黒龍対剣鬼
「くっ…拳がただ硬くなったところで…ッ!?」
坂本の上段からの袈裟斬りを手首を返して手の甲でいなす。坂本の外側に回り込んだ俺は回し蹴りを入れる。
「がっ!?」
坂本はなんとか腕で防御しようとするが、『補強』で身体能力を強化している分、こちらの方がパワーはある。坂本は見事に壁まで吹っ飛んだ。壁が砕け、坂本を中心に丸くえぐれる。
無理な追撃はしない。俺の拳の表面が薄く切れて血が滴っているのが分かる。今の俺の拳は鉄並みに硬いわけだが、どうやら坂本はその鉄にすら傷を入れるらしい。正面から何度も打ち合わせれば、いずれは拳が使えなくなってしまう可能性もある。
坂本は手にした刀を杖代わりにしてよろよろと起き上がる。そんな坂本に俺は声を掛ける。
「…もうやめだ。今の一撃で左腕は壊した。片手じゃ満足にポン刀も振るえないだろう」
「…舐めないでください。私はまだやれます!」
疾走してくる坂本。相変わらずその速さには驚嘆する。『補強』で強化されている俺をも凌駕する速さだ。
「だが、直線的すぎる」
「!?」
坂本の横一文字の一振りは刃の先端に拳を当てて受け止める。片腕の上に力の乗らない刃の切っ先でなら受け止めるのも容易だ。そのまま踏み込んで距離を殺す。
「ッ…!舐めるなと言ったはずです!」
「――なッ!?」
しかし今度は俺が驚かされる番だった。距離を殺して、刀の間合いから外したと思った矢先に坂本は日本刀の柄の部分で俺の顎を正確に打ちぬいた。敵ながらまさに会心の一撃だった。体は強化されても体の構造までは変わらない。脳を揺さぶられ、たまらず膝が笑い始める。
そのうちに坂本は一歩後退し、鋭い剣閃を放つ。狙いは俺の首元。未だダメージが抜けない体を無理やり動かして、ゴロゴロと床を転がりなんとか躱す。
「往生際の悪い!」
「…!」
体を起こそうと膝を床につけたところで坂本が真上から刀を振りかぶるのが見えた。おそらく『鉄の籠手』中で防ごうとしてもそれごと斬り伏せるというようなほどの渾身の一撃だろう。しかし、だからこそ溜めによる一瞬の隙も生まれた。
(ここだ!)
片膝をつけた状態から思い切り床を蹴り、ふらつく足で、無理矢理飛び上がる。
狙いは真上、坂本の顎下。速さこそ出せないが、その分体を精一杯伸びあげ、アッパー気味の掌底を狙う。
「…!!」
坂本はただ目を大きく見開いた。そのすぐ後に俺の掌底が決まる。
坂本はどさり、とその場に倒れた。起き上がってはこない。殺してはいないだろうが、脳震盪で体がいう事を聞かないのだろう。そりゃ、さっき俺が喰らったのより強烈なのが入ったからな。俺は素早く坂本が握っていた刀を遠くに蹴り飛ばす。
「け、剣鬼が…負けただと…?」
「そんな馬鹿な…!」
俺たちの闘いを見ていた残り少ない警備兵も心折られたようだ。どうやら俺の襲撃に際して反乱を起こしたらしい奴隷の少年達に、警備兵は大人しく捕縛されていく。
「…どうやらこれで終わりか」
俺はほっと一息ついたところで会場のステージの方からこちらへ走ってくる足音が一つ。
確認するまでもない。それはシーナだった。
「お兄ちゃん!!」
シーナは目に涙を浮かべて俺の胸に飛び込んでくる。見ればシーナの両腕は縄できつく縛られていた。手刀でそれを断ち切ると、体に腕を回してくる。
「怖かった…。お兄ちゃんに助けに来てほしかったけど、それと同じくらい私のせいでお兄ちゃんが死んじゃうのも嫌だった…」
鼻声でそう言うシーナの体は震えている。当然だ。もともと人見知りのシーナだ。攫われてからの不安は想像できないくらいのものだったろう。なのに自分の心配だけでなく俺の心配まで…。
気づけば俺からもシーナ優しく腕を回していた。シーナが驚いた声を上げる。
「お、お兄ちゃん!?」
「…シーナは優しいな。よく頑張った。もう、大丈夫だ」
「…!も、もう…。せっかく泣かないように頑張ってたのに…。こんなの、卑怯だよ…」
シーナはついに決壊したように大きな声で泣き始めた。俺はそんなシーナに慈しみを感じつつ、背中をゆっくりとさする。だからこそ、いつの間に復活したのか、坂本の声が聞こえたとき、やっと迫りくる脅威に気づいた。
「集!後ろです!」
「――!!」
シーナを庇いながら横に跳ぶ。俺の肩に焼き鏝を当てられたかのような痛みが走る。
「ぐっ…」
「お兄ちゃん!?」
「集!」
肩を庇いながら体を起こし、絶句する。攻撃方向には、今の魔法であろう杖を構えた老人が立っている。その人は、今ここにいていいはずのない人だった。
慌ててシーナを見る。シーナにだけは見せてはいけない、そう思って振り返った先に、大きく目を見開いて固まったシーナが目に入り、何もかもが遅いというこ
とを悟った。
シーナの口がゆっくりと動く。
「…お父、さん…?」
その言葉が届いたのか、帽子を被ったその老人はゆっくりと顔を上げた。
「うむ。おはようシーナ。思ったより元気そうで何よりじゃ」
そう、彼――アセムさんは、三人で暮らしていた時と同じように、お辞儀した。
時と場所が違ったならいつもと変わらない一日の挨拶。しかし、それは今までとは全く異なる意味を持っていた。
「あ…ああ…」
シーナはやがてわなわなと震えだす。それは正に壊れることの予兆のようで――。
シーナの目からはまた一滴、涙が伝い落ちた。
今回と次回はけっこう力を入れた部分です。感想などよかったらお願いします。




