アセム・ルーキ
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「ッ!シーナ、下がってろ!」
後ろにシーナがいる時点で回避は許されない。『鉄の籠手』を発動した俺は、迫りくる炎の刃を片っ端から叩き落す。
「ぐっ…」
手が焼ける。いくら魔法で硬化させても、熱のダメージまでは防げない。このままだとあと一分も保たない。
「集!この娘は私が護ります!お前はその男を倒すことだけに集中しなさい!」
打開策を探していたところで坂本の声が聞こえる。
「…ッ、どういうつもりだ!」
「約束したはずです、力を示せばお前の世界征服に付き合うと!そしてお前は私にそれを示した!ならば今度は私の番です!」
「…ッ!わかった。坂も…楓!お前を信じるぞ!」
もう迷わない。俺は刃を避けながらアセムさんへと走る。同時に『魔術抵抗』を発動して魔法への耐性を少しでも上げる。そのうちにアセムさんとの距離はみるみる縮まっていく。
この戦闘、俺の勝利条件は近距離戦闘に持ち込むこと。俺の拳が届く範囲まで近づくことが出来れば、魔法使いであるアセムさんには分が悪いだろう。
「『焔の刃』程度では足止めにすらならんか。ならば次じゃ。『念動』」
「ッ、これは…!」
アセムさんの魔法が発動した途端、体が重くなる。この魔法はこの世界に来る前にも屋上で見たことがある。『魔術抵抗』が多少効いているのか、あのときの剣士のように吹っ飛んだりはしないが、体の自由があまりきかない。感覚で言うと、水の中にいるときのようだ。
「炎は防げても、これは無理じゃろう。『電撃』」
アセムさんは指をこちらに向ける。その挙動にも覚えがある。桐生を殺した雷撃の魔法――。
「く…そがあああ!!」
俺は動かない体に無理やり魔力を流し込む。魔術などの技術など欠片もない、ただ強引に掛けられている魔法を引きちぎる荒業。体がその負荷に耐えられず、いくつかの血管が切れて血が飛び出る。だが、それで掛かっていた『念動』は弾き飛ばした。俺は全速力で地面を蹴り上げ飛び上がる。
その刹那の後に、アセムさんの指から細い電撃が放たれる。ばりいいいいいと音を立てる電撃は、しかし空を切る。
天井に足を付ける俺。警備兵はこの動きを目で追い切れず俺を完全に見失ったが、アセムさんは流石にレベルが違う。『鷹の目』の魔術でも使っているのか、すぐに上を向いてこちらを見つける。
「ッ!」
俺はアセムさんが魔法を行使する前に天井を蹴って落下する。狙いは勿論アセムさん。重力も合わさり、視認も難しいほどの速度で落下する俺だったが――。
「――ごはあ!?」
「『重力』」
アセムさんに触れる手前で勢いよく床に叩きつけられた。その勢いに床はたまらず陥没、『補強』を自分自身に掛けていなかったら俺も粉々になっていただろう。
それでも今のダメージはでかい。喉からせりあがって来た血をたまらず吐く。
後ろの方からシーナが「お兄ちゃん!?」と叫ぶのが聞こえる。
「いくら速かろうと、しっかりした魔法耐性が無ければそれは無力よ。『魔術抵抗』程度では言うに及ばず。これが魔術師と魔法使いの絶対的な差じゃよ」
俺を見下げてアセムさんはそう言う。その声音はどこまでも穏やかで、まるでいつもの魔法の修行でも行っているかのよう。俺はよろよろと顔を上げる。アセムさんは、驚くほどにいつもと変わらない顔をしていた。
「…昨日話した、オークションに乗り込んだことで大けがして、魔力器官が傷ついたというのも、やはり嘘でしたか…」
「む?魔力器官が傷ついて、わずかな下級魔法しか使えんのは本当じゃよ。今わしが使った魔法もすべて初歩的な下級魔法じゃ。…まあこの怪我はオークションではなく、王国の赤竜騎士団にやられたときに出来たものという点で考えれば多少の嘘はあるじゃろうが…」
(となれば娘と妻も、本当は実在しないか、あるいは奴隷商人であるこの人なら…)
自分の考えに途中で不快感を催す。自分の妻子を、初めから奴隷として売るためだけ育て、養うなどまともな人間のすることではない。シーナ、いや、俺たちが知っているアセムさんとは一体何だったというのか。
「…教えてください、アセムさん。なぜです。あなたはなぜこんなことをする!俺たちの知っているアセムさんは全てまやかしだったとでも言うのですか!」
俺の心からの問いかけに、アセムさんは顎髭を撫でる。
「ふうむ、その答えは必要か?今のこのわしを見れば答えはもう出ているはずじゃが?」
「だとしたら!俺があなたと過ごした一ヶ月には、いくつか矛盾が生まれる!シーナを売るつもりだったなら、それの邪魔にしかならないはずの俺を助けたこと、そしてそのうえその俺にあなたに歯向かう力となるかもしれない魔術の伝授。これは仮にアセムさんが腐りきった他の奴隷商人と同じだったとしたら必要ないどころか余計な行動だ!」
