オークション
その翌朝、オークションが行われる会場の控室のような場所で、シーナは目を覚ました。周りの環境が眠る前と変わっていないことに、改めて絶望を大きくする。
(昨日の出来事、夢じゃなかったんだ…)
部屋にはシーナの他にも数人の人がいるが、誰もが手足を縄で締められ拘束されている。この人たちもシーナと同じく攫われた人たちだ。
「うう…、お父さん、お母さん…」
シーナのすぐそばにいる少女は昨晩と同じく嗚咽をもらしながらすすり泣いている。見れば歳はシーナよりさらに低く、せいぜい十歳になるかどうかという所だろう。
そんな少女に、シーナは優しく語りかける。
「大丈夫よ。きっとまたお父さんとお母さんに会えるわ」
「ひっく…、そんなわけないよ…。きっとこのままどこかに私は売られちゃうんだ…」
「そんなことないわ。その前にきっと私のお兄ちゃんが助けに来てくれる」
「…お姉ちゃんのお兄ちゃんは強いの?」
「ええ、それはもう。私のお兄ちゃんにかかれば私たちを助けるなんて朝飯前なんだから。だから泣かないで、ね?」
「…うん」
どうにか少女は泣き止んだ。ほっと一息吐いてから、思う。
(嘘つき。本当はお兄ちゃんが来てくれるわけがない)
確かにあの人なら、私を助けに来ようとするかもしれない。しかし、バリアハールはここ一帯では一番の大都市だ。そもそもそんな広い中から都合よくこの場所を見つけることができる可能性は低い。そしてさっき同じ攫われた人たちから聞いたことを思い出す。
(バリアハールの剣鬼…)
今回この会場を警備する中に、そう呼ばれる人がいるらしい。曰く、この街で一番強い剣士であるらしく、その人が持つ特別な剣は、魔剣の類でもないのに、鉄すらも斬ることが出来るのだとか。いくら高い身体能力を持つ集でも、勝つ可能性は限りなく低い。
(でも、それでも助けに来てほしいと思っている私がいる)
もう一度父に、そして彼に会いたい。またあの山荘で三人で暮らしたい。それだけが今の望み。しかし今となってはそれも、遠い願い。
ドアが開き、そこからシーナをさらったうちの一人である男が部屋に入ってくる。部屋の中に緊張が走る。
「おら、お前。ちょっとこっちに来い」
「え、私?い、いやよ!」
呼ばれたのはシーナとは離れたところにいた二十代くらいの女。先ほど話したとき、結婚をしたばかりだと言っていた人だ。
「どれくらいの値段になるか、少し味見してやる。こっちに来い!」
「い、嫌。助けて、シードさん!!」
男が下衆な顔で抵抗する女を引きずりながら出ていった。
部屋に残った人たちは皆顔を伏せた。次は自分かもしれない。誰もがそう考えていた。横からまたすすり泣く声が聞こえてくる。
(…助けて、お兄ちゃん)
身勝手だと分かりつつも、シーナはそう願わずにはいられなかった。
しかし、そんな願いも虚しく、時間だけは過ぎていく。太陽が沈み、辺りは暗くなり、やがてオークションが始まった。
『レディースアーンドジェントルメーン!大変長らくお待たせいたしました。これより、今夜のオークションを始めたいと思います!』
道化のような恰好をした司会の男の声で会場はわっと盛り上がる。それほど狭くもない会場は満席。熱気で中にいると汗ばむほどであった。
「今日お宅は誰を狙いで?」
「今日は農場の獣避けになる男を一人。あとは慰み用に若い女を一人ですかな」
「おお、それでは今日は敵同士ですね。私もちょうど、今日売られるという十歳の女が目当てでしてね」
「いえいえ、それならば心配はありません。なんでも十四くらいの女も一人入っている桑ですから私はそちらにしようと」
「それにしてもあなたの幼女好きは相変わらずですなあ」
仮面の着けた男たちは笑い合うこの会場にいるのは、どれも身分の高い者ばかり。仮面は言わば立場を詮索しないという暗黙の了解の表れだった。それを聞いていた坂本は思わず眉を顰めた。
(本当に下衆の溜まり場のような場所ですね、ここは)
噂には聞いていたがここまでとは。坂本は顔に出る隠しきれない不快感を悟らせないため、外を向いた。窓から見える夜道は月のわずかな光だけで薄暗く、特に不審な点は見当たらない。
