞こえた気がしたがそれは在りし日の幻聴か妄想か。とにかくこの機を逃すまいと俺は龍の背中を走り始める。
怒り猛る龍は、背中に前足を這わせて俺を掴もうとするが、上手く届かない所を走って、遂に首元まで到達する。そのタイミングで、龍は掴むのを諦めたのか、いきなり翼を広げて、大きくはためかせ飛び上がった。
「…!?くそっ…!」
突然の風圧に振り落ちそうになったが、鱗の突起になんとか噛みつき、落下をこらえる。
下を見れば、俺がさっきまでいたオークションハウスは、どんどん小さくなっていく。面が線に。線が点に。
(くそ。とにかく登るしかない)
なんとか首元まで登ろうとするが、いくら身体能力が上がったとはいえ、この風圧の中、しかも両腕が塞がっていてはどうしようもない。とにかく振り落とされないようにするのが精一杯な時間が続く。
そして、どれくらい時間が経っただろうか。
風圧が無くなったので目を開ければ、目の前には妖しく光る赤い月があった。
『…アンタには負けたよ。立花集』
「!?お前、喋れたのか…」
いきなり龍が口を開いたと思ったら、流暢に喋り始めた。こんなこと前にもあったなと考えて、それがいつかを思い出す。
「そういえば、獣人が喋った時も驚いたな…」
『あんな獣と一緒にされるのはいくら主様でも許せねえな。今後はやめてくれ』
「?今、主様と言ったか?」
乗っている所が少し動いたので何かと思えば、龍が頷いたようだった。
『ああ。最後の関門も、無事振り落とされずに耐え切ったからな。ーー立花集。我、カリラは、アセム・ルーキに代わり、これからはお前に主として仕えよう。これから我と汝は、永遠の盟友である』
龍ーーカリラが厳かに告げたことを反芻する。突然であるが、俺は無事カリラと契約を結ぶことが出来たらしい。
安心すると、どっと疲れが押し寄せ、酷い有様である体の各所から痛みによる危険信号が送られてくる。
『ふん。俺との闘いで受けた傷が痛むみてえだな。急いでさっきの所に戻るとするか』
カリラは先ほどとは打って変わったような慎重さで方向転換し、街のあるらしい方角へ飛び始める。もうしがみつく必要もなくなった俺はカリラの背中で仰向けになる。
赤く美しい月を見ながら、俺は今日起きたこと、そしてファンタゴズマに来てからの日々を思い出していた。その記憶のほとんどを占めるのがシーナ、そして、アセムさん。
「…アセムさん」
俺の声は風に紛れてすぐに消える。しかし、カリラの耳には届いたようだ。先ほどより優しい声音で俺に問う。
『アセム・ルーキが憎いか?』
「…わからないさ。あの人のやったことは赦せないけど、だからといって今までの生活全てを否定する気もない。人の善行と悪行を秤にかけてその人間の善悪を問うなんて俺には出来ない」
『…あの男も我と出会った時は、真っ直ぐ誠実な人間で、聖者とはこのような者を言うのかとさえ思ったもんだ。が、荒れ地に住むと言われる魔女に呪われてからの奴はひどかった。毎日己の行った善行に苦しみ、もがき壊れていく様は見るに耐えなかった。それでも自分の行いが人の為、そして愛する家族の為と信じて無理をした奴はある日、遂に壊れた。…そこからは主様も聞いた通りだよ』
「…」
『しかしな、奴は壊れてからも時には昔のように戻ることも稀にあった。その時だよ。主様に渡した指輪に一度限り発動する魔法を仕込んだのは』
「…!」
俺は左手に嵌められた交流の指輪をみる。確かに、先ほどの闘いで急に光ったと思ったら魔法が発動した。
『最近の奴の話のほとんどは主様のことだった。シュウならばわしを止めてくれる。シーナを最後まで護ってくれるはずじゃと嬉しそうに、それこそ主様もよく知るあの顔で言ったもんだ』
その言葉で浮かぶのは、アセムさんの微笑ましいものを見るような、あの暖かい笑み。そしてそれから様々な情景が浮かんでは消える。
初めて俺が家に来た時にりんごを出してくれたこと。
ごちそうさまを教えたら、シーナと二人でしてくれて、それから習慣にもなったこと。
初めて薪割りをしたとき、おれのあまりの早さに驚き、褒めてくれたこと。
魔術を教える師としてのアセムさん。
今思えば、俺に魔術を教えてくれたことも、他に打算があったとはいえ、アセムさん本人を止める為の力を俺に身に付けさせようとしたからかもしれない。
『…我が主は強い者で無ければならない。街に着くまでにその情けない嗚咽は止めてもらおうか』
「ッ…!ふ、ふん、誰が弱いって。背中にポン刀ぶっ刺してるやつがなに言ってんだか…」
『ッ…この…!刺したのは主様じゃねえか!自分じゃ取れない所にあるんだ、取ってくれよ!』
「なんかかっこいいしいいじゃん」
『じわじわ痛いんだよこれ!人間で言うところの泣きっ面に蜂って状態なんだよ!』
「それちょっと使い方違うぞ…」
そんなちょっと砕けた会話をしているうちに、街の灯りが見えてきた。オークション会場には凄い人だかり出来ているが、その最前列にはシーナと楓の姿があった。二人はカリラの姿を見て体を強張らせたが、カリラの背中にいる俺を見ると、その態度は一変するのが分かった。
カリラはそこでふんと仕切りなおすように鼻を鳴らし、厳かに言った。
『さあ、英雄の凱旋だな』