「…」
そう、これが俺の中でずっと引っかかっていた疑問だった。アセムさんが、自分で言う通りの外道だったのなら、この一ヶ月で彼の行動には矛盾が多く存在していた。それが俺の中でアセムさんという人間を外道と切り捨てることに大きなためらいを生んでいた。
「答えてくれアセムさん!俺に初めてシチューをご馳走してくれた日、あのときいただきますと言ったあなたの優しさの心は一体何だったんだ!!」
俺は這いつくばりながら精いっぱいの声を出した。それは、俺がシーナとアセムさんの三人で過ごしたあの家での生活全てを込めた想いの叫びだった。初めてシチューを食べたとき、この二人を信用することを決めた俺の心を信じたかったのかもしれない。
アセムさんは黙りこくっていたが、やがて重々しく口を開いた。
「…まだ妻や娘と三人で過ごしていた頃、一度わしは荒れ地に住むと言われる魔女に出会ったことがある」
「は…?」
突然の話に思わず気の抜けた声が出る。アセムさんは構わず続ける。
「なぜあんなことをしたのか、今では自分自身ですらも疑問じゃが、きっと昔はわしも誠実な人間の部類に入ったんじゃろうな。当時悪逆の限りを尽くしていた荒れ地の魔女に悪事をやめるよう訴えた。しかし、バリアハール一帯ではそこそこ名が知れていたわしも、あの魔女の前ではその他有象無象と同じ。『塵の分際で私に意見など…」と、猛烈に怒った。そこで彼女はわしにある呪いを掛けた」
「…」
「それは神殿の魔法使いたちでも解呪が困難な、荒れ地の魔女特製の呪い。それを掛けられればどんな者でも、荒れ地の魔女と同じ精神の在り方になってしまうという精神系の呪いじゃった」
「心の在り方を変える…?」
「左様。まあ結果的に言ってしまえば、わしは悪人になったという事じゃ。おとぎ話に出てくるような根からの悪心を持つ者。そんな魔女の心になってしまったわしは、世界を見る目がまるで変わってしまった。人を救うための薬の調合が苦行になり、家に帰ればおかえりなさいと出迎えてくれる娘の声が不協和音のように聞こえ、妻が心を込めて作ってくれた料理は、まるでゴムでも食べるかのように無味にしか感じなくなり、それまで至福と感じていた時間はまさに地獄に変わった。そして、その代わりに今まで心苦しく感じていたもの、人の不幸や絶望がわしにとっての至福になるようになった。まさに心が逆転したようなものじゃな。厄介なところはそれまでのわしの考え方自体は変わらなかったことじゃ。心が変質しようとも、依然として善と悪の行いについての常識は心に残りおった」
「…」
心が逆転する。そうなってしまった時のアセムさんを想像してみる。善人であった者が、常識は失わずに悪人となる。それは具体的には分からないが、想像を絶する苦痛であったことは想像に易くない。
「追い詰められたわしがその後、絶望と嘆きを司る奴隷商人になるのにそうは時間はかからなかった。中でも、我が妻子を奴隷として売り飛ばしたときのあの高揚は格別じゃった。わしが奴隷商人であっことを知ったときの妻の憎しみ、娘の嘆き。あれは何物にも代えられないような愉悦をわしに与えた。そのときじゃよ。一から自分の手で育て、奴隷として売りさばくというスタンスにしようと思ったのは。手間はかかるが、客のニーズにも答えられるし、なによりあの高揚した気持ちを味わえると考えたら迷いは無かった。シーナは、まずはその一人目にしようと考え、スラム街から拾った娘じゃ。つまり、シーナと会った時から、わしはあの娘を奴隷にすることを考えておったのじゃよ」
「シーナ…」
俺は頭を後ろに動かしてシーナを見やるが、坂本の隣にいるシーナは不安そうに俺とアセムさんを見るばかり。どうやら俺たちの会話は聞こえていないようだ。
それならば、と俺はまだ解消されていない疑問を遠慮なくぶつける。
「しかし、それじゃあ一ヶ月前なぜ俺を拾ったのか説明がつきません。俺を助けたのは、あなたが話した苦痛となる善の行いになるのではないですか?」
「こうも言ったはずじゃ。人の絶望は何よりも代えがたい至福だとも。お前さんにならば、シーナも心を開くかもしれんと思った。そしてそれは間違いではなかった。――あとはシーナの前でお前さんを殺すだけと言う事じゃ!」
「!!」
言葉の最後で、アセムさんは大きく杖を上に掲げる。嫌な予感がした俺は、咄嗟に強化された拳で、アセムさんの足元の地面をたたき砕く。
バランスを崩し、よろめくアセムさんは危険を感じとったのか、何歩か後退する。俺は素早く起き上がり、アセムさんを狙う。
(せっかくこの近距離まで近づいたんだ。この好機を逃がすかよ!)