(…あの男、まさか本当に来ないつもりでしょうか)
坂本の脳裏には昨日会った男の姿。立花集。坂本と同じ地球から来た者。異世界に仲間を蹂躙された同じ痛みを知る同志。
(の、はずなのに…)
昨日あの立花が言った言葉を思い出して思わず顔を歪める。あれだけ酷い目に遭いながら、どうしてこの世界の人の事を想えるのだ。この世界には、今いる連中のような外道ばかりなのに。
坂本が最初にこの世界に着いたのがほぼ二ヶ月前、このバリアハールのスラム街に落ちた。
そこはまさにこの街のゴミ箱みたいなところだった。盗み、殺しは日常茶飯事。今日を生きるために誰もが隣人を警戒していた。
そんなこの世界に早々に見切りをつけ、坂本はまず、生きるために仕事を始めた。それが今の何でも屋だ。こちらの言葉は二週間でマスターした。それまでは、盗賊や悪徳商人などを狙って襲い、食いつなぐだけの金を奪って逃げるのを繰り返した。
そしてそんな悪名は瞬く間にバリアハール中二広まり、いつしか皆が畏怖を持ってこう呼んだ.バリアハールの剣鬼と。
そんな坂本だからこそ分からない。立花集はなぜ、そこまで異世界の人間に肩を持つのか。それを今夜測ろうと思ったが、それも、もしかしたら叶わないかもしれない。
『では次の商品です!今日の目玉の商品の一つであるこの女!歳は一四、名はシーナと言います。極度に男性を怖がることから男経験は皆無、私たちですら捕らえるとき以外は触れておりません!一から自分の色に染めることもできる将来性たっぷりの少女です!』
おお、と会場から声が上がる。どうやら立花集が追っていた女が売られる番のようだ。どうやらあの男は間に合わないようだ。坂本は人知れず息を吐く。
『では、この商品は将来性を加味して金貨一枚からです!それでは、どうぞ!』
すぐに手が挙がり、それぞれが自分の希望の額を答えていく。金貨三枚、五枚、七枚目あたりで、他に上げる人がいなくなった。
『それ以上はありませんか?…それでは、いないようですのでこの商品は金貨七枚で――』
「金貨二十枚」
『…!?』
一気に静かになる会場。何事かと見ると、あの女を買う額で、会場が驚いているようだ。
『き、金貨二十枚出ましたあ!!これはすごい!このオークションが始まって以来一番の大金です!さあ、他にこれを超える額を提示する人はおりませんか!?』
「イカサマだあ!」
司会の興奮したような声に返す野太い声。どうやらその男は、それまで一番であった金貨七枚を提示した男であった。
「金貨二十枚なんてこの街で持っている奴なんているはずがねえ!どうせ払わないで持ち逃げする気に決まってる!ええ、そうなんだろ!?」
『た、確かに金貨二十枚くらいの大金になると、一度ご確認させてもらえなければお渡しすることは少々お渡しすることは…」
男と司会者の言葉に、金貨二十枚を提示した男は立ち上がった。その仮面を見て坂本は驚いた。
「な、なんだその仮面は!?そんなふざけた仮面は見たことがないぞ!」
男の言う通り、その男が被っていたのは仮面、いや、ひょっとこのお面だった。勿論だがこの世界にひょっとこなどない。だとすれば、あの正体はただ一人。
その男は気にした様子もなく言う。
「お金はきちんとありますよ。そうですね、ここにいる人達全員の財産をもらえば、それくらいにはなるでしょう」
「ああ?何を言っているんだお前!」
「お客様。少しこちらへ…」
男の発言に、流石に不審に思ったのか、二名の警備兵が両脇に来る。しかし、その警備兵の末路は既に坂本は理解している。心を研ぎ澄まし、静かに鞘から刀を引き抜く。
ひどい音がした。見なくても分かる。近づいた警備兵が壁まで吹き飛ばされたのだろう。おそらく既に生きてはいまい。
一瞬会場に沈黙が生まれる。男がお面を取りながら言った言葉は沈黙の間を突くようにして、坂本の所にも届いた。
「――待たせたなシーナ。遅くなったが助けに来た」
その男の顔はまぎれもなく昨日会った男。立花集の顔だった。次の瞬間彼から発せられる殺気で会場は震えた。




