異世界での暮らし 2
シーナが出て行ってから気づいたが、部屋の前には男用の着替えが置いてあった。おそらく俺用に用意してくれたのだろう。確かに、いつまでも制服のままというわけにもいかない。後でシーナにはお礼を言わないと。
俺は手早く着替えを済ませ、外へ出る。用意してくれていた着替えは暖かい生地だったが、さすがに上着がないと体が冷える。
「やあ、シュウ。昨日はよく眠れたかな?」
家を出るときにシーナが教えてくれた井戸まで行くと、アセムさんがいた。井戸からちょうど桶を引き上げたところで問うてくる。
「おはようございます、アセムさん。はい、おかげさまで」
「おはようございます…。なるほど。それもシュウの民族の習慣か。後でわしにも教えてくれ。――ほれ、タオルじゃ。こわしはもう済ませたから、この桶に入っている分は、お前さんが使うといい」
「はい、遠慮なく使わせてもらいます。あと、シーナから薪を切るよう頼まれたのですが」
「ああ、そうじゃったな。顔を洗ったあとでいいからやってもらえるか。お前さんの剣は木材置き場のすぐそばにおいてある」
「ここでは斧ではなく、剣で薪を切るのですか?」
「わはは。さすがにそれは無いさな。今はうちにある斧が刃こぼれしてちょうど鍛冶屋に預けとってのお。まあお前さんは剣士じゃろうしできるじゃろ?でなければ今頃あの荒野で荒れ地ゴブリンの餌になってるじゃろうて」
俺がいた荒野はファンタゴズマの北東に広がる地域で、作物もほとんど育たず、しかも荒れ地ゴブリンの縄張りとなっている大変危険な場所だそうだ。それを昨日聞かされたときは、あの白い女を今すぐ殺したい衝動に駆られて大変だった。
だが、確かにこれは剣を扱ういい機会だ。日本にいた時は、せいぜい喧嘩で木刀を使うくらいだった。復讐するためにはまず、力を付けなければならない。
(そういえば…)
俺は井戸まで来ると、水が入った桶をアセムさんからありがたく受け取る。
「わかりました。それはそうとアセムさん。アセムさんは昔は魔法使いだったんですよね?」
「うむ。そうじゃが?」
「時間が空いているときでいいので、よかったら俺に――魔法を教えてくれませんか?」
「ほう?」
俺が昨晩考えていたことを正直に頼みこんでみる。アセムさんは真意を探るように俺の目をのぞき込む。俺はその視線から目を離さず、真正面から見つめ返す。
「…魔法使いの掟でな。魔法は悪しき者に教えるべからず…。」
アセムさんは俺に顔を近づける。
「シュウ、お前さんは魔法を何のために使う」
アセムさんのライトブルーの瞳が俺の緊張した顔を映す。その瞳は、どんな嘘や偽りも、たちまち看破されてしまうような不思議な迫力を持っていた。
(嘘をついたら確実にばれる。復讐のためと言っても教えてはもらえない…。なら)
「未来を護るためです」
「…ほう」
俺は気圧されないよう精いっぱい胸を張ってこたえる。そんな俺をしばらくアセムさんは見つめていたが、やがて顔を離して破顔した。
「よかろう。嘘は言ってないようじゃな。試すようなことをして悪かったの。これも魔法使いの義務でな。時間が空いたときに魔法の稽古をしてやろう」
「…ありがとうございます」
俺は90度に体を折ってお辞儀する。
「…お礼を言うときお辞儀するのは一緒のようじゃな。まあ面を上げなさい。早く顔を洗って薪を割っておくれ。それが終わらんと部屋が凍えてたまらん」
アセムさんはそう言うと、家に戻っていった。俺はその間ずっと頭を下げ続けていた。しかし、それには感謝とは別の意味もあった。
(すみませんアセムさん…。俺はきっとこの世界で最も”悪しき人”となるでしょう…)
自らの意思ではないにせよ、魔法使いの掟をアセムさんに破らせてしまうのが申し訳なかった。ファンタゴズマに来てから何の縁もなかった俺にここまで優しくしてくれた人を、俺は裏切ってしまったのだ。
(でも、復讐だけは譲れない…)
この世界には破滅を呼ぶかもしれないが、俺の世界を救うという意味ではさっきの言葉に嘘偽りはない。ただ、もしも俺が今顔を上げ、アセムさんが俺の顔を見てしまったら、きっとアセムさんは俺に魔法を教えようとはしないだろう。
地面に置かれた桶の中には、歪んだ笑顔を浮かべる俺の顔が映っていた。
「全く、本当に礼儀正しい男よなシュウは」
家に戻ったアセムは、未だ頭を下げ続ける一人の少年を見て苦笑した。アセムに位置からはシュウの表情は窺えない。
「見たところなかなか男前じゃし…狙うなら今のうちじゃぞ、シーナ」
こっそり覗いていた自分の義娘にアセムは声を掛ける。
「~~ッ!もう、お父さん!からかうのはやめて!」
「わはは。シュウの前でもそのように元気にしていればよかろう。お前はあやつの前では大人しすぎる」
「だ、だってお父さん以外の男の人となんてまともにしゃべったことないし…。どう接すればいいかわかんないよ」
「ふん。まあ一緒に過ごしていくうちに分かっていくじゃろう。ほれ、それよりシュウが薪を切っているうちに直しておけ。お前、朝から思ってたんじゃが後ろ髪がはねておるぞ」
「~~ッ!もう!気づいてたんなら早く言ってよね!お父さんの馬鹿!」
そうして慌てて姿見に走っていくシーナを、アセムは目を細めて見送った。