縮地でアセムさんとの間合いを一息で詰める。反応が遅れたアセムさんは慌てて杖を俺に向けるがもう遅い。腰に引き絞った引き手から、鋭い正拳逆突きを放つ。
「ハァッ!」
「『魔力障壁』――ぐっ…!」
俺の突きは最初、また見えない壁によって阻まれるが、拳はその壁を打ち砕いた。
そのまま拳は、突き出していた杖を持った方の手に吸い込まれる。
ぼきり、と骨の折れる音が聞こえた。俺の突きを喰らった方の手はあらぬ方向に折れ曲がり、持っていた杖は明後日の方へ飛んでいく。アセムさんは苦悶の表情を浮かべる。
「……ッ!『流動』!」
「…ちっ!」
とどめとばかりに放った回し蹴りは空を切る。俺から七メートルほどの距離に降り立ったアセムさんは折れている方の腕をぶらんと下げ、それでも闘志の失わない目でこちらを見る。降参する気はないらしい。
「お父さん!!もうやめて!これ以上は死んじゃうよ!」
後ろからシーナが悲痛な声を上げる。シーナは先ほどの俺とアセムさんの会話が聞こえていない。やはりアセムさんをまだ敵と割り切れないのだろう。
「…俺はシーナほど優しくありませんよ。まだやると言うなら本当に殺す気で行きます」
「…わはは、すごい殺気じゃ。お前さんの中にそんな凶暴な本性があったとはのお…。油断したわけではなかったのじゃが、呑気に昔話に興じたのは失敗だったわな」
アセムさんは笑うが、その表情には先ほどまでの余裕はない。切迫詰まった雰囲気を俺はアセムさんから感じ取っていた。
「…魔女に呪いを受けたからとはいえ、あなたを赦すわけにはいきません。保安官に差し出して、然るべき罰を受けてもらいます」
「ふむ、まあ当然じゃな。じゃがシュウよ、それはお前さんが勝った時の話じゃろう。まだわしは負けとらん」
「強がっても無駄です。利き手を壊したうえに、魔法行使の補助アイテムである杖も落としました。今の状態のあなたでは俺のスピードにはついてこれない」
杖は魔法行使の際のいわばハンドルのようなもの。魔法の発動速度の向上や、魔法の威力を高めたりする。それが無い今、現実的に、アセムさんの魔法速度では俺には対抗できないはずだった。
(だが、アセムさんにはまだ何かある)
だが俺は直感的に、アセムさんにはまだ何か隠しているものがあると感じていた。それは地球にいるときにもたまに感じた、本能的に身の危険を感じる感覚。
そしてその俺の直感は外れなかった。
「…わはは。これは使いたくなかったのじゃがしょうがあるまい。シュウよ、お前さんに守護獣というものを見せてやろう」
そういうと、アセムさんはポケットから指輪を一つ取り出す。交流の指輪に造りは似ているが、嵌っている宝石は真珠のように黒く、不吉な色彩を放っている。普通の人が見ればただの指輪にも見えるかもしれない。
だが魔術師となった俺には分かる。その指輪から、膨大な魔力が溢れていることに。
「なっ…マジックアイテム!?そんな膨大な魔力を秘めたマジックアイテムなんて聞いたことが…」
「わはは。おかしなことを言う。お前さんに魔術を教えたのは誰か忘れたのかの?わしが伝えなければお前さんが知るはずも無いじゃろうて。――これは契約の
証。守護獣を呼び出すのに必要なアイテムよ」
「守護獣…?」
聞いたことのない言葉だったが、それを考えている暇はない。遂に指輪からすべての魔力が溢れだし、ある一点に注がれだした。
「さあ来るのじゃ、久しく会わぬ我が同胞よ!――悪により悪を敷け、カリラ」
アセムさんの言葉を合図に、それ――黒い鱗を持った竜は姿を現した。
そしてまだ終わらないという…。すみません、どうしても書きたいところが多くあり…




